季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

アグネス・ギーベルをめぐって

2010年03月30日 | 音楽
アグネス・ギーベルは主に演奏会形式や宗教音楽で活躍したソプラノである。近年もなお来日して講座を開催しているとうわさで聞いたことがある。

この人の声はヴィブラートが殆どなくて、澄んでいるという形容がぴったりだった。生身の女声を感じさせぬとでも言っておこうか。

と、ここまで書いて昔の記憶を確かめるために聴いてみた。モーツアルトの教会音楽や、ブラームスの「ドイツレクィエム」。ブラームスはハンス・ホッターと共にチェリビダッケの指揮の下である。

意外なのがブラームスで、思った以上に集中力のある声だ。雑音がひとつもない声という記憶ばかりあったが、記憶よりずっと訴えかけてくる力がある。

それよりも、チェリビダッケが予想以上に淡白で、これも意外だった。

ギーベルは一度ハンブルクでクリスマス・オラトリオだったかしらん、聴いたことがある。奇妙なことにその時の耳の記憶はまったくない。あまり例がないことなのだが。一晩中寝ていたのであろうか。

それよりも鮮烈な印象を持った出来事がこの歌手を巡ってあったから、それを書いておく。

ドイツ人の生徒の中に成功した不動産屋の奥さんがいた。やがて友達付合いをするようになって、お茶に呼ばれたり食事を共にしたりした。お茶に呼ばれるときは生徒夫婦の親友であるアーレフェルド夫妻が一緒のことが多かった。

アーレフェルト氏は当時40歳位だったろうか。頭はとうに禿げ上がり、銀縁眼鏡をかけ、決して肥ってはいないが広い肩幅と頑丈そうな手を持つ男だった。

僕たちとは何度も会って、親しく会話を交わすが、家内に話しかけるときは常に「奥様」といった調子でものすごく丁寧に喋る。誰と話す場合も目をやや下に伏せて、決して相手と視線を合わせない。

音楽は一同の中で(僕たちを除いて)一番好きだったと思う。ズーゼというのが生徒の名前だが、ズーゼときたら「また練習できていないわ。我ながらいやになる」とヒラヒラ通ってくるばかりだったし、旦那のペーターは「ズーゼは怠け者だろう?ビシビシやっていいよ。もっとも僕も音楽なんて分からないんだが」という有様でね。

その日もいつものように雑談していた。というより、彼らの会話に耳を傾けていた。アーレフェルト氏はいつものように僕たちに気を遣っていた。この人の話し振りを僕は好きだった。

しっかりとした口調で穏やかに、だが力強く話すのがいかにも「良いドイツ人」というに相応しかったのだ。それでいて冗談も言うのである。彼とラントマン夫妻(ズ-ゼとその夫ペーター)が相手をやり込めようと言い合うのを聞くのは楽しかった。

何かのきっかけで話は宗教音楽のことになった。毎年クリスマス前の日曜日にはこのメンバーでクリスマスソングを合唱する慣しになっていた。まあ僕たちはピアノで伴奏だが。

「アグネス・ギーベルを知っていますか?彼女は最高のオラトリオ歌手だと思う」と僕が言った時、それまではいつものように目を伏せて、大きく開いた膝の上に肘をつき、前屈みになって主に聞き役に回っていたアーレフェルト氏が「その通りです!」と大きな声を上げた。

伏目がちな彼の目が一瞬カッと見開いて燃え上がった。マグマの爆発のような激しさだった。

爆発的な感情の発露はしかしすぐに静まり、いつもの伏し目がちな大男が僕の前に座っているのだった。

この時僕はブラームスの影を見たような心地がしたのである。忘れられない出来事はいくつもあるのだが、このことなどは格別の印象として記憶に残っている。
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童話

