季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

コンクール雑感 2

2008年08月30日 | 音楽
もうひとつ、コンクールにまつわることを書いておこう。本当はこちらのほうがより深刻だといえるのである。

近くで子供のためのコンクールが開かれている。結構歴史は長いようだ。子供のため、と書いたけれど、詳しく知らないのである。もしかしたら大人の部もあるのかもしれない。いずれにせよ、小さな子供も受けられるものだと思ってください。

審査員には有名音大の名誉教授たちが名を連ねている。

僕のところに1,2度レッスンを受けに来た幼稚園の子供が、今年本選会まで進んだという。こんな小さな子の場合、上手も下手もないのである。もちろんその時点での上手下手はあるけれど、今後という意味では、まったくの白紙だと言うほうが良い。上手に指導を受けてそのまま上達してくれれば良い。ただただ、音楽を続けてくれると嬉しいな、と願う。

今年は課題曲があり、何曲かからの選択だが、ベートーヴェンのソナチネやほんの1ページにも満たない、何某とかいう邦人作曲家の他愛もない曲が入っていた。

子供用の曲に関しては、一音楽家として思うところが山ほどあるので、そのうちに稿を改めて書くだろう。今は煩雑にならぬために先を急ごう。

本選会の結果が出て、それを聞いて非常にまずいと感じたので、こうやって書いている。

幼稚園、小学校低学年が一緒のカテゴリーらしいが、ここでは一位がひとりで、あとは該当者なしだったという。ちなみに本選会には5人残っていたそうである。そして、理由は一位と他の子供達との差が大きかったからだ、と説明があったそうだ。

僕はこうした「厳しさ」がまやかしであると思っている。

6,7歳の子供が弾いて、この子は群を抜いて素晴らしい、と思うだって?誰がそんなによい耳と洞察力を持っているのか?しかも弾かれた曲が「猫踏んじゃった」ですよ!あれ、間違えた。でもさほど変わらない、子供向けに調子を下ろした曲だ。6,7歳の子供がプロコフィエフのソナタを弾いた、というのなら稀有の才能だと思い込むのも無理もない。

点数に差が付いたこと自体は、何かの拍子によくあることだから何も抗議する気持ちはない。それに抗議を始めたら、コンクールが存続できない。積極的に存続させようと思ってはいないのだが、あったってちっとも構わない。自分の都合にあわせて使いこなせばよいのだから。

しかし、審査員達の孫に当たるような小さな子供でしょう、これから音楽に親しんでもらいたい、大切に育てたい子供でしょう。仮に差があったところで、次点の子には素直に次点の賞をあげれば良いではないか。事務局に問い合わせたら、そうすると、差がない子達に優劣をつけることになり、望ましくないとの返答であった。因みに、優劣を競わせるためではない、との教育的配慮から、一位、二位ではなく、金賞、銀賞というのだそうだ。ふむ、そういえば相撲界では美人のことを金星というものな。あれも教育的配慮からかしらん。

馬鹿を言っちゃいけないよ。本当に差がない子が3人、4人いたならば全員にあげれば良いではないか。この手のもっともらしく聞こえる理屈が多すぎる。

断るまでもなく、僕は僕が聴いた子がその場合選外であっても、そこに異を唱えるつもりはない。そんなことをしたら、僕は自分を許さない。

また、飴を与えるつもりもない。上手でもない人を褒め上げることはしない。ただ、歳もいかぬ子供が、選ばれてもちっともおかしくないほどには弾いていたにもかかわらず、がっかりした気持ち以外に与えられなかったというのが大いに不満なのである。背後にある、「音楽産業」へ従事する人たちの、音楽への不感症を嗅ぐからである。

何でも甘くはないという認識を持たせるのが教育だとでもいうのかい?

僕は何人も、地道に教えている先生たちを知っている。また、本当に音楽が好きで練習している子供たちも知っている。そうして音楽の未来はこの人たちの手に委ねられていることも知っている。僕は未来とか、未来を託すとかいう言い方は本当は大嫌いなのだが、ここではあえて使う。

それらの努力を、数人の「有名」な先生が一瞬にして握りつぶす。そして様々な会議では、音楽をする人口が激減した、なにかアイデアはないか、と頭を寄せ合っているようだ。愚かしいことである。

もう少し血の通った接し方を、音楽に対しても人に対しても、要求することは無理なのだろうか。
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コンクール雑感

2008年08月29日 | 音楽
最近、立て続けにコンクールを聴いた。自身で聴いていないものでも、話を聴いたりした。それについて書いておきたい。

僕はそもそもコンクールというものが好きではない。演奏に点数を付ける行為は、人そのものに点数をつけるようで、審査して楽しいものではない。

まあ、受ける人はコンクールを上手に利用して上達すればよい。受かったら人並みに喜ぶ、落ちたらちょっぴり残念がる、その程度がいちばん健康だな。

この夏聴いたもののうち(これはすべて審査員としてではなく、野次馬として)いくつかのコンクールにおいて、今日的な特徴が出ていて問題だと感じたので、記しておく。

ひとつは僕の生徒が二人本選会まで進んだもの。二人とも大学を数年前に出て、一般のカテゴリーで出た。課題曲は自由。一人はブラームスのスケルッツォ、一人はシューマンの3番のソナタを弾いた。

