季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ワールドカップ 続

2018年06月29日 | スポーツ
結果的に一次リーグ突破はした。しかし昨日の試合の最後の10分ほどはまったくもって評価出来なかった。

他会場の試合、コロンビアがセネガルに勝つことに委ねて負けているにも拘らずプレーを放棄したと言える行動に出たのだ。

それを西野監督が腹を括ったと賞賛する記事もあるが、腹を括るとはこうしたことに使用するのではあるまいと僕は思う。

美学に反するとする海外からの批判は大変多い。しかしそれに同意する必要も感じない。規則を作ったのだからそれに則ってプレーせざるを得ない。

その意見に気持の上では賛成するのだが、それはさておいて、セネガルが点を返す可能性も十分あった時点で早くも自らの攻撃を断念したことに僕は深く失望する。

最後の1、2分ほどボールをキープしてプレーをしない事はままある。もっともこれは負けているチームには縁のないプレーなのである。

こうしたプレーを選択しながら一方で自分達を信じる、とか発言する。僕にはそれが一番問題だと感じるのである。腹を括る、にしても同断である。





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ワールドカップ

2018年06月20日 | スポーツ
予想とは違ってコロンビアに勝った。開始早々に相手に退場者が出たのがなんと言っても幸運だった。しかしそれも大迫が体を入れ替えて強いシュートを放った処から始まったのだから。

気になる点もやはり多かった。安易なパスミスが多い点もそうだし、肝腎のところで鋭さを感じるプレーが出来ない。退場者は毎回出るわけではない。

他にも懸念されるのは相も変わらぬシュートの精度が悪すぎることだ。キーパーもどこか不安定だった。

しかし兎に角勝ったのは嬉しい。

セネガルとポーランドが今後の相手だが、セネガルの方がより嫌だと思う。ヨーロッパのチームはどこも非常に強いが形がキチンとしている。するとそれなりの善戦が出来やすいように感じる。

次の大会まで四年もある。今回まず頑張って貰いたいものだ。
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直前予想

2018年06月19日 | スポーツ
後出しジャンケンは潔くないから今のうちに言っておこう。つまりワールドカップでの日本代表について。

僕は前回辺りから失望したままなのであるが、それでも出るからには勝ってもらいたいのだ。

しかし遺憾せん日本代表は弱い。その上で戦わざるを得ない。それは仕方ないではないか。今回の大会でもはるかに格下のチームが自分達の力量に見合った戦術をとって大善戦や番狂わせを演じている。

ところが日本代表監督のコメントを先ほど見てため息がでた。

格下として守備を固めて隙あらばカウンターを狙う、そんなことはしないと言うのだ。キャプテンも同様なのである。堂々と渡り合うとかを主張する。

こういうのはポジティブシンキングとは言わない。単なるきれいごと、若しくは建前論という。

負けた場合でも自分達を信じてやったのだが力及ばなかったと言えば済む。それが慰めになっているかのような印象すらある。

勝負だから勝つことがないとは言わない。しかし現実に立脚した戦いを無視し単なる希望を並べることがポジティブシンキングだとする弱さがあるならばこれ以上強くなることはないと僕は思う。
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サッカーだけではないが

2018年05月09日 | スポーツ
書きかけて打っちゃってあった文章をそのまま投稿してみようと思う。

僕のサッカー熱はもうかれこれ50余年になる。オリンピック予選に負け、ワールドカップなど夢のまた夢、他の惑星での出来事のよう。

それがこの20年、ワールドカップに出場することが当然のようになった。

僕にとって目出度いはずである。

にも拘らず、現在行われている二次予選を僕は一度も見ていない。この心理の大きな変化は、よく自覚されているものの、寂しさすら感じる。

今回は予選を通過することが非常に難しいと予想するが、それならば一層熱を上げたのが今までである。

(この記事はだいぶ前に書きかけていた。今回も何とか出場が決定したのは良かった。しかし本質的には変化がなさそうに思うので続けよう)

