季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

むかしむかし

2014年01月02日 | 
ドイツで最初に下宿した家を紹介したが、今度は最後に長く住んだ家を。

写真の左手の家の2階部分が我々の住居である。出窓は手前のが見えにくいけれど2つあり、そのまた手前にもう一つ窓がある。
つまりこの道に面して4部屋ある。角を曲がったところにもう一部屋、計5部屋ある。

2人暮らしに5部屋は多すぎ、1部屋はジグソーパズルを広げっぱなしだった。何千ピースだったか、とにかく最大のを買い、時々完成すべく試みて、結局帰国するまで完成しなかった。最大のを買ったのが失敗であった。「舌切り雀」の教えに従うべきであった。以来ジグソーパズルとは縁がない。

さて僕が外出するとき、手前に隠れた玄関から道路を渡る。するとたまが一番手前の窓に前脚をかけて必死に僕の姿を追う。

僕が交差点方向に歩くと次の窓に全力疾走してまた前脚をかける。つまりいったん部屋から廊下へ戻り、隣の部屋の窓に跳びつく。そのようにして順ぐりに4つの窓から覗いて姿が消えるまで見送るのである。

こんなに見送る姿は人間ではあり得ない。動物、それも犬でなければ見られない姿だ。胸が熱くなる。

では人間にして貰いたいか、といえば誰しも御免被ると答えるだろうね。想像してごらんなさい。あなたが出掛ける時に部屋から部屋へ移動しながら見送られたらどんな気持ちかを。

と書いているだけでも背筋が寒くなる。何故だろう?このような深遠な疑問は放っておくしかあるまい。

最初の下宿はドイツの田園調布と書いた。ここはさだめし、と書いてはたと困った。日本でいうとどこの名前を出したら良いだろう?

この町のこの地点は、中心部からやや外れるとはいえ、道路は国道の分岐点で交通の要所だ。

一番賑やかな歩行者天国のはずれでもある。でも日本の地方都市よりずっと田舎くさい。それなのにずっとスマートでもある。

日本の何とかに例えて言えない、ハッキリとしたキャラクターを持っているということだろうか。

あるいはお屋敷街や下町のようなハッキリとしたキャラクターが無いためにキャラクターが日本と違うのが目立つという方が正確か。

天才や悪人や大金持ちのような極端な世界はまぁ世界共通とも言えるが、我々普通人だと生活様式や生活感情がずいぶん違うというのと似ているのかもしれない。

この家は正面からの写真もネットで見つかる。そのうちにそれも紹介します。

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犬の認識力

2009年12月09日 | 
犬はどのくらい人や動物の姿を認識するのであろうか。ささやかな日常体験から探ってみたい。どうですか、学術的な雰囲気でしょう。

動物学的にはいろいろ調べが進んでいるだろうが、日常レベルの素朴な発見のほうが楽しい。というわけで学術的雰囲気はあっというまに消え失せる。

たまはノーリードで歩いた。ドイツでは街中でそれが許されている。躾がなされているのが前提なのはいうまでもないけれど。

僕が在宅で家内が出かけているとき、帰る時間になると「お母ちゃんを迎えに行こう」と声をかける。たまはいそいそと外出の態勢になる。家の前は交通量が多い幹線道路だったから渡るまではリードを付けて。

すぐに写真の通りに入る。ここは年中歩行者天国である。ネットで探してきた写真だが、当時と殆んど変わっていない。店舗は変わっているけれども、全景はこのままである。一番手前の左側の店は絨毯屋。今もあるかな?

ご覧のように道幅はかなり広い。その上、店舗ごとにショーウィンドウのために奥まったスペースがあったりして、出入りがあってなかなか複雑になっている。

この通りに入ってたまを放すと、シェパード特有の、首をもたげて人を探す姿勢になる。右の店、左の店と家内を捜し求めて縫って歩く。

とくにふだん散歩のとき覗くことがある店付近では念入りに探し回る。

遠くから最初に姿を見つけるのは、しかし家内のほうであった。シェパードのシルエットは目立つからね。犬はどうやら近視らしい。本で知ったけれど、経験からしてもそうだ。立ち止まって腰を屈めてたまが気づくのを待つ。しばらくして気が付くと一瞬耳をピンと立てる。そのあと一目散に走り寄って足元をぐるぐると回るのである。

歩行者天国の端に一軒、大きな鏡がある店があった。初めてその鏡を覗いたたまは、毛を逆立てて吠えた。まだ犬社会にデビューする前のことである。

どうやら自分の姿を知ってはいないのだろう。犬を飼った人は知っていると思うが、彼らは自身を犬だと認識していないようだ。といって人間だと思っているようでもなし。

鏡に映った自分を異形の動物だと思ったのだろうか。

アルバムをひっくり返せば、「名犬ラッシー」を放送中の画面に見入るたまの姿が見つかるはずだ。この時は長い時間じっと見ていた。ここから犬は二次元の映像を認識することが知れる。あまりに面白くて横から観察していたら、結局小一時間見ていたな。