レッスン室でおよその見当は付くけれど、その他大勢の中でいったいどのように響くか、それを確認するために、機会があればこうして聴きにいくのである。結果が気になるのではない。いわば、僕の「勘」を再確認するためである。

評論家各氏は間近で聴くことも絶対に必要なのだ、と書いたことがある。ホールも楽器も演奏も何でもありという有様の時代だ。そうやって感覚を再構成しなければ、耳は育たない。もう何度か書いたように、勝手な解釈を演奏に対して繰り広げるばかりだ。そんなわけで、出ていない生徒も同伴することが多い。

生徒は非常に立派に弾いた。ただ、入賞はしなかった。入賞した人は皆、近現代の作品を選曲していた。全員聴いたわけではないが、曲はつまらぬ、易しいものが多く、ピアニスティックな面でも不備なところが目立つ演奏が多かった。そもそも、エントリーした人の大部分が近現代から選んでいた。

結果発表の際、審査委員長から、ロマン派や古典派から選ぶ人がほとんどいないのは遺憾であると苦言があったという。

その言葉はそっくりその審査委員に返してあげよう。「あなた達が聴く耳を持たずに、まんまと騙されて入賞者全員を近現代から選ぶ以上、どんなとんまでも近現代から選ぶさ」とね。当然ではないか。

僕の生徒は本当によく弾いた。結果にクレームをつけているのではない。ただ、それでも入賞しないのであれば、誰も弾かないに決まっているのだ。ショパンにいたっては、ピアノの最重要レパートリーであるにもかかわらず、ほとんど弾かれていないのではないだろうか。

これが、選曲自由なコンクールで昨今めだつ傾向である。簡単に言えば、審査員が曲りなりにでも知っている曲を避けているのである。その傾向は音大の卒業試験でもみられる。

ちょっと前にはディティユーのソナタがあちこちで聴かれた。卒業演奏に残ったり、入賞するひとが続いて、審査員の耳が少し慣れてきたら、ぱったりと弾かれなくなった。正直なものだ。

さらに驚くべき手段を弄するものも現れる。現存する海外の作曲家の譜面を、その地に住む知人を通して手に入れ演奏する。たしかに反則ではないが、政治家顔負けだなあ。

それもこれも、審査する側が、確固とした耳を持っていないからだ。知らない曲を、いかにもそれらしく演技されると、おずおず点数を与えてしまう。それに反して、知っている(メロディーとハーモニーくらいね)曲だと、少しの不備も安心して減点する。審査員たちの願望と裏腹に、近現代ものばかり選に入って、ロマン派、古典派、バロックはほとんど入らないのは、こんなに単純な理由によるのである、と言っても信じない人は多いだろうね。

実際に弾いてみれば分かる。現代ものが難しく思われるのは、読譜が困難だということに尽きる。その後は何も困難なものは残っていない。もちろん、秀作もあれば労作もある。掃いて捨てるほどの数の駄作も。

しかし、いずれの場合も、同じ時代の空気を吸っているのだもの、分からないと決めてかからなければ、分かりやすいのだ。当然のことだが、時代が遡ればそれだけ、理解することは難しい。

選曲次第で結果が決まること自体は、それでも問題はないといえようか。問題は、演奏者が必ずしもその曲に愛着を持っているとは限らないこと、そしてもっとはるかに重大なのは、そういう選曲ばかりで結果を追い続けると、しまいにはロマン派以前の曲に対し、まるで子供のような演奏しか出来なくなるということだ。

仔細は省くが、簡単に言えば、化粧を厚くして人前に出てばかりいて、スッピンに戻れないようなものだ。

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シューマンの逸話

2008年08月27日 | 音楽
逸話について、ニーチェが面白いことを言っている。

ある人の逸話を3つ私に示したならば、私はたちどころにその人物を見抜く、と。

ニーチェらしい言い方だ。それと同時に、逸話の持っているある種の真実を語ってもいる。

逸話のみならず、表現という視点からいえば嘘でさえも意味を持つ。実は僕は若いころ、ずいぶん女の子にもてた。嘘だと思う人はちょっと調べてごらんなさい。嘘だとわかるから。だが、このような嘘をつく僕の心の方から見てみよう、すると例えば女の子にもてたかった、という意味合いが浮き出てくるかもしれない。この場合の嘘はエビの養殖話を持ちかける類の嘘とは違うのである。

ここではてな?エビの養殖とは何か?と思った人は、新聞やニュースに関心のない、健全な人である。現に、この文章の前まで書いたまま打っ棄っておいたので、自分でもさて、これはどんな事件だったか、と心許ない。事件なぞそんなものだ。数年経ってこれを読んでみたまえ、そして僕に質問してみたまえ、エビの養殖とは何のことだ、と。断言するが、僕は答えられない。

シューマンについて調べたことのある人は色々知っているのかもしれないが、僕は調べたことがないので詳しくない。でも逸話を紹介してみようか。

この教養豊かな大作曲家は、自作をオーケストラと練習したときに、揉み手をしながら、懇願するように指示を与えたという。懇願するような指示という日本語が正しいのか、ちょっと分からないが。

