季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

印象

2019年04月23日 | 音楽
僕が小学校1年の時である。下校時に4年生くらいの男の子と連れ立っていた。

その子が僕に「鉄一貫目と綿一貫目とどっちが重いか?」と尋ねた。(僕の子供のころはまだグラムやセンチという単位は定着していなかったはずである。モヤシ100匁などと買物していた記憶があり、相撲の館内放送も、西方大関〇〇、身長◯尺◯寸◯分、体重◯貫などとアナウンスしていた。一貫は3.75kgだから百貫デブというのは実際にはあり得ない数字なのだな)

僕は「鉄!」と即答した。そして「バーカ、同じだよー」という嘲りの声を貰った。今でも覚えているほどだ、鼻垂れ4年生に馬鹿にされて余程悔しかったのだろう。

かように我々の五感の受ける印象は事実と異なるのだ。

ファゴットのffとトランペットのffはどちらが大きいか?トランペット!!バーカ、同じだよ、こうならないところが面白い。
この場合は印象と事実の関係とは言えないように思うが何、細かいことは抜きだ。似た例を挙げているうちに演奏について思い当たらぬとも限らないから。

演奏に於けるフレーズの長さ

2019年04月20日 | 音楽
息が長い、フレーズが長い、これは演奏に於ける褒め言葉中最大のもののひとつだ。

この能力はしかし肺活量とは無縁なのである。

こう言っておこう。ある纏まった音型を如何に細分化出来るのか、それが最重要なのだと。

フレーズが長いとは◯メートルを一息で泳ぎ切るということでは決してない。

シャーロックホームズ、或いは音楽

2019年04月05日 | 音楽
シャーロックホームズのシリーズを読んでいると彼が麻薬を嗜む場面に出くわす。この辺りは時代の変遷を感じる。

ホームズはヴァイオリンを弾く人物として描かれている。演奏する時に薬を吸っていたのか、そうした細部はもう記憶していないのだが。ワトスンが訪ねるとソファで嗜んでいる描写があったように思う。

デュマ辺りの小説でもハシシュなどが洒落た取り上げられ方をしていたような記憶がある。デュマに関してはなにぶん60年近く以前の子供の読書だから記憶違いかもしれないが。

感覚というものに依拠した作曲の場合、こうした薬物に手を出す人がいるのではと思う。

間違えないように。僕が言うのは現代に生きる人ではなく、ホームズの時代の人のことである。

ドビュッシーの「レントよりなお遅く」は感覚派の欠点を曝け出した駄作だと僕は思う。ここでの弛緩し切った精神は麻薬を吸ったかのようだ。感覚だけに頼るとこうなるという格好の見本だろう。

といって主知派?が良いのではない。何と言われようと音楽は感覚的に捉えなければいけない。感覚なのか知性なのかという二者択一はあってはならないのである。