2010年03月25日 | 
僕は童話も好きである。そうは言うものの、イソップ物語とか、かちかち山が好きなわけではない。何といっても好きなのは桃太郎だ。

なんて書いて本気にされたら困るなあ。困るというほどのこともないけれど。家族からはイソップを読めといわれている。まあ、いろいろありましてね。

子供のころ坪田譲治の本を持っていたのを覚えている。善太と三平という兄弟が出てきて、善太が川の上の橋でふざけていて川に落ちて流される。その後の展開は書かれていなかった。僕の持っていたのはどんな本であったか、もう分からない。子供心にも、川に落ち、流される善太のことが気にかかって仕方なかったことだけを記憶している。

ふたたび童話に関心を持ったのは、中学1年のころ、「くまのプーさん」に接してからである。たぶん。なぜ接したのか、もうこれも覚えていないが、物語の最後でクリストファー・ロビンが「もう僕は君と遊べないんだよ」とプーに語りかけ、プーは意味も分からず無邪気にクリストファー・ロビンを見上げている。クリストファー・ロビンも学校に通う年齢になったのである。「僕にも楽しい時代があったっけ」と苦い思いがしたのを覚えている。

話はそれるが、最近のほとんどの人はプーといえばディズニーのキャラクターでしか知らないのは残念だ。しか知らないどころか、ディズニーの創作物だと思っているふしさえある。A・A・ミルンという人が書いてシェパードさんという人が挿絵を描いている。この絵がたいへん可愛らしい。ディズニーファンの人には悪いけれど、比較にならない。いちど本屋さんの児童書コーナーで立ち読みでもしてみたらいかが。あなたも僕とともにプロの立ち読みストを目指そう。

それからは隠れて、表芸では漱石や鴎外、志賀直哉、バルザックなど内外の文学書を漁りながら、暇を見つけてはアリスだのロビンソンだのピーター・パンを再読した。

よくできた童話はイギリスに多い。プー、アリス、ピーター・パン、ロビンフッドと挙げてみればよくわかる。ドリトル先生はロフティングというアメリカの人だが、彼も元々はイギリス人だったはずである。

ハリー・ポッターにもその伝統は受け継がれていると思った。僕は第一作しか読んでいないけれど、面白かった。ただ、日本語訳は感心しない。長持ちする日本語で書かれていない。

ずっと後になってから、吉田健一さんがイギリスの童話について書いているのを発見して嬉しかった。ひと口で説明するのはなかなか難しいのだが、イギリスの童話の優れている点は、もちろん子供に対して書いているのだけれど、作者自身も自分の子供時代に戻って、物語の世界を自ら楽しんでいるところだというのだ。そこいらに転がっている、作者がすっかり調子を下ろしているものと違い、おとなが読むにも堪える作品が多い、という。その通りだ。

不思議の国のアリスは上記の中でも抜きん出ている。そもそもルイス・キャロルというペンネームの由来も、本名をラテン語読みして、それを英語化した、とかえらく凝ったものだったはずだ。

数学者として活動し、「ワニのパラドックス」という話を創った人でもある。

そのパラドックスを紹介しておく。

人食いワニが子供を人質にとり、その母親に「自分がこれから何をするか言い当てたら、子供を食わないが、不正解なら食う」と言った。これに対し、母親が「あなたはその子を食うでしょう」といった場合、

1. ワニが子供を食う場合、母親はワニがしようとすることを言い当てたので食べてはならない。
2. ワニが子供を食わない場合、母親の予想が外れたのでワニは子供を食べても良いことになる。しかしそこで食べると、結果的に母親の予想は正しかった事になるため、矛盾にぶつかる。

このように、ワニが何をしようとも自己矛盾してしまい、子供を食べる事も、食べない事もできなくなってしまう。

以上、ウィキペディアより。

アリス全編にこのパラドックスと似た雰囲気が溢れているのはすぐに感じるでしょう。

アリスの訳はたくさんあって、それぞれが違っていて楽しい。吉田健一さんの訳もあるのだが、残念ながら絶版で、オークションや古書店で探しても手に入らない。僕が所有しているのは生野幸吉さん訳と芹生一さん訳である。さっき本棚をゴソゴソしていたらもう一冊出てきた。こちらは今どきの言葉で書かれていて読んで面白くなかった。