では彼らは僕たち人間をどう認識するのか。最初は姿全体のイメージではないか。我が家を改築した折、ミケとアイは狭い犬舎に入れて玄関脇の部屋にいさせた。もっと分かりやすく言うと家族全員がその部屋に寝泊りした。

ある日理由は忘れたが僕が深い麦藁帽を買ってそれを被ったまま帰宅して部屋に入った。

普段は宅配にもほえる事がない2頭が猛烈な勢いで吠えついてきた。びっくりしたね。思わず自首しそうになった。

何だ何だ、と麦藁帽を脱いだら(当たり前だが)吠えるのを止めて甘え声になった。

僕はヘアスタイルを極端に変える。昔は半年に一度くらい散髪に行くだけだったから、散髪直後に知人と行き会っても気づかれぬほどであった。

今では4ヶ月に一度くらいになったが、それでも頭部のシルエットはずいぶん違う。それにもかかわらず散髪から帰って吠えつかれることはない。ということは犬は僕という全体像を認識しているのだろうか。

麦藁帽を常に被っていたらそれが僕の全体像になるのかもしれない。

そういえば、家の犬たちは他人に向かって吠えつくことはないのであるが、携帯で話しながら歩く人がまだ珍しかったころ、向うから電話しながら人が来たところ、毛を逆立てて吠えたなあ。

道端にしゃがみ込んだ姿を夜見たときも吠えた。そういう人がたくさん見られるようになったら反応しなくなった。順応するのがはやい。「昔はこんな姿は見られなかった」なんて言わない。言ったら面白いのだが。






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意訳

2009年10月18日 | 
ハンブルクで最初のシェパードたま(にしき)を飼い始めたことは何べんも書いた。

ドイツでは散歩が何より楽しかった。街中も森も。当時は5時になるとすべての店が閉まるので、それから繁華街へ出かけてウィンドウショッピングしたりしたものだ。夜ばかりではない、昼間でさえ歩道が整備されているから、色んな窓枠やドアを見て歩くだけでも楽しかった。日本では立ち読みスト、ドイツではプロ級のウィンドウショッパーだ。国際的なエコロジストと言っておこう。

それでも、緑の中を歩くのはまた格別だった。息を胸いっぱい吸うのはなんと気持ちの良いことか。(なんだかラジオ体操みたいだが)

たまが来てからは散歩の楽しみに彩りが加わった。というか、それ以前の散歩を思い出すことができないのだ。

ひとつ忘れられないことがある。

家の近くの森を抜けると小川の流れにぶつかる。木製の橋を渡るとそこから畑が続く。菜の花の時期は辺りが一時に明るく輝き、森の静けさと好対照を成していた。

ある日、たまとこの小川付近を散歩をしていると、いかついおばさんに出会った。ドイツ人のいかつい女性というと半端ではない。

ちょっとそのいかつさについて説明しておこうか。

一度この小川の畔に住む生徒のカヌーを借りて遡ったことがあった。庭先に引き込んだ水路から直接小川に出られるのだ。流れは穏やかで、僕のような非力な男でもカヌーは進む。と、上流から水しぶきを上げた一艘のカヌーが突き進んできた。

僕は目が悪い。眼鏡をかければよいのであるが、不愉快なものがはっきり見えたところで役に立たぬから、運転中以外はかけることがない。不便なのはマージャンをするときくらいで、一萬と二萬、三萬の区別がつかず目を細めるので、手の内を読まれることがある。しかし決まったメンバーとしかしないし、その友人たちはてんで弱いから支障ない。

悪い目には、ただカヌーの舳先に屈強な人物が中腰に構えて、力いっぱい水を掻いて進んでくるようにしか映らなかった。

いよいよ近づいてきてすれ違う直前になって、それが上半身裸の女性であることに気づいた。アマゾネス・・・。今でも思い出すと僕は言葉を失う。

これも忘れられないなあ。つい横道に逸れてしまったが。

散歩の途中で出会ったいかついおばさんに戻ろう。

おばさんは(おばさん、おばさんと書いているけれど、当時の僕から見てだからね。今の僕が見たらおねえさんというかもしれない)しかつめらしい顔をして、人さし指を立て、首を振りながら「シェパード!最も素晴らしい高貴な犬種!半神!」と言った。

この表現に僕たちは勿論同意の意を表わした。そのおばさんの大袈裟でしかも真面目くさった様子を半ば笑いながら。

ところでこのおばさんは正しくはこう言ったのである。

Schaeferhund!Die edelste Rasse! Halbmensch!

