季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

命の教育

2008年10月31日 | Weblog
どこかの小学校で豚を飼っていた。花子だったかな、名前までつけてね。

担任が、子供たちに命の大切さを分かってもらおうとない知恵を絞って考えたのだ。子供たちはその豚を甲斐甲斐しく世話して、花ちゃん、花ちゃんと可愛がっていた。

子供たちはいやでも歳をとる。6年生が終われば卒業するのである。担任は当然そこで教育的成果が発揮されると確信していたのだろう。

学級会が開かれ、花子の処遇について、討論がなされた。最後に多数決により、花子は精肉業者に引き取られることになった。

別れを悲しむ子供たち。何も知らずに運ばれていく花子。子供たちは命の大切さを身をもって知った。その姿にまた感銘を受けるテレビの前の人々。

これはグロテスクだ、と僕は断じておく。

豚肉は大好きだ。旨い。ハムにもなる。しかし僕は、場に行こうとは思わない。子供を行かせようとも思わない。それは特別なことではないだろう。たいていの人がそうだろう。それとも僕は命の大切さを知らないというのか。

僕たちは何の因果か、他の動物を食して生きているが、少なくとも現在食卓に並ぶ肉は、一種抽象的な「肉」という食物である。

昔の田舎では、鶏や豚を飼うのが当たり前だった。僕もそういった村で育ったのだ。そこでは、夕食のために鶏を絞めることが日常だった。僕にいたっては、今でこそウサギを2匹飼っているけれども、ご幼少のころはウサギの毛皮で作った服まで着せられていたという。ただし、僕はそれらの場に居合わせたことはない。農村の子供でも、その場に居合わせた子は、そう多くはないだろう。きっと大人がそれなりの配慮をしていたものと考えられる。あるいは無頓着なこともあったかもしれない。しかし、すべて過ぎ去った時代のことだ。

現代の生活の中で、わざわざ名前まで付け飼育したら、それはペットというのではないか。ペットを食うか、食わないかを子供に議論させないと命について教えられないというのかい。

いいんだよ、俺は旨けりゃなんでもいいさ、という子だっているだろう。その子に合わせて教育するならば、しかし命の教育なんてお題目は消し飛ぶではないか。そもそも命の大切さなんて教えるものではない。そんなものは感受性とともに、自然にある。

教室中で可愛がっていたというからには、多くの子供たちが愛着を持っていたのだろう。そこにディベートとやらで、何やらかにやら、いかがわしい理屈を教え込んで、何人かの子供がやむなし、に転向したのだろう。だいいち他にどんな選択肢があるというのだろう。教師は最初からこの結論に導きたかったのだと僕は思ってしまう。

生徒の飼い犬を連れてきて解剖でもしてみればいいじゃないか。「悲しいね、もうこの子は帰ってこないんだよ」とみんなで泣いてみればいいじゃないか。生きることの大切さをそうやって教えてみろ。馬鹿につける薬はない。

生命の不思議さ、尊さを教えたいなら教えるが良いさ。しかしそのためにこのような手の込んだことをしなければならないのだろうか。何と心ない教師か。それを「美談」として取り上げるテレビ局もテレビ局だ。感心しない話だが、昔はみんなそうやっていたのさ、と訳知り顔をする奴もする奴だ。

昔はこうだった式の議論はたくさんだ。それならば、日本もついこの間までは「間引き」といって子供を殺していたのだ、親がね。そういう生活が現実にあったのだ。一応表向きには貧しさのあまりということにはなっているが、実情は少し異なっていたようだ。だからといって、今でも子供を殺す親がいるのは不思議はない・・・なんていう論法はなりたたぬだろう。

動物に接することで優しい心を育む、というお題目も、「花子」を売るか否かを通して生命の尊さを教えるというお題目も、なんともうそ臭い。片方のセンチメンタルなうそ臭さがもう片方の、正義を気取った残忍さを生む。

この教師は自分の教育成果に満足してぐっすりと眠ったであろう。こういうのを人情がないという。感銘を受けて真似する教師が出ないことを祈る。

いかにも教育的配慮がありそうに見えるが、その実、驚くべき不感症に満ちている。以前にも書いたけれど、僕は動物が好き、ただそれだけだ。それは僕の感受性を保障もしないし、僕が優しい人間だということも示さない。

僕は子供に同情する。そして、この手の「心」や「教育的配慮」に嫌悪感を持つ。










こおろぎ

2008年10月29日 | Weblog
深夜に風呂に入る。僕の日課である。足りない頭を休める唯一の時間だ。湯船に長々と体を伸ばして息をする。我が家の浴槽が特別大きいのだと信じていたが、実は僕の足が短いのであった。家族から指摘されてはじめて知った。

どうでもいいや、気持ちが良いことに変わりはない。この時期にゆっくり湯に使っていると、外からコオロギの鳴き声がさかんに聞こえる。これは好きだなあ。夏の間草取りをしないで正解だった、と心から安心できるひと時である。