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戦後民主主義

2010年03月21日 | その他
「トバク」という記事を書き終えたとたんに思い出したことがあった。

僕は小学校入学の少し前に川崎市へ引っ越した。そこにはもう住んでいない。今となっては信じられないことだが、我が家の前を流れる溝辺には芹が生え、そのほとりを毎日牛が通り、近所には肥溜めがいくつもあった。肥溜めは僕が高学年になってもあった。

当時コリーを飼っていて、その子が散歩中に落ちてしまい、往生したことがあるからよく覚えているのである。

いわゆる近郊型住宅が形成されつつあったころで、僕の学校は人口の急激な増加に対応して僕の入学と同時に開校した。急ごしらえの学校は教室が足りずに、初めのころは2部授業だったこともある。当時からだらしなかった僕は、学校に着いたらもう自分のクラスは授業が終わっていたりした。

田舎の保育園で、登園中に小川に入ってドジョウすくいをしたり、山に入ったりして、みんなが昼寝をしているころようやく到着し、罰として弁当を取上げられるような幼児時代を送った僕は、小学校に入ってもそのくせが抜けず、近所の子を誘って登校中に遊びに行ってしまったりしていた。

他方、今にして思えば教師たちは、また多くの大人たちは、戦後民主主義という(たぶん)漠然とした高揚感の中で胸躍らせていたのではあるまいか。

教室の一番後ろには板で囲った砂場がしつらえてあった。休み時間にはそこで仲良く箱庭ごっこをできるという、平和を希う思いが形となって表れていた。大人たちはこの素敵なアイデアに夢を託したのではあるまいか。

教師および親たちの優しい思いやりは、しかしあっというまに破壊された。僕たち餓鬼共は何ということか、授業中に喧嘩をはじめ、箱庭の砂を投げ合って暴れたのである。僕がその中にいたのか、それとも傍観していただけだったのか、今となっては思い出せない。

入学式の時にもひと騒動があった。

前述のように、所謂農村部が多く、そこでは多くの児童が親戚だったり、古くからの帰属意識が残っていたりした。

れっきとしたよそ者である僕は、入学式の日、何人もの悪餓鬼に囲まれてポカスカやられた。言葉で殴る蹴るというと凄まじいでしょう。でも多寡が6歳児だ、別段何事もないのだ。

もちろんギャーギャー泣かされたが、僕もついでに何人かを泣かした。面白いのはやはり旧村民系?でありながら、よっちゃんという近所の子が僕に加勢をして、一緒にポカスカやられてくれたことだ。一緒に遊んでいるもの同士は血縁よりも強い(子供社会だよ)ことを物語っているでしょう。

こうした日常がありながらも、僕も曲りなりに年を重ねた。誰でも大人になることができることを証明しただけのことだ。

箱庭のアイデアは子供の凄まじいパワーの前にわずか1学期で姿を消した。僕らはそんなことすら気付かずに、相変わらず窓を乗り越えて授業中に小用を足しに行ったりする有様だった。

箱庭的な平和を絵に描いたような甘ったるい雰囲気は今も形を変えてあると僕は思う。

大人が自分もかつては子供であったことを忘れはて、大人が見た「理想の子供像」を求める。なんと愚かなことか。

優れた童話はそれとまったく反対の態度から産まれる。思いついたからそれについては近日中に書く。
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トバク

2010年03月17日 | その他
賭博と書かずにトバクと書いた理由はそのうち分ってもらえるだろう。

僕が子供のころ、男の子はメンコ、ビー玉、ベーゴマに、女の子はおはじきに夢中だった。おはじきは学校内で、男の子の遊びは放課後の空き地でという違いはあったけれど。

僕は男の子の遊びも女の子の遊びも好きで、つまり一日中遊んでいたのかと突っ込まれたら、ああそうだ、と言わざるを得ないなあ。

おはじきはずいぶん強かった。勝ってはまき上げ、家で母親の使い古しのバッグにぎっしり詰め込んでいた。

しかし男の子の遊びメンコとビー玉は弱く、放課後近所で遊んでは取上げられていた。強い子の家の縁の下などにはみかん箱(当時は木製)にぎっしりメンコが詰まっていたものだ。