目の前にいる楽員たちよりはるかに音楽的力量も教養も勝るシューマンという天才がですよ。想像してごらんなさい。シューマンという人が「諸君、ここはこうこうこういう表情で是非弾いてください」と懇願する様子を。

こうした時、シューマンはおそらくためらいがちに、言葉を選び選び口に出したに違いない。彼が日本のオーケストラを指揮しなくてよかった。「何をどうしたいか、はっきりしてくれなくちゃ困るよ。結局大きく弾くわけ、小さく弾くわけ?」と叱られて、しょんぼり立っていただろうな。「ああ、諸君、音楽はそんなに単純なものでしょうか」とか口の中でモゴモゴ言ってさ。

二つ目の逸話。

ある日、さる女性と一日をボート遊びをして過ごした。その間、シューマンは一言も口をきかなかった。そして別れ際に「今日私達は心から理解しあいましたね」と言ったというのだ。

今日これを読むとちょいと臭いと思いませんか。でも、そう感じた人は素直になれぬ人だぞ。18世紀の人が今日の僕たちの格好を見たらおったまげて「全国的に乞食がおる」と叫んだと思うね。

リストのおめでたさについて書いたが、ここでも同じことがいえる。シューマンという男の心情に寄り添ってみたら、こんなに分かりやすい言葉はないのではなかろうか。

シューマンは夢を見ている。相手の女性は、何も分からないまま「ええ」と答えたのではないだろうか。すべてはシューマンという男の心の中の出来事だった。ダヴィッド同盟も、何もかも。

この人の作品に頻発するシンコペーションやポリフォニーは、ショパンのような現実的な音楽家からみたら、子供じみたものだったのではないか。シューマンの魅力は、それでも、そこにこそある。

さて三番目の逸話だが、ここではたと考え込んでしまう。知識が無さすぎて、3つ目が出てこない。世間並みの勉強をしておくんだった。例があとひとつ出て来さえすれば僕もニーチェ並みの洞察力を発揮して、たちどころにシューマンを理解して見せたのに、いかにも残念である。惜しいことをした。
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失踪事件

2008年08月24日 | 
薬殺のいうショッキングな題名で書いたが、続きは穏やかな題名に替えて書きましょう。

シェパードとボクサーの混血というミスマッチめいた子犬が無事ぜんぶもらわれて、僕たちも余計な気を遣わずにすみ、めでたしめでたしのはずだった。

ところがそうはならなかった。

「たまにしき」はすでに僕たちの生活に入っていたのである。来るはずのたまにしきがこないことになった、だけではすまなかった。たまがどこかへ行ってしまった。まるで失踪事件が起こったかのような気持ちになった。これは思いもかけなかった心の動きだった。

名前まで付けていなかったらこうはならなかったかも知れない。

僕たちはたまを探すことにした。急いで土曜日版のハンブルガー・アーベントブラット紙を買い、シェパード子犬売りたし、の欄を探した。飼うとなったら、今度は純粋なシェパードがほしかった。

この新聞の土曜日版は広告版になっていることは、どこかで書いたような気がする。恋人まで探せるのだもの、シェパードの子犬くらいわけはない。

果たして数件の広告があった。シェパード子犬、3ヶ月、トイレ躾け済、といったあんばいだ。

因みにドイツでは3ヶ月以下で売ってはいけないのである。それ以下では病気になる確率も高く、自然に犬から学習することも減るから、とのことだった。これはもう20数年前の規則だが、多分今でもそうだと思う。日本では、可愛い盛りに飼いたい、ともっとずっと早い時期に手に入れる。

こうしたところで「可愛い」という感情の実相が明らかになる。僕は子犬よりも成犬の方がもっと可愛いけれど。子犬はたしかに可愛い。でも、ぬいぐるみが可愛いというのに似た感じではないか、動くぬいぐるみ。成犬になると、情の疎通があるところからくる可愛らしさだ。

さて、広告で適当に見当をつけて電話したところと約束を取り付け、出かけた。ハンブルグの北西にある村だった。

周知のように、ヨーロッパは道に名前がついているから、迷うことがない。ところが、これは都市部に限られる、と思い知らされた。農村部は、同じ名前の道が延々と続く。都市部なら地図1枚あれば見知らぬ土地でも必ず行き着くが、周辺部は普通の地図には載っておらず、携帯もない時代、途方にくれるのである。事前に電話でおよその道順を聞いたくらいではとても分からない。

夕闇が迫り、焦り始めたころ、ようやく農場へたどり着いた。

赤ら顔で、人のよさそうな男が農場主で、まず面談になった。僕たちの貧相な風体が気になったのか、失礼ですが収入はありますか、犬を飼うにはこれこれの経費がかかります、あなたたちにそれだけの収入がなければお売りしません、と言う。
自慢ではないが、収入は無い。でも何とか犬一頭なら飼える。面倒な説明は抜きにして「ある」と答えた。「まったく問題が無い」と答えた気もする。ちょいと詐欺師になった気持ちである。

2匹子犬が連れてこられた。どちらも元気いっぱい、部屋の中を走り回る。ただ、姉妹とは思えないくらい見かけが違うのだ。一匹は、シェパードの子犬らしく、額にはすでにダイヤ柄の模様が入っているのに、もう一匹は小さくて、頭のてっぺんから尻尾まで真っ黒、みすぼらしいといったほうがよいくらい。

