季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

10年!

2018年05月23日 | Weblog
本ブログを書くために編集ページを開く。すると隅っこにブログ開設から○○日と表示されている。

見ると3600日を優に超えているではないか。何と、10年もの間あれこれと書き散らして来たわけである。

よく分からぬまま兎に角始めてみようと思い立ったのが、よく分からぬまま歳月が過ぎたのだから馬鹿見たようなものだと痛感する。

それにしても芸のない、面白くもない、お堅いブログを毎日150万人もの人が読んで下さるのは不思議である。10年ピッタリの日には沢山の出版社から出版依頼が来るのであろう。断るセリフは準備しておこう。

3650日目に書こうかと思ったものの、閏年もあり、第一僕はまず忘れてしまうだろう。どうせぴったり出来ないのなら思い出した時、暇な時に書いてしまえと相成った。

なに、暇はいつでもあるのだが。

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バナナ

2017年09月19日 | Weblog
バナナが超高級品だったなど、今の若い人には想像もつくまい。

小学校の遠足などに持ってくる生徒が出たら大騒動になった。それくらい高価だった。そう、出たら、そう書きたいほどの事件性を持っていたのである。

従って遠足などに持ってくるのは禁止であり、違反したら簡易裁判所行きは免れなかった。嘘だけどね。

それがいつしかひと山いくらで店頭に放置されるようになった。私の昭和史で書きたいほどの変化だ。

バナナで印象深かったのは我が師ハンゼンである。

ハンゼンはハンブルグに住み、鉄道を利用してリューベックの学校へ通っていた。僕もハンブルグに住み、レッスンの日には先生と同じ列車で行くことが多かった。

ボックス席に向かい合って腰掛けると、カバンを開きおもむろにバナナを取り出し、ゆっくり皮を剥くのだった。

そして大家然とした微笑みを浮かべては僕に「見たまえ、世界一清潔で安全な果物だよ」と語りかけるのを常とした。

僕ばかりではない、全ての生徒がこのセリフを聞いたはずである。ある種の生徒はハンゼンの教えは忘れ果ててもバナナ清潔説は決して忘れないだろう。

思うにハンゼンは農薬問題などは全く関心も知識もなかったに違いない。バナナから高濃度の農薬が検出されたニュースも知らぬままだっただろう。

今や懐かし思い出である。
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飛ばない

2016年11月09日 | Weblog
ブログ内検索をし直して、その後携帯からも機能している事を確認したのだが、今指摘されて見たら、あら不思議、また飛べなくなっているではないか。

なんのせいか全く見当がつかない。お騒がせしました、としか言いようがない。
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ブログ内検索

2016年11月07日 | Weblog
検索ワードからわかるもの、という記事を書いて、「ブタのいた教室」についての拙文三つにリンクを付けたのだが、どれも記事に行き着かないというコメントをいただいた。今日になって自分のPCからもたどり着けないことが分かった。

コメントに対して「おかしいですね?PCからはできるのですが?」と返事をしたのだが、おかしいのは僕の頭であった。ログイン画面で見たので僕だけには出来たのだった。

今改めて貼り直した。引き返してお読みください。
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シーシェパード

2014年04月06日 | Weblog
以前、日本の調査捕鯨船とシーシェパードの船が衝突した。

僕はシェパードが大好きだが、シーシェパードは嫌いである。ドイツ語でHund は犬、それにSee(海)を付けるとアザラシになる(Seehund)。ところがシェパードに「海」が付いたら海賊になる。シェパード好きとしては耐え切れないな。

これは名目上は環境保護団体になるのか?立派な目標を掲げているところほどアグレッシブになりうる、というパラドックスの恰好の見本である。人間は団体になればその行方を知らない。そういう動物らしい。

でも調査捕鯨が禁止されるとまるでシーシェパードに理があるように見えてしまうのは嫌だね。

捕鯨の是非のような議論は僕にはよく分からない。僕が頭数を調べたわけではないからね。分かっていることは、人間も他の生命を捉えて生きながらえているということだけだ。

フォアグラは残酷ではないのか?そもそも残酷ではない食があるのか?