一番最後の単語を直訳すると、半分人間だ、ということだ。

ただ、これを日本語に直訳して「半分人間だ」と言っても、おばさんの厳めしい、もったいぶった感動のこもった様子を伝えることはできない。人間という言葉に、これ以上ないような尊厳を込めることは日本人の感覚から外れるように思われる。また、厳つい風体と重厚な身振りを見せられない以上、何とか工夫を凝らさねばならない。

僕が受けた滑稽さとある種の共感を伝えるためには半神と言い直したほうが適当だと思った。敢えて意訳した理由である。

もっとも我が家ではたまを「神様の子供」と呼んで憚らなかったのだが。

写真はウェブサイトで見つけた近所の小川。



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犬学5

2009年09月30日 | 
近所に、それも2軒先に黒いラブラドールが住んでいる。この子が典型的なラブラドールで、じつによく訓練されているのに、無類の甘えん坊である。

遠くからでも僕を確認すると、もうお尻を振りふり、日ごろの訓練もどこへやら、といった按配で突進してきて顔めがけて跳びつく。僕もこの子が可愛くてしかたがない。人間である僕はこの子がいくら可愛くても、お尻振りふり跳びつくような真似はしないけれどね。

実はこうした行動は僕に対してだけではなく、家内であろうが、よその人であろうが、つまりこの子が知っている人全員にしているらしい。

これが人間だったら胡散臭い人ということになろう。誰に対しても「ウェルカム」と満面の笑みと抱擁で対する人は、いくら人によるとはいえ、ちょいと用心しようという気持ちを起こさせるのではなかろうか。

リストという人は「ウェルカム」を地で行った人ではないかと僕は想像しているけれど、それでもいつでもどこでも、誰にでもだったはずはあるまい。故にリストはラブラドールではない。

我が家ではもう四半世紀という長い間シェパードを飼っている。シェパードは見た目は厳つく、じっさいに顎の力は非常に強く、腰が落ちて屈んだ姿も力感に溢れる。

性質はラブラドールとはまったく違い、外で人に甘えることは殆んどないといえる。家族に対してだけ本当の意味で心を開き、甘える。

シェパードを飼ったことのない人には、説明しようのない可愛さなのだ。我が家の3頭はどの子も人に対して何の警戒心も示さなかったけれど、摺り寄って甘えるということもなかった。外見上は落ち着いているのだが、いったん家族に対すると、デレデレと甘える。アイ(ンシュタイン)にいたっては、毎日僕の顔を念入りに舐める。やめてくれ、と言ってもなお舐める。犬が舐めるのは恭順のサインである。顔を洗う必要がないではないか、と笑われる。洗うけれどね。

アイは長年母親と供に過ごしたからだろう、いつまでも子犬の性質を保ったまま老犬になろうとしている。

子犬にじゃれ付かれると、もうどぎまぎして、見ていて可笑しい。小さな犬が寄ってきてもコソコソ隠れるのが滑稽である。遊んでおくれ、とねだることはあっても、遊んでおくれとせがまれることは苦手と見える。きっと経験していないからだろう。

そんなアイが上述のラブラドールに対してだけは年長者の態度を取る。

ミケ(ランジェロ)が元気だったころ、このラブラドールが、まるで本物の母親に対するように慕ってくれた。傍で見ていて微笑ましいくらい甘えたものである。

この子とアイは、いわばミケの下では兄弟のような感じだったのだろう。その結果、年上であるアイが上位に立つ唯一の犬が誕生したわけだ。

たま(にしき)の下でのミケと向かいにいたゴールデンの間にも、似たような関係ができていた。ゴールデンもたまを慕っていた。この時は2匹の犬の年齢がほぼ同じだったからではないかと思われるが、一種のライバルのようで、普段はふつうに振舞っているのに、何かの拍子に喧嘩になりかけるのだった。

母性本能の強かったミケはアイが成犬になるまでは食べ物もすべてを譲っていた。それがある日を境に、という感じで急に変わった。

2匹並んで食事をしていたが、ミケは食べるのが速かった。ひと舐めで大量のご飯を口に入れる。アイはたいそう上品に少しずつ食べるから、ミケが先に食べ終える。

するとアイの分を横取りしようとして、体を寄せてくるようになった。アイはウゥと歯をむいて抵抗するのだがお構いなしである。

この奇妙な争いを止めさせることはできなかった。食事の間は常に僕が二匹の中に割って入る羽目になった。この経験は今思い返しても面白い。

きっとあの日が成人式だったのだろう。

「ジャーマンシェパード散歩日記」というブログでは、シェパードの「ずっこけた」魅力がたくさん見られます。和みたい方はひとつ訪ねてみたらいかが。
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犬学 4

