季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ホームページの引っ越し

2013年03月31日 | その他
悪戦苦闘して制作していたホームページだが。

時々コメントをくださる山片さんが、便利で僕のようなずぼらな男でもできる、というビルダーを教えてくださった。

なるほど、簡単だ。このブログを書くのと同じくらい簡単だ。

僕の今までの努力はなんだったのだ。青春を返せ、と叫びたい気分だ。

今まで通り、ブログのブックマークから入れるようにしました。

http://www.shigematsu.jimdo.com/

がアドレスです。ずっと読みやすいと思います。
コメント (2)
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説明

2013年03月27日 | 音楽
HPはなかなか捗らない。そもそもが、ネットで見かけるピアノ演奏に関する記述があまりに酷いので、それを丁寧に否定しておかないと、と考えたのだが。
HPでは「ですます調」で書いている。ですますで書くと、記述はより噛んで含めるようになるが、その分音や動きを言葉にするには限界も感じる。結局はそうなることは百も承知の上なのだが。

それにしてもよくあんなに簡単に、断定的に書くなあ、というサイトばかり目につく。とてもぜんぶ見たわけではないが。総じて、皮肉なことに、独学とか自己紹介している人の方が大切な点を押えているように思われる。

しかしいざ技術に関して書こうとすると、いったいどこから書いたものか、大いに迷う。また、技術の前提にある音楽そのものについても書かざるを得なくなった。あっちを書き、こっちをいじり、と砂のお城を築きあげるような具合にやっている。それでも伝わらないかもしれない。

この点について触れてもらえたら、という疑問などがあれば、是非提案してください。
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テンプレート

2013年03月26日 | 音楽
あまりに殺風景だったからちょいとテンプレートを換えた。

たったひとつでいろんな雰囲気になるのが面白い。といって自分の文章や、我が身を振り返ると面映いとでも言おうか。
また、ぴったりしたデザインもないものである。青山次郎に色んな文士が装丁を頼んだのがよくわかる。

青山はそのために装丁家と紹介されるはめになった。

しばらくこの自然派指向にしよう。
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オルフェオの死

2013年03月23日 | 音楽
本書は矢代秋雄先生の遺稿集である。実家の本棚を漁っていたら出てきた。そういえば昔買ったような記憶がある。読んだ記憶はないが、もしかしたら買ってすぐにドイツに渡ったのではなかったろうか。

なにしろ分厚い本で、内容は演奏家のプログラムへ寄せたもの、音楽雑誌に掲載されたもの等種々雑多で、せっかく持って帰ったもののまだ読む暇がないありさまだ。

なにしろ博識だった人だ。しかし行間から垣間見えるのは、そればかりではない。ちょっとどもりながら、決して人嫌いに見えない親密さと軽い皮肉を込めた口調で喋っていたのを懐かしく思い出す。

ブラームスは音楽史上最初のマスメディアを利用して名声を築いた人ではないだろうか、なんていう見方はいかにも矢代先生らしい。

ここでもちょっとひねった、それでいて意地が悪いわけではないこの作曲家がよく現れる。僕は個人的にも教えていただいた関係でそれを身近で知っている。

大学の売店で一度こんなことがあった。

売店のおばさんは古くからのぬし的存在で、ほとんどの学生を過去にいたるまで覚えているような人であった。

僕が矢代先生と売店で鉢合わせをすることは珍しくなかったのであるが、あるとき黛敏郎さんのことを先生とおばさんが話をしているところに居合わせた。売店といったって畳3枚分くらいのスペースである。

聞くともなしに自然に耳に入ってくる会話だから内容はすっかり忘れたが、おばさんが黛さんの曲について話を振ったところ「おや、黛君て作曲もするの」と軽い皮肉と冗談とがない交ぜになったような調子で応えた。楽譜の棚を漁りながら僕はニヤニヤした。

