季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

地域社会

2009年10月24日 | その他
地域社会が失われて久しい。折に触れてそれが指摘される。

確かに僕が子供だったころはまだ、非常に色濃くあったように思う。

では地域社会とは何か。誰でも分かっているようで、改めて問われると明確に答えることは難しい。

日本の場合、今日に続く形での地域社会は江戸時代に村や町のあり方が安定したことで形成された。

以下、wikipediaの一部を載せておく。

地域社会の中心(空間的な意味ではなく、心情的な意味における中心)には神社が存在する。一つの地域社会の構成員は一つの神社の氏子としての帰属意識を持ち、先祖代々の付き合いをするものとされた。

地域社会の構成員はみな同じような生産活動に従事し、それによって価値観や経験を共有する。そして、しばしば個人の幸福より、共同の幸福・集団の幸福を優先させる力が働く。この特性には、出る杭は打たれる、という悪い面ばかりではなく、山林・海・川などの共有資源の過剰利用を抑制するといった長所もある。

この記述でおよそ違和感ないと思われる。少なくとも僕が子供のころを思うと前半は大体思い当たる。

すべてのことには良い面と悪い面が同居している。後半部分を読めばここでもそうか、と納得する人が多いだろう。

ではもう一度最初に戻ってみよう。

地域社会が失われたというのが事実ならば、そのプラス面もあるのではないだろうか。失われた理由は複合的なものに決まっている。それが事実である以上、受け容れてしまったほうがよいと僕は思う。

すぐに思いつくプラス面は、余計なお節介がだいぶ減ったことだ。かつてはお隣が新しい洗濯機を買ったら我が家も、と張り合う人たちが多い、と報道されて特別違和感はなかった。実際にそういった報道が何べんもなされたものである。

この報道が本当の姿を伝えていたのか、それは分からない。今にして思えば当時から新聞等は脚色に次ぐ脚色で「らしさ」を保っていたのだろうから。

自然に共同体が形成されていたころは、諸々のお節介も日常に溶け込んで違和感が無かったのかもしれない。

僕が幼少期を過ごした村では、プライバシーなどとは程遠い生活だった。

その後育った川崎市では、農村部ではなかったからそこまではなかったけれど、およそ知り合いの生活状況は窺い知ることができた。

大仏次郎「天皇の世紀」を読むと、大政奉還前の明治天皇がいわゆる長屋住まいをしていたことが知れる。醤油が切れるとお隣に借りに行くような生活。

それを読む限りにおいては、昔の生活のたたずまいは現在と大いに違って、人情らしきものが確かにある。

しかし人間の世界を人為的に元に戻すことは一体可能であるか。しかも現代人である我々が享受している「都合のよいもの」は手放さずに。

ここでそのテーマに深入りするのは止めておこう。失われた地域社会という言葉を過度におセンチに受け取ることは危険ですらある、と指摘するだけで充分だろう。

重大犯罪ひとつとっても、地域社会がしっかり根付いていた時代のほうがずっと多かったことはかつて書いたとおりだ。

犯罪を地域社会のせいにするのは勿論正しくない。ただ、おかしなことに地域社会が失われたのを嘆く声の背後には、常に現代の異常な犯罪の多さを憂える態度が張り付いている。それはおかしいではないか。ありもしない因果関係を作り出して論じるのは正しい態度とは言いかねる。

僕も人並みにお祭りを楽しんだ。それを懐かしくも思う。今の子供たちにそのわくわくする興奮を与えたいと思う。

しかし、そうした運動があまり人工的なものになっていくのはよくないと感じる。無理をした演出からは必ず予想できなかった歪が生じる。

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