そのテーマは決して突き詰めて考えられていない。と言うか考える必要はない。もっと正確に言うと、考えていったら宗教家になるか生きるのをやめるかしかあるまい。

誰もが曖昧なままで生きるしかない。曖昧という言葉が適切でなければ一種のバランスの問題だといっても良い。こんなことは誰でも知っていることだ。僕が言うまでもない。

世界中(誰もがと言っても良い)自分たちの価値観で押し通そうとしている現実を知っておくだけで良いはずだ。腰が引けたり、無理に正当化しようとしないことだ。

ところで僕は調査捕鯨という名称にひっかかるのだが。どういった経緯でこのような名称に落ち着いたか知らないけれど、いかにも日本的な感じがする。

調査とは何を調査するのだろう?だって売って料理屋で食べているではないか。現に鯨漁の地元の人がインタビューに答えて「細々とで良いから調査捕鯨が続いて貰いたい」と言っていた。

僕は笑うけれどね。でも、何か文句を付けられるのを恐れて曖昧な名前を付ける、そんな感じだ。鯨、食べませんよ、調査のためですよ。え?獲った鯨を 保管する場所がない?仕方ないなぁ、お客さんの胃袋に保管して貰いましょう。

命名の経緯は知らないから、あくまで空想だが。主張をきちんとする代わりにボンヤリとした言い回しにして議論することを避ける。そんな感じがあって嫌だなぁ。

サービス残業、援助交際等々いくらでもある。










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自主規制

2013年11月02日 | Weblog
イギリスBBCにトップギアという番組がある。車好きの人のためのバラエティー番組だ。人気が高く、もう何年もわたって続いている。

僕がこの番組を紹介する理由はたったひとつ。日本のメディアと比較してもらいたいと思うからである。

では何を比較するのか。

番組の自由度、そしてそれ以上にそこから垣間見える社会の成熟度。これがどれほど大きいか。

毎回車の紹介を兼ねているけれども、これが日本では考えられない内容である。それをNHKが放送していると思えばその差が歴然としてくる。

いくつか例を挙げるから、いずれもNHKだったらと思って読んでください。

BMWだったか、AUDIだったか、いずれにしても有名な高級車ブランドの車について「この車はまるでジョージ・ブッシュのようだ。見かけだけは威張っている」(日本ではかなり遅れて放送されるため)

会場は爆笑の渦に包まれる。この番組に対してブッシュ元大統領から抗議がきたという話もなければ、視聴者からの抗議もないようだ。いや、あるのだろうが、そういうものは子供の寝言のように扱われるのだろう。

韓国の車が非力であるということを「実証」する番組もあった。ゆるい坂道をのろのろと登って行く車はついに疲れたロバのように停止してしまう。コメントも「こんな車を買う奴は間抜けだ」とかそんな類。

アメリカで活躍しているイギリス人俳優がゲストに招かれる。司会者は「なぜあなたはあんな国で仕事をなさるんです?イギリスのほうがずっと自由でしょうに」と突っ込みを入れる。予想もしなかった質問に対しゲストは苦笑いをしていたが「いや、イギリスはあなたが思うほど自由度はないでしょう」と切り返す。

「おや、それは一体?」「少なくとも信号はイギリスのほうが断然多い」

品のない笑いがあるかと思えばこのようなゆとりある受け答えがある。こうした懐の深さがイギリスなのかもしれない、と思う。うらやましい限りだ。

日本のメディアはといえば、選挙特番で池上彰さんの突っ込みくらいでやんややんやの喝采が起こるほどである。そしてうんざりするほど多い「禁止用語」とそれに類する内容。

ひと言でいえば「ぶりっ子」だ。大人になれぬはずだ。

僕が英語に堪能だと思う人もいるだろうから補足しておこうか。ちょっと前までは日本語スーパー付のがYoutubeで見ることができた。それができなくなって残念である。僕の英語力では聞き取れないのである。中学、高校で真面目にしておけばよかったと、この歳になって初めて思う。それくらい面白い。