どちらかがたまにしきになるのだ。決めかねてぐずぐずしていると、しまいに家内が「黒い方にしよう。もう一匹は綺麗だからすぐ貰い手がいると思うよ」と言った。実は僕もそう思っていたのですぐに同意した。

こうして小さく貧相なシェパードが我が家の娘、たまにしきになった。

まあ、舌切り雀のつづらと同じことかな。この子こそがたまだった。見ばえの良いほうを選んでいたら、あんなに賢い子ではなかったかもしれない。正しいたまにしきを選んだわけだ。2匹とも飼えなかっただろうか、と後々何べんも自問したが、そうしたらやはり違う性質に育ったろうな。

写真は生涯ただ一度の悪戯だ。はじめて留守番をさせたら、トイレをばらばらにまき散らしていた。ペットシートという便利なものを知らず、箱に新聞紙を広げ、土を振りかけておいた代物だ。普段は家の中にトイレを必要としていなかった。はじめて室内で飼うので、どのくらい我慢できるのか見当がつかなかったことがうかがえて可笑しい。ちょっと叱ったら、二度といたずらをしなかった。突き当たりのドアを開けると広いピアノ室。天気が悪いと廊下と部屋を開け放ってボール投げをしたなあ。



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薬殺

2008年08月23日 | 
たま(にしき)というシェパードを、留学中の分際で飼うことになったいきさつを書いておこうかな。瓢箪から駒といおうか、予定調和の信奉者はともかく、明日のことは分からない、とつくづく思う出来事だったから。

僕たちの友人にニコルという女性がいる。当時はギムナジウムの生徒だった。ひょんなことから知り合い、大変親しくなった。時々家に寄っていってはあれこれ話し込んでいた。

ある日、彼女の友人の処でシェパードとボクサーのあいの子が11頭産まれたという話になった。聞くと、一所懸命貰い手を探しているが、もしも見つからない場合は殺すという。ニコルも平然として話す。しかし僕たちはびっくりしてしまった。貰い手がいない子犬を殺してしまうという発想はまったくなかったから。

ニコルが帰った後、僕たちは悶々とした気持ちであった。二人とも動物が、とくに犬が大好きだったせいだろう。思い切って1頭貰おう、何とかなるさ。決心してニコルに一緒に見にいく旨を伝え、領事館などを通じて、帰国する際の諸手続き等を確認した。当時は帰国する予定はまったくなかったのであるが、あらゆる場合を想定しなければ、とても大型犬を飼う決心なぞできなかった。

ビスマルクの屋敷がある森にはいくつか村落(といっても綺麗な家ばかり並ぶ住宅地)があり、その中の1つにニコルの友人は住んでいた。玄関を入ると、手製の柵があり、中に本当に11頭の子犬がうごめいている。生後2、3週間くらいだったかな。友人の男の子は僕たちに、一頭一頭の成長記録を見せてくれた。じつに克明に記されている。一日数回、体重を量り、グラフにしてあった。心から犬が好きだという様子なのだ。

そのうちに、貰い手がいなければ殺すというのは、自分が全責任を負うということなのだと合点がいった。帰国後、捨て犬、捨て猫に苦労させられたから、今ではなおさらよく理解できる。捨てられた犬猫は結局保健所で殺される。捨てた人は、せめて命だけは、と優しい気持ちを持ったつもりかもしれないが、保健所の人にもっとも辛い役目を押し付けているわけだ。

僕は今でも、ヨーロッパ的な非情さを伴う考え方を全面的に支持することは(心情的に)できかねる。心情的に、と断る点がすでにヨーロッパ的ではないのかもしれない。

それでも、捨て犬、捨て猫を拾って苦労ばかりした身としては、日本の人たちのほうが憐みを持つのだとはとても言えない。責任を転嫁していると言うべきだろう。

子犬が来る前から名前を考えた。僕は大型犬に格好よい名前をつけるのは好きではない。雌を希望していたけれど「たまにしき」という名前が浮かんだ。昭和初期に「玉錦」という横綱がいた。えらく喧嘩っ早い人で「けんか玉」という異名をもらったらしいが「たまにしき」と平仮名だとまた違った印象になるでしょう?ふだんは「たま」と呼べば、大型犬なのに猫の名前で愛嬌がある、うん、これにしよう。こうして我が家に来る子犬はたまちゃんになった。

日が経つにつれて、たまの姿は僕たちの中で勝手に育った。思いもよらぬ決心ではあったが、それまで動物好きの心を封印しているようなものだったから、もうわくわくして、散歩コースになる森に行く頻度も増した。

ある日ニコルがやって来た。例の子犬たちはみんな貰い手が見つかったという。何のことか、しばらく合点がいかなかった。事の次第は僕の言い方が婉曲すぎたところにあった。ドイツ人には、僕たちがかなり無理をして、どうしても貰い手がなかった場合には一匹引き受ける、と受け取られたらしい。ストレートに言えばよかったのだ。政治家とか外務省の連中には参考にしてもらいたいね。