2009年06月02日 | 
現在我が家にいるのはミケ(ランジェロ)の娘アイ(ンシュタイン)である。アインシュタインは馬鹿だねえと言いたい一心で付けた名前である。ただしアイちゃんアイちゃんと呼ばれているため、本名を呼ばれてもまったく反応しないところはたまやミケと同様である。

この子は3頭生まれたうちの2頭が死産だったので、一人っ子である。生まれたときから、おっぱいの奪い合いをはじめ、あらゆる争いごとを経験したことがない。その上8歳まで母親と一緒に暮らしたのであるから、シェパードとしては珍しい経歴?の持ち主だろう。

この子を見て、いろいろ犬の社会が分かった。そのうちに犬の社会学で博士にでもなろうかと思っている。

アイは小さいときから怖いもの知らずであった。どんな獰猛な犬にあっても平然としていた。まだ成犬になる前のこと、河川敷でやはりシェパードを2頭連れた家族に出会った。

これは見るからに躾を誤ったシェパードで、悪いことにその危険さがシェパードらしいと飼い主が思い込んでいる様子であった。これがいちばん手におえない。(じっさい何年か経って、どちらかは分からないが他の犬を咬んでしまい、飼い続けることができなくなり手放したときいた)

ところがアイは1歳にも満たぬころ、ひょこひょこ近寄っていったと思ったら、より獰猛なほうに「ヨッ」といった感じで頭に手をかけた。驚いたね。むこうのシェパードも何だかあっけにとられたような按配であった。僕の脇ではミケが用心深く様子をうかがい、緊張が高まっていたので、一連の出来事の結末はスローモーションの中で行われたようで、僕も呆気にとられてぼんやり見ていただけのような気がする。

一時が万事そんな調子。だから他の犬と揉め事になることも無く、第一犬の影を見ても眼中にない、そんなひょうひょうとした性格だった。

ミケが死んでしまった後しばらく経ったころ、どうも様子が変だと気づいた。子犬が寄ってきてじゃれる。するとどう振舞ってよいか分からない、といった様子で逃げ回る。

今までだって色々な子犬が寄ってきたが、そういえばミケが子犬の扱いが大変上手で、また大好きで、相手をしていたのはミケだったことを思い出した。

羊飼いの犬が先輩犬の仕事振りを見て学習するらしいとちょっと前に書いた。アイがただ見て覚えたのはボール探しくらいだ。

公園のつつじの植え込みの中には野球ボールがどっさりある。一度入ってしまったら探し出すのはまず不可能に近い。

我が家のシェパードたちは代々ボール遊びが上手で、ということはボール探しが上手なのだ。あっという間に手に入れる。あやかりたいくらいだ。ピアノを弾くことが上手であっという間にピアノが手に入る。こんな風に展開したら生徒たちも喜ぶだろう。

アイは子犬を扱うミケを見て(羊飼いの犬のように学習して)いたのではなくて、自分が子犬だったのだとようやく合点がいった。いくつになっても保護される、かまってもらう存在。寄って来る子犬もアイにしてみれば、ミケとじゃれている存在で、いわば自分にとっては同格で、一緒になって遊んだり甘えたりする仲間なのだ。

これは面白い発見だった。そういえば我が家にいるウサギとシェパードの関係でも思い当たる。

ミケもアイも他の生き物を襲う心配はまったくない。それでもウサギはゲージに入れて飼うのは、ミケが毛づくろいをしてウサギを舐めすぎて、ウサギの皮膚は弱く、皮膚が炎症を起こす恐れがあったからだ。

大型犬が自分よりはるかに小さな生き物を見下ろす角度は実に微笑ましい。たま、ミケとも何というかなあ、慈愛とでも言っておこうか、そんな眼差しで見下ろしていたものだ。

アイも同じ角度で見下ろすよ。でも、体全体からは「遊べる?」というオーラが発散していて、ウサギが跳ねたら一緒に跳びまわりそうだ。ちょっとでも前足が触れたら大事になる。嬉しくて振る尻尾でも当たったらこわい。

ここでその首の角度が写っている写真を載せようと試みたが「サイズオーバーでできません」と相成る。今の僕の知識では、どうやればサイズダウンできるのか分からない。友人も己のサイズダウンに苦労しているようでご同慶である。こちらは知識の問題ではなく意志の問題らしいが。

近いうちにマスターして貼り付けます。乞うご期待。


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刑務所での盲導犬育成

2009年04月22日 | 
コメント欄に島根で受刑者による盲導犬育成の試みがなされているとあり、早速検索してみた。

何度も書くけれど、ここがインターネットのフットワークの軽さである。島根でそうした試みがなされたと新聞で知った人がすぐに知らせてくれる。そして僕はそれを検索するだけでよい。

いくら関心が高くても、さすがに島根まで足を運んだり新聞社に問い合わせをしたりすることはない。いかに僕が好奇心が強くてもそれをしてしまったら単なる馬鹿者だ。何だって、そうでなくても馬鹿者だってか。そうかもしれない。

