季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

本場

2008年05月31日 | 音楽


音楽の本場はヨーロッパだ。

と書いただけでむず痒くなってくる。本場、いけ好かない言葉だ。昔から洋行帰りの話ほど下らぬものはない、というではないか。これは本当のことだ。(洋行、なんと古めかしいことばになったことか)

僕もその昔はじめて海を渡ったとき(それにしても船で行ったわけではないのに海を渡るというのだな。これから歳月が流れても、はじめて空を横切ったとき、にはならないだろう)それなりの興奮があったけれど、自分につよく言い聞かせていたものだ。僕はヨーロッパで何かを見つけるのではない、かつてヨーロッパといわれていた破片を丹念に集めるのだ、と。

それからずいぶん歳月が流れたけれど、その気持ちはいささかも変わらない。今では、ヨーロッパに行ったことがないという音楽人を探す方が困難な状況なのに、ヨーロッパにさえ行けば、本場ものに出会うという信仰はなお根強い。

留学生だけをとってみても、鼻のかみかたが違うだけで本場だと感激しかねない精神状態で行く。あげくは日本人は個性がないとか、日本は空気が湿っているとか言って帰国し、湿った空気の音楽をする。あげくにヨーロッパではあり得ないくらい生徒を踏みつける授業をする。困ったことだ。

まあ、これは今回書きたいことから少しはずれるから話を打ち切ろう。

河上徹太郎さんがフランスを訪問して帰朝したおり(帰朝という言い方が一般だったころのはなしだ)、対談の中で「君の見てきたものは、ありゃ映画用セットのパリだ、と言われたら俺は信じるね。俺の中のパリはボードレール(だったと思う)のパリだ」と言っていた。

彼の言うことはもっともだ。彼は、作品の中に入り込んだという自覚(自信ではない)について語っているのだ。

作品に深く入り込み、それが血肉化するまで執拗に付き合う。そうすると、現実というのは、己の中の世界だ、といった処まで行き着く。

河上さんの中のフランスは、観光名所巡りを楽しむ日本人ツァーや、三越のある(まだあるのかな、僕は知らないけれど、ちょっと前にはあったように聞いている。10年近くヨーロッパに住みながら、実は僕はフランスに行ったことがないのである)パリではないのだ。

僕が初めてウィーンに行ったときのことはよく覚えている。

パッサウというドイツ=オーストリア国境の駅を越えると、列車はドナウ川に沿って走る。当時の列車はその殆どがコンパートメント車両といって、6人掛けでひとつの小部屋になっている形式が多かった。椅子は座面を引き出すとフラットになる。全席をフラットにすれば小さな畳敷きの和室めいたものができあがる。

長旅に疲れて、僕はコンパートメントに他の客がいないのをよいことに、「和室」をしつらえて寝ころんでいた。車窓には低い丘の連なりが写っていた。北ドイツからやって来ると、この辺りは空が高い。薄青い空に雲がふわりふわりと浮かび、列車が走っているのか、雲が動いているのか、とにかく雲が走っていくように見える。

日本の景色とはまったく違う、薄い緑と、針葉樹の濃い緑のコントラスト。その上を流れる雲を見ながら、僕はブルックナーの6番シンフォニーの冒頭を思い出していた。ヴァイオリンのリズミカルな嬰ハ音の反復の合間を縫うようにチェロとバスがゆったりとした、3連符をともなう主題を奏でる。楽譜を書き込めるソフトを買いたいものだ。もどかしいったらない。

この景色はとっくに知っている、と非常に強く感じたことだけは記憶している。この空気は僕がシューベルトやブルックナーの音楽の中で吸っていたものだ。オーストリアに行ったからシューベルトやブルックナーが分かったというものではない。

