季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

吉田秀和さんとフィッシャー

2008年02月29日 | 音楽


まず断っておきたいのは、僕は音楽評論をあまり読まない。吉田秀和さんの文章に触れてみるつもりだが、かつて読んだ記憶だけが頼りだということ。したがって引用はかなりアバウトなものになる、ということである。しかし文意ははっきりと覚えているものしか書かないから、責任は取ることができよう。

もうひとつ言っておきたい。僕が触れるのは演奏評をする吉田さんだということ。これはいずれ本文中にも触れるかもしれないが、忘れるといけないから今言っておく。

最近、と言ってもだいぶ以前かもしれない。僕はちょっと以前にね、いつごろ?平安時代にね、なんて調子で顰蹙をかっているから、時間の観念が欠落しているのかもしれない。

仕切り直して。最近、吉田さんが昔の演奏家を語っていた。エドウィン・フィッシャーは本当に立派な演奏をしていた、「生で」聴けてよかったと。

羨ましい限りだ。こと音楽に関しては、あと数十年早く産まれたかったと切に思う。吉田さんの聴いた演奏会は(たぶん)50年代のザルツブルク音楽祭でのフィッシャートリオ(ヴァイオリン=シュナイダーハン、チェロ=マイナルディ)だと思う。吉田さんが若い時分の文章でも触れていたはずだ。ヨーロッパ便りとかそんなタイトルだったように記憶する。

そこで書かれていることをざっと紹介すれば、もっともフィッシャーについてそんなに多くの行がついやされていた覚えはないのだが、よい演奏だった、しかしフィッシャーも衰えた(年をとっただったかもしれない)印象を受けた。こんなことだった。

ところでその演奏会だと思われる録音を僕は持っている。そこでのフィッシャーは衰えたどころか、楽器を扱う途方もない「筋力」を感じさせる。

吉田さんがこれを衰えたと聴いた理由を推察すると、その後の評論の疑問を解く糸口になりそうだ。

僕は吉田さんの経歴を詳しく知っていないけれど、おそらくこの時の渡欧以前に生のフィッシャーを聴いていないのではなかろうか。僕と同じように録音で(平均律ピアノ曲集やベートーヴェンの「皇帝」)親しんでいたのだろう。「皇帝」に関しては「自分に羞恥心がなければ、これこそ皇帝だと叫んだであろう」といった表現もあったように記憶する。

この「皇帝」の演奏が会場でなされて、吉田さんがそれを聴いたと仮定する。彼は「フィッシャーも衰えた」としみじみ書きつづると僕は確信する。

「黄金の中庸」で書いたように、大きなエネルギーが集中された時、響きは柔らかくなる。信じられないほど柔らかく響く。このことは僕にとってはコンラート・ハンゼンの記憶とかたく結ばれている。

僕はハンゼンの許で学んだため、レッスン中真横で弾く彼の音、ホールでの音、その演奏をふたたび録音でも聴く、という体験をくりかえした。録音で聴くとひとつひとつの音の密度が異様に高く、まるで羊羹のような手応えなのだ。それは真横で聴いていてもそうだった。それがホールでは聴いたことがないほど柔らかに響くのだった。

長いこと師事しているうちに、会場での音ももちろん密度を持った音にきこえてくるのだ。ただ、渡独の前に日本で彼を聴いたときの印象も忘れたわけではない。ずっしりした手応えと柔らかさ。直接耳に来るのではない音。

これは理解というより触覚にうったえる質のものだった。そのときにとてつもないエネルギーを、音自体のもつとてつもないエネルギーを感じたわけではないのだ。それを僕は後になってつくづく思い知ることになった。

仮に吉田さんが上記の演奏会の前後に間近でフィッシャートリオの練習を聴く機会があったら心からびっくりしただろう。(これら一連の演奏曲目のうちシューベルトだけは練習風景が録音されている。じつにおもしろい。聴いてみることをお薦めする)

彼に欠けているのは、ある音がより広い空間でどう響くかという、いわば「翻訳」の経験なのである。そのチャンスは彼になかったし、きこえる音が全てだという「正しい」観念がそれを支えてしまった。

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偶然

2008年02月28日 | 音楽


神奈川県立音楽堂に新築計画があったことは書いた。保存を訴える署名運動をしたことも書いた。そのとき非常に感じるところがあったので、それについても書いておきたい。

この計画自体は21世紀文化大構想だったか、そんなご大層な文言が並ぶ企画の中から出てきたものだったらしい。噂では建築推進の先頭には作曲家の團伊久磨さんがいるということだった。