近隣は大変几帳面な家が多く、我が家から伸びた蔓やどくだみの根をきっといまいましく思っているだろうなあ。境だけは、申し訳程度に(時々)雑草取りをするのだが。

でも、せめて我が家のコオロギの声を楽しんでください。と調子のよいことばかり考えていたら、どこの家の庭先からも鳴き声がする。

車で走っていて気づいたから、面白く思って窓を開け、ゆっくりと運転してみた。驚いたことに途絶えることがないのである。声の濃淡はあるものの。濃淡のおかげでリゲティの曲を聴いているような気さえしてくる。うそだと思う人はやってごらんなさい。

ここまで書いてちょっとの間放っておいた。今夜になるともう盛りは過ぎたようだ。我が家の庭(猫の額ほどだよ。隣の家に泥棒が入ったとき、我が家の壁に足跡がくっきり残っていた。つまりそれを足がかりにして隣家の窓によじ登れるくらい隣接しているのさ)だけはまだけっこう鳴いているが、一時期よりだいぶ減った。虫の命も短いなあ。

ディッケンズの小説に「炉辺のこおろぎ」というのがある。子供のころ読んだきりだが、そのころは何の疑問も持たなかった。でも、イギリスにコオロギがいるのだろうか、と急に疑問に思い始めた。ドイツにはいたのかな、それも今となっては思い出せない。注意したことがなかったのだから、思い出すも出さないもないのである。

シューベルトの歌曲には出てくる。してみると生息しているのだろうか?気になってきた。辞書には載っているし、単語も知っている。Grilleといいます。ところがずいぶん森や閑静な住宅街を散策したにもかかわらず、コオロギの声は記憶にないのだ。

記憶にございません、というのは政治家の常套句であるが、この場合は記憶にあるという心証を与えることが多いね。しかし僕のは正真正銘記憶にない。

ちょっと調べてみたが(忙中閑有りです)南アジアには大きな種もいるという他は、寒冷地にも生息しているものかすら分からなかった。

ボキブリが寒冷地に生息していないのは知っていた。ドイツで、交通の発達とともに、南方から飛行機内に紛れてゴキブリが飛来し、暖かいレストランの厨房に住み着いている、という警鐘記事を読んだことがある。

友人に北海道出身の男がいて、北海道にはゴキブリがいない、というのが自慢だった。僕も九州にはヒグマはいない、と自慢しておくべきだった。

その男の親父さんが東京の旅館に宿泊し、女中さんが茶を出したときに、テーブルの端だか部屋の隅だかにゴキブリが現れた。「ほう、コオロギですか、風流ですなあ」と言ったら女中さんがいやな顔をしたそうである。旅館といい、女中さんといい、時代を感じさせるでしょう。

この話のどこまで真実か、ダボラばかり吹く奴なので分からない。しかし、この話からうかがえることがひとつはある。北海道にもコオロギは生息している、ということだ。してみるとヨーロッパにもやはり生息しているのだろうか。

友人は今もゴキブリは北海道にはいない、と信じているのだろうか。フランクフルトに飛行機で飛来するくらい無賃乗車が上手な生物なのだ、彼が往復する車に乗って、必ず大挙押しかけているだろう。

コオロギの風情から始まって、ゴキブリにまで話が落ちた。まあ良いとしておこう。

録音と実音 2

2008年10月25日 | 音楽
前回の書きようでは、録音から実音への判断が一足飛びのような印象を与えたかもしれない。もちろんそうではない。

大編成のオーケストラも、いろいろ聴くうちに,例えばバンベルク交響楽団はたしかにドイツ的な響をもっているが、決して一流とまではいかない、とはっきり聴こえてくる。

ウィーンフィルも、ウィーンフィルだと思わせてくれるのは、せいぜいニューイヤーコンサートくらいだと分かってしまう。チェリビダッケがウィーンフィルをメッツォフォルテだと罵るのも得心がいく。せいぜいカール・ベームのころまでだろう。まぁベームもチェリビダッケにかかってはケチョンケチョンだが。

小編成のオーケストラでは、すでに書いたけれどミュンヒンガーを聴いたことが決定的だった。相前後してルツェルンの団体やパイヤール室内管弦楽団を聴いて響きの多様さに(多様さだけだよ、多様イコール感動ではないよ)驚いた。

パイヤールの音は軽く、香水の香りのように頭の後ろからやってきた。僕は、これはフランスではない、おフランスだと思ったものだ。なぜそう聴こえたのか説明はできない。カペーカルテットのような緊密な演奏に(もちろんレコードで)親しんだ耳にはそうとしか聴こえなかった。

ミュンヒンガーの音は、実に厚みがあって柔らかかった。しかし世評ではカール・リヒターの音を厚みがある、という。

あるいはレニングラードフィル(今のザンクト・ペテルブルグフィル)の音を重厚で厚みがあると形容する。しかし厚みというものは透明感を前提にしているはずだ。透明度の高い湖ほど底知れぬ「水の厚み」を感じるのと同様だ。レニングラードフィルの音から厚みを感じることはなかった。暑苦しくはあったが。透明度が全くなかったと言い直してもよい。

では透明感のある音とは?と定義づけに追われるばかりである。言葉は無力だといわざるをえない。

元に戻るが、貧弱なレコードの音に現実の音が重なって体験されて、音はより聴こえ易くなっていく。現実の音と書いたが、「原音」と題する記事ですでに書いたように、僕たちの耳は「現実の音」すべてを捉えているわけではない。響のある点に焦点を合わせるのだ。耳はその意味では頭脳そのものだといえる。