僕はペテルブルクに行ったこともないが、アパルトマンが立ち並ぶ地区の狭い、小便臭い通りや、ネヴァ川にかかる橋から見た宮殿の光景を「地下生活者の手記」や「罪と罰」を通して、よく知っていると思っている。現在ペテルブルクに留学している人よりも知っているかもしれない。何よりも、彼らは小便臭い路地なぞ目にすることはないだろうから。

より知っていると思う、なんて言うから誤解も受けるのだ。それほど愛読したのだと思ってもらえればよい。

さて、こうして書いたものを読み返して、ふと気付いた。僕が初めてウィーンに行ったのは冬だったはずだ。緑の丘の連なりは見られる道理もない。何度目かの印象と混同しているらしい。

では僕は書いたことを訂正しようか?その必要があるだろうか?いっそそのままにしておこう。この景色はとっくに知っていると感じたこと、それだけははっきり記憶しているのだから。ブルックナーを思い出したのも、混同している何度目かの旅のときかもしれない。それも、心の中のリアリティーという面から観るしかない。

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外国語

2008年05月29日 | その他


牧野伸顕(大久保利通の子供で、吉田茂の義父)が外国公使たちとの会食などで英語を使って話し始めると、英国人までがじっと耳を傾けたという。しかし彼の英語はけっして流暢なものではなく、考え考え話すようなものだったそうだ。それでも、居並ぶイギリス人達は、これほど美しい英語は久しく聞いたことがない、と感嘆の声をあげたという。

こんな話を、英語教師たちはどのように思うか聞きたいものである。

最近はあまり騒がれなくなったが、英語教育は小さいうちにした方がネイティブな発音が身に付く、と英語の早期導入を促す声はいまもあるだろう。

すべて授業を英語で行う、中高一貫校などもできたようである。興味津々と言ったら人が悪すぎるが、その後どうなっているのやら、知りたいね。素朴な疑問だが、その学校では雑談や喧嘩も英語でやるのかね?もしそうだったら気色悪いなぁ。その場合、生徒はマクドナルドに行っても英語でしか注文できないかもしれない。可哀想だな。BigMac,please!なんて言って周りから奇異の目で見られるのか。

僕なぞは、以前VOLVOに乗っていたころ(日本でね)、VOLVO社に電話して「ヴォルヴォ」と言ったのにまったく通じない。「ボルボ」と言わなければならなかったのだ。いくら「僕の方が正しいはずだ」と叫んでも駄目である。

そういえば、夜行列車でアムステルダムに行き、駅のインフォメーションで宿を取ろうとして(今だったらネットで予約だ。世の中がすっかり変わったと実感する)、一睡もできず朦朧とした頭なのに、書かれている案内がえらくよく分かる。余計なことを考えなければ素直に理解できるのか、と思ったが、ふと気付いたら日本語で書いてあった。そんなこともあった。

でも、喧嘩まで英語でするくらいでなければ、すべての学科を英語でした場合、理解が追いつかないはずである。

ネイティブの発音というが、それはそこまでこだわっていくべきものか。まずそれを疑って良いだろう。

イギリス人はアメリカ人の英語をなんと品がないと思っているだろう。しかしアメリカ人はオーストラリア人の英語をひどい英語だと思っているのだ。あるオーストラリア人の学者が「アメリカに論文を出すと、英語に関して直すように指導が来る。屈辱的だ」と話していたそうだ。

鈴木孝夫さんという言語学者がいる。この人の著作を僕はいくつか読んで、面白かった。主に英語界(変な日本語だ。そんな言葉があるのかどうか。しかし日本にはそう言いたくなるような世界があるような気がする)の重鎮だそうだ。

この人の説をいちいち取り上げることは(今は)しない。ひとつ紹介しておく。英語の教科書は、使う学校の地域によって内容を変えるべし、という。なぜなら、僕たちが外国に行ったとき、サン・フランシスコについて尋ねられることはないが、横浜について、東京について、仏教について、トヨタについて尋ねられるのだから。