懐かしい思い出である。今矢代先生と話せたら彼は何というだろう?意見がたとえ違ってもこの人とは音楽語で話せたと思う。

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我田引水

2013年03月19日 | Weblog
ホームページ作りは遅々として進まない。でも人の目に触れるようにはなっている。制作ページでだの

といった記号に囲まれていては何をどう書いているのやらまったく分からない。
そこで画面に映したものを見て飛躍しすぎている箇所、文意が通らない箇所、リズムが悪い個所等々を探し出してふたたび制作ページへ戻る。システィナの大聖堂のやぐらを上ったり下りたりのミケランジェロの気力はすごいなあ、と馬鹿な感心をしている。

毎日わずかずつ書き直し、書き足しているから、読んで下さる方は何べんも読み返し、自然に頭に入るように工夫したのである。

なんてもっともらしい顔をして言ったら本気に取る人もいるかもね。もちろんそれは嘘だ。

しかし若い人にだけ言っておきましょう。自分の過去というものは誰しも肯定的に受け取るからね。いつ何時美化しないとも限らぬ。俺たちのころは・・・で驚かないこと。

それにしても僕のホームページは読みづらい。せめて両端を切り詰めておきたいのだが、どうやったらそうなるのか見当がつかない。読んで下さる方には申し訳ないと思う。ある日スカッとなるのを待ってください。

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検索

2013年03月18日 | 音楽
三善メソッドって一体どうなっているのかな、と検索をしたら驚いたことに当ブログがずいぶん上位に出てきた。で、読んでみたら文章がいただけない。というより文意が通じない。我ながら情けない。意見自体はまったく変わっていないが、けっこうな人の目に触れているだろうから多少手直しした。

少し削って、少し言葉を補っただけだが。

ついでに少し記事を漁ったら、三善さんは「趣味の良い人を育てたい」と言ったらしい。やっぱりそうだったのだな。現代の演奏を趣味が悪いとみているのでしょう。僕もそれには同意したい。

でも日本語を考えてみても、僕が再三ここで書いたように、きれいに聞こえる文言のオンパレードでしょう。それは形容詞をはじめとする修飾過多であると言った方がよい。丸谷才一さんがむかし「日本語のために」の中で国語の教科書が文学趣味に偏りすぎだ、と言ったのもほぼ同じことなのである。

三善さんの曲は趣味が良い。僕もそう思う。それは上記の記事でも書いた。だがお洒落な音楽が趣味の良い演奏を育てるかと言えば、そうとは限るまい。現代に欠けているのは音楽および技術の骨格だというのが僕の意見である。音楽の骨格と聞けば、反射的に動きの乏しい堅苦しさを思う、それがすでに勘違いなのだ。

骨格を欠いたお洒落は、ただケバイだけになり易い。それではベートーヴェンもブラームスも、いやドビュッシーだって弾けないだろう。音符が鳴っているのを弾けるというなら話は別だ。でもそれならば現代の演奏は趣味がない、という根拠が失われる。

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実験

2013年03月13日 | 音楽
今までhttpとか、まるで他人事だったが、仕方なくいじってみると、あっという間にページの色が変わったり文字の大きさが変わったりする。慣れる以外に方法はなく、僕のホームページは本文はちっとも増えないのに見かけは変わる。落ち着きのない奴だと思われるかもしれない。

テクニックについて書くといっても、そもそも読んで分かる人はすでにある程度の理解をしている人でね。僕の書いたもののことではない、一般的な話だ。

身体の動きにしても同様である。子供のころ、手の回転が重要だとあって、はたと考え込んだ。今ではよくわかる。その代り、手の回転が重要だ、という表現自体があまり見られなくなった。よく目にするのは重力奏法とか脱力だ。こういう言葉はまるで間違っているとは言えない、ある種の真理を含むが、発言している人は少なくとも自分の動きや音を吟味していないことが読んでいるとよく伝わる。重力奏法、脱力等をキーワードにして検索してみたらよい。じつにあっけらかんと言葉を使っているのがお分かりかと思う。

テクニックの記述といってもまだ数行である。本来ならばある程度まとまってから公開するのだろうが、書いたり消したりの悪戦苦闘をそのまま公開しておくのも良いかなと、一日数行増えていくのを見て感想なりをくださればよりうまく書けるかもしれない。行間をもう少し開けないと読みにくいが、まだその方法は分からない。
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HP