これで、子犬たちは一匹も殺されずにすんだ。万事めでたしめでたし、だったはずだ。

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全曲演奏

2008年08月20日 | 音楽
大学時代に、岩城宏之さんが学生オケを指導しに来たことがあった。学生オケは、なんといってもやっつけでまとまっているわけだから、上手なはずはないのだが、その時も情けない音でへなへなしていた。曲目などは、記憶は星のかなたに消し飛んでいる。

ある箇所のピッツィカートで、岩城さんは弦楽器群に向かってこう言った。「お前らのピッツィカートはペンとしか鳴らないじゃないか。外国の一流のオケのはな、ルンっていうんだぞ」

これはその通りなので、聴講していた僕はわが意をえたり、と思ったものだ。

この指揮者で心から賛同できたのはこれっきりだ。ずっと注意を注いでいたわけではないのでその後の彼の活躍は知らないけれど。

金沢にアンサンブルを創ったりしていることは、メディアが取り上げるから知ってはいた。

そのうちにベートーヴェンの交響曲連続演奏なる企画を打ち出したと聞いたときも、無関心に聞き流した。

それでも、この企画が結構な話題になり、記事もちらほら出るようになり、岩城さんの「連続演奏をしてみてベートーヴェンの偉大さがわかった」という言葉が紹介されるにいたって、ついに僕も着目せざるを得なかった。

知っている人は知っている。知らない人は知るまいが、なんていうと「月光仮面」のようだなあ。若い人たちは多分知らないだろう。

横道へ入るのはやめておこう。

知らないひとのために付け加えておく。連続演奏というのは、9曲をぶっ通しで演奏するのだ。24時間テレビのようなものかな。と言っても、僕は24時間テレビを見たことがない。およその見当でものを言ったことは反省している。もちろん休憩は挟むのですよ。岩城さんも大変だが、楽員も大変だよなあ、労働基準法に引っ掛からないのか、そんな気遣いまで、気遣いの人である僕としては、したくなる。

しかし、こんな偉大な企画を誰が考え出したのか。人がしないことをする。ふむ。人が嫌がることをする人がいますか、と毒入り餃子事件で、中国に抗議しないのかを訊ねられた際に言ったのは我らの首相だが、それとはちょっと違う気もする。大いに違うと言っても間違いない気もする。

連続で演奏して初めて分かることといえば、一曲よりも九曲は時間がかかり、肉体疲労も増す。リポビタンDを傍らにおいて臨みたい、ということであって、ベートーヴェンの偉大さではないと思うがなあ。

聴いている人だって、ただ疲れただけさ。疲れて偉大だと思うなら、麻雀を続けて、こんなゲームを発明した人類は偉大だ、と叫ぶ輩が出ても不思議ではない。げんに僕の友人には、そういう連中が三人はいる。

岩城さんがハイドンの偉さを実感しようとしなかったのは、幸いであった。104曲もあるんだぞ。ベートーヴェンが何だ、たったの9曲じゃないか。日本の金メダルより1個多いだけではないか。

彼がそんなアイデアにとりつかれたら、確実に労働基準法に触れ、いや、それどころか何人もの楽員が倒れたであろう。もしかしたら岩城さんは楽員の健康に配慮して、最高のアイデアを封印したのかもしれない。

僕はピアノの世界でも、スカルラッティの600余にのぼるソナタを連続演奏する人が出ることを期待する。ここでもベートーヴェンはたったの32曲さ。え、でも長さが違うって?弱ったな、そのうちページを数えます。いや、誰か数えてください。
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浪花節

2008年08月18日 | スポーツ
ついでにもうひとつオリンピック関連の話題を。
何だか日がな一日、かじりついているようだが、そうではない。出先でちょっと、たとえば病院の待合室で観ただけの感想だったりするのだが。

スポーツについては、僕は若いときから非常に好きだったから、ただすごいものだなあ、と感心するばかりだ。

こうして書きとめておきたいのは、むしろ報道に関してである。あらかじめ「感動を呼ぶであろう」答えを想定して、他に答えようのないように質問をする愚について書いたばかりだが、柔道の石井選手へ「これから何をしたいですか」という月並みな質問に対して、彼は「遊びたいです」と若い青年に戻って「思わず」答えた。その後、とってつけたように「練習します」と付け足した。

この選手は饒舌で、あれこれ詳しく話をしていたが、解説の柔道連盟の先輩に当たるかつての名選手が「喋りすぎないほうが良い」と苦言を呈した。

柔道家は重厚であるべし、ということなのだろう。秘密警察だったら「喋りすぎないほうが良い」という苦言も当然だろうが、あるべき姿を決めてしまうのはどんなものかと、違和感を覚えた。

最重量級の選手が饒舌で、遊びたい、大いに結構ではないか。つまらぬイメージを遵守しようとして自分の心を押し殺す。日本の建て前大好きな性格がよく出ている。むしろそれが重荷になっているのかもしれないよ。指導者層とメディアが違った姿勢だったら結果も違ったかもしれない。