それはちっとも構わない。ただ、ホールの音響と設計について、あまりにナイーブな考えの人が多くて危険だと、そのときはじめて思った。

県立音楽堂は前川國男さんの設計である。前川さんは東京文化会館の設計者でもあるから、良いホールを造る勘を持っていたのだ。設計したものは建築される、建築されたホールは聴かれなければならぬ。

ホールは科学的な設計を超えるのである。ということは、心積もりよりも出来の良い場合もあれば、悪いものもある。これは避けがたい。前川さんの設計したホールがどれもが優れているわけではきっとあるまい。県立音楽堂は嬉しい偶然のたまものだといっても失礼にはならないと思う。

同時に、彼の勘は当たることが多かったのも事実なのである。

いわば偶然が与えてくれた素晴らしい音響、だれもが認めている音響をあっさり捨て去って、新たに現代の最新設計と技術で「良い」ホールを造りあげるというあまりの単純な信念?に僕はあきれかえった。こういうのを現代人の傲慢というのだと思う。

計算さえ合っていればできる、なんという軽薄さだ。そもそも全ての条件を計算したというのか。計算が可能だとしても、どの数値を取り上げるかは結局の処感覚に頼るではないか。その感覚は経験で養う以外あるまい。ホールの響きの感覚はホールが養ってくれる。ほかの何ものも手伝えない。それを肝に銘じておくべきである。

ためしにWikipediaでも見てみればよい。東京文化会館の項に、改修工事が終わりサントリーホールと同等の音響を持つようになった云々とある。だれが書き込んだか知らないけれど、音楽を知らない人はこのように頭でものを聴くようになる。僕はただ茫然と見守るばかりである。

音楽を知らない人とは素人とは限るまい。音楽を愛さない人は音楽についてうんちくを傾ける。僕はそれに抗議するだけの話である。ひところあるピアノ製造メーカーの広告のうたい文句は「耳をすませば喝采がきこえる」であった。これは現代人の大半の心の動きを的確に表現していたと思う。みんな、ただ喝采をしたいのだ。そして今日の演奏者はそれを求めるのだ。

それさえ満足させてくれるのならば、座席は心地よく、エントランスもおしゃれで、公演後しゃれた店もあるホール以外の何を望むのだ、と言わんばかりだ。
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ハーモニー

2008年02月27日 | 音楽


かつてN響がヨーロッパに演奏旅行をしたことがあった。サヴァリッシュが率いていった。他にも指揮者がいたのか、僕は知らない。当時僕はドイツに住んでいて、その演奏会がテレビ中継されるのを観ていた。

演奏曲目が何であったか、まるで記憶になく、演奏の印象も「ああ、相変わらずだなあ」という感じを持ったこと以外覚えていない。

サヴァリッシュへのインタビューがあり、そちらは鮮明に覚えている。

N響は勤勉で技術もあり大変良いオーケストラだ。これにあとハーモニー感が付けば本当によいオーケストラになる。彼はそう言った。

この発言について僕はまったくその通りだと思った。と同時にサヴァリッシュのような典型的なヨーロッパの秀才の限界も感じた。

日本人にとってハーモニー感をつけるのはたいへん難しいのだ。いくら聴音や和声学をしたところで、和声学と和声感はまったく違うことだと気付かぬ限りなんの意味もないのである。

音楽家ではない一般のドイツ人も含めて、このハーモーニー感は彼ら固有のといえる。なにもドイツに限定しなくともよい。ヨーロッパの響きとでいおうか。ヨーロッパ人であるサヴァリッシュには、欠点のひとつとしか見えないハーモニー感の欠如、これはほとんど決定的な欠陥ではないだろうか。

インタビューを聞いていて、これを克服するのは至難の業だと思ったものだ。

少年合唱団は今でも時々聴く。子供の演奏は、それも合唱などでは、小賢しい解釈なぞがなくて単純に楽しむことができる。遠出はしないけれど。

そういう団体はレパートリーの関係か、集客の関係か、地元の少年少女合唱団が共演ということもある。

そうするとハーモニー感の違いが歴然とするのが面白い。日本のは楽譜の高さとか、足の開き方がよく揃っている。たいへん行儀がよいといっておく。

肝腎の声は、なんというかな、強い炭酸水が飲みたいとき間違えて微炭酸を飲んでしまったときのようだ。

ヨーロッパの子供達はというと、響きに幅があるとでもいうかな。こういった点になると言葉ではどうしようもない。それが本当は演奏という意味なのだ。それはそれとして言葉を続けると、ここできこえるのは上手下手を問わず文字通りハーモニーなのである。お互いを注意深く聴く、といった高級なもの以前にある、なにかしら根源的な感覚。

