アグネス・ギーベルは主に演奏会形式や宗教音楽で活躍したソプラノである。近年もなお来日して講座を開催しているとうわさで聞いたことがある。
この人の声はヴィブラートが殆どなくて、澄んでいるという形容がぴったりだった。生身の女声を感じさせぬとでも言っておこうか。
と、ここまで書いて昔の記憶を確かめるために聴いてみた。モーツアルトの教会音楽や、ブラームスの「ドイツレクィエム」。ブラームスはハンス・ホッターと共にチェリビダッケの指揮の下である。
意外なのがブラームスで、思った以上に集中力のある声だ。雑音がひとつもない声という記憶ばかりあったが、記憶よりずっと訴えかけてくる力がある。
それよりも、チェリビダッケが予想以上に淡白で、これも意外だった。
ギーベルは一度ハンブルクでクリスマス・オラトリオだったかしらん、聴いたことがある。奇妙なことにその時の耳の記憶はまったくない。あまり例がないことなのだが。一晩中寝ていたのであろうか。
それよりも鮮烈な印象を持った出来事がこの歌手を巡ってあったから、それを書いておく。
ドイツ人の生徒の中に成功した不動産屋の奥さんがいた。やがて友達付合いをするようになって、お茶に呼ばれたり食事を共にしたりした。お茶に呼ばれるときは生徒夫婦の親友であるアーレフェルド夫妻が一緒のことが多かった。
アーレフェルト氏は当時40歳位だったろうか。頭はとうに禿げ上がり、銀縁眼鏡をかけ、決して肥ってはいないが広い肩幅と頑丈そうな手を持つ男だった。
僕たちとは何度も会って、親しく会話を交わすが、家内に話しかけるときは常に「奥様」といった調子でものすごく丁寧に喋る。誰と話す場合も目をやや下に伏せて、決して相手と視線を合わせない。
音楽は一同の中で(僕たちを除いて)一番好きだったと思う。ズーゼというのが生徒の名前だが、ズーゼときたら「また練習できていないわ。我ながらいやになる」とヒラヒラ通ってくるばかりだったし、旦那のペーターは「ズーゼは怠け者だろう?ビシビシやっていいよ。もっとも僕も音楽なんて分からないんだが」という有様でね。
その日もいつものように雑談していた。というより、彼らの会話に耳を傾けていた。アーレフェルト氏はいつものように僕たちに気を遣っていた。この人の話し振りを僕は好きだった。
しっかりとした口調で穏やかに、だが力強く話すのがいかにも「良いドイツ人」というに相応しかったのだ。それでいて冗談も言うのである。彼とラントマン夫妻(ズ-ゼとその夫ペーター)が相手をやり込めようと言い合うのを聞くのは楽しかった。
何かのきっかけで話は宗教音楽のことになった。毎年クリスマス前の日曜日にはこのメンバーでクリスマスソングを合唱する慣しになっていた。まあ僕たちはピアノで伴奏だが。
「アグネス・ギーベルを知っていますか?彼女は最高のオラトリオ歌手だと思う」と僕が言った時、それまではいつものように目を伏せて、大きく開いた膝の上に肘をつき、前屈みになって主に聞き役に回っていたアーレフェルト氏が「その通りです!」と大きな声を上げた。
伏目がちな彼の目が一瞬カッと見開いて燃え上がった。マグマの爆発のような激しさだった。
爆発的な感情の発露はしかしすぐに静まり、いつもの伏し目がちな大男が僕の前に座っているのだった。
この時僕はブラームスの影を見たような心地がしたのである。忘れられない出来事はいくつもあるのだが、このことなどは格別の印象として記憶に残っている。
この人の声はヴィブラートが殆どなくて、澄んでいるという形容がぴったりだった。生身の女声を感じさせぬとでも言っておこうか。
と、ここまで書いて昔の記憶を確かめるために聴いてみた。モーツアルトの教会音楽や、ブラームスの「ドイツレクィエム」。ブラームスはハンス・ホッターと共にチェリビダッケの指揮の下である。
意外なのがブラームスで、思った以上に集中力のある声だ。雑音がひとつもない声という記憶ばかりあったが、記憶よりずっと訴えかけてくる力がある。
それよりも、チェリビダッケが予想以上に淡白で、これも意外だった。
ギーベルは一度ハンブルクでクリスマス・オラトリオだったかしらん、聴いたことがある。奇妙なことにその時の耳の記憶はまったくない。あまり例がないことなのだが。一晩中寝ていたのであろうか。
それよりも鮮烈な印象を持った出来事がこの歌手を巡ってあったから、それを書いておく。
ドイツ人の生徒の中に成功した不動産屋の奥さんがいた。やがて友達付合いをするようになって、お茶に呼ばれたり食事を共にしたりした。お茶に呼ばれるときは生徒夫婦の親友であるアーレフェルド夫妻が一緒のことが多かった。
アーレフェルト氏は当時40歳位だったろうか。頭はとうに禿げ上がり、銀縁眼鏡をかけ、決して肥ってはいないが広い肩幅と頑丈そうな手を持つ男だった。
僕たちとは何度も会って、親しく会話を交わすが、家内に話しかけるときは常に「奥様」といった調子でものすごく丁寧に喋る。誰と話す場合も目をやや下に伏せて、決して相手と視線を合わせない。
音楽は一同の中で(僕たちを除いて)一番好きだったと思う。ズーゼというのが生徒の名前だが、ズーゼときたら「また練習できていないわ。我ながらいやになる」とヒラヒラ通ってくるばかりだったし、旦那のペーターは「ズーゼは怠け者だろう?ビシビシやっていいよ。もっとも僕も音楽なんて分からないんだが」という有様でね。
その日もいつものように雑談していた。というより、彼らの会話に耳を傾けていた。アーレフェルト氏はいつものように僕たちに気を遣っていた。この人の話し振りを僕は好きだった。
しっかりとした口調で穏やかに、だが力強く話すのがいかにも「良いドイツ人」というに相応しかったのだ。それでいて冗談も言うのである。彼とラントマン夫妻(ズ-ゼとその夫ペーター)が相手をやり込めようと言い合うのを聞くのは楽しかった。
何かのきっかけで話は宗教音楽のことになった。毎年クリスマス前の日曜日にはこのメンバーでクリスマスソングを合唱する慣しになっていた。まあ僕たちはピアノで伴奏だが。
「アグネス・ギーベルを知っていますか?彼女は最高のオラトリオ歌手だと思う」と僕が言った時、それまではいつものように目を伏せて、大きく開いた膝の上に肘をつき、前屈みになって主に聞き役に回っていたアーレフェルト氏が「その通りです!」と大きな声を上げた。
伏目がちな彼の目が一瞬カッと見開いて燃え上がった。マグマの爆発のような激しさだった。
爆発的な感情の発露はしかしすぐに静まり、いつもの伏し目がちな大男が僕の前に座っているのだった。
この時僕はブラームスの影を見たような心地がしたのである。忘れられない出来事はいくつもあるのだが、このことなどは格別の印象として記憶に残っている。