もうひとつ、メディアに苦言を呈しておく。

アナウンサーが(たとえばバレーボールで)「故郷の人の思いがこもったサーブ!」とか「4年間の思いをのせたアターック」とか絶叫している。

僕はワールドカップ、オリンピック、世界陸上、デビスカップ等、数え切れぬほどヨーロッパの中継を観たけれど、このような浪花節的な中継を他に知らない。

想像してごらんなさい。サーブを打つたびに「そりゃ、故郷の人の気持ちを持っていけ」「この4年間の恨みを受け止めろ」なんて本当に思っている選手がいることを。もしいたら笑いが止まらないね。どこかにそういう選手がいるだろう。しかし、その選手がオリンピックに出場することだけはないだろう。

小林秀雄さんが東京オリンピックについて書いた文章に、砲丸投げの選手だったか、画面に映った。解説者がひとこと「口の中はカラカラなんですよ、なめたって唾なんかでないのですよ」というのを聞いて、こころ動かされた、といった箇所がある。小林さんが最近の中継を見たらなんと言うかなあ。

喋る本人は気持ちを代弁したつもりだろうが、やかましくてかなわぬ。形容を重ねれば重ねるほど、言葉が軽くなる。某選手が天才だと叫ぶ。その直後に世界ランキング60何番だという。オイオイ、と言いたい。言われた当人だって心地悪いだろう。それとも世界には何十人もの天才アスリート(1種目でね)がいるのかい。

スポーツくらい、静かに観させてくれ。勝手に騒ぐから。ここでも勝手に形容を決めて、お祭り騒ぎに仕立てたい人がいる。「さあ、サーブです」だけ言って自分も固唾をのんでいればよいのだ。どれだけたくさんのことを伝えられることか。

放送席といえば、アナウンサーと元選手の解説者、スタジオに芸能人。よくもまあ、何年にも亘ってこんな悪趣味を続けていられるなあ。芸能人とスポーツとどんな関係があるのだろう。だいいち、感動をむやみに演じようとしても、芸のない芸能人ゆえ、あまりにもわざとらしい。

これは選手たちへのひどい仕打ちだと思わないだろうか。中国の開会式での過剰演出が批判を呼んでいる。メディアの過剰演出だって似たようなものだ。
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オリンピック

2008年08月15日 | スポーツ
女子柔道が頑張っている。金メダルを取った上野選手へのインタビューが笑えるというか、日本のメディアの傾向を非常によく示していた。

「周りの方々の支えがあってここまで来られたと思うのですが、その方々へ何を言いたいですか?」多分ほかのメダリストへも同様の質問をしているはずだ。

もちろん、選手は大変素直に「はい、周りの方々の応援など、力がなかったなら、このメダルはなかったと思います、ありがとうを言いたいです」と答える。

でも、質問と一応書いたけれど、こういうのは質問ではないだろう。そもそも、質問者が発する言葉ではないはずだ。「どんなことを心の支えにしてこの数年を頑張ったのか」という質問に対して、ある選手は「友人がいたから」あるいは「家族ぐるみで応援してくれたから」周りの人たちに感謝したい、と答えるのならばそれはそれで率直な答えである。

でも、仮にその選手が現在恋愛中だとする。そうしたら「恋人が何よりの支えになりました」と言いたい選手がいても不思議ではないだろう。日本人はその手の発言が苦手であるというのはまた違ったことがらだ。

周りの人の力があったから、というのは選手が言う言葉なので、周りの人が言う言葉ではないだろう。「僕がこんな良い成績を上げたのは、君がいてくれたおかげだ」と言われて嬉しそうに微笑むのは、傍から見てもほほえましいが、「あなたがこんな素晴らしい成績を上げたのは私という存在があったからよ」という発言を聞いたら、誰だって「何様だい!」と不快感を持つ。同じことさ。

質問といいながら、ここにはある特定の答えを期待し、それ以外の発言を不可能にする、押し付けがましさがある。

サッカーの中田選手が嫌悪したのは、わが国のメディアのそういう体質そのものだった。彼は「初めから答えを想定した、誘導するような低レベルの質問には、僕はそのレベルに相応しい反応しかしない」と公言していた。まことにあっぱれな、でも当たり前すぎる態度である。

たかがスポーツ番組ではないか、と思う人はよほどお人よしだ。このメディアの怠慢というか、人を同じ方向に導こうという性質は他のあらゆる場面でも見られる。

「ガソリンが高くなっていますが、どんな気持ちでしょうか」この手のインタビューばかりではないか。「ああ、嬉しいです」という奴はやけくそになっているだけだろう。「困ります」こんな百人が百人言うに決まっている答えを想定した質問にいったいどれほど意味があるか。

事件が起こる。街行く人に「どう思われますか」と訊く。「嫌な世の中になりましたねえ」当たり前だ。これなどもよくある光景だ。それを繰り返し聞かされているうちに、嫌な世の中になった、と思い込んでいく。それはやはり怖いことなのである。

事件は嫌なことに決まっている。どの時代でもそうだ。では嫌な世の中になってきた、というのは本当にそうなのか?こと事件に関する限り、昭和30年から37年あたりをピークにして、激減しているのだ。うそだと思う人は警察庁のデータを見てみたらよい。凶悪犯罪数は実に1/7にまで下がっている。

ありとあらゆる報道がこの調子なのである。マンションの宣伝チラシで、知ったところが写っていると、あそこがかい、と思うほど美化されていることがある。なにも編集しているわけではない。ただ、横のみすぼらしい景色をうまいこと避けて、綺麗に見える一角だけを紹介しているわけだ。マンションのチラシは、まあ現地に行ってみれば現実を知るわけだから良いかもしれないが、報道がそんなことではいけないだろう。

