僕はずいぶん沢山の古いピアノを見てきた。その際、一番奇異に感じたことは、塗装が剥げたり、汚れていると売れないらしいということだ。あくまで我が国のことだが。
古い楽器の塗装は柔らかい。少しずつ薄くなっていく。
最近の塗装は、詳しくは知らないが、樹脂系で硬く、剥がれる時にはカサブタのようにペリッとまとめて落ちる。
こんな剥がれ方は美しくない。塗り直したくもなるだろう。
しかし、昔の楽器の塗装が次第に薄くなっていたり、傷が付いたりしているのは(傷はもちろん程度にもよるが)時に洗われた美しさだと僕は感じるのだが。
例えば古い民具や家具、何の変哲もなかったであろう竹を編んだ籠が、飴色や褐色に変色すると実に美しくなる。
家具も汚れを落として売ることはあるにせよ、ニスでもかけてピカピカにして買い手がつくはずもあるまい。
ピアノと家具は同列に語れないと思う人にはまた別の面からも言っておきたい。
ストラディバリウスやガルネリウスは名器中の名器であることは誰もが知ることだ。
さて、幸運にもそれらを手に入れた人は、果たして塗装をし直そうと試みるだろうか。ニスも秘伝だと言うではないか。
ピアノでも塗装で音は変わる。ただし必ず悪くなると言っているのではない。
先日も大変美しい古いスタインウェイを見てきた。もう買い手が付いていたが、どのみち僕は買うことは不可能なのだから。
驚いたのは、その楽器は直後に塗装及び弦を全部交換すると聞いたことだ。
綺麗で素晴らしいと思って購入したんだろ?と他人事ながら思ってしまう。
素晴らしい人と婚約したんです。今度その人虫歯を治療するんです。これとは訳が違うのである。
技術者は買い手もつかぬ、酷い状態の楽器であっても、あちらこちらに手を入れて演奏に耐えるものには出来る(人もいる)
その出来栄えが良い場合だってある。その時は買えば良い。何だか株取引のアドバイスのようになったが。
しかし、上記の人は今現在素晴らしいと思ったから買うのだ。手を入れたあと、自分が惚れ込んだ美しさは少なくともまったく違うものになると思わないのだろうか?
どうしても手を入れざるを得ない状態では、この楽器は、まるでなかった。
多くの人が気にする塗装も、長い年月大切に扱われていたことを窺わせるものだった。
他人事ながら残念である。