思えば前回の本大会への壮行会、これを見たことが直接の動機だったようだ。

これは恥ずかしかった。選手の中にも恥ずかしい思いをした人が数人はいるだろうと淡い期待はあるものの。

形容するのも嫌なので、検索して貰えれば良い。サッカー、ワールドカップ壮行会とでもすれば動画は幾つもあるだろう。

そしてもうひとつ、試合中のメリハリの全くない応援がいつの間にか僕の熱意を奪ったように思う。

選手諸君は海外でプレーする人も多いのだから、このライブ感覚の応援に違和感を感じる者もいるだろう。

でもこれが決定的な弱さの証しだと肝に銘じる人が一体どれほどいるのか。

スポーツも音楽と似て、シニカルに言えば何の役にも立たないものである。それにもかかわらず人はなぜか心を奪われる。

と、ここまで書いて面倒になり放置していた。面倒というより話題が拡大して思案中だったというのが真相だ。

サッカー協会のだらしなさは以前に書いたので繰り返さないが、今の状態はそれが行き着くところまで行ってしまった感がある。捨てるのも癪だから何となく変だがこのまま投稿してしまおう。





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W杯予選

2016年09月03日 | スポーツ
前回本大会へ向けての壮行会のバカらしさ、いやだらし無さについて書いたことがある。僕の気持ちは残念ながらサッカーからも離れつつあると。

今回は予選突破は今まで以上に困難だとも折に触れて書いた様に思う。

昨日の試合は、それでも観てしまった。

付け加えることはひとつもない。

有言実行という言葉に自分達が躍らせられて、世界を驚かす、と事あるごとに言っていたのが前回である。それを言うならあのような壮行会を催してはいけない。

昨日の観客席は、あの壮行会がそのままスタジアムに移動してきたような様子だった。

選手は?何も変わっていない。弱さを自覚する選手が多くなっただけのようだ。

真面目な選手はプレーが小さく、固くなり、少し自信を持つに至った選手はプレーが軽くなる。(例えば清武選手のシュートミスは大選手がほんの時折り見せる小技の鮮やかさをしようとして空振りしたものだ)

そもそももう何年もの間、日本のプレーは本質的には変化していない。

リスクを怖れシュートよりパスを選択する。
そのパスはあまりに弱いボールに終始して、相手にしてみれば何の怖さもない。
パス回しが巧みだと思い込むとそこにこだわり過ぎる。
センタリングの精度が低い、等々。

監督が交代してもそれらは一向に改善されないままなのである。

力量は如何ともしがたいけれど、協会としては子供のチームに至るまで、その原因を求めるべきなのである。

ところが、壮行会などを企画し、それに踊るファンさえ集まれば良いかのように、前回の責任者である原氏は昇格する有様だ。

ここまで書いて1日置いてしまった。

記事は急に采配への疑問などに溢れているけれど、そしてそれはその通りかも知れないが、自分達のあの「情緒的な」文面や協会への批判や反省はどこからも感じることはできない。

こうしたことはことサッカーに限ったことではないだろう。

僕の知る音楽の世界(これは本来の意味とはもって非なるもので、正確には音楽業界と言うべきだろう)から様々な業界、学問の世界、そして政治に至るまで、どの瞬間にも露わになる光景だ。

言葉に寄りかかることと言葉を信じることはまったく違ったことなのである。

「絶対に負けられない戦いがここにはある」だったかな、こんな寝言を言ってはいけない。このフレーズに寄りかかっているだけだと誰も言わない。

前述した「世界を驚かせる」にしたところで、このフレーズ及び「有言実行」という「厳しい」言葉に寄りかかっただけなのだといい加減気付いたらどうか。

繰り返しておくけれど、そこが変わらない限り、選手を取り替えようが監督の首を切ろうが絶対に同じことの繰り返しだ。





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引いた

2016年07月04日 | スポーツ
今まで何度もサッカーについて書いてきたが、今回のW杯予選は時々見るがあまり気が乗らない。こんなことは50年弱見続けたサッカーファンとしては考えられないことである。

前回のW杯への壮行会や、毎度繰り返される実に「独特な」応援スタイルを見るにつけ、いつしか気持をそがれるようになった。
それくらいのことで気持ちがそがれるのは本当のファンとは言えない、という人へ。断言しておくが、もしこれから先、予選落ちが続いた時に真っ先に離れていくのはユニフォームを着てのべつまくなしに歌い、両手を組み涙ぐむ人たちだろう。

国立競技場にほとんど人がおらず、野原で試合しているようだった頃からのファンとしては、このような壮行会を平気でしてしまうサッカー協会は冷酷だと感じてしまう。

心ある選手がいればいたたまれなかったろうし、平気で臨んだ選手ばかりならばここから強くなる道理はない。

スポーツでも我がピアノ界でも天才の安売り、夢とやらの叩き売りである。夢は持つべきというより、誰しも持っている。問題はそれはこのような馬鹿げた形で語られるものだろうか、ということだ。

