季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

好球必打

2016年08月30日 | 音楽
好球必打というのは野球の用語だろうか。たいへん重要な言葉らしい。

甘い球が来たら打て、という至極もっともな話だが、言うは易く行うは難しだからこそ格言にまでなるのだろう。

因みに他の球技にはない格言だと思われる。他の球技では見送るというのはラインを割るだろうと判断した場合に限られる。

野球ではもちろん三球までであるが、選択することができる。

では何が難しいのか。甘い球と甘くない球とを判断することだ。

ピアノの練習はこれと事情が似ている。判断なしにいくら練習を重ねても無駄に近い。

判断すること自体はだれでもする。問題はその判断が適正かどうかだ。

見極めは確かにやさしくないが、幸いに野球と大いに違うところがある。

一旦見極める耳を得れば、それを聞き間違えることはない、というところだ。

僕が音源を紹介し、講座を開き、ある時にはホールでまで行うようになったのも、見極める耳を是が非でも持ってもらいたいとの思いからである。
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熱中症

2016年08月22日 | その他
数日前に部活の練習中、熱中症で生徒が亡くなった。

対策案が幾つか見られたが、そもそも暑い中での練習を止めるべきだと思うのだが。

こんな簡単なことすら強く主張することも出来ずに「子供たちのために闘う」教師に鼻白むのは僕ばかりではあるまい。(これを書いている携帯にたった今「熱中症警報」が表示された)

僕が小学一年生の時、運動会の練習中同級生の女の子が倒れ、亡くなった。当時は何のことやら分からず、クラス全員でお悔みに行った記憶しかないのだが、これも熱中症ではなかったろうか。

部活といい、運動会の練習といい、一体何のためなのか僕には分かりかねる。恐らくは立派な教育理念が鎮座しているのだろうが。

話は運動会になってしまうが、必ずある踊り、あれもよく分からない代物だ。僕はみんなの輪の中で一緒にするのがどうしても出来ず、ハチマキばかりいじっていた。早い話が踊らなかった。

このような、意味のわからない学校行事で人の命が失われる。夏休みの練習は止める、くらいの決断力は示して良いだろう。
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クライスラーのピアノ演奏

2016年08月20日 | 音楽
クライスラーが当代一のヴァイオリニストだったことは言うまでもないが、この人のピアノ演奏が残されていることを教えて貰った。

これがそれである。

冒頭から実に美しい。しかし僕が特に注目するのは中間部である。ハーモニー、左右のバランス、といいオクターブ上がるメロディーでの腕の運びといい、実に良い。

現在ではピアノを弾きながら他の楽器を専門にしている人は多い。副科ピアノを見ていてもそれは感じる。

しかしこういう音を出している人は絶無と言って差し支えない。

時代の好みの変遷ではない。ピアノという機械の物理的特性に忠実か否か、それだけだと言っておいた方が良い。

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無知

2016年08月19日 | その他
昨日、スマートフォンなどでは折角貼り付けた動画が見られないと泣き言を書いた。

ところがちゃんと見れますよと連絡してくれた人がいたので、おや、それでは僕の携帯がおかしいのかと少し冷静に考えてみた。

カッコつけたが、頭をひねったというのが真相さ。

僕が念のために見たのは自分の編集用の画面で、これでは謎めいた文字列だけが表示されるのは当然である。

試しに自分のブログを検索してみたら(いやー、これは何というか気恥ずかしいものですな)指摘して頂いた通り、すべて無事に試聴できた。

無知ほど傍迷惑なものはないね。お騒がせしました。

同じ方からクライスラーがピアノを!弾く珍しい音源を教えて頂いたから、次にはそれを紹介しよう。
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分からないや

2016年08月18日 | 音楽
最近歌手の録音を紹介して、アドレスを貼っておいた。作業はパソコンでして、再生できることは確認してある。

ところが携帯で自分で見てみたら、文字列が並ぶばかり。なんだ、再生できていないじゃないか、なんのために紹介したのかわからない。多くの人が携帯で読んでいるらしいのに。