近所の子供たちが主な相手だったが、そいつらが強いんだな。年上年下入り交じって、勝った負けたをしていた。

ベーゴマは少し離れたところで「ご開帳」していて遠征することが多かった。

最近の子供は外で遊ばない、ゲームばかりしているという。たしかにそうだとは思う。僕はトバク以外にも野原で野球をしたり田んぼでキャッチボールをしたりしていた。

昔の遊びを今の子達にも体験させてあげようと、ベーゴマを(人為的に)流行らせてみたりしたようだが効果は長続きしなかったようだ。ベイブレードとかいったな。

よく胸に手を当てて考えてみれば当然ではなかろうか。メンコやビー玉はいったいそんなに面白いものだろうか?どうも違うような気がする。僕が今そう感じるだけだろうか?

単純すぎる?ブラックジャックだって単純そのものではないか。それなのに昔から今までずっと続いている。ゴルフだって単純だよね。単純すぎるから面白くないというのは短絡に過ぎよう。僕はゴルフをしないけれど。

では当時子供たちはなぜそんな単純作業に夢中になれたか。

おそらく勝ったら巻き上げ、負けたら失うというバクチ性の故なのである。上記のブラックジャックで思い出したのであるが、ドイツ時代、友人たちと(まあ今の麻雀仲間だが)3人、夜を徹してブラックジャックをしたことがあった。ここでもまた、お前は何をしていたのだと言われそうだが、言われても仕方ないな。

内緒だが賭けていたのさ。もう時効です。ものすごいインフレルールを自分たちで作って、本気で遊んでいた。さてもう疲れたから止めようと点数を計算したところ、ひとりが10円勝ち、ひとりが原点のまま、ひとりが10円負け、という信じがたい結果になった。この時ほど過ぎ去った時間を虚しく感じたことはなかった。

こんな馬鹿が(単純極まるゲームで)できるのも、賭けをしていたからだろう。メンコやビー玉は子供から見たら立派な賭けだったのだ。

現代になって賭けの要素を抜いてやらせようと思っても、誰もしないと思うね。

僕はこのいバクチ性をたいへん健全であったと考えるのである。いつどういう理由で子供社会から姿を消したのか、僕には興味がある.
検索をしてみたら、今でも細々と文化の継承をしようと努める人がいるようだが。

健全というのは少し説明が要るかな。

僕は前述のようにこの手のバクチに弱かったから、すってんてんになったものだ。あとは指をくわえて見ているしかない。そこで忍耐力を養った。ウソだけどね。

強い奴はいつも勝つから、しまいには相手がいなくなる。子供といえど経済観念はきちんとあるから、次々に小遣いを注ぎこむ奴もいないのだ。

すると強者は弱者に「おい、これやるからよお」と札束ならぬメンコ束を差し出すのである。このもらう瞬間は、何だかえらく儲けた気分がしたのを今も思い出す。それは数日後に再び巻き上げられるのだが。

強者は、世の中独り勝ちというのはあり得ないと知る。どうです、偽善のかけらもなくてきちんと回っていくのです。もちろんどこかではとんでもなく使い込んでしまう子供も出ただろうが、ふつうは大人の余計な善意さえなければ子供はこんな風に「社会」をつくっていけるのだ。社会を体験すると称して国会ごっこや裁判ごっこをするよりはるかにましなのである。

子供が自然に形成する社会を、大人が大人の目で見て「賭け事をするなんて」と咎めた。そんなことではなかろうか。当の大人はパチンコ、競輪、競馬、と博打三昧で、株にいたっては社会を動かす最重要になっている。