鈴木さんによれば、英語の早期教育を声高に叫ぶのは、2流以下の英語人(英国人ではないよ)に限られるという。

これもなぜかは分からないけれど、なんとなく肯けてしまう。

彼は、日本なまりの英語で何が不足かと問いかけている。インドネシアの英語もインドの英語も英語だ、という常識が説かれているだけだが、この常識がなかなか通用しない。

ドイツに行った当初、ペラペラ喋っている日本人の横にいると気後れしたものだ。しかしある程度喋ることができるようになり、会話の内容も聞きとれるようになると、日本語での会話同様、くだらないことを話しているのだと、これまた常識的なことを発見した。

そう、外国語の能力は、日本語の能力に比例する。くだらぬことを流暢に喋ったところで、くだらないやつだということを、大いに宣伝するようなものだ。くだらぬことを重々しい口調で喋った方がまだユーモラスな分、ましかも知れない。こんな発見をしてしまったおかげで、僕のドイツ語の能力は重々しいまま終わった。

そう考えてみれば、最初に挙げた牧野伸顕は立派だと思わざるを得ない。

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西鉄ライオンズ

2008年05月27日 | スポーツ

昨年11月元西鉄ライオンズのエース、稲尾和久さんが亡くなった。僕自身の体調がきわめて悪い時期だったこともあり、このニュースはえらくこたえた。

西鉄ライオンズは子供のころの憧れのチームだった。僕は佐賀県の生まれで、九州のチームという単純且つ自然な理由からだった。それに、なんといっても強かった。テレビもない時代である。いや、あった。僕はそこまで古い時代の人間ではない。我が家に無かっただけである。どんなひいきの仕方をしていたか、今ではもう覚えていないのだが、ベーゴマやメンコにもライオンズの選手の名前が入っているのを手に入れては、負けてまきあげられるのを繰り返していた。

当時はただひいきのチームというだけであったが、長じて引退した後の選手達を見るにつけ、この人達にいっそう惹きつけられるようになった。

とくに稲尾さんと豊田泰光さんにはつよく惹かれた。

サッカーの日本代表の話題の折りにも触れたことだが、この人たちの個性の強さは際だっていた。その個性を封じ込めずにすんだのは、三原脩という不世出の指導者であった。

世に伯楽ありて、しかるのち、千里の馬あり、というのはまさに、三原脩とその下でプレーする選手のことを指すように思われる。このころ三原さんは40歳を少し過ぎたばかりであることを考えると、人としての器が余程大きかったのだと認めざるを得ない。

この人の度量の大きさを示すはなしをひとつ紹介しよう。

後年、近鉄バッファローズの監督に就任した三原さんは、コーチに仰木彬さんを招いた。仰木さんは野茂や、イチローを「育てた」人として今や知らぬ人も少ないが、西鉄主力の中では、決して目立った選手ではなかった。

主力の中の主力は中西太選手で、桁外れの選手であった。彼は後に三原さんの娘さんと結婚して家庭を持っていたのであるが、仰木さんはある時中西さんと大げんかして西鉄を飛び出したのである。

娘婿と大げんかした男を、平然とすぐさまコーチとして招く。自分の中に本当にはっきりした、人間に対しての価値基準がなければ、できない芸当だ。

選手の性格を見極めて、対応を自在に変化させたという。見極めるためには麻雀まで利用したそうである。

稲尾さんと豊田さんはまったく違う性格であったが、共通するのは自然さだったように思う。

選手としての実績は稲尾さんが勝るが、そのとてつもない実績を誇らしげに語ることはついになかった。つねに含羞を帯びていた。自身の実績について褒め言葉が続くと、人なつこい照れ笑いをするのが好ましかった。

豊田さんは、元来が頭の良い人なのだろう。興味のある人は(野球選手に関心のない人も、人間の顔に関心はあるだろうから)一度彼の名前で検索してみて欲しい。豊田泰光さんといいます。HPに新人王を取ったときの写真がある。この人は早生まれだから、18歳の時ということになるか。実に立派な表情だ。僕は顔の表情を信じるのだ。学歴なんぞは信じないが、顔と声の表情は信じるのだ。