で、ありました。日本の受刑者の皆さん、お喜びください。じゃあなかった。

たしかにあったけれど、そしてきちんとした訓練師の指導の下で実施されるようだが、いかにも日本的なのである。僕はすこし(本当はとっても)失望した。

以前アメリカでの凶悪犯が犬の訓練をする話を紹介したが、それと一番違うのは、島根の場合、4,5人がグループを作って一頭の犬を育てようとする点だ。

まあ、たかが刑務所での犬の飼い方だという人もいるだろう。

しかし僕はどうしてもそうは思えない。

「アメリカでは受刑者に犬の訓練をまかせているらしいですよ」「ほう・・・面白いかもしれませんねぇ」「ひとつ日本でもやってみましょうか」「そうねぇ、うまくいけば盲導犬などはまだまだ足りていないから一石二鳥かもね」「しかし日本でうまくいくという保証はないですからな」「ここはひとつ数人で一頭を育てるようにして様子をみましょうか」「そうね、うまくいくようだったら拡大するという線でひとつ」

どうもこんな会話の末発足したプロジェクトなのではあるまいか。つい空想が先走るが。

僕の空想はまあどうでも良いのであるが、この試みはあまり実を結ばないのではないか、と思う。成果が思ったようにあがらずに頓挫することになったら残念だ。あんまり残念がると、僕が刑務所に入るのかと勘違いする人も出そうだが、その心配は今のところ無いよ。

ここでは犬の性質も人間の性質もあまり考慮に入れられていないと思わざるを得ないのだ。

犬という生き物は一人の人間をボスと認知して従う。人間のほうが頼りないと自分がボスとして振舞わなければ、と責任を感じて行動するくらいだ。

数人で一頭を訓練してごらんなさい。必ず下手な人と上手な人が出る。犬は更生プロジェクトなんて思わないから、上手な人をボスと認め、下手な人の言うことはあまり聞かなくなるだろう。

人間の心理から見たってあまりうまい方法とはいえない。どんな人間も自分に託された場合にのみ本来の「やる気」を示すものだ。かつて共産主義国家が次々に崩壊した理由の最たるもののひとつは、働いても働かなくても評価は変わらないという、あまりに人間的な、「理想」とは遠くかけ離れた現実だったではないか。

犬が自分を低く評価?し、4番目に懐いていると想像してごらんなさい。まあ普通の人ならば犬に対する愛着は減ってしまうだろう。そうしたら訓練する意欲も減り、犬は犬でよけい服従することをしなくなる。

こうやって考えてみてもうまくいくはずがない。盲導犬の数頭はできるだろうが、とても当初の目論見どおりに行くとは思えない。

何よりいけないのは、プロジェクトを進める側の臆病さだ。数人で扱ってみるという発想をした段階ですでに及び腰である。

失敗した場合のことばかり考慮していると僕には見える。アイデアが面白いと思ったならば、それを最大限に発揮できるかもしれない方法を採ってほしいものだ。それが成功を保証するものでなくとも。殊にこのケースでは「危険」な試みではないのだから。

いかにも日本的な用心深さをこんなところでも発見してしまい残念なのである。

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犬学 3

2009年03月31日 | 
ミケがたまと一緒に生活しなかったらどうなっていただろう。このような仮定はもともと意味を成さないのだが、ついつい思ってしまう。

ドイツで羊飼いが牧用犬を訓練しているのを目撃したことがある。大変面白かった。これから訓練しようと思う若い犬はじっと自分の横に付かせているのだ。現役の犬にてきぱきと命令する。現役犬はみごとに仕事をこなしていく。羊の群れをあちらのほうから、こちらの方から吠え立てたり、尻に軽く噛み付いたりしながら望む方向へ追い立てていく。若い見習い犬はそれを見ているだけである。

でも表情はきりっとして、わき見もせず、先輩犬の一挙手一投足を追いかけているところからも、これが集中しなければならない時間であることを承知しているのだ。

こうやって羊飼いの命令と犬の動作を覚えさせるのか、とビックリしたものだ。犬が他の犬の動作を見ているだけで学習するなんて思っても見なかったから。

そういえば友人が犬を飼っていて、自慢する。うちの犬は何でも分かっている、と。彼の家をしばしば訪れる人によると、どこにでもいる躾がされていない犬だそうだが。

しかしここは友達を信じてみよう。曰く、うちの子は頭が良い、こちらが何かを命じるとしばらく小首をかしげてから従う。すぐに従わず、考慮してから行動する。そこが普通の犬とは違うという。

そこで僕は思う。これは少なくとも牧羊犬には無理だなあと。ピーッと口笛を鳴らしたら間髪を入れず走り出し、忙しく右に左に走り回る。これは牧羊犬に必須であろう。その後の判断は犬がしていたものの走り出すのは羊飼いの合図で、そこでグズグズしていたら務まらないなあと思う。