今更バクチを解禁できないだろう。何から何まで変わってしまった今、急にバクチをすることはバクチに過ぎる。

大人が子供と同等レベルで判断すると碌なことがない好例だと思う。

今思い出したことがあるのだが、長くなるからまた次に。

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Blogram

2010年03月13日 | その他
パソコンのことはまったく分からないで、使うだけは使っている。

その上好奇心は強い。

少し前に(といってももう数ヶ月は経つかなあ)Blogram とやらの案内があった。何のサービスか分からぬまま、操作も分からぬまま、画面に現れる手順に従ってポチポチやったら、僕のブログ画面に「Brogram」なるボタンが現れた。調子に乗ってもうひとつ付けてみた。

これをクリックすると何やら僕の記事を解析するページに行くらしい。自分でもやってみたが格別のことはない。

そのうちにコンピュータが勝手にキーワードを検出して、それにランキングを付けてくれるようになった。

これもばかばかしい。

それが数日前、いきなりポイントが付きました、という知らせが来た。知らせが来たといっても自動メールです。

知らぬ間に「ショパン」が第1位、ツェルニーが第4位という快挙?なのであった。いまだにこのランキングの意味も設定基準も分かっていない。

ばかばかしいと多寡をくくっていたが、いざ1位なんて付くと気分が良いものですね、人間て(人間なんてごまかすな、お前だけだと声がする)単純で愚かだね。

そういえばいろんなブログを見ると「これを読んで賛成の方は投票してください」とボタンの上や下に書いてある。僕も投票したことがあったっけ。

ランキング上位になると、どんなもんじゃ、と覗いていく人が増えるのかもしれない。僕もせっかく書くからには人目についてもらいたいと思わないでもないのだ。音楽については、できるだけたくさんの人の目に留まればと思っているのだ。

ところがボタンの下に「そうだと思った方は投票してください」と文字を付け加える方法が、これまた分からない。パソコンは嫌いだ!というモードが支配的になってくる。

仕方がないからこうやって文を書く羽目になる。これを読んでくださる方はどこかに「Brogram」というボタンがあるのを目にされるはずです。遠慮なさらずクリックしてください。料金は発生しません。

で、今ランキングを見たらショパンはいつの間にか80位くらいに後退していた。そもそも仕組みが分からないからね、ショパンについてそんなにたくさん書いた覚えもないし。ショパンという文字が多いとカウントされるのだろうか。でもそれだったらショパン、ショパン、ショパンと連打すればランクが上がる道理だしなあ。

きっとこの仕組みに詳しい人もいるでしょうから、そのうちに教えてもらえるだろうと思っている。

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バッハのカンタータ

2010年03月12日 | 音楽
僕が子供のころ、バッハはただ叱られるだけの、面倒くさい曲でしかなかった。今でも堅苦しい曲だと思い込んでいる人が、殊に音楽関係に進むような人に多いようだから、僕の体験を書いておく。

ただ叱られるだけといっても、ご承知のようにポリフォニーの楽譜は慣れないうちは押さえておくべき指、離さねばならない指と頭が一杯になるからね、叱られる種が多いわけだ。

僕の家にステレオ装置が来たのはずいぶん遅く、FM放送も受信し始めたのは中学に上がった後だったのではないか。

ある日、偶然つけていたFM放送でバッハのカンタータ第132番「道を整えよ」が流れた。

僕はびっくりした。何という柔らかさ、自由さだろう。驚きはたちまち感動に変わった。イ長調でオーボエのソロが始まったとき(この時の演奏はドイツバッハゾリステンとヴィンシャーマンだった。この何やら長ったらしい名前もあっという間に覚えた。それ位衝撃的だったのである)僕が味わった恍惚感は今でも覚えている。

今となっては、このカンタータがとりわけ優れた作品だと思わない。しかしこの作品が、その後次から次へとカンタータを聴くようになったきっかけを作ったことにかわりない。

「バッハをショパンのように弾かないで」という注意をされた人、または聞いたことがある人は大勢いるはずだ。

僕はそんな注意をする人に言いたいね。「バッハとショパンの区別が付かないのですか?」と。往々にしてそんな注意をされた後の演奏は無味乾燥なのだ。

まず音楽を感じてみたまえ、そうすればバッハはバッハ的に、ショパンはショパン的に響くだろう。と、こうして書いたり読んだりしたら当たり前すぎるでしょう?