強く、正直な目だ。

現役を退いた後は、おもに野球評論を書くことに活躍の場を求めた人だ。文章もうまい。視点が曇らず、野球を通して人間が見えている。なかなかできないことなのである。

人は誰でも生まれ持った性格はあるだろう。しかしそれを大きく育てられるかは、指導者次第だともいえる。指導者とは、ものを直接教えることのみを指すのではないことは、三原監督と選手達をみれば明らかだろう。現に豊田さんは「三原さんの技術論はまったく当てにならなかった。アドヴァイスをもらうとかえって調子が悪くなった」と言っている。

もうひとり例を挙げておこう。

大下弘という選手は不世出の大選手であったが、この人が4番を務めていた。寂しがり屋で、近所の子供達を集めて野球チームを(現役の大選手が!)つくって、ニコニコするような人だったという。

チームの若手を可愛がり、下宿させる選手もいたそうだ。そして奥さんも含めて麻雀や花札で殆どのお金をむしり取ったという。奥さんが博才があったらしい。

下宿していた選手は泣きの涙だったようだが、いざ一人前になって大下家を出るとき、彼ら名義の貯金通帳が渡された。むしり取られたお金は全部そこに貯金してあった。若い奴らに金を持たすとろくなことにならない、と夫婦で考えたのだそうである。

ホロリとする逸話だ。ではどうして僕はこんな他愛もない話を信じるか?ここでも大下選手の引退試合後の挨拶を、もっと詳しく言えばその時の内容と声を聞いたからだと答えよう。

繰り返すが、僕は耳で判断する。目も耳ほどではないが信じる。肩書き、地位などすべて信じない。

若い稲尾さんと豊田さんの画像を載せておく。豊田さんの強い目を見てもらいたい。

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N響の学校訪問 本編

2008年05月25日 | 音楽


とんだ脱線騒ぎでまた新たにはじめざるを得ないのが癪の種だ。

N響が学校をまわって、音楽好きな若い芽を育てようと取り組んでいる、という話だった。

それを僕に教えてくれた生徒によれば、なにかイヤな感じがしたということである。

演奏してまわること自体はよい。ただ、そんな曲目の中にアニメの主題歌などが入っていたのに、大きな違和感というか、お菓子でつる大人みたような嫌らしさを感じたというのである。

僕はこの生徒の感覚を支持する。

若いころ、ドイツに渡る以前、一日に二カ所ずつ計何十カ所もトリオでまわる仕事をしたことがある。ヴァイオリンとチェロはその道のベテランで、ピアノだけが僕や友人達が持ち回りで受け持っていた。

本当は思い出すのも嫌なのである。たとえばヴァイオリンはゴセックのガボットとかドヴォルザークのユーモレスクをメインに、簡単に言ってしまえばお茶を濁し、トリオだって、まあ初見に近い状態で、簡略化されたものを演奏していた。

その道のプロたちは「音楽は彼らには難しいから」ともっともらしいことを言っては、ラヴェルのツィガーヌを大胆にカットし、弾くのに困難な箇所を回避し、東京から来たプロの演奏家の先生を演じていた。これを演じることにかけては皆プロであった。

ここでも断りを入れるが、僕はゴセックのガヴォットを馬鹿にしているわけではない。ドヴォルザークのユーモレスクが美しく弾かれたら、そのメランコリーに心打たれるといって良いくらいだ。

ただ、何の予備知識もない人が音楽に心打たれることが、幸運なことに、あるとするならば、それはゴセックではあるまい、それも調子をおろした。当時僕はそう思ったし、今もおよそそんな風に感じている。