ただし誤解されるといけないから付け加えておく。それは所謂頭の良し悪しを意味しない。頭脳が働く方向のことをいっている。

焦点を合わせることを覚えたら、そこからは一種の技術なのである。

僕の場合はハンゼンの許で学ぶようになってから、ようやくゆっくりとピアノの音質が分かるようになった。それまで幾多のピアノの名人の音を聴いていても、自分とはかけ離れた質感でしかなかったものが、ある具体性をもった手応えとして感じるようになったとしか言えない。僕にとっては当時ピアノが一番縁遠い存在で、「理解」は一番遅くやってきた、という所以である。

ポリーニ、アルゲリッチ、アシュケナージ等をはじめ、国内の有名無名のピアノ弾きにしきりに感じた違和感、しかも自分もその一員であるという苦しい自覚、そこからゆっくりと離れていった。

すると他の楽器や歌声にも一層耳が届くようになる。あるいはこう言い直してもよい、レコードで聴いていた質感がより一層聴けるようになる、と。

具体的に名前を挙げると、エリー・アメリンクというソプラノの清潔な声が好きでずいぶん聴きに行ったものだ。今聴くと、清潔に感じた気持ちはまざまざと思い出すが、声は本当には響ききっていないこともはっきり聴こえる。

あるいは、先に挙げたカール・リヒター。最初の数分は圧倒されたものの、次第に乱雑な耳でしかないのだと分かってしまうと、急に熱が冷めたりした。

聴こえてしまうのは不幸なことかもしれない。気障にきこえそうだが。

それでもこう言っておく。もしもショパンの諸作品が、今日ショパンコンクールで弾かれるように初演されたならば、かれの作品は現在のような人気を博すことはなかったであろう。

実音を通じていっそう録音された音がわかるようになる、その連鎖はモデルとイデーの関係と同心円を描くようである。


録音と実音

2008年10月23日 | 音楽
体調が悪く、すると言葉の出てくるスピードにもてきめん影響が出る。このところ駆け抜けるように書くのが出来ない。といって吟味をするのでもない。ただ雑駁な言葉が遅く出てくる。


「意義あり」のコメントに録音でしか知らない古い演奏家の響を判断できる僕の耳に驚嘆する、というのがあった。というかコメントはひとつしかないのだがね。

僕は、特別なことではない旨の返事を書いたのであるが、それは謙遜でもなんでもない。リアリズムだ。

そうした判断がどういう経路を辿って出来るようになっていったのか、本当には分からない。ただ、どんなふうに聴き取れるようになったのかを考えてみたことがなかったから、いろいろ自分の記憶をまさぐってみるのも一興かと思い、書いてみよう。

といっても、順序だった経過がはっきりしているわけでもないし、どうしたものか。

そもそも、録音というものは、同じ音源を聴いていてもスピーカーひとつ違っても、もう違う音が鳴る。それにもかかわらず、なぜ演奏者の特徴が伝わるのだろう。

作家の五味康祐さんはオーディオマニアとして有名だった。小林秀雄さんとのオーディオ対談に際して、一万人いれば一万通りの音があるわけで、それを考えると恐ろしくなる、と発言していた。

だれでも持つ素朴きわまる疑問だ。もしかしたら単音だけ聴いたら誰が誰やらわからないのかもしれない。

すでに書いたことがあると思うが、僕は中学の時にはじめてベートーヴェンのシンフォニーに接した。あれこれ聴き比べて(多分偶然)手に入れたのがフルトヴェングラーの演奏だったのである。その後、手に入る限り彼の演奏を買い、オーケストラ曲に親しんできた。

パリ管やフィラデルフィア、レニングラード等々実演も聴く機会が増え、音楽家になろうと志してからは、大きな声では言えないが、新聞社に紛れて練習に潜入したり、演奏会に潜りこんだりまでして、とにかくよく聴いた。しかしいまひとつ納得できないのだ。

ドレスデンの歌劇場管弦楽団を聴いたとき、身震いした。これこそ僕が親しんできた音だ、と確信した。指揮者はブロムシュテットという、まあ日本で名前くらい知られているが、なんの取り柄もない人だった。

多分それが幸いしたのだろう、ドレスデンの音はしっかりと保たれていた。当時東ドイツにあって、楽員達はインタビューで(ドイツに住んでいたときもよく耳にした)「自分たちはこの独特な響を守らなければならない」と言っていた。

そういうオーケストラに中途半端に頭が回転して、軽薄で強引な指揮者がきたらとっくに響は失われていただろう。ロリン・マゼールとかね。

そうそう、希代の毒舌家チェリビダッケはマゼールを評して「カントを読む6歳の子供」と言ったな。これは言いえて妙で大いに笑った。

ドレスデンの音は、弦楽器群がなんというか、目の詰まった織物のようで、充実していて、しかも重たくない。ウィーンフィルがビロードならば、絹のような手触りなのだ。金管楽器も実にバランスよく溶け合う。

