季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

壮行会

2014年06月27日 | スポーツ
代表が出発前に壮行会が開かれたのは知ってはいた。何の関心も無い話題で、聞き流すばかりだった。ところがYouTubeでその模様を見て想像を絶する酷さに驚いた。

これで勝つと思うことは不可能だ。

しゃぶりつくせるだけしゃぶろうとハイエナのように群がったサッカー協会とスポンサー。そしてそれにまんまと乗ってしまう選手とサポーター。

あのキャーという黄色い声は何処から来るのだろう?他の国のスポーツを見てみたら良い。どこだって女性が沢山観戦しているが、集団ヒステリーのような悲鳴は聞いたことがない。

言っておくが、僕は女性に対して物を言っているのではないぞ。当然オクターブ低い悲鳴が黄色い声を伴奏しているのだ。耳には高い声がより特徴的に聞こえるだけだ。

この目を背けたくなる光景を遥かにはるかに規模を小さくすれば美人ピアニスト、鍵盤の貴公子、鍵盤の魔術師、鍵盤のペテン師、ペンペン草、モウセンゴケなどになる。

イナゴの大群のように、食い尽くして去って行くのだ、位の自己防衛本能もないのであろうか。

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後出し

2014年06月26日 | その他
残念ながら日本代表は惨敗した。大会前に書いた予想通りだが、こんなに嬉しくない当たりはないなぁ。

メディアの報道も手のひらを返すぞ、という予想も的中だが、これはもう定番だからね。あらゆる問題で。本当は的中も何もない。日本のメディアは何通りかの記事を予め用意しておけばことが足りる。

「我々メディアの姿勢は一体正しかったのか?」なんてぶりっ子記事まであり、そんな自省もなしに今まで書いていたのかい?と訊きたい。

つまりこれも予定調和なのである。

選手の中にはタレントよろしく、大会中にもかかわらず、自分が出演するテレビ番組の宣伝をブログに書き込んでいるのまでいた。

ここでセルジオ越後の(戦前の)発言だけ紹介しておこう。

マー君の(言うまでもなく野球の)ファッションが話題になることはないが、サッカー選手はファッションが話題になる。これは弱いからでしょ。

如何?僕が付け加えることはひとつもない。

ところが中には、そうかもしれないが自分たちは楽しんでいるだけだからそれも文化のあり方だという人も少なくない。

よく胸に手を当ててみれば良い。その人は本当に楽しんだのかと。何事も本気になった時だけ楽しめるのではないか。

サッカーに限らず、それに無関心な人は当然いる。その人たちは騒ぎをよそに、冷静に過ごす。自分に関心がある事柄が現れるまでは。当たり前だ。

しかし楽しんでいるだけだからという人は、それらの無関心層ではない。これも繰り返し書いたけれど、弱くて負け続けたら、すぐに他の騒げるイベントに目が移るだろう。それを楽しみと呼ぶのならば、なんと浅い楽しみかと僕は思う。

仮に文化を語るならば、それこそが根無し草のフワついた文化ではないか。

これからは次期監督の話題で賑わい、また次の予選への期待などへ空気は移行するだろうが、そして僕もそれを友人等と語るだろうが、根本の弱さがある限り本当はただ似たような光景が繰り返されるだけだと思っている。

多分前回のワールドカップの際にも書いた筈だ。









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ピッチ

2014年06月24日 | 音楽
昔のピッチは現在よりもほぼ半音低かった。これはよく知られた事実である。カンマートーンといいます。

音楽の世界に(学生のレベルまでというくらいの意味です)音楽史的考察が入ってき始めたのは僕が子供のころではないだろうか。

しかしなにぶん所謂音楽界というものにまったく関心を持たずに暮らしていたので、今にして思えばホントに牧歌的に過ごしていたのである。

大学にはついでのように入学したし、授業にも殆んど顔を出さずに過ごした。成績表は自らカフカ全集(可と不可しか見当たらないという意味だ)と認める有様だった。

音楽自体は僕の生きている意味そのものであったから、カフカだろうがシューマン(秀マン)だろうが意に介さなかった。今ではそれが良かったと思っている。

歴史的事実を知った人たちのうち、その意味を探った人はいったい何人いるだろう?今では誰でも昔のハ短調は今のロ短調だと知っているけれど、では「運命」はハ短調の代表的作品だという人に対し「いや、それは意味がない。だって昔のピッチで演奏したらロ短調だから」と言ったら?

