季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

感覚

2018年03月24日 | 音楽
例えば焼物である。

何でも鑑定団で中島誠之助氏の話を聞いていると、有名な窯もある時を境に急速に廃れることがあるようだ。

翻って演奏でもそうではないだろうか。たとえば感覚を担保して付加的能力をつけることは可能だろうか?

僕はパリのコンセルヴァトワールに発するソルフェージュのことを言っているのだ。

音符に対して「反射」を速くするために敢えて音程を付けずに唱える、などがその基本的考え方のひとつらしい。

その成果はあるに違いない。複雑化した現代曲を効率良く仕上げることが可能になったときく。僕はそれはあるに違いないと思う。

では失うものはないか?

そもそも演奏に何らかの効果があると信じられてソルフェージュは「発展」したのではないか。そしてその成果は担保される、と思うからこそ、本来の「音程感」「リズム感」を付ける補助的な教材だった視唱を隅に追いやって「反射的に」音名を唱える作業を付加的に取り入れているのだろう。

でもある時期に手に入れた「感覚」は失われることなく保たれるというのは楽観が過ぎるのではないか。

僕はそう考える。いや、考えるのではないな、正確に言うとそれが聴こえるから残念ながらそう結論する以外ないと思う。
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前記事の補足

2018年03月17日 | 音楽
ハンマーが弦を打つポイントを狙うべきだというのが紹介したアマチュアの方の意見であり、それは正しい。

底まで弾ききった時に生じる打撃音は雑音なのである。ただしこの雑音を無くそうとする必要はない。

打鍵に際して加速の頂点が底にあるのは避けなければならない。それだけのことだ。もっともこれを実現することは難しいのかもしれないが。

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素人

2018年03月16日 | 音楽
昨日ネットで興味深い記事を見つけた。

ピアノを弾く愛好家と思しき男性による。

所謂有名音大出のピアニストは鍵盤を深くまで弾きすぎる。音が出るポイントだけを狙って弾くべきではなかろうかというものだった。

これはまったくその通りなのである。何の先入観も持たずに一直線に行けるのが素人の特権だろうか。

全体としては首を傾げたくなることもあるのだが。しかしそれは昔の演奏家を知らないだけで、現代の演奏家への批評やこれからの時代への期待などは正当なものだった。

久し振りに気持が良かったのである。
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故郷

2018年03月01日 | その他
先達て安売りの炭酸水を買った。

炭酸水を飲む習慣がある僕にとっては有難いことに他と比べて格段に安く大変に機嫌よく帰宅したのである。

さて採水地を知ろうと小さく書いてあるのを悪い目を細くして見て驚いた。なんと僕の生まれ育った土地の水ではないか。

僕は母方の祖父母の家で育ったのだが、父親の実家はとなり村で、裏山を登った辺りに滝がある。鯉の洗いを出す茶店が一軒あるばかりで観光地として売り出すには変哲もなさすぎる。ただ水だけは綺麗なのである。

それにしても炭酸水の採水地になろうとは夢にも思わなかった。

郷里にはもう縁者も少なく、長いこと訪れてもいないのだ。にもかかわらず本籍地を移すことに中々思い切れない。

これは一体どうした心の動きであろうか。掛け値なく楽しかった記憶はなるほど幼少時代にしか無いのだが、それが変哲もない村を懐かしく思う理由なのだろうか。

ともあれ今日も炭酸水を飲む。そしてその度に遥かになった風景を思い出す。
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3/25の講座は延期に

2018年03月01日 | 音楽
お知らせしてあった3月25日の講座は延期にします。
4月8日(日)18:00から戸塚さくらプラザホールで開催します。(JR戸塚駅隣接)

取り急ぎお知らせします。

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