そうそう、マイスタージンガーの前奏曲を聴いてシンバルの見事さに驚嘆したのもこのときだったな。

レニングラードフィル・ムラヴィンスキーでブルックナーを聴いた時、出番が来るとトロンボーンやトランペットが一斉に朝顔を上に向け、咆哮がはじまる。やかましいのなんの、戦車の砲身が上を向いて、一斉射撃を開始したような感じだった。砲身の、じゃなかった、楽器の上向きの角度までが揃っていて、本当に砲身にしか見えなかった。ハーモニーというより、陸、海軍の意地の張り合い及び国威高揚というほうがずっと近かった。

こんな判断がついたのは何故だかわからない。けれどもレコードで親しんだ響の質感と共通する音としない音があることだけは判別できた、と言うしかないのだ。

様々のオーディオ機器で聴いても判別できる理由のひとつは、音色自体というより「異議あり」で音(声)の出どころなんて通じにくいかもしれない言い方をしたことと関係があるのかもしれない。




モデル

2008年10月20日 | 芸術
有名モデルについて書いてみたい。

と言ったらどんな反応を示しますか?僕がお気に入りのモデルでもいるのか?最近のモデルは細すぎるとかいった感想でも書いてあるのか?僕を直接知っている人たちは急に興味津々だろう。実はね、と書いてみたいのだが、モデルなんて誰一人として知らないのだ。

ゴッホが自画像をたくさん描いているのはよく知られている。その理由は、執拗なまでに自分の姿を追求したことのほかに、モデルを雇う金が無かったからという側面がある。

ゴッホは夥しい数の手紙を弟に宛てて(友人や、妹宛てもかなりあるが、弟宛に比べるとずいぶん少ない)書いている。時々、誇らしげに「自分はその景色をもうそらで描ける(見ることなしに描ける)」と報告している。

画家は本当に対象を見て見て見尽くすのだなあ、と思わせる。

そもそもモデルは何故必要なのだろう。

ラファエロがマドンナを描こうと思い立つ。彼がまずすることは、フィレンツェの街中から、美しい女性を探し出すことであった。

これはどこかで読んだ気がするだけの話だ。間違っているかもしれないから、人に言わないほうが良いですよ。ただ、僕はそれはそうでなければならないと思うから、確かめもしないで書いてしまうけれど。

この人こそ、と定めた女性をモデルにマドンナを描く。ラファエロほどの天才が、たかが一人の美しい女性を、モデル無しで描けないのだろうか。イメージはすでにあるというのに。こうした素朴な疑問を持ってみたらどうだろう、考える糸口が見えてくる。

きれいな女性、というイメージだけが強くても、案外蜃気楼のように霞んでしまうものだ。試しにやってごらんなさい。女性は、素晴らしい偉丈夫を思い出そうと、男性は飛び切りの美人を空想しようとしてみるがよい。

結局、各自が自分がすでに知っている顔に似たイメージや、一種ぼんやりとした抽象的な姿しか思い浮かべることが出来ないことに気づく。

漫画はその点が大きく違う。漫画家は、もし美少女を描こうと思えば、自分が魅力を感じるところを強調する。細く長い足とか、パッチリした目とかね。モデルを使うまでもない、大切なのはイメージを持ち、それをなぞる技量を持つことだ。

ラファエロは見つけ出したモデルをスケッチし始める。そのとき、彼はすでにモデルの向こうに、彼の理想を見出している。仮にラファエロがモデルの美しさにぼうっとなってしまったら絵は完成を見ない。その代わり彼はモデルに惚れるわけだ。

ラファエロの絵筆は、いわばモデルというきっかけを待っていたと言っても良い。すでに書いたように、イデーだけでは駄目なのだ。

水溶液に種を入れて冷やすと結晶ができるでしょう。モデルはちょうどその種のような役割を果たすのだ。

ではきっかけを手に入れたラファエロの想像力は天馬が空を行くがごとく羽ばたくのだろうか。

これも違う。モデルさん、私はもう一人で描けるから来ないでよろしい、と言うことは彼にはできない。もしもモデルが帰ってしまって二度と現れなかったら、ラファエロの想像力(創造力でも良い)は再び現実味を失い漫画に成り果てる。

モデルと想像力は鶏と卵に似ている。途切れることのない連鎖だ。

音楽の場合、モデルは音だ。音がイデーを産むのか、イデーが音を産むのか、だれも答えられない。イデーは音を欲し、音は新たなイデーを生む。あらたなイデーは音を欲し・・とどこまでも続く。

マンホール

2008年10月17日 | Weblog
久しぶりに外出し、一駅手前で降りて歩いた。30分ほどかかったのだが、その時、道路にマンホールの金属製の蓋がずいぶん目に付くことに気づいた。

以前から自転車に乗りながら、漫然と「雨の日はマンホールの蓋がすべるから気をつけなくては」と思ってはいたのだ。

なんだか急にどのくらいあるのだか気になってきて、どうせ歩いているだけだし、見回して美しい景色ではなし、いっそ数えちまおうと思った。小人閑居して不善をなす、暇人散歩して不自然をなす。

数えた奴も奴だが、徒歩ほんの12,3分のところにいったいいくつあったと思いますか。100個を超えるマンホールの蓋があった。

これを開くとどうなっているのか、注目したことが無かったので知らない。ヨーロッパのマンホール事情にも詳しくないが、こんなにどっさりは無かったのではないか。

何のためにあるのかといえば、もちろん上下水道管などの保守点検だろう。ヨーロッパの下水道は、マンホールを開けて中に入ると、天井が高くて、そこを自然の川のように流れている。映画などで知る限りそうだ。