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ベテルギウス

2013年09月28日 | Weblog
つい数日前、驚くべきニュースがあった。

オリオン座のベテルギウスが数週間から数か月後に爆発し、ことによれば太陽と同程度の光度に達するというのだ。

僕は夜犬の散歩に出る日課であったから、冬の夜空を見上げては「オリオン座をこうして眺めるのはあと何度あるのだろう」と思うのが習性と言ってよいほどオリオンに愛着があるのである。

ベテルギウスは命を終えかけている赤色巨星である。いつ終焉を迎えても不思議ではない。でもどうせなら僕の目の前で宇宙の大神秘を見たい。どんな芸術も消し飛ぶようなドラマを見たい。

宇宙の時間規模ではもうじき、といっても人間にとっては長い長い時間だ。僕が目にすることは無かろうと諦めていた。

それが数週間だって!僕は単純に楽しみであった。猛烈な宇宙線が地球に降り注ぐ確率も、たとえ極めて低くてもあるという。でも、そんなことはどうでもよいぞ、とワクワクしてしまった。

その後、このニュースは何かの誤報で、報道されたような兆候は今のところない、と正式な訂正があったようである。ベテルギウスが終焉を迎えているのは本当だが、やはり数千年規模で考えるだけのことらしい。拍子抜けしてしまった。

それでも冬の夜空に相変わらずオリオンがあった方が良いかな。もうじきオリオンの季節になる。
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我田引水

2013年03月19日 | Weblog
ホームページ作りは遅々として進まない。でも人の目に触れるようにはなっている。制作ページでだの

といった記号に囲まれていては何をどう書いているのやらまったく分からない。
そこで画面に映したものを見て飛躍しすぎている箇所、文意が通らない箇所、リズムが悪い個所等々を探し出してふたたび制作ページへ戻る。システィナの大聖堂のやぐらを上ったり下りたりのミケランジェロの気力はすごいなあ、と馬鹿な感心をしている。

毎日わずかずつ書き直し、書き足しているから、読んで下さる方は何べんも読み返し、自然に頭に入るように工夫したのである。

なんてもっともらしい顔をして言ったら本気に取る人もいるかもね。もちろんそれは嘘だ。

しかし若い人にだけ言っておきましょう。自分の過去というものは誰しも肯定的に受け取るからね。いつ何時美化しないとも限らぬ。俺たちのころは・・・で驚かないこと。

それにしても僕のホームページは読みづらい。せめて両端を切り詰めておきたいのだが、どうやったらそうなるのか見当がつかない。読んで下さる方には申し訳ないと思う。ある日スカッとなるのを待ってください。

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笑い事ではないのだが

2010年06月14日 | Weblog
ネットニュースを読んで思わず吹き出したことがある。これは傷害事件で、本来笑うどころではないのだが。

どこかのお年寄りの施設での事件である。些細なことが発端で78、9歳と75、6歳の男ふたりが喧嘩になった。

年上の男が「この若造が」と叫んで「若い」方を刺したというのである。

人類がいつになっても「最近の若いものは」と言いたがるのもむべなるかな。

マンモスを追っかけて暮らしていた頃にも「最近の若いものは」という嘆きはあったのだろうか。石に文字を刻んだ時代にはすでにそんな嘆きが掘られているときく。

「近頃の若いものはマンモスを怖がりやがって。俺たちの若い頃は怖いなんて奴は一人もいなかったぜ、武器がなけりゃ素手で立ち向かったもんだて。今のやつらときた日にゃあ、やれ石が尖っていねえだの、握りが細すぎるだの文句ばっかり言いやがって」なんて言っていたのかと思うとおかしい。

吉田兼好だったらこのできごとからどんな文章を書いただろう。徒然草には「今風」への批判がたくさんあるが、彼の目がどの時代にもある「今時の若いものは」と言いたがる爺様たちを見逃していたとは到底思えないから。
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引用

2010年05月26日 | Weblog
親切におしえてくれる人のおかげでwebページの引用ができるようになった。クリックひとつでそのページに跳ぶようにするのがこんなに困難だとは思っても見なかった。何かひとつ試してみたくて仕方がない。とんでもないのを載せるわけにも行かないから、ひとつ外務省のを。お堅いが、もうじきワールドカップでしょう、いったいどんな所で開催されるのか、サポーターとして行く人は確認してくださいな。

こちら
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