季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

・・・たかがサッカーだが・・・

2010年04月29日 | スポーツ
サッカーの代表は考えられるもっとも悪い道を転がり落ちている。

先日の試合も相変わらずタレントが出て、なんと中継中にその人のイベントの宣伝が入る有様だった。これに違和感を覚えないサッカー協会はどうかしている。テレビ局はどんなことをしてでも視聴率さえ取れればよいのだろうが、そして人気が落ちれば他の騒ぎを演出して転出すればよいのだろうが、捨てられた方の身になってごらん。

と書いていたら次のような記事を見つけた。


サッカーが強い他の国であれば、そもそもここまで状態が悪化する前に、監督は更迭されているだろうし、協会の誰かが責任を追及されているだろう。
結局、日本には組織を責める文化がないんだ。ぐっと我慢してしまうのだろう。我慢していれば、そのうち過ぎ去って、また新しいイベントが始まる。その繰り返しだよね。バンクーバー五輪の後も、トリノ五輪の後と同じことが言われている。
スポーツ文化が、まるで成長していないんだよ。サッカー日本代表の現状は、その象徴と言ってもいい。

おそらく、誰の首も代わらず、責任の所在もぼかされているこの最悪の状態のまま、日本代表は南アフリカW杯に臨むことになる。ドイツW杯以上の惨敗になる可能性は高い。
その惨敗を契機に、日本のサッカー人気は落ちるところまで落ちるという心配もあったけど、そうはならないかもしれない。なぜなら、誰も何も期待していないから。

これはサッカー評論でおなじみのセルジオ越後さんの記事だ。もっともなことだと僕は思う。僕としては2月17日の記事で書いたことを繰り返すしかない。

日本人の大好きな精神論は役に立つまい。そもそも精神って何だい。和って何だい。こうやって列挙していくと、企業の研修や実態と結びついていくでしょう。

ある大企業は会社に椅子がないのだという。社員は一日立ちづめだそうだ。

他の大企業は廊下にセンサーがあって、渡り歩くスピードを監視しているという。

こういうのを精神力とでもいうのかね。僕はいやだなあ。学校の運動部なんかでも、昔は練習中水を飲みたい?ふざけるな、たるんでる、という感じだったでしょう。それが形を変えただけじゃあないか。

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ここでも

2010年04月25日 | その他
米ABCテレビは12日、読売新聞の取材に対し、トヨタ自動車の車が急加速を起こす再現実験を放送したニュースで、編集段階で別の映像に差し替える操作を行っていたことを認めた。

 ABCは先月22日、「トヨタ車の電子制御システムの欠陥を確認した」とする米南イリノイ大教授の主張に基づき、急加速を再現した実験を放映。急加速するトヨタ車の映像と同時にエンジンの回転数を示すメーターの映像を流した。

 しかし、実際にはメーターの映像は停止した車のものだった。トヨタはABCの放送が「誤解を招く」と反論していた。ABCは映像の加工について「走行中にうまく撮影できなかったため」と説明している。

以上はwebニュースより。


どこの国でもこの手の「やらせ」が多いのだなあ。油断もすきもないね。こういう時だけは断固抗議をしないと。

むかしドイツにいたころ聞かされた話。

あるドイツ語がペラペラの日本人青年が何かの被害にあったかして裁判所で証言した。そして証言の終わりに日本人がよくやるでしょう、どうもお騒がせしました、といった類の挨拶、こんな感じでEntschuldigen Sie Bitte!といったそうだ。

とたんに裁判官の顔色が変り「あなた、今なんとおっしゃいましたか?」と詰問してきたという。これは「失礼しました」「すみません」とかいった意味の言葉である。見知らぬ人に話しかけるときなど、よく使われる。

これはしかし場合によっては絶対に言ってはならないので、言ったとたんに自分に非があることを認めたことになるのだという。

これを読んでヨーロッパの頑迷さを非難しても始まらない。そもそも政治形態も司法形態もヨーロッパのそれを取り入れ、世界中の国と関係を結んでいるのだから、それぞれの国であらゆることがどう機能しているのか、最低限のことを知っているしかあるまい。