日本も東京のまん真ん中に行けばそうなのかな。

宇井純さんの本で、ヨーロッパの昔からある中央集中型下水施設は効率が悪い、とあった。天井の高い下水道はパリとかの大都会に見られるもので、決して模範にするものではない、といった内容だったはずだ。たしか栃木県のどこかに宇井さんの「設計?」による下水処理施設があったのではないか。

僕は下水に大いなる関心を持っているわけではなくて、ふと都市の機能を知りたくなったときに上記の本を読んだ。

マンホールからそれてしまうが、電線を地中に埋めてしまったらどんなにさっぱりするだろう。我が家から少し歩いたところでわき道がほんの少し下って、その先に丹沢連山が望めるところがある。

この角度で見える丹沢連山は、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンという町を思い出させる。家並みの薄汚れたところを見ないようにすれば、なかなかどうして、美しい景色だ。ガルミッシュはリヒャルト・シュトラウスが住んでいた町だ。昔訪れた後にそれを知った。でも、なるほどシュトラウス好みだ。丹沢を望む薄汚い町は別に僕好みではないよ。断っておく。

ガルミッシュを思い出させるとはいっても、広く開けた空を幾重にも横切る電線が邪魔だ。電線とアンテナを見ないように目を細めてみると、本来の眺めが分かる。もったいないことだ。

バブル絶頂のころ、経済界(コーヒー界もあるんだぞ)のお偉いさんたちの座談会で、電線の地中化について言及していた。日本中の電線を地中化すると何兆円だかが必要で、僕はびっくりして、これは無理だなと思った。

しかし経済界ともなると話はでかい。「なんだ、たったそれだけでできるんですか」という人がいて、誰もその発言を咎めたりしなかったところをみると、何兆円という額は問題ではなかったのだろう。

電線を埋めると、地震の時にライフラインの復旧が遅れる、というのが公の言い分らしい。でも、大地震が来たときの危険のひとつが垂れ下がってくる電線なんですよ。我が家から見える電線がぜんぶ垂れ下がったら、まあ恐ろしくて避難どころではないな。地中化されていればとにかく逃げられるではないか。あんまりバカらしい言い訳をしないで貰いたいね。

だいいち、今では大抵の県庁、市庁の近辺は地中化されているだろう。

で、マンホールだが、あんなたくさん蓋ばかり付けた理由はなんだろう。うなぎの寝床というでしょう。次々に当初の計画外の部屋をつぎはぎしてそうなってしまうのだろう。先日のビデオ喫茶も、無計画に部屋を増やして通路を塞いだらしい。あんな感じに掘っては蓋、掘っては蓋、と増え続けたのだろうか。

いつもの風景の中にも、本当の姿は分からないものがいくつもある。もしかしたら「マンホールの蓋界」というのもあるのかもしれない。もっと早く気づいて蓋製造業になっておけばよかった。

ぜにさわにて

2008年10月14日 | Weblog
以前、nifty を使っていたころ、ぜにさわコーヒー店について書いたことがある。

仕事が終わり夕食まで少し時間があるときに、ちょいと行って買い足しがてら話をするのが楽しい。

客はいったい何人くらいいるのか、よく知らないけれど、つぶれない程度にはいるのだろう。いつも誰かが話し込んでいて、まあ何杯もテイストさせてくれるのだから当然居座ることになるが、近場の人が多いというのではなさそうだ。車で2時間とかいう会話が耳に飛び込んできたりする。

世間話も耳に入るが、それは適当に聞き流す。ぜにさわさんがコーヒーのことを話し始めると目つき、声色が変わる。そこが面白い。

彼の話し振りから察すると、どうも日本には、コーヒー界というべきものまで存在するらしい。音楽界とかはなんとなく理解できていたが。つまり僕はそういうものとずいぶん隔たったところに住んでいるな、と実感することによってね。

それがコーヒー界ですよ。想像がつきますか?日本は広いね。いや、狭いのかな。この調子では紅茶界もありそうだし、フランス料理界は絶対ありそうだ。らっきょう界とかくさやの干物界なんていうのもあったりしてね。

そのコーヒー界での教えをことごとく疑っていかざるを得なかったと、ぜにさわさんは言う。

世界各地のコーヒー農場から送られてくるパンフレットには「バニラっぽさ」「オレンジの香り」「チョコレートっぽさ」という表現が数多くあるのに、日本の「コーヒー界」で教えられている焙煎に従うと絶対にそんな表現が出るはずがない香りになる、とぜにさわさんは言う。パンフレットを見せてもらうとなるほど、そのような文言が並んでいる。

日本での焙煎は、高温で爆ぜさせて(簡単に言えばポップコーンみたいにね)かさを大きくしていくが、これは豆の繊維を断ち切って壊すことになるし、焦げがついてコーヒー豆の本来の香りが、ぜんぶ消し去られてしまう。何だか僕が分かっているように書いているが、これはぜにさわさんの意見だよ。