2013年03月12日 | 音楽
ピアノ演奏技術について、覚書程度のことをゆっくり書いていこうと思う。そのために慣れぬ苦労をしてホームページを立ち上げたのは書いた。
僕が力んだところで、とも思うが、念のため「ピアノのテクニック」などの検索語で見てみよう。あるはあるは、字面で見る限りだが、ほとんどが迷信、願望の類。

本ブログを訪ねてくださる方に案内できる代物ではないが(だって何も書いていないのだから)このページの一番下にブックマークというのがあり、そこから入れます。もっときちんとした方法がありそうだが、今はそれしかできない。リンクだ、バナーだ貼り付けろ、ポップだアップだ、ええうるさい!消えて失せろ!そんな気分だ。

肝腎のホームページは何とも殺風景で、アリゾナの砂漠のようだ。アリゾナ、行ったことも見たこともない、すまんすまん。
そのうち質疑応答などもできるようにしたいが、なにせ初めてラテン語を習って論文を書いているようなもので。とりあえず講座のお知らせを。

「ピアノのテクニックと音楽」と仮題をつけてあるが、ついでに「迷信からの脱出」と副題を添えてある。
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気前が良い?

2013年03月08日 | 音楽
今、なんとか自力でホームページなるものを作ろうと努力している。過去にも何度か試み、というかビルダーを買って説明を読んでは億劫になり、いつしかゴミとして処分する、というのを繰り返してきた。そんな無駄な出費はできないので、今回は手引きのページを参考に、すべてタグとやらを使用して独力でやっている。

 なんとも殺風景な第一歩はできたのであるが、せっかくブログのページを持っているのだし、また少しづつ(今はずつと書くのだね)綴ろうと思い、リンクさせようと思って方法を探したが分からない。で、ブログのトップページを見てみて驚いた。景色が変わっているではないか!

 そのうちに事情が分かってきた。どうやら僕は無料ブログではなく、有料ブログに入っていたようなのである。もう疾うに記憶から消えているのだが、無料ブログサービスは宣伝が入ったりしてうるさいから有料に登録したような気もする。

 そういえば数か月前からカード有効期限がどうのこうの、とメールが来ていた。ボンヤリみているだけで、何の手続きもせずにいたら、何度か同じ文言のメールがあったのち、サービスを停止します、と通告された。今思えばこのことだったのである。当ブログはかくして宣伝入りの、一層殺風景なものになった次第。

 有料に登録したのはどうやら僕本人らしいが、何年も無自覚に支払い続けたのだからずいぶん気前が良いでしょう。まぁ間が抜けているだけで気前が良いとは言わないだろうが。他にもそんな支払いがいっぱいあるような気がする。本当はもっと裕福に違いない。

 と、そんな訳でリニューアル?している。ホームページでは無理を承知でピアノのテクニックについてを言葉にしてみようと思っている。現時点ではまったく何も書いていないに等しい。リンクの方法もこれから調べる。とりあえず講座の案内はそちらに掲載した方が記事が流れることもなく見やすいだろうと思っているけれど。


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ワルター 寛容

2013年03月03日 | 音楽
ブルーノ・ワルターは温厚な人柄で知られていたらしい。メニューインが披露した話では、トスカニーニはワルターを評して「センチメンタルな馬鹿」と言ったそうだ。

センチメンタルな馬鹿。トスカニーニは嫌いだが、こういう時には冴えを見せる。ワルターを僕は馬鹿と思うわけではないけれど。ついでにないしょでひと言。
その「馬鹿なワルター」は後年こんなことを言う。私は常に寛容であろうと努めてきた。しかし寛容になれない場合があることに気づかざるを得なかった。非寛容な人々に対してである。
正確さを欠くけれど、こんなことだ。

この種の正確な認識は日本ではほとんどお目にかかれない。

ついでに。ワルターの演奏が甘ったるいという定説?僕には理解できない。好んでたくさん聴いてきたわけではないが、実に端正だ。頭で聴いた気がしている人には何でもどうにでも聞こえる見本さ。




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