たとえばサインは慎重になんていうのはクレジットカードの普及で一般に認知されるようになったし。

この記事のような場合、なんとなく分かってもらおうとすることは(日本人としては分からなくもないけれど)絶対に不可能だと知ること。

こんなことは政治家や関係する会社だけのことじゃないか、と思った人へ。

日常でも同じ態度が必要なのです。たとえばその気がない男性から誘われたら?あいまいに笑っていてはだめなんです。僕も男性から誘われたことがある。ニヤニヤして返事をしたらいけない。断固とした調子でNo!と言えばよいのです。まあNoと言わなくても良いけれどね。

というわけで僕のマスコミへの不審は一向に払拭されない。それどころかますます強まりそうだ。

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宇野功芳さんを巡って 2

2010年04月21日 | 音楽
前回はフルトヴェングラー協会での思い出に話がそれた。


宇野さんについて書きながらこの時の記憶が戻ってきてそれを書いておきたくなったのは、自分の耳で聴くということはじつに難しく、ほとんどの人が多かれ少なかれ新聞や雑誌で見かけた評の中の言葉に影響されていることを思わずにはいられないからである。

それはいけないと言ったところで無駄であろう。いや、私は自分で聴いて判断している、という返事が返ってくるばかりだから。人間の誇りとはかように強いものである。しかしこれは昔だって同じだったはずである。

ところで宇野さんの熱心な読者と覚しき人は例外なくシューリヒト、クナッパーツブッシュを崇め、朝比奈隆を語る。もっとも、大抵の人は自らを信奉者とは見做していないだろうが。うんうん、宇野功芳も俺と同じ意見だ、なんて思っているのかもしれない。

それはそれで良いのだが、彼らの「音楽理解」には段階があるようなのだ。

フルトヴェングラーでクラシック音楽の本質に入門し、理解が深まるに従いクナッパーツブッシュに傾倒し、シューリヒトを理解するに至って上級者と見なされる。

僕の勝手な思いこみではない。これらはネット上で拾い集めた音楽愛好者の書き込みで知ったことだ。音楽の本質なんて僕には何のことやら分からないが、ラーメンにもぺんぺん草にも本質があるならば致し方あるまい。

これらの奇妙な理解の段階はまさに宇野さんがあらゆる機会に強調していることを勝手に図式化したものだろう。

そうしたネット上の書き込みから聞こえてくるのは、フルトヴェングラー協会での忍び笑いと同じものだ。

文学評論家の江藤淳さんは晩年、閉塞的な文壇政治について、そこでなされているのは私語だと言った。言葉が仲間内でのみ通用する符丁と化したら文学ではない、と彼は強調した。孤軍奮闘といってもよかった。

これはあらゆる分野において言えることである。僕が聞いたのも正しく私語なのである。彼らは彼らだけに通用する暗黙の了解らしきものの許に集う。

もちろん正式な集まりではないから、各自は集団に属しているという自覚がない。それぞれ他の機会にはまた別の集団をつくる。

その有様は無自覚とはいえ、まさしく政治家たちの離散集合と等しい。

仮に今、演奏評論というものが禁止されてごらんなさい。おびただしい録音を前にしてほとんどの人が呆然と立ち尽くし、いったいどれが良いのかと「上級者」と思しき人に尋ねるだろう。

「上級者」はあれこれとアドヴァイスを与えながら「俺は演奏評で生活したいものだ」と考えるかもしれない。演奏評が禁止されているではないかって?なに、鑑賞アドヴァイザーとか名乗っておけば法に触れないさ。

というわけで、好こうが嫌おうが批評家は必ず現れるし、大切でもある。だから僕は彼らに音楽を知ってもらいたいし、きちんとした文章を書いてもらいたいと願うのである。

遠山一行さんは音楽評は文学の一ジャンルだといった。その通りである。その文脈で宇野さんの文章を眺めると「宇宙的」「人生の寂しさなんたらかんたら」といった、ご本人しか理解できない言葉が多く辟易する。