そこで彼はまったく独力で焙煎を研究し始めた。自分の鼻だけが頼りで、そのうちに「コーヒー界」の教えとは正反対の焙煎をすれば、パンフレットにあるようなバニラっぽさ等を引き出すことが出来ると気づいたという。

彼の口からはレモンのような、なんていう言葉がポンポン飛び出してくる。この間なぞは、味噌汁のような、なんてただ聞いたら気持ち悪いように感じる言葉まで飛び出した。でも、この時のコーヒーは実に複雑で、お気に入りに追加したほどである。そして言われてみればたしかに味噌汁と相通じる味がほのかにするのだった。

感覚のある一点にピントを合わせる。この場合はすでに知っている味噌汁の味。これを探し求めるようにしていく。そうすると感じ取ることができやすい、という点はピアノの練習をしていて、漫然と聴くのではなく具体的に自分が聴きたい点にピントを合わせようと努めていくとはっきり聴き取れることと似ている。同じことだと言った方がよい。

焙煎に関して「コーヒー界」の教えに反していると非難も受けるらしいが、僕のような素人が幾人もいて、ぜにさわの味を支持するのだ。

「コーヒー界」では酸味をたてるな、と教わるらしい。ぜにさわさんは酸味がある豆はそれを引き立てるという。僕は以前、酸味のあるコーヒーが大嫌いだった。それが180度変わった。おもしろいことである。

価格がすべてです、とぜにさわさんは言う。たしかにそうで、高いものほど余韻がある。僕自身は低価格のものを選び抜いているぞ。その点の目は確かである。間違えたことがない。全体にアフリカ産が好みである。ミネラル分が多いのだそうだ。

異議あり 3

2008年10月13日 | 音楽
むかし若手として絶賛された人がそのうちに精彩を欠くようになる。ピアノではよくある話だ。ピアノの技術上の問題であることがほとんどで、絶賛した方の耳を疑った方が良い場合が多い。しかし、ここでも吉田さんの良識は理屈に合った答えを用意してある。困ったことに一般論としてはまことに正しい。

生涯のある時期にだけ、たとえそれが短期間であっても、燦然と輝く。そうした人々がいるものだ、と。私たちはそのつかの間を感謝すればよい。そのとおりだ。「魔弾の射手」だけのために生まれたようなウェーバーを思い出すだけで充分だろう。

演奏家の中にはある一時期ほんとうに燦然と輝いた人がいたかもしれないけれど、例えばマリア・カラス、そういった例はむしろ稀だ。たいていの場合は評価した人の耳が悪いのだ。

聴いたつもりになってしまえば、耳は頭に引きずられてどこまでも堕ちて行く。僕は吉田さんの耳を疑うのである。正確に言い直す。彼が自分の耳を疑いながら聴いているのを感じる。ただ、証拠を示すことは音楽の性質上できないことだから、その痕跡らしきもの、つまり吉田さんの文章を巡ってウロウロしてみる。

吉田さんの作品研究の分野における文章は、大変立派である。作家の丸谷才一さんが、彼にとって、最高の批評家で私淑している、と絶賛しているほどだ。その理由として、吉田さんの批評文が常に対象と密接に接しながら論を展開することを挙げていた。ただ、その好例として挙げていたのはモーツァルトについてであって、演奏論についてではないことは注意しておいて良いのである。

丸谷さんは返す刀で小林秀雄さんを、得体の知れぬ人生論や精神論が横溢した文章を書いたと難じた。それについて以前「十年の遅れ」と題する拙文を書いたわけである。

作品研究は、本来演奏家が関心を持つべきところに焦点が当てられ、賛意を表するところが多い。こうして見ていくと、吉田さんは音を出さぬ演奏家である、と言いたくなる。

さて、読者は吉田さんの演奏論に触れることが圧倒的に多いと思われ、それに沿った聴き方をする。

これは吉田さんの読者に限ったことではない。

たとえば宇野功芳さんの読者は、非常に多くがフルトヴェングラーから入門し、朝比奈さんやシューリヒトを賛美するのを「成熟」と心得ている。音楽家の僕にしてみれば、バカも休み休みにしてくれと言いたいところだが、聴く人は勝手に聴く自由を有している以上、言ったところで始まらぬ。

現実がこのようである以上、僕は吉田さんの演奏論を看過するわけにはいかないのだ。

彼の文章は確かにたっぷりと流れ、文章道を極めているのかもしれない。しかし、丸谷さんの言葉を借りれば、彼の演奏論に関しては、常に対象と密接に接して「いない」と思うのだ。彼もまた50年ほど遅く生まれすぎたのだ。対象が音であるというのは本当に厄介だと嘆息せざるを得ない。

吉田さんが50年早く生まれていれば、彼の資質は対象からはみ出すことなく活かされていたであろう。すべての演奏家が固有の響を有していたから、その演奏をどう解釈しようが、文字通り吉田さんの自由だった。彼の熱心さ、敏感さ、公平さは何も妨げられずにいられたと思う。

このころならば、新しい演奏家を熱心に取り上げ、世にだすことに責任を感じる、という吉田さんの態度は立派に実を結んだに違いない。そこでは演奏評もその役割を果たすことが出来ただろう。

