季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

意訳

2009年10月18日 | 
ハンブルクで最初のシェパードたま(にしき)を飼い始めたことは何べんも書いた。

ドイツでは散歩が何より楽しかった。街中も森も。当時は5時になるとすべての店が閉まるので、それから繁華街へ出かけてウィンドウショッピングしたりしたものだ。夜ばかりではない、昼間でさえ歩道が整備されているから、色んな窓枠やドアを見て歩くだけでも楽しかった。日本では立ち読みスト、ドイツではプロ級のウィンドウショッパーだ。国際的なエコロジストと言っておこう。

それでも、緑の中を歩くのはまた格別だった。息を胸いっぱい吸うのはなんと気持ちの良いことか。(なんだかラジオ体操みたいだが)

たまが来てからは散歩の楽しみに彩りが加わった。というか、それ以前の散歩を思い出すことができないのだ。

ひとつ忘れられないことがある。

家の近くの森を抜けると小川の流れにぶつかる。木製の橋を渡るとそこから畑が続く。菜の花の時期は辺りが一時に明るく輝き、森の静けさと好対照を成していた。

ある日、たまとこの小川付近を散歩をしていると、いかついおばさんに出会った。ドイツ人のいかつい女性というと半端ではない。

ちょっとそのいかつさについて説明しておこうか。

一度この小川の畔に住む生徒のカヌーを借りて遡ったことがあった。庭先に引き込んだ水路から直接小川に出られるのだ。流れは穏やかで、僕のような非力な男でもカヌーは進む。と、上流から水しぶきを上げた一艘のカヌーが突き進んできた。

僕は目が悪い。眼鏡をかければよいのであるが、不愉快なものがはっきり見えたところで役に立たぬから、運転中以外はかけることがない。不便なのはマージャンをするときくらいで、一萬と二萬、三萬の区別がつかず目を細めるので、手の内を読まれることがある。しかし決まったメンバーとしかしないし、その友人たちはてんで弱いから支障ない。

悪い目には、ただカヌーの舳先に屈強な人物が中腰に構えて、力いっぱい水を掻いて進んでくるようにしか映らなかった。

いよいよ近づいてきてすれ違う直前になって、それが上半身裸の女性であることに気づいた。アマゾネス・・・。今でも思い出すと僕は言葉を失う。

これも忘れられないなあ。つい横道に逸れてしまったが。

散歩の途中で出会ったいかついおばさんに戻ろう。

おばさんは(おばさん、おばさんと書いているけれど、当時の僕から見てだからね。今の僕が見たらおねえさんというかもしれない)しかつめらしい顔をして、人さし指を立て、首を振りながら「シェパード!最も素晴らしい高貴な犬種!半神!」と言った。

この表現に僕たちは勿論同意の意を表わした。そのおばさんの大袈裟でしかも真面目くさった様子を半ば笑いながら。

ところでこのおばさんは正しくはこう言ったのである。

Schaeferhund!Die edelste Rasse! Halbmensch!

一番最後の単語を直訳すると、半分人間だ、ということだ。

ただ、これを日本語に直訳して「半分人間だ」と言っても、おばさんの厳めしい、もったいぶった感動のこもった様子を伝えることはできない。人間という言葉に、これ以上ないような尊厳を込めることは日本人の感覚から外れるように思われる。また、厳つい風体と重厚な身振りを見せられない以上、何とか工夫を凝らさねばならない。

僕が受けた滑稽さとある種の共感を伝えるためには半神と言い直したほうが適当だと思った。敢えて意訳した理由である。

もっとも我が家ではたまを「神様の子供」と呼んで憚らなかったのだが。

写真はウェブサイトで見つけた近所の小川。




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