だがここでももう少し冷静に評価したい。人生の寂しさ、世の厳しさは正宗白鳥さんも口癖のように使った。

宇野さんの言葉が実感を伴わないのかといわれればそんなことはない。彼は正直にものを言っている。ただ、これは白鳥と宇野さんを読み比べてもらうしかないが、宇野さんの文章は居心地が悪いのである。

言いたいことだけが蒸気のように出てくる。むしろ自分はそれで構わないと言いそうな気配すらある。すると言いたいことが強い分、彼の文章はプロバガンダめいた性格を持つにいたる。僕が居心地悪い思いをするのはきっとそのせいだ。

読者がある種のパターンにはまり易いのも同じ理由からだと思う。音楽批評は文学の一ジャンルだという意見をもっと意識したほうがよいと思うのはそんな時だ。



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宇野功芳さんを巡って

2010年04月16日 | 音楽
演奏に携わる人は批評家を嫌っている。もしくは軽蔑している。高名な批評家に対しては畏怖の念を持っている。

どの態度も分かりやすいでしょう。

そうしてみると演奏評というのはいわゆる一般の音楽好きに対して発言されているのだろうか。批評家諸子は自分がどんな読者を想定して書いているか、自覚しているのかしらん。

宇野功芳さんに限っては今の僕の問いに関して自分は特定の読者を必要としない、と答えそうな気がする。

批評文をだれがどのように読むか知る術はない。それでも様々な形をとって窺い知ることができるものだ。

僕は若いころフルトヴェングラー協会に入ってみたことがあった。今のように次々未発表録音が発見されては商品化される時代ではなかった。協会員は売り出されていない録音を手にする機会があった。僕が会員になったのもそれが目的であった。たいていの会員も同じだったのではあるまいか。

協会では例会が開催され、あるときフルトヴェングラーと面識のあった近衛秀磨さんがデストに招かれたことがあり、興味をそそられた僕はのこのこ出かけてみた。

会場には結構な人数が集まっていた。近衛さんがフルトヴェングラーの思い出を話したに違いないのだが、そちらはもう何にも覚えていない。

それよりも僕は会場に足を踏み入れたとたんに感じた居心地の悪さに閉口していた。こちらはよく覚えているのである。

集まった人々は互いに話を交わすわけでもなく、なにやら落ち着かぬ様子で、ある者は椅子に腰掛け、ある者は所在なげに部屋をうろついていたのであるが、それでいて妙になれなれしい視線を互いに交わすのであった。

それは臆病なエリート意識とでもいおうか、それともここに集まった人たちは同じ「目標」を持っており、その「目標」は今日一段と高められるのだ、わたしたちだけがその場にいる、そんな感じ。

近衛さんの話が終わった後、質疑応答があった。その中で「フルトヴェングラーの作曲したものについてどう思われますか」というのがあった。

近衛さんは直接の返答を避け「エドウィン・フィッシャーに自分が会ったとき、今度フルトヴェングラーの協奏曲を演奏しなければならない、という言い方をした」と答えた。

つまりフィッシャーは、フィッシャーも、と近衛さんは言いたかったのだろう、フルトヴェングラー作品にせいぜいその程度の評価を下していたということである。

質問者のみならず会場全体から一斉に含み笑いが漏れた。僕はそのとき抱いたじつにいやな気持ちをはっきりと思い出すことができる。

彼らはとっくにフルトヴェングラー作品に対する様々な評価を読んで知っている。曰く、アナクロニズムである、マーラーやブルックナーからの影響が強く、独自性に欠ける、等々。

その「見解」はすでに決定されたものであり、(だから)自分たちもそう思う。そして今、日本人指揮者の長老でフルトヴェングラーと面識があり、彼に尊敬の念すら抱いている人物からも「否定的証拠」がひとつ付け加えられた。