「対象に常に密接して」ということからみれば、演奏という行為は批評である、という遠山一行さんの言葉に納得がいく。遠山さんは実に正確なことを言った。

演奏評は不可能だ、と言ったところでなくすことはできない。それでも、吉田さんのような「古典的」意味での演奏評は現代では不可能だと言っておこうか。だれも言わぬから僕一人くらいは言ってみるさ。吉田さんがはるか昔に「演奏評の混乱ここに極まれり」と嘆息したのは、実際はこんな事情なのさ。

僕は、小澤さんの名前を挙げたけれど、特定の演奏家を批判するつもりではなかった。音は脆いものだと言いたいだけだ。それに気づかなければ形容の上手下手だけが跳梁跋扈する、と言いたいだけだ。

つい数日前にも僕の生徒がコンクールを受けて、講評にある審査員からは音が実に綺麗だと書かれ、別の審査員からは乱暴な音だと書かれた。構成感がある、という評と構成力が無い、という評を同じときにもらった生徒もいる。こんな馬鹿げたことだけはありえないのである。しかしこれが実態だ。


異議あり 2

2008年10月09日 | 音楽
もう少し言葉を補っておきたい。僕が趣味、好みの多様性を否定していると受け取る人がいないとも限らないから。

演奏とは声の出どころのようなものかな。僕はクレンペラーの演奏にさほど共感しないが、巨木が根っこから揺すられるような音は、腹の底から発せられた言葉と似ている。あえて似ていると書いたが、まったく同じものだと言ってよい。ワルターやフルトヴェングラーにしてもそうだ。そういう声のみが所謂クラシックという音楽には必要なのだ。

いや、ここでもあえて論を乱すように書くならば、様々のジャンルの音楽が腹の底からの声に支えられている。演歌しかり、ハードロックしかり。

ではクラシックと呼ばれる音楽に必要な声は何か。言うまでもないが、ベル・カントに代表される響である。

僕が小澤さんをまったく評価しないのは、彼の声が腹の底から聞こえず、ずっと浅いところから出ているのを感じるからだ。それを響きがないと言っても差し支えない。吉田さんにしても、どこかに決定的な差を認めるから、前述のような論評が出てくるのだろう。せっかくそれを聴きわけていても、演奏の価値は一様ではありえない、できるかぎり秀でたところを探したい、新しい感性をみつけたい、という「善意」が正直な耳を邪魔する。そしてそれを「解釈」とか、リズム感とかに分解して理解しようとする。

ふいに昔ラジオで小澤さんと吉田さんの対談を聞いたことを思い出した。僕が覚えているのは、小澤さんが「先生、日本人って音楽好きなんでしょうかねえ?」と訊ねたことだ。僕はそれを聞いて小澤という人は幸せな人だ、と思ったのでよく覚えているのである。僕はといえば、この問いに対する否定的な答えを得た上で選んだ道だったから。

吉田さんがそれについてどう返答したか、もう覚えていない。ただ、吉田さんの声は優しくというよりは弱々しく、あいまいに、そんな難しいことを軽々には断言できないのだよ、といったことをつぶやいていたように記憶する。そのとき僕は、ああ、吉田さんは小澤さんが可愛くて仕方ないのだな、と思った。

この稿を書き上げようとしてコメントが目に入ったので、あちこち順序を入れ替え、手を加えしていている。

フルトヴェングラーと小澤を同時に賛美することは不可能だというのが僕の前回の記事の要点だ。これに首をかしげる人が多いのは承知の上である。いわゆる好みの問題ではないと繰り返しておく。その上で、耳は意見や正論にいつでも従うとは限らないことを再度言っておきたい。

簡単に言えばこうだ。ベートーヴェンの交響曲をある時には荘重な気持で演奏する、他の時は軽いのりで演奏する、という演奏家はいないだろう。(ベートーヴェンの音楽を好まないという人がいるのは当たり前のことで、それはちっとも構わない。むしろ価値観、好みが多様なのは健全な証だ)

演奏家のみならず、聴く人にとっても事情は同じだ。あるときは重厚な「英雄」を、またあるときはポップス調の「英雄」を好むということが起こりうるとは考えにくい。

もっとも、最近ではクラシックと○○のコラボレーションだのが流行ってはいるけれど。しかし、この時クラシックの楽曲は感動という言葉が出るような感じ方から、最も遠い位置にいるのはたしかだ。何の芸もない、むしろ気の利かぬ退屈な楽曲さ。メロディーは「貧弱」だし、和音も田舎くさい。ためしに「英雄」のテーマでも鼻うた調でやってごらんなさい。ミーソミーシミソシミーなんてバカ丸出しではないか。面白くも可笑しくもない。

こうした曲を支えるのは、ただただそれに相応しい音質だとしかいえない。

あるべき姿などとうっかり言おうものならば、姿は固定化されたものではない、と返ってくる。僕もここはじっくりと言葉を探さねばならないのだ、本当は。こんなに駆け抜けるように書いてはならないはずだ。

しかしもともと音を、音楽を言葉で話すこと自体が無理なのだ。無理を承知で試みるけれども、言葉で表わそうとすれば理屈が通ったほうが有利なのである。僕はただ、音を言葉で表わすには無理がある、人が今聴いている音は音楽に必要な音からはかけ離れてしまっている、ということを繰り返す以外に術がない。