もうひとつ、書いておきたい経験を。ドイツ時代は休暇をチロル地方で過ごすことが多かった。ある年のクリスマス前、僕たちは小さな村の地下レストランで食事をとっていた。と、屈強な村の青年達が5,6人、手に手にトロンボーンを持って入ってきた。音楽を奏でて小遣いを貰おうというのだ。

「素人」の合奏、しかもトロンボーン!天井も低い。ついつい日本のブラスバンドを思い出し、生きた心地もしなかった。でもその時聴いた柔らかい、混ざり合った響きはパイプオルガンのようにもきこえた。大袈裟ではなく、ウィーンフィルを聴いたときの感激と比べてもひけをとらない、音楽上の貴重な体験であった。

僕らがこれを持たないのはどうしようもないが、持たないのに気付かないのは問題だ。僕がサヴァリッシュの楽天的なコメントに違和感をもったのは、そういったことである。ヨーロッパ人にとって日本はひとつの外国にすぎない。その自覚をもたずに(サヴァリッシュがですよ)日本を誉めあげるのは、ハーモニー感をもたぬことを気付かぬ人を増やすばかりだと感じたのだ。
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黄金の中庸

2008年02月26日 | 音楽


カール・ミュンヒンガーについて書いてみたい。ミュンヒンガー論などを期待する人は最初から読まない方がよいけれど。

戦後バロック音楽のブームが起きたが、その火付け役だった指揮者である。

彼以前にも室内オーケストラはあったけれど、ここまで徹底した訓練をされたものは無かったのではあるまいか。そもそも、レパートリーをバロックに限定したオーケストラが成り立つと考えられた時代ではなかったはずだ。

まあ、その類の事実確認はどうでもよい。今日ミュンヒンガーの名前はそう頻繁にきかれなくなったが、80年代くらいまで大きな人気を持っていたのだ。日本にも何回か来ている。僕はフーガの技法などを聴いて非常な感銘を受けた。

それも、大して重要ではない。さて、ミュンヒンガーを讃えていう言葉に「黄金の中庸」というのがあった。これは(少なくともドイツでは)しばしば見受けられた表現である。

中庸であることが美徳とされるのは日本に限ったことではないようである。ちょっと考えたら分かる。どんな民族でも、過激な奴ばかりいたらやりきれまい。違いはどんな点をどんな風に中庸とみなすか、ということだけに由来するのだろう。

ミュンヒンガーの演奏に「黄金の中庸」(Goldene Mitte)と名付けた人はきっとうまい形容が見つかったことに満足したろう。このころすでにカール・リヒターや、パイヤール室内合奏団など、多くの室内合奏団が世に出ていたから、ミュンヒンガーの団体のがっしりとしていて同時に柔らかく暖かい響きは、たしかにそういった形容がよく似合った。

さて黄金の中庸だが、それを言い出した人がなにを聴いていたか分からない。しかし一度その言い回しが定着すると、今度はその言葉がなにを連想させるかが問題になってしまう。人の耳は安心して「黄金の中庸」的響きを聴くようになる。ミュンヒンガーの作り出す音は柔らかかったから、なんの違和感もなくこのフレーズが受け入れられた。いや、もしかしたら言い出したひとも本当には聞き分けていなかったのかもしれない。

ミュンヒンガーの練習風景は映像で見ることが出来る。もう、退屈してしまうくらい細かく、音程やらフレージングの指示が与えられる。何度目かの来日時に「最近の団員には言葉が通じない」と嘆いていたそうだ。そういう状況と関係あるだろうか。それでもとにかく、この耳の集中力があの柔軟な響きをつくるのだ、と腹にこたえる風景である。当時僕自身が直面していた(もちろん今も)難題と非常によく似ていて興味深かった。

