季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

スイスの楽器博物館

2009年10月27日 | 音楽
かつてジュネーヴに行ったときのこと。

旧市街をふらついていたら、小さな楽器博物館に行き当たった。ジュネーヴの旧市街はレマン湖から小高く上るように広がっている。レマン湖の畔の広く開けた開放感から、急に静まり返ったように薄暗い街中に入る。

新市街ができる理由は道幅が狭く、車の往来に不便をきたすからだろう。どこをどう通ったのか、もうとうの昔に忘れてしまったけれど、博物館は狭い道の角にあったような気がする。

誰も訪れる人はおらず、老人がひとりでぽつねんと守っている風情であった。その老人と話しているうちに、彼が館長で、そこはスイスで一番小さな博物館だと案内された。

僕がピアノ弾きだと知ると、老館長は陳列している楽器はどれでも触ってよいのです、と言ってくれた。これはヨーロッパでも珍しいことなのである。

ずいぶんたくさんの楽器を試弾させてもらい、大変楽しかった。その時はただ楽しかったが、今になってよくまあ展示された貴重な楽器に触らせてくれたと感謝の念が湧く。

どこの博物館だって実際に手にして音を出してみることは許されていないはずだ。

日本の音大にだって貴重な楽器のコレクションはあるようだが、大学が所有しているものくらいは、慎重な管理の下で、というのは言うを俟たないけれど、実際に聴かせたり弾かせたりしたら良いのに、と思う。

そう言いながら思い出した。

僕が学生のころだったか、芸大の楽器倉庫に眠っていたストラディヴァリウスを海野義男さんが弾くことになった。いざケースから出してみたら蜘蛛の巣が張っていたという。

このゴシップがどこまで本当か僕は知らない。でも、わが国の音楽大学ならいかにもありそうな話ではある。当時若かった僕たちにもいかにもありそうな話だと受け取られていたのだから。

音楽界の話を始めると、せっかくレマン湖の美しい眺めを思い出していたのに、一気に蒸し暑い上野界隈の空気になってしまう。いかんいかん。

ドイツにいた最後のころ、歴史的に由緒あるオルガンを触る方法はないかと考えた。オルガン専攻の学生はオルガニストの証明書を提出すれば教会のオルガンで練習できると聞き、なんだ僕が学生に、というかオルガンを習えばすむのかと膝をたたいた。

こんな簡単で正しい道をなぜ考え付かなかったんだ、間抜けであった、と早速新聞広告でオルガン奏者を探した。すぐに見つかるんですよ、これが。新聞広告はネットオークションより確率としては良いのかもしれない。

申し出てきたオルガニストに会うまでこぎつけた。結構突っ込んだ(音楽のね)話までした記憶がある。ただ、音楽的に理解しあう点があまりに少なく、レッスン代も高く、断念した。

僕にしてはあっさり断念したといえよう。当時は僕たちの暮らし向きは中途半端なものだったからやむを得なかったのか。いま思うと自分でも不思議である。そのオルガニストが無理ならすぐさま次を探していく、これが僕の流儀であったから。


ついでに言っておきたい。ヨーロッパに行くときには是非とも歴史的オルガンを聴いてください。こればかりは来日しないのだから。将来売りに出ることはあるかもしれないけれどね。教会一式、もちろんオルガンも付けて売ります、という広告を見たことがある。ヨーロッパの教会離れはそれくらい急なのである。

しかし歴史的オルガンがもしも売りに出る事態になった暁には音楽なんてとっくに消えてしまっているからね。

例によって脱線したままになる。古楽器がブームだというけれど、古楽器奏者と現代楽器(変な言い方だが)奏者の間にあるわだかまり?について書いてみようかと思って始めた文なのだが、実を言うと。僕がスイスの博物館の館長に感謝の念を抱くところから始めたわけはお分かりでしょう。本題に到達しなかっただけの話である。




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