一斉に漏れた含み笑いはそうした「暗黙の了解」を示していた。なされた質問自体が日本の今日のマスコミでも頻繁にみられる、ある確定した答えを想定し、誘導する種類のものだといえる。

この種の集会(もっとはっきり書けばあらゆる集会)に出席したのはこれが最初で最後である。

もう少し長くなりそうだからここまでをまず投稿しておこう。


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春は谷からやって来る

2010年04月08日 | 音楽
シューマンの交響曲第1番には「春」という副題が添えられている。冒頭にジャン・パウルの「春は谷からやって来る」という詩句が掲げられているからである。

大抵の人はたぶん詩句自体には疑問を持たないだろう。ああ、きれいな言い回しだと感じるだけかもしれない。僕がかつてそうであったように。

こんなことがあった。ドイツでほんの短い期間語学学校に通った。ある日教師が僕に「春はいつからですか?」と訊ねた。あなただったら何と答えますか?僕はありのままに「分かりません(Ich weiss es nicht.)と答えた。ふつうそうじゃないかな。

ところが案に相違して、クラス中、教師までが笑うではないか。このときほど何のことやら分からない思いがしたことはない。

ここで僕は「○月○日です」と答えるべきだったのである。後々生活に慣れるにしたがってそれを実感するようになった。

最後の住居は大きな五差路に面していた。道はハンブルクからやって来て、ラウエンブルクというエルベ川に面した小さな町行きと(東山魁夷さんが丹念に描いている。お気に入りの町だったようだ)ベルリンまで通じている道にここで分かれる。写真はラウエンブルク。

そういう幹線道路だから道の真ん中は花壇がしつらえてあった。春がいつからか、また忘れてしまったが、いずれにせよ3月20前後のある朝目が覚めると、そこは突然花畑なのである。前日まではそこが花壇だと認識するのは、以前そこに花が咲いていたという記憶のためだと言いたいくらい殺風景だったのに。

朝方、たぶん市役所の公園課みたいなところから派遣された人たちが一斉に植えていったのである。

「くるみ割り人形」ではクララは目を覚ますと王子と共に夢のような世界にいる。ところがドイツでは目を覚ますと、どんなおじさんもおばさんも、夢かと思うくらい花々に囲まれた世界にいる。こいつは逆に夢がないなあ。

春は谷からやって来るどころか、春は作業員が置いていく。もしも現代に生まれていたらシューマンも困っただろう。さいわい当時はそんな役所はなかったからね。それでもドイツの風景はある時に一斉に明るくなる。これは昔からそうだ。「詩人の恋」の1曲目にすべてのつぼみが一斉に開く5月、という歌詞がある、その通りに。違うのは役所がカレンダーにしたがって3月ころ花開かせるところだけだ。

ドイツ人にとってジャン・パウルのような感覚はそう一般的なものではないのである。四季折々の感情はもちろんあるが、それは何というかずっと鮮やかな変化と言っても良いものだ。

日本人にとっての春は、例えば信州の杏の里だ。そこではわざわざ「春は谷からやって来る」と言うまでもない。香りと色はまとわりついてくる。不安定な空気は当たり前のように谷からやって来る。いくら春分の日があっても、僕たちにパッと変る感覚はないだろう。

シューマンの「春」はジャン・パウルの春でもある。それはヨーロッパ人より日本人である僕たちにより一層共感しやすいのではなかろうか。

話を急に発展させて誤解を恐れずに言えば、天才の作品を演奏するという行為は秀才のヨーロッパ人のもっとも苦手とするところだ。

これは僕の実感なのだが、「春」というシンフォニーくらいその感慨を引き立たせる曲はない。このテーマについては改めて書く(かも知れない。えらく難しいテーマだからね)。

冒頭トランペットが彼方に呼びかけるように鳴り響き、それに金管群のやわらかい和音が呼応する。その後のヴァイオリンの上行する音階は、まるで身をよじるかのようだ。そうとも、春は谷からやって来るのだ。こんな不安定な音型はシューマン以外の誰が考え付いただろう。