ドイツでカール・リヒターをはじめて聴いたときのことも忘れない。少人数の団体からとてつもない底鳴りするような音がしたのにはたまげた。日本のなにやらやる気があるのかないのか分からない音との違いに圧倒されたようなものだ。しかし15分ほど聴き続けていると、その音が外側だけ強く、意外にもろいものであること、つまり力んだだけの音であることがきこえだした。

この記憶は僕にとって貴重なものである。同時に「黄金の中庸」が「平凡」とほぼ同義に使われる危険も感じるのだ。ピアノを鳴らしに鳴らせて等、音楽を語っているとはとうてい思えない言葉が新聞紙上に載っているのを眺めると、いよいよその気持ちは強まる。

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ピアニカ

2008年02月23日 | 音楽

聞くところに拠ると、ピアノを習い始めるきっかけのひとつが、小学校の音楽の時間に習うピアニカ対策だという。まあ、きっかけはどうでもよいのだ。ピアノが好きになる子がそこから出ないとも限るまい。

こんなとんでもない代物が発明されたのはいつなのか。本当は発明という上等な言葉を使うのはためらわれるのだが。

こんなものを考えついたというのも、音楽の授業というものは何らかの楽器を扱って絶え間なく音を出さねばならない、といった頭の固さだろう。

音楽といってものべつまくなしに音を鳴らせばよい、というものではあるまい。僕がいわゆる楽器に対しての偏愛を説いているのではないことはたしかだ。とうふ屋のラッパは狭義の楽器ではあるまいが、夕暮れの郷愁やあるいは昼下がりのけだるさを呼び起こす。僕はあの音が好きだ。あれをピアニカでやってみるがよい。どうにもならないでしょう。

と、ここまでを読んでなるほど、と思わないで欲しい。あれをピアノやヴァイオリンでやってもどうにも滑稽ではないか、くらいは疑って欲しい。

ピアニカの救いがたい処、それは生活のどの場面に於いても、しっくりくることがない、ということなのだ。これはこの物体の(どうしても楽器という言葉を使うのに抵抗がある)出自にいかがわしいものがあることを良く示している。

ピアニカに僕ほど拒絶反応を示す人はいなくても、愛着を示す人もまたいないに違いない。全国を鐘太鼓で探し回っても、壮年によるピアニカ合奏団なるものはなかろう。そんな集いがあったら教えてほしい。

と書いてまたまた不安になった。世界は果てしなく広く、暗いことを失念していた。あったらどうしよう。

本当に不安になって検索したらありました。謹んでご報告致しますとともにお詫び申し上げます。予想を遙かに超えるのは温暖化だけではなかった。人間の感性、叡智、株価等々。減らず口はともかく、いろんな人がいるのは本当だ。ピアニカのプロまでいた。素朴な疑問、プロ仕様のピアニカってあるのだろうか。

ともかくそれでも僕はあの音が嫌いだ。ピアノの音が嫌いだという人もいるわけだから、ピアニカが嫌いでもべつに構わないだろう。

どの角度から観てもあれを小学生全員にさせなければならない理由はなさそうだ。最初に書いたように、みんながひっきりなしに音を出すのが音楽の授業だと「決めた」から、あとはピアノに似ているところもあり、安くできるところもあり、でじつに安直にできあがったものだ。

ひとの好みはさまざまだ。しかし日本語の教育を考えてみよう。いわゆる美文教育の必要はない。でも活き活きした美しい日本語を教えることに反対する人もいないだろう。

福音館書店から出ている「にほんご」という子供向けの本を僕は持っている。安野光雅、大岡信、谷川俊太郎、松井直の4氏による。これを子供達が読んだら良いと思う。ひとつだけ例に挙げておく。

ひとは ことばを つかって、

じぶんの きもちを

ほかの ひとに つたえる。

ひとは ことばの おかげで、

ほかの ひとの きもちを

じぶんの きもちのように かんじる。

ことばには いつも きもちが かくれている。

けれど きもちが あんまり はげしくなると 

ひとは それを ことばに できなくなることもある。

わらったり ないたり、

ひとりぼっちで だまりこんだり、

ぼうりょくを ふるったり・・・・・・

そんなとき、ことばは こころのおくふかく かくれている。

あるいは丸谷才一さんの「日本語のために」というのも良い。これは子供向けではない。めちゃくちゃな日本語教育についての苦言の書である。これもぜひ読んで欲しい。

音楽でなにもピアノやオーケストラや三味線を習わせる必要はない。同時にピアニカのような楽器を強制的に習わせる愚について抗議したい。

もし「決めごと」がなければわざわざ考案されることはなかった。プロがいるということは,習わなければならぬ理由にはならない。もしもそうなら、エレキギターも麻雀も教科にしなければならないではないか。