ピアノを弾く人たちはぜひカンタータを聴いて御覧なさい。オーケストラあり、ソロパートあり(132番だけではない。色々な管楽器、弦楽器の最も美しいソロがいくらでも見つかる)合唱あり、独唱、重唱あり、とじつに多彩なのです。

平均律、とりわけフーガを、いったいどのような編曲が可能か、想像してみるのはたいへん良いことだと思う。それが空回りの観念に堕ちないためには、実際の響きを味わい楽しんでおくことが重要なのだ。

トランペットのように、と思うには、トランペットのとびきり上等な響きを知っておいたほうが良い。これも当たり前に響くかもしれないけれど、その当たり前を当たり前にすることはなかなか困難なのです。

先日、ドイツバッハゾリステンの「祝祭カンタータ」を聴いていて、気がついたらトランペットをモーリス・アンドレが担当しているのだった。きれいなはずである。

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風呂場にて

2010年03月10日 | 音楽
風呂に最後に入ることが多い。最後に、浸かりながら浴槽の栓を抜く。湯は少しずつ減り始めるが、排水管から溢れるのだろう、一度洗い場の排水口から逆流してくる。

洗い場の床がひたひたと浸されて行く。石鹸垢が混ざって決してきれいな眺めとは言いがたい。しばらくすると排水管を通る量が釣り合うのか、ふたたび床の水位は下がり始め、最後にはすっかり元のままになる。

僕は毎回これを眺めている。最後の水が一気に排水口へ吸い込まれていく瞬間が気持ちよい。

馬鹿のようなものであるが、眺めながらワーグナーの「神々の黄昏」の最終場面を思い描いていることもある。

最終場面でブリュンヒルデは長い長い独白の後、愛馬グラーネと共に燃えさかる炎の中に飛び込む。やがてラインの水がかさを増し、その中をライン乙女が、3日前の「ラインの黄金」の最初の場面と同じように泳ぎ回る。聴いている我々は今、長い円環が閉じようとしているのだとはっきり感じる。

知らない人のために書き添えておく。「ニーベルングの指輪」は「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の4部からなる。つまり上演には最低4日かかる。「ワルキューレ」また稀には「神々の黄昏」は単独で上演されることもある。

彼女たちは今、奪われていた指輪を取り返しにきたのだ。指輪を手に入れようとあれこれ画策してきたハーゲンは我に返って、それを止めようとするが溢れかえる水かさに手も足も出ない。

遠くの背景では神々の城、ワルハラが炎上し、指輪は神話の中へ帰っていこうとしている。

ライン乙女は退いてゆく水と共に去って行く。

ワーグナーはなんという奴だろう。ひたひたと寄せるラインの水、そして再び退いてゆく描写の確実なこと!

ニーチェはワーグナーを「あらゆる微小なものの天才」と呼んだ。悪意をもってなされた発言ではあるけれど、描写力という点から見た場合これほどぴったりの指摘はないのである。

「ラインの黄金」の冒頭、低い変ホ音が通奏されると僕たちはあっという間にライン川の水底の暗い世界へ誘われる。その上をバスクラリネットによって変ホ長調の音階がミファソラシミソと低く演奏される。ここでもニーチェの言葉を思い起こす人はいるだろう。

