季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

楽器は見ただけで分かるか

2009年10月03日 | 音楽
かつてメニューインが来日して日比谷公会堂で演奏をした。戦後間もないころである。したがって僕は聴いていないのであるが。

小林秀雄さんの全集にその時の感動を綴った文章があるはずだ。

その中で、それとももうひとつあるメニューインについて触れた随筆の中でだったかな、良い楽器は見ただけで分かると断言していた。

そのことについて音楽評論家の誰かと中島健三さんが対談中で冷笑していた。これは僕が小林秀雄という存在を知り、愛読するに至った後だから高校生時代より後である。中島さんは知る人はもう少なくなっただろうが、仏文学者である。

仏文学者辰野隆門下で小林さんと同期だった人である。音楽通としても知られ、僕が子供のころは音楽雑誌上で見かけたものだ。こうして改めて思い返してみると、僕も当時はけっこう雑誌に目を通していたのだと知らされる。

青山二郎は独特の毒舌と駄洒落が上手だったらしい。若いころの中島さんが小林さんたちに文学論でやられっぱなしで悔し涙に暮れているのを「泣かじ、負けんぞう」と揶揄したそうだ。

老成してからも反骨の気概を持っていたと僕は思っている。というのも、上記の対談で、小林は音楽なんか分からない、と言った後「何しろ楽器を見ただけで良し悪し(よしあし)が分かるなんて暴言を吐く」と、細かい言葉遣いはもう忘れたが、そんな言い方をしており、読んだときに激しいライバル心を感じたからである。あいつに文学論では敵わないけれど、音楽の分野ではそうは問屋がおろさない、といった感じ。

本当はこんな発言にも小林さんの面目躍如なのだが、読者にとっては冷静な中島さんたちに分があるように見えるだろう。

でも、往年の名チェリスト、ピアティゴルスキーの自伝で、楽器を選ぶ場面がいくつか出てくる。そこで彼はいつもニスの色とか形が気に入って欲しくなったことを告白している。

そんなことを思えば小林さんの断定も一種独特の勘を持っていたのだと素直に受け取る事だってできよう。

ピアノ選びの際も似たようなことを経験する。いかにも「私はいい音が出るんですよ」とひっそりと訴えているような佇まいをしているものの中から最終的に選ばれるようなことが多い。

見かけが「ちんけ」で音は素晴らしいという例に出会ったことはない。楽器は外見からも「私の音を聴いてください」と訴えているように思われる。

これは思い込みに過ぎないのだろうか。なかなか興味の湧くテーマである。

むかしオルガン造りの名工たちはいわば建築家でも、造形美術家でもあった。事実その能力を求められていた。シュニットガーやジルバーマンの作品は、外見にもその音色の特色が出ている。写真はハンブルグのシュニットガーオルガンである。

ヴァイオリン作りも、少し勝手は違うが、似たところがあるのではあるまいか。むしろ一番の安物を見てみるとよい。「お安いですよ」と訴えているのが誰の目にも明らかだ。

その上で木を眺めてみよう。その時は骨董店で木製の箪笥や椅子を見るのとおなじで構わない。美しい木目のものと美しい色合いはまず共存している。

考えてみれば不思議でもなんでもない。家具製作者は木材の良し悪しはもちろん見抜く。良い材はなるべく趣味よく使い勝手もよくして、高く売ろうとするはずだ。わざわざ高価な木材にぞんざいな手を入れて価値を低くするはずがない。

書いていたら、もう少し先まで行ってみようと思い出した。長くなりすぎるので改めて書き直します。
コメント
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