ヨーロッパの典型でありながら、非ヨーロッパ的な感情。良い演奏が少ないのも当然だろうか。
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カール・リヒターを聴いて

2010年04月03日 | 音楽
僕はレコードをたくさん持っている。と言ってもマニアではないからね、普通の人よりたくさん。音楽家の中では多いほうかもしれないな、という程度。音楽家はそんなに次々に他人の演奏を聴かないものだ。いわゆる音楽好きは途轍もなく持っていて、いや録音を所有しているばかりではない、知識が半端じゃないこともしばしばだ。知識の量では今日の音楽家なぞとてもとても敵わない。

レコードはCDに比べて格段に良い音がするのだが、何といっても扱いが面倒だ。暇を見つけてはレコードからCDにダビングしている。

先日必要があってバッハの有名なカンタータ第147番「心と口と行いと命」をダビングした。その演奏がカール・リヒターであった。

リヒターといえば当時バッハの権威、室内オーケストラの分野で揺るぎない名声を博していた人である。

ただ、僕がこの演奏を持っていたのはリヒターに惹かれたのではなく、他に適当なのがなかったせいだ。有名な指揮者は良い声楽家を使える。ましてリヒターはグラモフォンに所属していたから、自由になる声楽家は多かった。

法的な知識はゼロだからどこかで聞きかじっただけだが、所属する録音会社が違うと共演も難しいという。

リヒターは当時のオラトリオを歌える歌手たちの主だった人をほぼ全員使える立場にあった。

カンタータは何といっても独唱が貧弱ではどうしようもない。ギュンター・ラミンという人は東ドイツ時代の(といっても今から5,60年前の)トーマス教会合唱長であるが、ラミン指揮の録音は残念ながら歌手がお粗末なことが多い。東ドイツだけで集めたためかもしれない。(それくらい人材が払底しているのが今日に至るまでの音楽界だ)

このレコードを買ったのは20代だった。その当時から何かしら違和感があった。ハンブルクで聴いたとき、はじめの10分くらいその迫力にびっくりしたが、次第に粗雑な響きであることが聴こえ始めた。今だったら最初の一音で判断できると言いたいほどだが、当時は10分かかったのだ。

レコードをCDに焼く場合、操作は手動なので付ききりでチャプターを入れなければならず、全部を聴くことを強いられる。

そんなわけで久しぶりに聴くリヒターだったが、当時理由は分からなかったイライラする感じの理由が分かった。

この人の演奏ではリズムが落ち着かないのだ。それはテンポに音を当てはめていこうとするからだと今回はっきりと分かった。

有名なコラールの柔らかいメロディーも窮屈で何ひとつ語っていない。1拍に3つの音がある、ただそれだけ。トスカニーニがバッハを振ったらこんな風になるだろうか。

ちょっと興味が湧いたから、80番のカンタータ「我らが城は堅き砦」をリヒターとミュンヒンガーで所有していたから聴き比べてみた。

リヒターのテンポはミュンヒンガーに比べてずっと速い。評論家はそんなことばかり言うけれど、僕はそういうことはまったく気にしない。大切なことは、その速いテンポがリズムを感じていないせいでつんのめって聴こえることだ。演奏家がほかの演奏家と違う表情を与えるのは当然だが、音を聴いていないリズムやメロディーは空疎である。

いくらフレーズや構成を厳しくとっても、そもそも構成するように聴こえるのは音であるから、音が生きていなければないに等しいのである。

その点ミュンヒンガーのはずっしりした手応えがある。「だから」柔かい。残念なことにソプラノがひどい。ガブリエレ・フォンタナといって、ハンブルクのオペラで何度も聴いた人。

契約の関係だろうが、晩年のミュンヒンガーは良い歌手と共演する機会が減った。つまらない時代である。

聴き比べなんてしてしまい実りがある時間ではなかったけれど、長いこと不満を抱えていた理由がはっきりして気分は良い。

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