その音型は執拗に繰り返され、次第次第に楽器が加わり、装飾的な経過音も増えていくが転調は一度もなく、聴き手は息を詰めて聴き入ることを強いられる。

最後に全楽器が渦巻くように響き、これ以上いったいどうなるのだと不安になったその瞬間どん帳が開き、そこではライン乙女が歌いながら水中を泳ぎまわっている。フォルテッシモから休符もなく、急に薄くなったオーケストラの中でいきなりファミドシラミラシラと変イ長調に飛び移って歌声が現れるこの場面は、ワーグナーの舌なめずりを感じる。分かっていても鳥肌が立つ。この音型は冒頭主題の反行型であることに、音楽をしている人は注目してもらいたい。

これ以上の簡明さと効果はいったいあり得るのだろうか。

「神々の黄昏」の最終場面でライン乙女はこの冒頭の場面と同じメロディーに乗って現れるのである。ただし今度は歌声なしで。

聴き手はいやでもはるかかなたに消え去った旋律を思い出す、そういう仕組みになっている。

そしてすべての水が浴槽から流れ出した後、僕も入浴中だったことを思い出すのである。

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映像の魅力 本編

2010年03月05日 | その他
前回映像の魅力について書こうとしたら、かってに肉声の魅力に話がいってしまった。

肉声の魅力について長々と書いたが、じつはもう一つの感覚的な認識、視覚の魅力について感に堪えぬ思いがしたことを書き留めておきたかった。

映像自体はもうとっくに市民権を獲得しているけれど、それはあくまで映画やドキュメンタリーやスポーツ中継においてであった。市民権を得ていると書いたが、そんな言葉では遙かに及ばない影響を映像は持っている。善し悪しを問うのはもはや意味がない、それほど大きな影響力だ。

例えば厳粛な席で偶然の笑顔を映し出せば、その人に人でなしという烙印が押されかねない。そんな危険もはらんだ力の前に人は否応なしに立たされている。

インターネットが進み、動画が配信されるようになると、見られないものはないという有様になった。

繰り返すが、賛否を論じても仕方ないのである。こういう事態には上手に付き合うことを心がけた方がよい。このような時代にならなければ僕が目にすることはおそらくなかったであろうと思われる映像だってある。そののひとつが本田宗一郎氏のインタビューである。

この人の功績はもちろんいつの間にか知るところとはなっていた。考え方やおよその履歴も目にして好感を抱いてもいた。それでも実業界は僕の関心からは遠く、好感以上のものを敢えて探す労を払うには忙しすぎた。

僕が見たインタビュー映像の感想を言ってしまおう。こんなに魅力のある話し方をする人はそう多くはあるまい。僕が実業界に漠然と抱いているイメージと合致するものはどこにもない。

僕が見たものは社長を退いた後なされたインタビューである。ここで本田氏は自分の時代は戦後新しく出発する時代で幸運だった、上の世代から押さえつけられずにすんだ。だから現在でも上に立つものはなるべく早く後進に道を譲るべきだと言うのだが、これを文字で読んでも、まったくその通りの正論だと言う以外ない。

ところが、彼がこれを言う時の体の動きに目が行くと、話し声は彼の口からではなく、腕から、体全体から発せられるように思われてくる。

体は言葉につられて左右に揺れる。それは欧米人の大きなゼスチャーともまったく違う。いま話題にあがっていることがらについて話すことが楽しくて仕方ないのが傍目にもよく分かる、そんな感じ。

楽しい話題ばかりとは限らない。たとえば彼が社長を退いたとき、よく創業者がするように息子に跡を継がせることをしなかった。

インタビュアーから、本田さんでもふつうの親心もあったであろうによくそれができた、迷いはなかったのかと質問される。

一瞬の間をおいた後「会社は本田家のものじゃないものね。会社は株主のものだものね。(また一瞬の間をおいて)従業員のものでもあるものね。そんなことをしたら(息子に継がせること)社員はやる気をなくしますよ」と言う。