嫌な世の中になった、という「意見」からさまざまな「方策」が採られるようになる訳だから。

試合前と違って、ひとりの人間に帰ると、シャイな表情を見せたり、おどけものだったりする。それをただ楽しませてくれ、と言いたいね。どの選手からも同じ答えしか出せないような報道陣は消えてしまったらどんなにさっぱりするだろう。
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失敗

2008年08月13日 | スポーツ
オリンピックはつい見てしまう。

他人のことなのに不思議だ。国粋主義者ではないのに日本の選手が勝つと嬉しい。これも不思議だ。愛国心教育という特別なことをしなくても、人がごく自然に振舞えば同胞を応援し、国旗が揚がるのを嬉しく見るものだ。改めて思う。

僕が関心のある種目は男子サッカーだったが、まるで良いところなく敗退した。ここでも他人事であるはずなのに、おおいに機嫌を損ねている僕がいる。面白いものだ、とでも言わないと収まりがつかない。

スポーツに傍から見ている人があれこれ言うのは、一歩引いて見ると不躾なものかもしれない。でも、誰も何も言わなかったら選手諸君も張り合いがないだろう。

以前も触れたけれど、サッカーという競技では、日本人のふだんの生活上の意識がよく顕れる。

華麗なパスワークを自他共に認めるらしいが、僕にはいつも、このパス回しでは相手に脅威を与えることは出来ないと思われる。学校に勤める友人知人たちの話を総合すると、会議のための会議を重ねていると思って差し支えないようだが、それを思い出させる。パスのためのパス。

サッカーを本格的にしていたという生徒がいて、彼から聞いた話だが。強いチームになると、全日本クラスのコーチが何人も指導に来るという。その誰からも、速く強いパスを蹴るように、と言われたことはない、正確に蹴れ、という指導ばかりだという。速いパスが蹴れないわけではないのだが、ミスをしないようにという意識ばかり植え付けられ、いきおい安全なゆるいパスを多用するらしい。

自分たちに安全なパスは、相手にとっても安全な道理だ。ゆるいボールにばかり慣れているとボールを止める技術(トラップという。知っている人には謝りましょう、それくらい知っているよ、といわれそうだから)も本当には進化しないのではないか。

急に思い出して脱線します。以前手の調子がおかしくてさる医大病院を訪れた。ピアニストの手を診察するというでそれなりに有名な医者だった。僕がピアノを弾くときの動作を詳しく説明しようとしたところ、実に不愉快そうに「ピアノくらい私だって弾けますよ」とさえぎった。

あきれたね。こんな場面でこんなプライドしか示せない医者には患者なぞ治せないさ。「患者のノドチンコくらい僕だって見られる、このスットコドッコイ」と大人の僕は心で毒づいて、二度とその病院へは行かなくなった。もっとも、診察室へ一歩入ったときから、こりゃいかん、と思っていた。劣等感と、その上にもろくも立つプライドが露骨に見えていたから。でもね、入ったとたんに「失礼」と出るのもあまりでしょう。でも、人は顔ですよ。

おっと、何を書いていたか忘れそうだ。そうだ、トラップだった。こうした地味な技術が日本選手は下手だ。決まれば華麗な何とか賞を貰えるようなプレーはそこそこ出来るのだが、それは地味なプレーの上に咲かない限り、あだ花なのである。

日本のチームは一言でいえば負けっぷりが良くないのだ。いくつもあるコンクールが、先細りになり、音大も同様らしい。そこでも、思い切った提案はなされた様子がなく、誰にでも思いつくようなその場しのぎの、対策ともいえぬことばかりがなされる。

思い切った対策といっても、それは何も奇をてらう必要はない。音大でおでんを売るような突拍子もないことをしなくても良い。ただ、当たり前のことをきちんと、情熱を持って行えばよい。音楽が好きな者が、若くて同じように好きな者を指導する。これ以外に必要なものはないのさ。それが出来ない者は去る。物事はこんなに簡単なのだよ。

と、日本の一般的なことへの批判とことごとく一致してしまうのが現在のサッカー代表チームなのである。

勝ちたいと思う気持ちが弱い、とは思わない。そんな人は世界中にいないであろうから。以前、ピアノのコマーシャルのコピーは「耳を澄ませば喝采がきこえる」であった。苦笑いするしかなかった。音は聞こえないで喝采がきこえる。

先に喝采をきいてしまっているようなプレーをしている選手が何人かいた。残念だ。

一人の選手が「このチームには軸になる選手がいない」とコメントしていたが、その通りだ。さらに付け加えるならば、うるさいくらい批判をする選手がいない。これも社会的な現象と合致する。
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たわごと 2

2008年08月11日 | 音楽
気を取り直して続きを書く。この文章の前にすぐ前の記事に目を通していただければ有難い。ブログで困るのは、読書と違って行きつ戻りつしないことには続きを読めないところである。前後の脈絡を失いそうになる。僕が他のブログを読むときもそうだから、本当は一気に書くべきなのだろう。