僕が小学校の音楽についてかなりの違和感を持っていることについて書くつもりだったが、それは次に回す。でも必ず書く。ここでは音楽の授業というものはいつも音を出していなければならない、というむちゃくちゃな先入観は何とかしたい、とだけ心に残しておいて頂ければよい。
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ゴッホの自画像

2008年02月22日 | 芸術
自画像をたくさん描いた画家といえばレンブラントとゴッホだろう。僕は絵について詳しく知っているわけではないから、ことによるともっともっといるのかも知れないけれど。

ゴッホはレンブラントについてたくさん語っている。弟宛の手紙のなかで。

画風の違いは2人の自画像に決定的な相違をもたらす。そもそも自画像を描くという行為を想像してみるのが難しい。画家に、できれば自画像を描いたことのある画家に訊ねてみたいものである。いったいどのような気持ちで自分自身を描くのだろうか。自分を一個の物体と観じるまで見つめるというのだろうか。

近代の心理学(もどき)の深層心理だの無意識だのはここでは無縁である。といって画家の心境とやらが安易に出たものはやはり駄目である。

レンブラントの自画像は背後の褐色の中に溶け込もうとするようにも、暗い背景から浮かび上がったようにも見える。僕たちはその像に対し、ためらいながら語りかける。

対して、ゴッホの自画像は画面一杯に光を浴び、身を隠すことなくすべてをさらけ出している。そして僕たちに向かって語りかけるかのようだ。教えてくれ、ここにいる男はいったい何者なのか、と。

それでいながら、画家の目は自身を一個の物体として捉えている。キャンバスを前にした像、亡くなる少し前の、薄い緑で渦巻くような背景の像、どれもが実に沈着に描かれている。どこにもゴッホという不幸な男を訴えるようなものは見当たらない。そしてそれ故に僕たちは否応なしに異様なまでの緊張の許にさらされ、目の前にいるのが紛れもなく不幸な男であると感じる。僕らはかろうじて訊ねる。いったいこのゴッホと呼ばれる男とは何者であったのか。

耳を切った時ゴッホは錯乱状態にあった。平静を取り戻したゴッホは頭を包帯で巻かれた自画像を描く。この絵のカーンと静まりかえった世界は無類である。手紙で弟に訴えている不安も、病気に対する疑念も、一切が無い。あるのは一人のパイプをくわえた男の姿ばかりだ。

美術史家の高階秀爾さんは、ゴッホの自殺が、弟の気を惹きたいがための狂言であり、不幸にも本当に命をおとしたことを「証明」したそうである。そのことは僕は洲之内徹さんの本で知ったのだが。

洲之内さんは、高階さんのような専門家に自分のような素人は太刀打ちできるはずがない、と言いながら高階さんの説を覆して行く。その絡み方がじつにうまい。それこそ僕のような素人にできる芸当ではない。

最後に彼は言う。「耳を切った自画像」と自殺の1ヶ月前の最後の自画像を載せておく、それをよく見て欲しい、これが弟の気を惹くために狂言をうつ男の顔に見えるだろうか、と。

僕が付け加える必要はあるまい。洲之内徹「さらば、きまぐれ美術館」を読んで下さればそれですむ。

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演出

2008年02月20日 | 音楽


新聞の演奏評くらいいらいらするものはない。雑誌もそうだけれど。演奏批評を批評する新ジャンルを開拓したいくらいだ。

と、それはさて置いて。置けるかどうか分からないが。

先日友人から連絡があり、「バラの騎士」を観たとのことであった。演奏は良かった、現代の演奏としては良かった。ただ、演出がなあ、とのことであった。

パパラッチやダイアナが出てきたそうである。聴かなくてよかった。本当はオペラばかりではない。猫も杓子も、古典を現代に置き換えて、たとえそこに優劣があったとしても、発想自体は安直だ。そりゃ人間界のできごとだ。いくらでも現代に置き換えられる。

さいわい事件は次から次に起こる。対して人間の行為なり感情なりはそう大きく変わりようがないから、現代化の成功は保証されている。だが、誰に対して保証されているかといえば、その道の専門家、通を自認した人に対してだけなのだ。

