季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

子供 再

2009年10月30日 | その他
子供を子どもと書くらしいと書いた後、少し暇があると検索をかけてみた。

その結果、日本ではいつの間にか言葉の言い換え、書き換えが驚くべき範囲に及んでいることを知った。

知っていない人もきっと大勢いることと思われるから、呆れがてら紹介しておく。

まず「子ども」だが、現在PTAの副会長をしているという人から聞いたところでは、必ず「ども」は平仮名にするように、と歴代の会長からの申し送りがあったそうである。理由は以前の記事で僕が書いたとおりとのこと。

同じ人から聞いた話では、その他にも耳を疑うものもある。

○○は以下の通りです、とかは厳禁だそうだ。昔のお触書からきたもので、人を見下しているからだ、という。

以下の通り、下記の通りというのはもしかしたらお触書の書法なのかもしれない。しかし、論文に至るまでごく一般に使われている、即物的ではあるけれど一目で把握するには便利な用法ではないか。

少なくとも人を見下す心でこれを用いる人は殆んどいまい。この文言をみて見下されたと感じる人はいるのだろうね。だからこそ禁止することを発案したのだろうから。なんという過敏でひねくれた心だろうと僕は呆れてしまう。

ここから先は検索の結果だが、八百屋、魚屋、肉屋などが蔑称であるから使用しないほうが良い言葉であるということも知った。ただし僕がなるほどそうだったか、と自粛するかは別の問題だ。

たしかに「八百屋の留公がよう・・・」なんてセリフが昔の小説には出てくる。昔は現代のようにサラリーマンがたくさんいたわけではないし、(正確に言えば「会社勤め」は恵まれない階層の男がすることで、今のように社会の中心を占めていたわけではない)あらゆる職業が(自分の周りの)特定の人物を指すことが多かったから、これは当然だろう。

そうすると、うわさ話や悪口、軽口とともに職種が口の端にのぼる。自分の生活の周辺の人を尊敬するということはあまり無いだろうから、職種込みで名指しして話題にすれば当然一種の差別、侮蔑、からかいのニュアンスを帯びることも多かった。でもそれだって、今日僕たちが差別という語から何となく!連想するようなものではなかっただろう。

シューベルトの「美しき水車屋の娘」は誰しも、のどかな村はずれの風景の中での恋愛を思い浮かべる。19世紀のヨーロッパの人々にとってもそうであった。

しかし水車屋、粉屋という存在はもっと昔には忌み嫌われる存在だった。自分の家の穀物を粉に挽いてもらうということは自分の財産を知られることだから、人々は粉挽きを疎ましく思ったのである。

粉挽き業に就く人間は罪を犯したものなど、社会からはじき出された存在の者だった。のどかな田園というイメージとは遠いものだったようである。

世の中が進み、いつしか人々の心からそういう意識が薄れたときに、喧騒から外れたところにある水車小屋は、日常から遊離した夢見るようなイメージを与えるように変遷した。

そういった空気が、つまり当時の人々が「勝手に」イメージを膨らませて古き時代を懐かしんだ気運がシューベルトの名曲を生んだのである。

今日の我々は再び「知識」のお蔭で、水車屋が軽蔑される職業だったことを知っている。では19世紀の「故郷再発見運動」というべき気持ちは否定されなければならないのか?僕たちの得た知識は、ふたたび差別を助長するとでもいうのだろうか。

僕が持つ素朴な疑問はそこにある。そして大抵の人も同じ気持ちだろうと思う。いわゆる言葉狩りに対しても穏健な態度で接している人が殆んどであることも知っているつもりだ。

その態度は本来好ましいはずである。

しかし正義のためという想念にとりつかれた少数の人々は、常識的な穏健な態度の人たちが発言しないで沈黙していることを「利用」する。

そこで一方的で独りよがりの発言だけが取り上げられ、正義の仮面をかぶる。

差別自体はあってはならないが、似非理想主義は僕たちの生活を窮屈にしかしない。

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