もちろん人間は多様であるから、中にはその単純な美しさに心惹かれる人も出てこよう。だが、いずれにしても、心の奥から絞り出すものに反応するように人間はできている。

前に文学青年達が一心に、蓄音機から流れ出る粗末な音に耳を傾ける情景について書いた。それはいつの時代もそんなに変わるものではないだろう。

まあ、僕は当時心を込めたピアニッシモなんてできたはずもないから、人を小馬鹿にした演奏が嫌ならば、「革命」だの「熱情」だのを熱演することで「プロ」にささやかな抵抗をしていた。こうした選曲には「プロ」にも異を唱える人はいないのだ。

せっかくオーケストラが行って、アニメの主題歌だって?人を見下していると僕は感じてしまうね。「みなさん、オーケストラは怖くないよ、ほらね、みんなの好きなアニメの主題歌ですよ」とやれば勿論子供は関心を持つ。そこには「本物」があるから。

でも、こんなのは有名なレストランに連れて行って山盛りの飯を食わせて「どうです!」と言っているのとかわらない。ホラ、本物のゴハンですよ。

ところで僕は教育の見地から異を唱えていると思ったら間違いだ。彼らは勝手に育つとも言える。

そうではない。僕は、そのように人に甘い砂糖菓子を見せるような(見下したと書いたが)態度が一変して、ブラームスを、シューマンを素晴らしく演奏できる、そのような都合の良い心などありはしない、と言っているのだ。

むかし、山本直純さんが「音楽の大衆化はオレに任せろ、お前は芸術音楽をやれ(後半はよく覚えていないから適当に書いた。意味は間違っていないはずだ)」と小澤征爾さんに言ったというが、馬鹿をいうもんじゃない。すなおにオレはあまり心打たれないんだよ、こういう音楽に、と言えばよい。そうしたら僕は残念な気はするが、そんな素直な意見をいう人を嫌いにならない。

これを思い出す。

僕もどこかでブルグミュラーのような「ペンキ絵」のような曲を解説しなければならないだろう。しかし、その時は誰よりも美しく弾こうと全力を尽くすのだ。

そこで手を抜いたら、たちどころにシューベルトに、ベートーヴェンに、つけは回ってくる。今は素人用の心、今は玄人用の演奏、こんなことはできる道理がないのだ。

N響はアニメを全力で演奏したかも知れないではないか、ちょうど僕がブルグミュラーを一所懸命弾くように、という人もいるだろう。僕がブルグミュラーを弾くことだってあるのは、それが課題曲にあったりして、それの「解説」だったりレッスンすることもあるからだ。そうである限り、前述のように、本気で弾いて聴かせなければ育たない。

仮にN響がアニメソングを全力で弾いたら、こりゃ笑えるね。笑うけれど、正気を疑う。ブルグミュラーとは訳も規模も違いすぎる。鮒一匹獲るためにダムを造るような感じだ。

だから、やはりどこかに楽をして「底辺の拡大」という命題にも沿っていこうという魂胆が見えすぎるのだ。全力をつくしたまえ。

第二次大戦中、ベルリンフィルとフルトヴェングラーが工場の慰問演奏会をしているフィルムが残っている。ワグナーの「マイスタージンガー」を演奏しているが、文字通り全力を挙げている。心を打つというのは、こんなに単純きわまりない原理に基づいているのだ。
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N響の学校訪問

2008年05月23日 | 音楽
生徒から聞いた話をもとに書く。

僕はテレビ、新聞と隔絶した生活を送っているので、自分で見聞することがないのだ。

N響が地方の学校をまわって演奏を披露し、音楽に関心を寄せる若い人を増やそうと試みているという。テレビで紹介していたそうだ。どの局かは聞かなかったが、まあ常識的に考えればNHKかな。

少し脱線しましょう。予告して脱線するのもなんだなあ。確信的脱線は脱線というのだろうか。電車の運転手じゃなくてよかった。

NHKはイギリスのBBCを手本にしていると聞くが、それはちと生意気だろう。100年早い。

以前テレビを見ていたころ、この局でヒマラヤを雁が(聖火ではないよ)越えていくというのをテレビ欄でみつけた。ヒマラヤを!雁が飛び越えていく!なんというスケールだ。大いに心動かされて僕はスイッチをいれた。