そのような態度は自己満足に終わるのみであろう。

演出家の手法はそれだけに留まらない。だいぶ以前のことだが、テレビで偶然「トリスタンとイゾルデ」をやっていた。マルケ王、クルヴェナールが出ていたから第三幕だ。ちょっと見ていたのだが、何か様子が変なのだ。クルヴェナールはトリスタンの嘆きに同情の言葉をかけながら、マルケ王たちにしきりに目配せをしている。

ははん、そういうことか。この演出家はトリスタンをひとりの妄想病患者に仕立て上げているのだ、とすぐ合点がゆき、僕はスイッチを切った。

こういうのが典型的なひとりよがりという。残念なことに、この手合いが次々にでるのだ。

この歌劇の悲劇性をすべて踏みにじった演出というのははたして何だ?現代に悲劇はないとしよう。ではなぜトリスタンを演奏するのか。内部から支える大きな力がなければ、この曲はただただ長い、退屈きわまりない曲ではないか。そのことを認めるだけの力も現代にはないのか。

クルヴェナールという直情径行の男の純情も、むしろ白々しい憐れみと化してしまうではないか。そういう表情のどこから身体全体を共鳴体にする発声が生まれるというのだ。

のどが張り裂けそうに歌う歌手が馬鹿みたようではないか。一見気の利いた講釈はごめんだ。もちろん新しい舞台を否定しやしない。ただ、真正面から作品と向かい合ってくれとだけ言いたい。こんな薄っぺらな新しさは、昨日のテンポとはちがうと不平を言うソリストと同じように退屈だ。

ためしにオペラの演奏評を読んでご覧なさい。わけ知り顔にあらすじと演出の狙いを解説したものばかりだ。歌手については申し訳程度に○○役の××も好演、といった具合だ。

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良い鼻

2008年02月19日 | 旨いもの

以前からちょいと気になっていた店があった。なに、我が家からほんの数分歩いたところにあるコーヒー店だ。といって、ほとんど通らない裏通りに面しているから、車で偶然通りかかっては「良さそうだね、気になるね」と言いながら5.6年経った。

僕は家で落ち着かないと喫茶店で読書したり、ちょっと考えついたことを文章にしてみたりする。以前は2駅ばかり離れたところに落ち着いた雰囲気で音楽も殆どかかっていない店があって、そこを使っていたのだが、閉店してしまった。

話はそれるけれど、音楽のかかっていない静かな店というのが無いのは閉口だ。サービスと心得て芸もなく音楽を流す。すぐに寄ってくるデパートや大手家電量販店の店員のようだ。静けさもサービスだろうに。

そんな理由もあって、ついに件の店に入ったのである。ところが車から通りすがりに一瞬見るだけでは喫茶室かと思いきや、ここはコーヒー専門店であった。読書は諦めざるを得ない雰囲気と狭さだ。

ふつうコーヒー屋といえば、瓶がズラーッと並んでいるのに、この店は入り口の処に多くて10あまり。どうもそうはやっているわけでもなさそうである。店主はと見るに、グリム童話だったかな、「ロバの王子」というのがあるけれど、そのロバの王子がおじさんになったような人だ。

暇そうなのをよいことに少し話し込んでいるうちに、この人はただのコーヒー屋ではないと思い始めた。「コーヒーの苦みを言う人がいるが、それは焙煎が駄目だからです。苦みは焦げです。コーヒーに苦みはあるはずがない」僕はロバのおじさんの目がこういう話になるとすわっていくのを面白く眺めた。

スペシャリティコーヒーというのか、値段は高めだが、とにかく別格の豆だけを仕入れて、自分が納得いく焙煎方法でしあげるという。テイストで次々飲ませてくれるのだが、驚いてしまった。コーヒーに対する認識が一変した。

去年のことである。それ以後この店以外のコーヒーは買ったことがない。一般にブルーマウンテンが価格の上からも最上級とされているけれど、この店ではそれ以上のものもたくさんある。入口に10くらいしかないと書いたのは嘘ではない。

つまり、この店で同じものを買うのは難しい。その時々で良いものを仕入れて売る。しかも、種類によってはほんのわずかしか手に入らなかった、馴染み客に売ってあっという間に完売ということも多い。

