季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

読心術

2016年01月19日 | その他

日本の昔話に、人の心が何でも読めてしまう、得体の知れない生き物が出てくる。

人に出会うと「お前は今、これこれこういうことを思ったな」と、すべてを分かってしまい、皆気味悪がっていた。

オチは、そうやってからかわれていた桶作りの職人が、竹を曲げてタガを編んでいたところ、手が滑り竹ヒゴが魔物の顔を打ちすえてしまう。

人間の考えることは全て分かると思っていたのに、分からぬこともある、人間は薄気味悪い生き物だ、と山奥に逃げ去る、そんな話だった。

さて、前置きが長くなったが。


人が心で思うだけで解読することにある大学が成功したそうだ。ニュースになっていたから知っている人も多いだろう。今のところ簡単な幾つかの単語しか解読出来ないが、将来はもっと複雑なことまで可能になるらしい。

話すことが出来ない病人などを念頭に置いた研究だという。それは実現したら素晴らしい。

昏睡状態の人に意識が無いと誰が断言できるだろう。眠りから覚めた人が、それまでも意識はあったという報告はごく少数では無い。

これらを全て真実だと認めることは難しいだろうが、科学の名前のもとに否定するのもまた非科学的だろう。

仮に昏睡状態の人にも意識があるとする。その人達が自分の意思を伝えることが出来るのならば、これは画期的なことではないか。

でもここでまた、人間は善意でばかり動いてはいないと言わざるを得ない。これは凄いと膝を打っているあなた、この装置?は一歩使用法を間違えたら恐ろしいですよ。

どうぞゆっくりなさって下さい(早よ帰らんかい)
まぁ、可愛い赤ちゃん(子ブタのピグリンじゃない!)

こんなになったらどうします?あらゆる発明は人類を変化させて来たが(発展させたかは疑わしい。でも変化だけは確実にさせた)同時に諸々の不便さ、不都合さももたらした。

今の所僕は面白がってニヤニヤしている。他人事のようにね。本来の目的以外に使われないことを祈る。テレビの馬鹿げたコメンテーターみたような意見?を開陳して終わっておく。

典型

2016年01月17日 | その他
高校サッカーで今年二連覇を達成したチームがある。

僕は試合を見ていないが、試合と無関係な所でネット上の話題となった。

試合後のインタビューでインタビュアーが「この連覇を今後どう活かしていくのですか?」と尋ねたところ、キャプテンの子はしばし沈黙の後、マイクから顔を反らせて「質問を変更して貰えますか」と言ったそうだ。

その言動に対して批判の嵐で、僕の目にも止まったわけである。

生意気だ、自分を何様だと思っているのだ、この手の非難は放っておくしかない。

僕がため息をつくのは次のような見方がかなり多かったことにある。

-そうですね~○○を見据えて今後に繋げていきたいと、え~そう思っています的な
中身ない返事しておけばええねん–

-そこで適当な言い方も出来ずに就職活動の面談なんかできるはずないだろ-

こうした「人生経験を積んだ」意見が目立ち、やれやれと思うのだった。

確かに何も言わないことがまずいこともあろう、同様に何でも感じたことを言って良いはずもない。時と場合によることがあるのは当然だ。

借問する。この質問のような、紋切り型に返答出来ず言葉が出ないのはそれほどにまずいことか。世間智のついた生徒なら「中身のない」返答を返せたのかも知れないが、むしろそれを美徳として恥じない大人?の方がよほど問題ではないのか?まあ、こうした意見に対して説得しようと試みても無駄なのは承知しているが。

人間はみんな仲良くした方が良いと思います式の、それこそ中身のないものを意見と称してあがめる幼稚な精神はこんな所にも顔をのぞかせると僕は思う。

もしも入社試験の面談がその手の口先だけの答弁によって左右されるのならば、その会社の将来は先細りさ。請け合っておく。口先だけの言葉にころりとだまされる奴が次の人材を確保にあたっての責任者ならば、将来を期待するのがどだい無理なのさ。

数少ないが、次のようなコメントも散見した。

ー甲子園でもそうだけど、取材する側が勝手に選手像みたいなのを作り上げて、それに沿って答えを求めているよなー

これはこれまでに僕が何度も繰り返し書いてきたことと呼応する。そしてこれはサッカーなどスポーツに限ったことではないと僕は思う。


1月の講座

2016年01月03日 | 音楽
1月31日(日)14:30開講 (14:00開場)
KMアートホール 京王新線幡ヶ谷

今回はメンデルスゾーンのピアノトリオ・ニ短調全曲を演奏してもらいます。美しい曲ですし、ポピュラーな曲でもありますからご存知の方も多いと思います。同時に、全曲を身を入れて聴いた人は少ないのではと思われる。

弦楽器に対して僕が専門的なアドヴァイスを出来るはずもありませんが、傍目八目的なことはあるだろうと思っています。また、私見によれば弦楽器とピアノの技術面で、たとえ表れ方は違っても共通した点は多々あります。他の楽器を通してピアノの技術を(あるいはピアノ本来の美しさを)見つけていただきたい、その手助けに本講座がなれば良い、そう願っています。

演奏者のプロフィールはクリックして下さい。 

ピアノ学習者のみならず、音楽愛好家の方にも足をお運び頂けたら嬉しいです。

新年

2016年01月01日 | その他
明けましておめでとうございます。
今年こそは今年こそは・・・
後が続かない。

テクニックについてのHPも、ひとつは動作を詳述することが困難を極めるため、もうひとつはそれを補うべく動画を増やそうとしても、楽器が狂いすぎていたり上手く録画出来なかったりで、未だに完結しない有様だ。

救いになるかも知れないのは、ここ数回の講座が全部録画されていたこと。そしてこれらの一部を切り取って貼り付けることを手伝ってくれそうな人が出てきたこと。

今年こそは、はご覧の通り人頼みである。

講座の動画だって?目線を入れるかモザイクをかけろ、声も変えておけ、そんな要望もある。

でもそれでは○○容疑者への取材みたようではないか。

年賀状を書くことをしなくなって四十有余年、とうとうこんな横着をすることを思いついた。呆れたものである。