さて、いちいち僕が合いの手を入れていると煩雑になるから、紹介する朝日新聞上の評論記事の最後の部分は、できるだけそのまま写すことにしよう。その、いかにもインチキくさいニュアンスを感じ取れると思うから。

(祝賀パーティーで)審査員はシャンパンを飲みながら、詳細なメモをとりだして一人一人に適切な助言を与える。彼らも現役のピアニストだから演奏の好き嫌いが明確で、大胆な意見を述べる。ただしユーモアを忘れずに。私も彼らに思うところを述べたが、質問する方が多かった。

「このモダンで新鮮な音楽性と、国民性に偏らない普遍的な国際性を、どこでだれに、いつからどうやって学んだのか」

(筆者が推奨する)「ナポリ・ピアノ奏法」を(若い、選抜されたピアニストに)習わせている。これは身体をまったく動かさず、腕と指だけをなめらかに動かして、これまでのピアノでは弾けなかった「レガート」(はっきりしたフレージング)と「カンタービレ」(美しい歌)を華やかに表現できる極めて有意義な奏法で、オペラのアリアを歌うように、「ベルカント」でピアノが弾けるのだ。

驚いたことに、ピサレンコとソロマティーナは、終始、まさにこのナポリ・ピアノ奏法で弾いていた。二人は「ブリュッセルでアキレス・ヴィニョに習った」という。アキレスは、往年の名ピアニスト、クラウディオ・アラウの弟子。イタリアの若いピアニストたちの今回の敗因は、かれらの貴重な遺産を受け継げなかったことにあるのではないか。

いまピアノの世界では、国境や民族を越えて新しい美を科学的に生み出す奏法を求める真の意味のグローバル化が進んでいる。

以下略

以上である。他に言いようがない。本当は僕がこれに対してコメントをする気にはならない。およそこの評論文以上に無意味なものはそう多くはあるまいから。しかし、大新聞に大きく載った記事に対して、皆が皆、僕のようなすれっからしの読者として接しているとは思えない。

普遍的な国際性、聞こえは良いが、人間の精神は、精神はなどと大上段に構えなくても良い、心の動きは、国民性の上に立っているではないか。昨日のニュースでもグルジアとグルジアからの独立を求めるオセチアが戦争状態になったことを伝えている。

チベットやウィグルの問題も進行中だ。チェコとスロバキアも旧ユーゴスラビアもと数え切れないほどある。これらは一面からみれば政治問題かもしれないが、本質は文化問題ではないか。つまり、国民性に偏らない普遍的な国際性といった概念自体、どこにも存在するはずのないものなのだ。この筆者はここでも耳に心地よい、曖昧な言葉を列記して読者の目を欺こうとする。もっとも、普遍的な国際性という言葉が耳に心地よいかどうか疑問だが。進歩的であることへの願望が唯一の自己証明である人にとっては、魅力ある観念なのかもしれないが。

ナポリ・ピアノ奏法なるものについても同様である。ピアノ奏法なるものがそもそもくせものだが、もう一度上記の形容をよく眺めて欲しい。そしてこの奏法とやらを想像して欲しい。身体をまったく動かさず、腕と指だけを滑らかに動かす、しかもオーケストラを圧倒する大音量を出す。ドラゴンボールじゃあないんだよ。

これまでピアノで弾けなかったレガートがあったことを僕ははじめて知ったが、するとショパンもブラームスもレガートを出来ずに、あるいは知らずにレガートを要求していたわけだ。間抜けな人たちだったのだ。筆者の言うところを信じればそういうことになる。

しかもその奏法は、素人が(音楽評論家だろうが文学博士だろうが素人であることには変わりがない)一目で判別できるものだという。口から出まかせとはこういうのを言う。科学的に美や奏法を生み出す、にいたってはあきれてものも言えない。筆者は科学に深いコンプレックスを持ち、故に科学という語に少女漫画の瞳のようなキラキラお星様を見出しているのか。それにしてもこのようなでたらめな文章を載せる新聞も新聞だ。

こうした個々の箇所を取り上げるだけでも、いかがわしさは山ほどあるのだが、もっともいけないのは次のことだ。

ピサレンコとソロマティーナというふたりの若者はアキレス・ヴィニョに習い、そのヴィニョはアラウの弟子だという。そしてイタリアの若いピアニストたちの「敗因」は、かれらの貴重な遺産を受け継がなかったことにあるのだ、と結論する。では今までなかったレガートだとか、今日では全世界に通用する感性と演奏法が求められる、等の大仰な言い草は何だったのか?結局は人の度肝を抜くような形容、もはや日常の音楽活動すらできないとか、新しい奏法を科学的に生み出すとか、を列挙して自分の空虚さを覆い隠しただけではないか。ゆすりやたかりとどこが違うのか?

このように論旨すらまともに貫けない文章を書き流していても文学博士になれるらしい。

繰り返し書いているように、音楽から音が失われると、あらゆる形容がのさばりだす。この筆者だけが特別おそまつというわけではない。僕が目にする音楽評論の多くは似たり寄ったりである。彼が臆病な自己顕示欲を持っていたおかげで、饒舌になり、無内容が顕著になったにすぎない。

折に触れて音楽評論文を検証してみたいと思う。




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