この人の口からはコーヒーに関して「オレンジの香り」「レモンの香り」「ナツメグの香り」とか「前頭葉にパッとくる」「脳幹刺激」だとかが次々に出てきて、言われてみればなるほど、とも思う。これが正直な感想。とてもじゃないが敵わない。こういう人もいるのだ、と感心する以外ない。

たった数種類置いてある紅茶がまた信じられぬほど旨い。時折入る茶葉を(良いものは300グラムくらいしか入ってこないという!ひとり30グラムでたった十人しか手に入らない)取り置きしてくれるようになったのは嬉しい限りだ。紅茶に関しても「渋みが普通ありますでしょ、あれは酸化している、つまり腐っているわけです」という。そりゃそうだ。

徒歩圏にこんな店があってほんとうについている。「ぜにさわコーヒー店」といいます。ホームページもある。覗いてみたらいかが。そこで「セント・ヘレナ」というコーヒーを見たら、これはもう別格だと思って下さい。恐れ入りましたと頭を下げて味わうしかない。
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忘れられぬこと

2008年02月17日 | 音楽

僕の音楽にまつわる体験で、もっとも忘れ得ぬできごとのひとつ。

中学の終わりころか高校に入ったころ、新聞紙上でブルックナーの交響曲7,8,9の宣伝記事が大きく載った。9番だけはちがう会社から出ていたはずだから、もしかすると相前後していたのかもしれない。

宇宙の神秘、とかその類で買い手の気を惹く、いつの世にもあるやつ。以前にも書いたように僕はすでにフルトヴェングラーの「英雄」から「田園」「運命」、ブラームスの交響曲、各種協奏曲等々、レパートリー?を急激に増やしていた。もちろんワーグナーも入っていた。

音楽はすでに僕の生活のほぼ全部を占めるようになっていた。現代と違って録音ですら聴く機会など非常に少ない時代だったことを思ってほしい。戦前の人たちはむしろ(人数は少なくても)レコードを手に入れ聴く機会自体は多かったのではないだろうか。戦後生まれの僕の世代は、たとえば僕も家にステレオ装置がきたのは5年生の時で、LPレコードという新システムが隅々まで浸透するにはまだまだという時期にあたる。

このことがみんなに当てはまるか、僕は知らない。音楽を志す人たちはすでにたくさんいて、僕のように牧歌的ともいえる態度でピアノを習っていた人は(志をもった人の中では)少数だったかもしれない。

とにかくそういう状況の中で僕はただ青年期にありがちなイライラと戦っていた。「宇宙の神秘」これは目をひいた。「これこそ俺にふさわしい音楽だ」1枚買おう。だがどれを?宣伝によれば9番がブルックナー最後の曲で、未完成ながら最も深遠な世界だそうだ。

僕が買うのは、そんな宣伝文句がある以上9番でなければならなかった。封を開けるのももどかしく早速聴き始めたのだが、延々となにやら経を唱えるような楽句が続くばかり。しびれをきらせて針をあげてしまった。音楽を聴いて何のことやらまったくわからず、というかつまらない、と感じて聴くのを中断した初めての体験だった。

その後も体調、気力とも充実しているときに、食えないものをエイヤと口に放り込むようなつもりで聴いてみた。しかしブルックナーの曲は長い長い。エイヤと聴き始めてもエイヤが延々と続くとただのイヤになる。中断する経験ばかりが重なった。

ある日、僕はプライドをかけて、このやろう、意地でもぜんぶ聴いてやると決意した。何が宇宙の神秘だ、と思いながらも他方ではフルトヴェングラーが絶賛する作曲家なのになぜ僕にはなにも良さが分からないのだ、という漠とした不安があったように思う。

エイヤとレコードをかけて、ひたすら耐えた。エイヤ、エイヤ、エイヤとなんべんも気合いを入れていたに違いない。日本のサッカーチームがブラジル代表と試合して3点くらい先制されたときはきっとこんな気持ちだろう。どうしようもない、でもやめるわけにはいかぬ。

第2主題が現れたとき様相は一変した。このときの驚き、感動を僕はいまでもよく覚えている。視界が急に開けた。僕が見たものは宇宙の神秘などではなかった。とにかく僕はひろいひろい場所に立って風を一身に受けていた。