天才とやらが小国の二部リーグのスタメンにすらなれず、失意の帰国をしてもなお天才と称される。本人のためになるはずがない。サッカー自体への関心を失ってはいないからヨーロッパカップなどを見て、その仮借のない厳しさを羨ましくため息をつく。
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24時間耐久レース

2016年06月22日 | スポーツ
先週末、有名なルマン24時間耐久レースが開催された。
無論、スタートからしばらくと最後の1、2時間を見ただけなのであるが。

耐久レースと聞くと何やら頑丈さを競うだけのような印象を与えるが、今日のレースはとんでもないレベルにある。僕は全くの素人だから、ただただ驚くしかないのだが、丸一日かけてのレースでも(当然真夜中でも)区間によっては時速300キロを優に超す。

そのような過酷なレースをずっとリードしていたのはトヨタのマシーンだった。ただ、驚くなかれ、24時間近く経った時点で2位のポルシェとの差はたったの30秒くらいだった。

残り時間があと5分ばかりになり、その差は急に90秒に開き、もう誰もがトヨタの初優勝を疑わなかった。ピットのドライバーやメカニック、そしてお偉方たちの安堵と喜びを押し殺した顔がなんども映し出され、独走態勢に入ったトヨタ車だけをカメラは追うようになった。当然のことだ。

しかし信じられないことが起こった。ドライバーが「ノーパワー!ノーパワー!」と叫び、あろうことかマシーンは止まってしまった。

いったい誰がこのことを予想しただろう。いったい誰がこの現実を受け入れられたであろう。ドライバー、メカニカー、その他全ての関係者、いや、世界中のTV観戦者でさえもが凍てつくような時間の中に立ちすくんだに相違ない。

今まで幾度となく書いてきたことだが、今回の結末の後、夢をありがとう、などと言うものはいない。僕がサッカーについて、これ以上強くなるはずがないと断定する、あのフレーズを発することは不可能である。改めてそれを思うしかない。

夢を夢で終わらせないだったか、そんなフレーズで語られる音楽の世界のことも頭をよぎった。ふわついた言葉はふわついた心からしか出ない。当たり前のことだが。

このレースを僕は忘れることはあるまい。
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FIFA続き

2015年06月04日 | スポーツ
ブラッター会長が辞任。

前記事で書いたように、日本のサッカー協会は結局意思を表明することなく事が過ぎた。

記事でも少しだけ触れたが、ヨーロッパサッカー連盟の思惑云々に言及することがどれほどトンチンカンか。思惑はある。当たり前だ。

さも高所から俯瞰しているような論評は実際の政治でもよく見かける。やれアメリカの思惑だとかね。

あらゆるものが思惑によって動くと正直に見ない限り、判断なんぞできやしない。

ヨーロッパサッカー連盟の思惑を指摘して、そこからどういう判断をするのだろう?

この手の知ったかぶりとおセンチな良識の結果、日本の態度や発言は信用を失うことになる。

狭い日本の中だけでは建前論が一番幅をきかすけれど。これは楽だものね。サッカー協会の今朝の発言も「膿は出し切らないと」だとさ。膿は無いと信じる。あっても出さないで良い、としか受け取れない態度だったのは誰さ?

人間ピラミッドまでなかなか到達しない。こう次々と似たような事故、事件が起きると。

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FIFAのスキャンダル

2015年06月03日 | スポーツ
FIFAについては以前から黒い噂が付きまとっていた。つい先日とうとう副理事を含む数人の理事が逮捕された。そのさなかに会長選挙が行われ、現会長が再選された。

取り立てて意見もない。よくある話だ。誰の目にも怪しげな組織だったし。開催国決定も、いつの間にか共同開催になったり、真夏のカタールが選ばれたり。

捜査が入ったことに対しヨーロッパをはじめとする70余国がブラッター現会長の再選にNoを表明した。

アジア連盟でもオーストラリアが再選反対を表明した。

日本はどうかと言えば、アジア全体の意見に従う、捜査が入ったことは遺憾だとしただけで、選挙後も賛成したとも反対したとも明言を避けている。おそらく賛成票を投じたのだと思われる。

ヨーロッパの国にはワールドカップをボイコットするとまで批判を強める向きまであり、どうなるか予断を許さない。

こんな事態になった時、我が国で想定されるのは「選手には罪がない」という「良識」の声だ。ボイコットするとの声は、他国が実際にボイコットを敢行してようやく上がるだろう。