ここでも大切なのは意見ではない。意見にはいくつでも異論反論があるかもしれないし、同じ気持ちを持つ人も同様にいるだろう。

それよりもこの発言をする本田氏の表情には当たり前だと自分で思ったことを当たり前に行動する人特有の無邪気さというか、素直さがある。意見を異にする人への皮肉や反感くらいこの人から遠いものはなかったと思われるのだ。

言葉の本当の意味で気取らぬ態度を見て、僕はじつに良い気持ちになったのである。

真剣に本心を語ると心動かされる。人間という動物は面白いものだと改めて思う。「わざ」と題して書いたものの真反対である。you tube で本田宗一郎と検索をかければ出るはずです。URLを貼っておけば良いのだろうが、クリックしただけでそこに跳べるようにできないのです。だれか教えてくださいな。





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映像の魅力

2010年03月01日 | その他
もうずいぶん昔のことになるが、小林秀雄さんの講演の録音記録が見つかって売り出された。今日と違って講演会の録音などほとんどなかった時代である。小林さんの人気もあって話題になった。

それまで活字を通してしか知らなかった肉声は僕に非常な感動を呼び起こした。

小林さんの声については友人の文士をはじめいろいろな人が古今亭志ん生と似ていることを報告していた。いろいろなところでそれを目にはしていたのである。志ん生の声も知っていた。

しかしいくら志ん生の声と小林さんの声を重ねようとしても、それはできない相談だった。なんとももどかしい思いをしたものである。

さて録音を聞いてみると、なるほどよく似ている。小林さんは志ん生が贔屓だったそうである。そうするとこうまで似てくるものだろうか。

活字に残るというのは文学のうらやましい特性であるのに、音声までが加わると印象がまたひとつ違ったものになる、その魅力に人は気づいた。

しばらく経つうちに小林秀雄さんの講演記録は増えはじめ、CDの時代になった今でも装いを新たにして販売される。最近も未発表の録音が発売されて話題になった。

音声の面白さは文章からは独立している。もちろん録音の内容が推敲を経て文章として発表されていれば、推敲の過程を知ることになり、文学に興味を持つ人にとってこんなスリリングなこともあるまい。

なるほど、録音に残されたものと最終的に文章に起こして残されたものでは、小林秀雄さんのものばかりではなくずいぶん違う。

しかし録音を通して聞く肉声の魅力というものは、推敲の跡を辿るよりももっと直接的なものだ。

声というものはある時には残酷なほどにその人の気持ちを表現してしまう。表現しようと思っているもの以上を表すといってもよい。

感情を押し殺したつもりでもそのこと自体が声にでてしまう。大抵の人が経験しているだろう。

小林秀雄さんと五味康介さんによる「音楽談義」は小林さんの対談集で読むことができる。これはどこかの料亭で行われた対談を文章に起こしたものらしい。このときの対談は録音が残されて販売されている。

ここで意外なのは、小林さんの機嫌の良さである。
現在では小林秀雄さんにとどまらない、いろいろな著名人の音声が販売されているのも、肉声の魅力がいかに大きいかを示している。

対談集で読んだ折には五味さんの意見の曖昧さばかりが目立ち、それをきびしく指摘する小林さんに小気味よい陶酔すら感じた。

それが対談の録音を聞くとまったく違う印象をもたらす。すでに書いたように、じつに機嫌良く和やかな空気が伝わってくる。

対談集に見られる鋭い指摘はもちろんあるのだが、小林さんの読者ならよく知っている、文学談義で相手を泣かせてしまうような激しさはどこにも見あたらない。

この人の音楽について書かれた随筆を注意深く読めば分かることなのであるが、小林さんは音楽を心の底から好きで、一種畏怖の念とでもいう感情を持っていたのではあるまいか。音楽談義の録音はそれを耳の感覚という形で伝えている。

音楽について語ることが楽しくて仕方がない、彼の声はその気持ちを余すところなく表現している。これこそ肉声の魅力であろう。

映像の魅力について書くつもりがこんな有様になった。昨今の大学院レベルの論文でも通らないな、こりゃ。仕方がないからまた書き直す。




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