ところが画面にはスタジオが現れ、司会者と助手(アシスタントというもっともらしい名前が付いているらしい)それにタレントが座っている。

タレントを呼んだ手前、司会者は何かにつけて「○○さん、いかがでしょうか」と話題を振る。タレントはタレントで「雁すごい、雁えらい」とただ芸もなくわめくばかりで、肝腎の雁がヒマラヤを越えていくところの印象はひとつも残っていない。その場面は、僕の脳髄から消去されていることに、たった今気づき、ショックを受けている。バックアップを取っておくべきだった、なんてトンチンカンなことを考えている。

こんなコメントを言えばすむのなら出演を引き受ければよかった。もっとも出演を依頼されていないので、そこが悔やんでも悔やみきれないところだ。

「雁すげー、雁えれー」と僕がわめいたら、NHKが推し進めているらしい庶民化に一役買っただろうに。第一ギャラが破格に安い。少し支払っても良いくらいだ。

あれ、脱線が過ぎて、N響の話題からどんどん離れていくな。えい面倒だ、またいつ思い出すか知れないから、この際テレビがらみのことを書いてしまおう。

いつだったか、NHKの視聴者センター(正確な名称は知らない)に、昔見た番組、音楽もあるし文士が出ていたのもある、この再放送は可能かどうかを訊ねたことがある。それが無理ならば、商品として販売するべきではないか、と述べたのである。すると驚いたことに80年!代半ばまで、テープ代を節約するために上書きしていたと、皆様のNHKの声で説明してくださった。

演奏会で僕の真横に仰々しいカメラが据えられていたことだって何度もあるのだが、それらは皆消去されていて、残っていないというのだ。嘘だと思う人は直接訊ねてご覧なさい。たとえばケンプ、ゼルキン、ホッター、フルニエのバッハ無伴奏(これは放映されたのを正月に見た記憶がある)、あるいはケンプ・メニューイン・ロストロポーヴィッチによる「大公トリオ」いくらでもある。

それでいながら「連続テレビ小説」や「お笑いオンステージ」などは立派に、「NHK」の誇るライブラリーに保存されているのだ。これも確かめてみればよい。

間違えないで欲しいが、僕は所謂芸術を文化の上位に持ってくるべきだと主張しているのではない。ただ、「記録」というものをここまで浅薄に考えていてBBCを手本にというずうずうしい神経が理解できないのだ。今日手に入る往年の名演奏家のDVDは大抵がフランス、イギリス、ドイツ、カナダなどの放送局が所有していた映像なのだ。意識の持ちようがまるで違うと言わざるを得ない。

僕が、BBCを手本にとは100年早いとまで言い切るのもお分かりかと思う。と書いてから、はたとキーボードを打つ手が止まってしまった。50年ほど遅すぎたと言うべきではないだろうか。50年前にBBCを手本にしていれば、こんなことにはならなかったのだからな。

序でに言っておけば、自然番組だって、よくまとまって人工的な感じがしないときは大抵、BBCだ。そうだ、これについては別に書いておこう。(テーマは雑談同様、いくらでも湧いてくる。というか、このブログは雑談だから当然なのである)

この国では、テレビというメディアも使いこなしていない。使いようによっては良くもなるのでは、と常に思っている。

というわけで、N響のはなしは次にまわす。
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真似

2008年05月21日 | 音楽


前にツィメルマンが、巨匠の真似はメディアが発達した今、しようと思ったら意外にたやすくできる。そこから巨匠風の演奏家が多く輩出する、といった主旨の発言をしたことに反撥を感じる旨を書いた。