オルガニストならだれでも知っているが、昔のピッチは今より半音高い所もあったのです。カンマートーンに対してコアトーンといいます。これらを単なる歴史的知識としてではなく音楽の中で生きたものとしてとらえたらいったい何を意味するか。

先達てテレマンの調性論について論じた文章を雑誌で読んだ。努力に敬意は払うが、やはり根本的な質問に迫ってはおらずがっかりした。僕はテレマンの論を知らなかったけれど、あらゆる調を形容詞で論じたところで何も生じない。今のピッチは違うではないか、と言われたらぐうの音も出まい。

各人が本気で考える価値がある難問だろう。調性感とは絵空事であるか?

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7月の講座

2014年06月22日 | 音楽
7月13日(日)14:30
KMアートホール(京王新線・幡ヶ谷)

シューベルトの即興曲Op.90のレッスンを中心に。シューベルトの曲は音符が少ないので一見易しく見えますが、実際は極めて難しいです。曲想がロマンティックにもかかわらず、音は古典的であることも困難さに拍車をかけます。

その前に、わが国で大変人気があるブルクミュラーの練習曲について(非常に本気で)説明しておきたい。最近ではなぜ人気があるかという本まであるようです。

沢山の人がこれを使う以上、せめて音楽的に弾いてもらいたいと願っています。もちろんテクニックも含めて。ピアノを教えている友人、知人をお誘い頂けると嬉しいです。
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無得点

2014年06月20日 | スポーツ
結果は無得点のドロー。これについてはコメントするつもりはない。

僕はこの先日本が強くなるには(なる気があるならね)例えば次のような事が根本から変化する必要があると思う。

試合後、大久保選手に「ピッチに立った時の感想は?」とインタヴューしていた。こんなことしか訊けない報道陣。

試合中も「四年間の集大成」を何遍言ったか。今どういうプレーが行われていたか、行われるべきか、伝えるべきはそこしかないはずだ。

奇しくも今日は大久保選手の父親の命日だとか、そんな事が試合と関係あるのだろうか。こうした情緒に訴える?一辺倒が改まらない限り、誰が監督になっても同じだ。もちろん少しずつは差があるけれどね。

因みに日本の試合を中継したBBCなど、海外の解説は、当の日本のメディアより遥かに真剣で厳しかったようである。退屈な試合だとか、日本は時差ボケかとか、極めて辛辣。

羨ましいなあ。他国の試合でも真剣に論評する。
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時間厳守

2014年06月19日 | その他
You TubeでDa Capoというドイツの番組を見つけて楽しんでいる。

エヴァディングという当時の有名オペラ演出家が往年の名歌手にインタヴューする番組で、ずいぶん長い間続いたようである。

名歌手と言ったけれど、僕が実際に聴いて、ヘボだと思った歌手もいないわけではない。激しいブーイングを受けた歌手もいる。ちょっと可笑しいな。

ともかく約1時間、コマーシャル無しのトーク番組である。残念ながら全てドイツ語だが、話す表情や声色を音楽だと思って見てみることをお勧めする。実に楽しい。

ところで僕が急に書いておきたくなったのは、歌手とは何の関係もないことだった。番組とも関係があるのか無いのか。

ふと気づくと収録時間が歌手によってまちまちなのである。長寿番組だったから、企画の変更はあっただろう。最後の数年は10分くらい短くなったように見える。

でもある歌手と他の歌手で10分くらいの差異はいくらでもある。そう言えば住んでいた頃の他のテレビ番組を思い出してもそうだった。

日本の番組は秒単位までキッチリしている。ニュースや、討論番組でも尻切れトンボになったり、司会者が無理矢理に話を締めるのが当たり前になっている。

こんな正確さは不要ではないかと感じる人は沢山いるだろう。

日本の新幹線が秒単位で正確に運行されているのは世界的に有名だが、テレビ番組などはある程度の緩さがあっても構わないのではなかろうか。

スポーツ中継はさすがに延長する。同様にせめて討論番組くらいはある程度ゆとりを持ったらどうかと思う。

ではヨーロッパは何でも時間にルーズなのかといえば違う。

1度約束の数分前にハンゼンの所に着いたことがあった。呼び鈴を鳴らしたら顔を出したハンゼンは「今は私の時間だ、ピッタリに来てくれ」という。外で数分時間をつぶしたことだった。

今のヨーロッパは知らないが、基本的には変わらないだろう。

Da Capoの番組一覧を見ながらゆったりした時間の流れを懐かしく思った。
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建前論

2014年06月17日 | スポーツ
ひとつ僕が気になることを書いておきたい。

日本代表が「目標は優勝」と公言していることだ。これがどうもひっかかる。

出る以上は目標は優勝だ、というのは当然なのだろうか?