ちょっと調べます。というか誰か教えてくださいな、と早くも人頼み。
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ホールでの講座

2016年08月14日 | 音楽
昨夜400人弱入るホールで講座をしてみた。普段は聴講者の顔や反応が見える規模のホールで開いているのだが、今回はガラガラに空いたホールで開いてみた。

およそいつもの講座に出席してくださる方達がいらしたように思う。この人たちには空間が広くなれば、そしてその空間が音楽に適しているならば、エネルギーを傾注した音はよりいっそう柔らかく響くものであるということが実感できたのではないかと思う。

残念ながら僕自身は僕の音を遠くで聞くことばかりは一生叶わないのであるが。

ことピアノの音に関しては、もう混乱の極まるところまで行き着いた。真横で聴き、より広いところで聴き、ホールで聴く。こうして何度も自分の耳を「翻訳」させる作業だけが、もし響きが蘇るとするならば、唯一残された道だろう。

吉田秀和氏のように「基本的に私は実演を信じている」などの言は、僕には寝言にしか聞こえない。彼は録音と実演の比較について語るのだが、実演は存在しているという立派な信念を疑いはしなかった。その点では遠山一行氏の方が正直に耳を傾けていた。

まあ、もう少し頑張ってみようと思う。
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人それぞれ

2016年08月13日 | その他
欝病を患っている人に「頑張れ」と声をかけるのは絶対にしてはならない。人はついつい励ましてあげることが一番大切だと張り切ってしまう傾向があるけれど。はなはだしい勘違い人間は、叱咤激励が一番効果があると信じている。とんでもない間違いである。

心理学を学ぶひとはこうした知識をたくさん積み上げていく。そうすることで人間の心という難問に到達するならまあ良いだろう。

でもちょっとだけデリカシーを持った人ならば、言われることなく知っている知恵のはずだ。

欝病といわれる人に対してだけではない。あらゆる場面でいえることであろう。

野球解説の豊田泰光さんが現役のころ、河村というピッチャーがいた。この人も豊田さんに負けず劣らず気の強い人だった。

ある時、ピンチに陥った河村投手に豊田さんが「頑張れ」と激励に近寄ったところ「頑張っとるわい」と怒鳴り返されたという。

それもそうだ、とその後豊田さんは誰に対しても「頑張れ」と声を掛けなくなったそうだ。

僕はこうした話が好きだ。頑張っとるわい、と怒鳴った選手もだが、それもそうだとあっさり自分の中の「ウソっぽい」部分を捨て去る豊田という男も好きだ。

そのような豊田さんだが、解説者時代にある選手から面と向かって「俺のことをあれこれ抜かすな」と怒鳴られたことがあるそうだ。

野球が好きな人なら知らぬ人はあるまい、城島というキャッチャーだ。大リーグでもレギュラーまで張った名選手だ。

この人は引退会見で男泣きに泣いた。何があったのか、僕は野球に関心がないのでそこは分からない。

ではその後城島元選手はどうしているのか。ひょんなことから知ったが、この人は現役時代から釣りが大好きだったという。

イチローと同じチームだったこともあり、イチロー曰く、城島は一番が釣り、二番が野球、だそうだ。

引退会見での号泣後、彼は釣り師としての自分を見出した。自身の釣り番組を持ち、釣り雑誌の表紙を飾り、赤銅色の肌、無雑作に束ねた長髪を見る人は、これがかつての一流野球選手であるとはまず気がつくまい。

漁師に生まれたかった、とまで言っている。このような男だ、豊田さんに鬼の形相で抗議したのだろう。その時のことをたしか豊田さんが何処かで書いていたように記憶するが、勝手に空想する方がいい。

因みにこの城島さんはクラシック音楽が好きなのだそうだ。早朝から海へ出て、昼ご飯に帰宅して、午後はクラシック音楽を聴いて昼寝をするのが日課だという。

クラシック音楽の何がこのような人を動かすのであろうか。
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