僕は人生で唯一美しい時期である幼年期を佐賀県ですごした。家は佐賀平野が北へ延び、ここからは北部山地へ続くというあたりにあった。有明海が遠くに望まれ、とくべつ良い天気にはそのまた向こうに雲仙が望まれた。有明海から吹ききたる風は、一面の水田をわたって北の山塊にぶつかるのである。家の裏山からの景色は秋には黄金色の海のように見えた。

それが何の脈絡もなく僕の目の前に現れた。この不意打ちに僕は恍惚となった。CDがなくて幸いだった。CDの時代だったら第2主題ばかりを繰り返して聴いてしまっただろう。

この部分をもう一度あじわうためには、この長大な曲を冒頭から聴くしかすべがなかった。何回それを繰り返したか。気がついたときには、この曲を「理解」していた。つまり全体を好きになっていた。理解するとは愛着を持つことなのである。そしてそこへの道はこんな経路さえあるのだ。

僕が現代の冷たい知識人もどきに激しい嫌悪を覚えるのは、今でもこの経験を信じるからである。こういった経験を売りわたしてことをこなしていくのがプロならば僕はアマチュアでよい。そう思っている。
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動物は正直か

2008年02月15日 | 
ドイツで飼い始めたシェパードは、たまという名前だった。本当はたまにしきという。この子は神様のような子だった。僕たちは何も躾らしいことをしなかったと言っても過言ではない。

そのため、どのシェパードもこんななのだ、と勘違いした。また、大抵の犬がここまで賢くはなくても、かなりの程度賢いのだと思いこんだ。友人が大型犬を飼うにあたって、心得を訊ねたときも「なに、やさしく駄目だよ、と声をかければいっぺんで理解する」とアドヴァイス?した。

後日友人宅を訪ねたとき息をのんだ。絨毯は破れ、ドアはゆがみ、引き戸のレールは半分折れ曲がり、その犯人?はソファーにくくりつけられて僕を迎える有様であった。

友人宅へは、年に1,2度麻雀をしに行くのである。いつも決まったメンバーである。面子というのだが。メンバーというと何やらちょっと高級な集いのように聞こえませんか。こういうのが言葉の面白いところだ。

そのメンバーでゲームを?進めていくうち、件の犬はソファーを引きずったまま突進して麻雀牌の乗ったテーブルをひっくり返し、友人は叫び、ついにソファーの代わりに柱にくくりつけられた。

「重松が適切なアドヴァイスをしなかったおかげで俺の家は壊れた」友人は何かにつけて言っていたものだ。実際僕たちが年に5,6回麻雀をしていたら、柱も折れていたのかもしれない。メンバーたちは年に何度でもしたがっていたのだ。僕が自制心を失っていないで良かった。友人はむしろ僕に感謝した方がよい。

話がそれてしまったが、たまの話題に戻そう。ドイツ人と一緒に散歩をし、ことによったらドイツ人の友人に預けて旅行もするだろう。そう考えて僕は、生活の基本的な言葉だけはドイツ語で躾けた。Warte!(待て)Hinlegen(伏せ)Sitz!(座れ)等々。たまはあっという間に覚え、僕は僕のドイツ語が犬にまで通じて満足であった。

まもなく僕はあることに気付いた。僕のドイツ語には見事に反応して順うのに、ドイツ人が言うと小首をかしげるのである。

僕のプライドはいたく傷ついた。たまは僕のはドイツ語ではない、と言っているわけである。人間相手ならば減らず口のひとつふたつたたけるが、何しろ無邪気なシェパードだ。泣く泣く認めるしかない。なお面白いことに、日本人の発音するドイツ語には反応するのだ。当時の日本人で、たま相手にドイツ語が通じなかった人は、本当はドイツ人であったか、壊滅的な発音であったかの何れかだ。

タイトルから正直ではない何かを期待した人もあろうが、動物は正直なのである。

と言った矢先だが、現在一緒に暮らしているアイ(本名はアインシュタインだが、こちらは呼ばれたことがないから無反応だ)は、遊びが足りないと嘘をつく。室内で飼っているので、粗相をしそうだ、と真面目な顔で訴える。もちろん本当のこともある。だが、何度かは仮病で、外でボールをくわえて駆け回っている。

そのうちに気付いたことがある。仮病の時は尻尾が振れているのだ。それ以後だまされることはない。「ワンワンワン、粗相しそうだよう」見ると尻尾はビュンビュン振れている。「嘘だろ!」すると首をうなだれる。尻尾もダラリと垂れ下がる。

結論。やはり動物は正直なのです。
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