ブラジル、ドイツ、スペイン、アルゼンチンなどが言うのは分かる。彼らは2位でも失望するだろう。

無論希望するのは良い。しかし日本代表のは、どう言えば良いか、負けるために行くのではない、という常識をもっともらしいポジティブな表現にしてしまっただけだと思われる。

ちょうどそれは「平和が大切だと思います」と発言しておけば考えを持った良い生徒だと見なされる学校作文のように感じてしまうのである。

あるいは「みんな仲良く」でもそうだ。こうした言葉は子供に言わせてはいけないのではなかろうか。

僕は当然ながら平和が大切ではないと言っているのではなく、仲良くするのがおかしいと主張しているのでもない。

平和や仲良くすることが「良い」ことだというのは自ずから分かることだ。そしてそれが実生活では中々むつかしいということも嫌でも分かることだ。

お題目を唱えさせていると、その言葉はどんどん虚しい響きしか持たなくなる。心ある者は嘘臭さを感じ、それを感じないで唱え続ける人は度し難い空想家になる。ドストエフスキーが例えば「カラマーゾフの兄弟」でエカチェリーナ夫人で強烈に描いた通りに。

この手のフワフワした建前だけの発言に「目標は優勝」は重なる。僕はそう感じてしまう。「有言実行」というカッコ良い響きもあるかもしれない。この手の教育の結果、日本中に夢とか仲間とか、力のない、雰囲気だけの言葉や態度が拡がったのではないか?

本当に優勝を目指すチーム(ファンも含めて)ならばもっと違ったプレー、姿になるだろう。

自分たちのプレーさえすれば勝てる、というのも同様だ。相手も同じことを言っている。つまり、勝ちさえすれば負けないと力んで言うのと同じ滑稽な発言である。

自分たちのプレーをどうやったら出来るのか、ということが勝つということではないか。そう言えば「綺麗に弾くのがコツなの」とのたもうた「巨匠」もいたな。コツを掴めば綺麗に弾けるだろう、話が逆だろうと突っ込む人が続出しないのが不思議だった。


実体のある批評があれば周りも真剣に議論をするだろう。それが我々ファンからすればお祭りを楽しむことにもなる。言葉の醸し出す空気だけを楽しんだり批判するのはいい加減やめた方が良いと僕は思う。









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敗戦後

2014年06月15日 | スポーツ
全く形にならぬまま日本代表は負けた。残念ながら僕の予想通りだ。

自分たちのサッカーを、という威勢の良いコメントばかり躍っていたが、こんなのは「みんな仲良く」という学校のお決まりと同じで、フワフワした空気でしかないと指摘した人は何人いただろう。

選手達が自分のチームは攻撃型だと標榜するのにも殆ど苦言を見なかった。だって毎試合殆どシュートも打たない。そんな攻撃型なぞあったものではない。

渋谷で敗戦にもかかわらずハイタッチする人がいたらしいが、そんなこともお祭りだからと理解者が現れるのではないだろうか。

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無料の代償

2014年06月11日 | その他
HPをノロノロ書いていて、ある日驚いた。知らぬ間にデザインが変わっていた。

乗っ取られたのかと思ったが、乗っ取る意味は無いものな。有料版にしたらどうだ、という嫌がらせだろうか。よくしたもので、有料版のデザインは似たようなものでもずっと垢抜けている。

でも僕には僕の事情があるさ。

青い空と雲が勝手に置き換えられたデザインだったが、僕は気に入らなかった。

先ほど文章を加えていてふと気が付いたら、何のことはない、元に戻せるではないか。余計な手間をかけさせるね。これが無料版の常なのだろうか?

今のデザインが気に入っているわけでもないが、青い空はちょいと勘弁してくれと思い、元に戻した。
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ヘボの予想

2014年06月10日 | スポーツ
いよいよワールドカップだ。

僕の感想では、今の日本チームにグループリーグを突破する力はなさそうである。

直前の2試合の結果が良かった?から希望的な予想をする向きも多いが。

ただし最初の試合に3点以上入れて勝利した場合にはベスト8まで行くと大胆な予想をしておく。(サッカーで就中ワールドカップで3点入れるのは至難の技だ)

日本チームの問題は20年来(本当はもっともっと昔から)何ら変わっていない。得点能力というか、得点への意欲というか、これが低い。

とはいえ、得点への意欲はあるに決まっている。だから正確に言えば最終責任から出来るなら逃れたい、ということだろうか。(急に文化論めいてきたでしょう。書いていて面映いな)

ただ、短期間で見た場合、初戦で3点も取って勝てば得点出来ないのではないか、という負の呪縛からは一時的には解放される。加えて妙にノリの良い選手も少なくない。

簡単に僕のヘボ予想の根拠を書いた。後出しじゃんけんは嫌だからね。当たったら褒めておくれ。
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