さらに警察犬にも無理だなあと思う。犯人に襲われる。「かかれ!」「えっと・・・」これでは間に合わないものな。

待てよ、あの犬は猟犬じゃないか。羊飼いのものでもなければ、警察捜査のものでもない。打ち落とした鳥を運んで持ってくるのが使命だったはずだ。ひとつシュミレーションしてみよう。

「持って来い」「えっと・・・」のそのそ歩いていったら他の動物がとっくにさらっていってしまうな。仮に間に合ったとしたらどうなるか。「食べ物のことなんかものすごく理解しているんだ」という食欲旺盛な犬だ。持って帰らず食べちまうだろう。

となると、友人宅によく行く人の言うことのほうが正しいのかもしれない。

自慢話を聞いたのがつい先ごろのことで、おもしろく、脱線してしまった。リアリズムは思い出よりも強いね。

ミケはたしかに母性本能が強かったけれど、他の動物を追い回す本能だってあったはずだ。それが見られなかったのは、たまと一緒になって子猫を舐め回したりしたためだろう。

いったんそういう経験をすると学習してしまう能力が犬はとくに高いようである。むつごろうさんのところを見ても分かるように、違う種類の動物でも平和にやっていけるものだ。その点が人間とは大違いだ。

ミケは一歳になったころ、買った時の約束で訓練所に7ヶ月預けた。これはあまり意味がなかったといってよい。

僕は躾は自分でできるし、何よりたまから習うことが途絶えたのが大きかった。訓練所に入っている間にたまは死んでしまったから。

ミケは一人で留守番させるとよほどいやだったのだろう、悪さをした。人が嫌がること、それと物の価値が分かっているとしか思えない、絶妙な悪さをするところが犬の面白いところだ。

帰宅してみると生ごみが床に散乱している。食べたのではない、撒き散らしてある。捨てるべきものだから、かたづけるだけでよいと分かっているとしか思えない。金目のものを壊されたことはない。いつも三角コーナーが床に転がっていた。

叱られると知ってはいるのだ。帰宅したとき部屋の隅にうずくまって、上目遣いにこちらを見ているときには生ごみか、紙くずが散乱していたものだ。

たまができなかったというか、できてもしなかったのがドア開けである。ミケはこれが上手だった。押し下げ式のドアノブなのだが、ここに前足をかけて体重を移動させる。

特筆すべきは、押して開くだけではなく手前に引いて開くこともできたことだ。これは犬にとって難しい。教えることは簡単だが、自分で発見するのはめずらしい。家内の実家に行ったラブラドールも(最初の躾は大切なので我が家でした)実子のアイも、見ていてすぐに押して開くようにはなったが、引いて開くことはできなかった。
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犬学 2

2009年02月15日 | 
ミケはたまがいなかったら我が家に来なかったかもしれない。

2頭目のシェパードを飼おうと決心してしまったのも、たまがいつかいなくなる、その時に少しでも気持ちを和らげてくれるのはもう一頭のシェパードだ、と思ったからだ。

いや違うな。たまがいなくなったら次のシェパードを飼う気力がなくなることを予感していたし、犬なしの生活がどれほど味気ないかを思うと耐え切れなかった、そんなところか。

ドイツであっさり新聞広告で買ったというのに、電話帳で調べて幾つかの繁殖者を訪ねたにもかかわらず、どうも勝手が違う。

「シェパードの子犬はいますか?」と訊ねても何やらむにゃむにゃした答えが返ってくるばかり。いないというわけではないけれど、とかね。

はっきりせんか!と思う。だって子犬はいるかいないかしかないじゃないか。僕は神様はいるかいないかと訊ねたわけではない。幽霊の存在を訊ねたのでもない。これ以上単純なことはあるまい、という問いを発したのだ。

また、値段を訊いても不得要領な答えしかくれない人もいた。じろじろ僕のなりを見られたりして、どうにも愉快ではない。まあ、見るからに貧乏そうではあるよ、それは認める。せめて友人たちのように肥えていたならば違った目で見られただろうが。

こんな単純明快な質問に答えることができないのにはわけがあると思ったが、後日わけはあるのだと知った。

シェパードを訓練所で買った場合、訓練に預けるのが一般らしい。また、由緒正しい血統の犬は大会に出して賞を狙うのが正統な飼いかたらしい。ミケは大変由緒のある子犬だったから、その後いろんなことを経験せざるを得なかった。

大会で上位になるためには訓練所に預けて訓練師と長時間一緒にいるようである。では飼い主はなぜ飼うのだろう、と素朴な質問が出ますね。

シェパードなど、警察犬に指定されている犬種を扱った雑誌が警察犬協会から発行されている。そこに○○氏様御愛犬、と大書されるのである。僕などから見れば、そこに名前を出すために飼っているとしか思えない。馬主の世界と似ているのかもしれない。僕は馬の社会を知らないからあて推量で書いているのだが。