このように、断をくだすことができない国、それが残念ながら日本である。

たった今入ったニュースでは、ヨーロッパサッカー連盟はFIFAから脱退して、ワールドカップに替わる大会も視野に入れているらしい。

ヨーロッパサッカー連盟にもきっと思惑はあるだろうが、そこまで話を広げたが最後、改革なんぞできやしない。

では日本のマスコミはどうなのか?ブラッター会長の再選は日本にとって得か損かと、情けない論を見かけたが、日本サッカー協会の態度を難じた記事は多くないようだ。

ワールドカップがなくなったら選手が可哀想、だって選手はスキャンダルとは無縁なのだから。もしもこれが「良識」なのであれば良識なぞ捨ててしまえば良いと思う。どうも情緒から抜け出せないらしい。ふだん情緒と縁がない人が一番抜けきれない。

日本サッカー協会はプリンシパルだけは守らなければならなかった。

よくスポーツの必要性を説くのに、強い心とか団結する精神が養われると言われるけれど、ホントかね?

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ブランド好き

2015年05月04日 | スポーツ


各国にサッカーのリーグがあるけれど、その実力はずいぶん開きがある。

ただしリーグの実力と人気、就中日本での人気は必ずしも一致しない。

面白いのは、日本人選手の場合、プロである選手自身までもが、我々一般人と同じような目線で各国リーグを見ているように思われることだ。

ヨーロッパの一流リーグは幾つか挙げられるが、不思議なことにドイツリーグの不人気(我が国のね)は際立っている。

日本人選手が一番多くいるリーグでもあるのだが、どうも選手たちもファンも、他の有名チーム乃至有名リーグへのステップとしてしか考えていないようだ。

例えば香川選手である。香川選手はドイツリーグで活躍し、プレミアリーグに移籍したものの鳴かず飛ばずだった。

最終的には元いたドイツのチームにもどったのだが、かつてフィットしたチームとはメンバーも替わり、それよりも何より、香川選手自身が焦りからか以前のようなパフォーマンスを見せられなくなってしまった。

そのようなことはスポーツに於いてはままあることではある。しかしイングランドにこだわり続けた際のコメントから、彼はイングランドにステップアップしたのであり、再びドイツリーグに戻るのは後退だと感じていたのではないかと僕は思う。

日本で人気のリーグといえば、かつてはイタリア・セリエAであり、最近ではスペインリーグである。

イングランドリーグは老舗リーグとして、ほぼ安定した高い人気を保っているようだ。

それに反してドイツリーグはかつての黄金期でも、前述のように、まったくといってよいほど人気がなかった。

人気というものは水ものだから、それは構わない。

しかし当の選手にとっては、自分が活かされるかどうか、それが全てだ。自ずとファンとは違った捉え方をする必要がある。

強い選手ならば、自分がリーグのステータスを上げてやる、位の野心を持つのではないだろうか。

中堅や下位チームに在籍する選手ならともかく、香川選手のチームは当時全ヨーロッパでもトップ争いをする強豪と目されていた。

同じドイツリーグのライバルチームは強豪中の強豪だったし、日本でのドイツリーグの不人気を除いて、彼が移籍を希望する理由が僕には分からなかった。

さて、移籍先で殆ど活躍する余地がないという状況に置かれた時、新たに自分を必要とするチームを探すことは後退でも何でもない、プロ選手ならば当然の身の振り方だと思うのだが、それをしなかった。

当時出番がない状況について質問が集中したが、その都度、今の苦しさが成長に繋がる、そうでなければならない、そんな意味合いの答えをするのが常だった。

こうした答えの背後には、選んだリーグで成功しなければ自分の成長はないのだ、という思い込みがないだろうか。

僕が、日本人選手はファンと同じ目線で人気リーグに憧れているようだと感じるのはそんなことからだ。要するにサッカーがやたらに上手な素人。

自分がリーグのステータスを上げてやるという野心。これはもちろん殆ど不可能に近い野心だ。でも基本にその態度が無ければいつになってもハイレベルアマチュアから脱しないだろう。せめて自分を使いこなせない監督の許ではやっていられない、求めてくれるところに移ろう、くらいは思ってもらいたい。

若手、新人、日本ではベテランが衰えるまではそういうレッテルと共に扱われる。でもね、ちょっと他の国を見てご覧よ、若手でもすでに中心選手として振舞う。いつでも年長者に負けずに、ことによったら自分の方が力量があるのではないか、と虎視眈々としているのが分かる。

この様なところも、日本人選手からフォワードが出ない原因のひとつだと僕は思っている。
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