曲の解釈という言い方も本当はまずい。この曲は心を打つ、あるいは素敵だ、何でも良い、それくらい簡単なことでもあるのだ。解釈なんていうととても立派にきこえるけれど。よい声だ、と思うときにその声を解釈なぞしないわけで、その歌い手が解釈しているつもりなら、勝手にさせておこう、という聴き方が一番よい。

以前にも書いたが、素人の歌声を訓練され完成された歌声と区別するのは容易である。僕の中には歌曲への解釈は山ほどあるのに、また歌手のそれより心理的に、音楽論理的に等あらゆる面で勝っているかもしれないのに、ものの役にもたたない。当然のことで、不満があれば歌唱法を習えばよい。

小澤さんには音楽に必要な声がない。小澤さん、と書いたが、本当は僕にとっては誰でも良かったのである。これは吉田さんが挙げた名前で、僕たちにいちばん親しい名前だから取り上げたに過ぎないのだ。

オーケストラは曲がりなりにも出来上がった奏者から編成されているから聴きわけるのが困難である点、ピアノと似ている。聴き手は少なくとも音楽はあると決めている。果たしてそうか?

前回のコメントへの返事で書いたとおり、例えばピアノはもう製造が困難なほど追い込まれている。ちょっとでも経験ある技術屋はだれでも認めている。そして古い上質の楽器を扱える奏者が極めて少ないことも。これを批評家のせいだ、と言っているのではない。演奏家たちが自らまいた種だ。

どうにも収まりがつかないね。もう少し続けましょう。













異議あり

2008年10月07日 | 音楽
吉田秀和さんの著書を読んでいると、どうしようもなくいらいらしてくる。

この人が賢くなくて、性質も悪い人だったならば、そんなことにはなるまい。

いらいらしてくるなどという書き方が品性のないものだという感覚は僕も持っている。本当ならばここは削除だ。しかしメモとして書き散らすブログであるから、生々しい書き方のまま残しておく。
 
これから先も、この人に突っかかることがあるだろう。彼の言うことは、いちいちもっともなのだが、そうして、どのような心の持ち方から出た発言なのかは理解できるのだが、それにもかかわらず言わなければならない、という思いが強い。

僕が言いたいことは、詮ずる所、演奏評の不可能性についてかもしれない。

これを書くにあたっても、遠い昔に読んだ記憶だけを頼りに書く。それで一向に構わない。細かい間違いはあるだろうが、大意は間違えていないはずである。

小澤征爾さんのベートーヴェンだったか、ブラームスだったかの演奏を讃える文章だった。その颯爽として若々しいことをほめた後、こんなことを付け加えていた。

自分はフルトヴェングラーや(たしか)ワルターの素晴らしさを認めるけれど、それでもいつもああいう風に(ここで、言い回しは完全に忘れてしまっていることに気づくのだが、僕の流儀で言い換えてしまおう。それは許されよう)隅々まで綿密に感じつくした演奏をされたら疲れてしまう。たまには背筋を伸ばして若返りたい、小澤の演奏はそういう要求に応えるものである、こんな主旨だ。因みに、背筋を伸ばしてというのは、これも完全ではないかもしれないが、吉田さんの言葉である。だれか吉田秀和全集で調べてくださいな。

こういう時だ、僕がじつにいやな疲労感を感じるのは。

吉田さん、あなたが疲れようと疲れまいと、僕の知ったことではない。そのような書きっぷりがそもそもじつに不健康ではないか。音楽評論稼業にいそしむ人の書き方ではないか。

普通の人は、疲れたときに心を癒されるために音楽を聴くのだ。そして音楽に疲れたときには聴かないのだよ。それが健全な態度だろう。あなたのように聴くことを義務と感じる人だけが、そんな言い方をする。僕はそれに抗議したいのだ。試験やコンクール審査に明け暮れている人たちのことも僕は考えている。やってみれば分かるが、拷問に近い。だからといって「まじめな」演奏は疲れた頭にはこたえる、とでも言うのだろうか。

ほんとうにそんな器用な聴き方ができるのか。フルトヴェングラーに感動した後、小澤にも感動する、心のしわが伸ばされたような感じがするなどということが。

僕は大きな疑念を持つ。

音楽評論家がベートーヴェンの交響曲のベスト盤を選ぶ、なんてやっているでしょう。あれだって僕は疑問だね。そういえば、吉田さんも自分にはそんな趣味はない、といったことを言っていた。でも、僕が言うのとは少し違った意味だったと思う。彼は、ある曲の最高の演奏はこれだ、なんて断定することはできない、という立派で常識ある態度で言っている。

僕はそのような立派な態度からではなく、一人の人間が一番は誰、三番は誰などと、「偏らないように」按配して、それとなく不特定読者に配慮することへの嫌悪から言うのだ。

つまり、そんなに器用な聴きかたを、本当にしているかを問うているのだ。吉田さんの小澤評に対する疑問と、根本的には同じものなのである。

もう少し言葉を補っておきたい。僕が趣味の多様性を否定しているように勘違いする人も出るように思われるから。

どうも、吉田さんのような教養人に突っかかろうとすると、つるつる滑ってしまってうまくいかない。予想通りになってしまった。うまく語れるか分からないけれど、続きを書く。