したがって○○氏はお金持ちで、いっぺんに何頭ものシェパードを所有していることが多い。

そのような世界でミケがどうやって我が家に来たのだろう。ここにもわけがある。

シェパードの世界ではドイツから来た子と日本産の子では出来が違う。これはほんとうにそうだ。学歴なぞは人を欺くことばかりだが、こちらの来歴は信頼するに足る。たとえば、アメリカのシェパードは、いかにシェパード好きな僕でも可愛いとはとても思えない。なぜ姿かたちまで違っていくのか、じつに不思議だ。

大会では、そのためドイツから来た犬たちを「外産」日本生れを「内産」と呼び、ジャンルを別にして審査する。「外産」の持ち主(飼い主と呼ぶのに抵抗あり)はシェパード道の王道を行くお金持ちなのだ。

子犬を求めて、何番目かに信頼してよさそうな訓練所に行き着いた。雑談の折に、我が家にはドイツから連れてきたメスのシェパードがいると話したら「ほう、外産ですか!」と身を乗り出して、そこから一気に信頼を勝ち取ったような按配であった。

無論僕が裕福に見えるはずがない。ただ、シェパードに並々ならぬ情熱を持っていると思ったらしい。情熱といったって僕はただ好きなだけで、重松様御愛犬と書かれたいわけではない。

そんな事情があってミケは(本来裕福な家に買われて訓練所で飼われる代わりに)しみったれた我が家に来ることになった次第。
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犬学

2009年02月12日 | 
犬学ですよ。大学の間違いではないぞ。大学よりずっとましな学である。点がひとつ加わるだけでこんなにも立派なものになってしまうのはおもしろい。

そういえば、小さいころ僕の名前はよく間違えられた。大を「ひろ」と読むのがまだ一般ではなかったころだ、「しげまつしょうた」と呼ばれることがよくあった。これも点をひとつ付けたわけだね。

これがいやでね。時折アナウンス付の演奏会に出たりして「演奏は重松しょうたさんです」と言われると、もうカニ歩きして出て行かねばならぬような気になったものである。

さて犬学である。

ミケという子は見かけに似ずとても優しいシェパードだった。もっとも売られたけんかだけは買うタイプで、しかもとてつもなく力が強かった。

主人を守るという本能も強く、典型的なシェパードだった。大会、所謂品評会で良い成績を収めたり、犬の雑誌のシェパード特集に大きく写真と僕のインタビュー記事が載ったこともある。そんな子が実は母性本能のかたまりで、子犬や他の動物にはとろけるような表情で接するのだった。

ミケの母親はといえば、まったく母性本能がなくて、訓練所では5匹産まれた子犬たちにミルクをあげるので大変だったと聞く。所謂大会で日本チャンピオンになって、知らぬひとはいないような忙しい日々を送っていたからであろうか。いやいや、そんな心理学の教科書みたいな理由ではないだろうな。

犬だって性質はそれぞれだから、生まれつき母性本能が強かったのかもしれない。ただ、たまと一緒に暮らしていなかったらこうはならなかったのではないか、とよく思う。

たまだって子犬の頃は他の動物に関心を示したな。近くにお城(と言ってもドイツのなかでもまた小さく、まあ館といった風情)があって、そこのお堀に水鳥がいっぱいいてね。おっという感じで見ていたものだ。そのたびに鎖をグッと引いて「いけない」とピシッと言って、次に「おともだち」とやんわり言うのを何度か繰り返したら、すぐに何の反応も示さなくなった。

ドイツで犬仲間と森を散歩していて、他の犬たちはウサギが出ると追い回していたが、たまだけは追いかけず、ハリネズミが木の根元でうろついていても、クンクン嗅ぐだけで柔和な表情をしていたから、やはり生まれつきなのだろうか。

犬も人も、違った環境だったら、という仮定をしたところで空しいのは同じだ。それでもついそうしたくなるのが人情だなあ。

ふと死んだ江藤淳さんを思い出した。ドイツ時代、どうやって手にしたかもう覚えていないのであるが、江藤さんが飼い犬3代について書いている本を読んだ。まず意外だった。江藤さんが犬について書くなんて、と思いながら読んだ記憶がある。

きっとこれは誰かに借りた本に違いない。手許には無いのを知っているから。三代の犬との生活と別れが大変丁寧に書かれていた。それを感じながらもなお、江藤さんが犬についてねえ、と何か不思議な気持ちだった。

そういえば今思い出したが、小林秀雄さんとの対談の中でほんの少し犬について語っていたな。犬を飼うこと、それも所謂血統書つきの犬を飼うことが今ほど広まっていない時代のことである。

日本では犬を飼う文化がないから、社会のステータスでかう犬種がおよそ決まる傾向があるが、イギリスでは貧しい人が大型犬を飼っていてもいぶかしがる人はいない。ジョンはあの犬種が好きなんだ、そうかい、そんな感じだ、ということを述べていた。

江藤さんが遺書の中で奥さんの死後、生きていく気力が無くなったと書いていたときも素直にああそうなのだと思えた。僕がこの犬についての本で隠された江藤さんの一面を知らずにいたら意外すぎたかもしれない。奥さんの存在は孤軍奮闘する江藤さんの唯一の支えだったのかもしれない。子供がなかった江藤さん夫婦の中での犬の存在が非常によく出ている本であった。

思いもよらぬ転調になってしまった。続きはまた。
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捨て猫記 4

2008年12月29日 | 
思い出すのもいまいましくていやなのだが。

子供がまだ小学生低学年のころだ。こんにゃく2号がようやく貰われてしばらくたったころ。

家内と子供が雑木林に散歩しに行ったと思ったら、段ボール箱を抱えて帰ってきた。中には4匹の子猫がうごめいている。

体中の力が抜けてしまった。今回はミケが一緒にいたわけではない。聞くと、道路の真ん中に、道路といってもほとんど車の通らない雑木林沿いの道路だが段ボールが落ちていた。それを隙間から覗いた子供が「おっ、なにか動いているぞ」と言って開いたら猫がいたという寸法なのだった。たまとミケから、捨てられた猫は拾うべしと教わったのだな、喜色満面で4匹も連れ帰ってきた。

昔話ではこういった場合はいつも、開いてみたら小判ではないか。約束が違う。僕は以来昔話を信じなくなった。

さあ、もうてんやわんやの生活である。大喜びなのは子供とミケだけだ。ミケときた日には、4匹相手にかいがいしく面倒を見るのがじつに嬉しそうなのである。子猫たちもミケの鼻によじ登ったりして、なつくというより、これが当たり前といった態度なのだ。

まあ、つくづく愚かなのは人間であると考えさせられたね。それを痛感させられた、と一応言って納得させずにはやりきれない日々がまたしても続いた。

因みに、名前はもうやけくそ、こんにゃく3号から6号だ。今となってはどれが3号でどれが6号だったかもう分からない。

里親探しは困難をきわめた。知り合いの猫好きに当たってみても、猫好きはすでに飼っていることが多い。今いる子との相性を心配したりして、関心は持ってくれても貰ってはくれない。当然といえば当然だ。

まあ、生活なんていったんある状態が出来上がったら出来上がったで、それなりに楽しいこともある。猫を4匹もいっぺんに飼うなんて思いもよらなかったが、にゃあにゃあ檻の中を動き回るのを眺め、食事のときの振る舞いは、もう子猫のときからはっきりした差異が現れる様子を笑ったり、ミケが可愛がるのを微笑ましく見たり、そんな時にはそれなりに楽しかった。

でも、月に一度の市主催の里親探しの会だけでおいそれと貰い手が見つかるはずもなく、隣の市や、愛護団体に登録してそこの主催する里親探しの会に足を伸ばしたり、ずいぶん苦労した。

一番小さいのがとても可愛い性質で、食事時にも遠慮がちに遠くのほうにいた。一番大きいのがこれが食い意地が張っていて、餌の皿を置くとひとりでまん前に踏ん張って他の子が寄ってくるとギャアギャア騒ぐ。チビは(ほんとうはこんにゃくと呼ぶべきだが、どれが何号だかまるで分かっていないのである。最初からチビとでも付けておくべきだった。名前は大切である。少なくとも他と識別する機能がある。小林秀雄さんの随筆に「同姓同名」というのがあって、出版社から同じ名前の学者と混同された話が書かれている。猫たちは同名ではないのだが、3号、4号では同姓同名以下だな、まるで役に立たなかった)その騒ぎの中で弾き飛ばされてきたフードだけをポリポリかじって、ひとり平安を満喫している。

この子が最初に貰われた。欲のない子が一番幸せになる。ここでは昔話の通りではないか。なぜだ?

さんざん苦労して最後まで残ったのが大きくていやしい奴だった。雄の三毛である。なんでも、雄の三毛猫は珍しいらしい。それでも(顔は可愛いのだが)最後まで残ったところを見ると、マイナスのオーラが出ていたのかもしれない。

この三毛(ミケではないよ)がようやく貰われてしばらく経ったころ、我が家が平静を取り戻したころ、貰ってくれた家族から手紙が届いた。

三毛猫は幸運を運んでくるというのは本当でした。来た次の日にさっそくパチンコで大当たりが出ました、猫はシゲマツと命名しました。だとさ。



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