真似というと、否定的な響きがあるけれど(真似事とか、人真似にすぎないとか)正直に考えてみると、僕たちの生活は殆どが真似である。

僕のドイツ語能力は大したことがない。それでも、ふとした時に、当時下宿していた家の大家さんの相づちの打ち方をそのまま真似ている自分に気付いたことがある。

また、伴奏をしていた女の子がよく使うことばをいつの間にか僕も使っていて、日本語だとそこまで意識することはないのだが、外国語を使うと頭だけはことば以上に展開するから、けっこういろんなことに気付かされる。こんな経験も真似とかオリジナルとかいう事柄をよく考えてみるきっかけにはなった。

昔、野辺地勝久さんというピアニストがいた。僕が学生だったころも知っている人は知っていた。ただし、どちらかといえば、変わり者としての方が多かったように記憶する。

僕は昔から楽壇情報には疎く、他の人はきちんと知っていたのかもしれない。でも、きっとそれほど大々的に取り上げられてはいなかったのだろう。大々的に取り上げられる人のことは、さすがに僕の耳にも入ってきたから。

この人はコルトーを尊敬して、ずいぶん真似をしたらしい。ずっとずっと後になってから聞いた話だが。そのとき初めて演奏の録音を聴いたのである。決して巧みではないが、きわめて良い演奏なのである。まず、死んだ音がない。(これなどは分かる人には分かる、としか言いようのない表現の最たるものだ。ただし、本当はもう少し具体的な説明はできる。今思いついたから、近いうちに書くことを予定している。脱線するにはちょいと話がつまらないもので)

そして音が美しい。これは今日ではまったくといって良いほど見かけなくなった特徴である。

コルトーを真似したと言いながら、この音はコルトーのそれではない。もう少ししっとりした情感を含んだ音だ。

僕がこう言うのを聞いて、野辺地さんは悲しむだろうか?私はコルトーになりたかった、と。

徹底的に真似をしようとすれば、どこかにずれができるらしい。その「ずれ」を個性というのだ。野辺地さんはそこまで行き着いて、「図らずも」自分独自のものに突き当たったのだと言い直しても良い。

僕は最初に挙げたツィメルマンの言葉を文脈の中で読んだわけではないから、彼について述べることは避けておく。ただ、僕だったら真似るのは思ったより易しいなんて、口が裂けても言わないね。フィッシャーの出す音を真似してご覧、できやしない。真似というのは、人が思うほど表面的なことではないのだ。

モーツァルトは19歳くらいのとき、僕はもう誰の真似もできてしまう。グルックの真似もチマローザの真似も。いったいこれからどうしたらよいのか、と嘆いている。

では、この時期の彼の作品は、モーツァルト的ではないのだろうか?  

どうです、問題はあっというまに難しくなるでしょう。
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梶井基次郎と音楽

2008年05月19日 | 芸術


僕は梶井基次郎という小説家は大変好きだ。

「Kの昇天」という作品がある。水死した若い男の知人へ、その若い男と偶然海辺で知り合った「私」なる人物が思い当たる節を手紙にしたためるだけの内容である。

ここではシューベルトの「ドッペルゲンガー」(普通影法師と訳される。正確には二重人格といった意味だが、そう訳すのも何だか抵抗がある。訳すというのはやっかいだな。梶井はドッペルゲンガーとドイツ語の発音をそのまま写し取っている)が重要な役割を果たしている。

「私」が夜の海辺でKをはじめて見たとき、その不思議な行動は「私」の存在に気付かぬせいかもしれないと思い、口笛でドッペルゲンガーの旋律を吹く。

Kはそれすら聞こえていないような様子であるが、後に話を交わすようになったとき、君はさっきドッペルゲンガーを口笛で吹いていましたね、と言う。

この小説の内容とドッペルゲンガーが似つかわしいかは措いておこう。話の設定上、他の曲を持ってくるのは難しかったのだろう。

シューベルトの世界は、果てしなく深い深淵を思わせる。それに対して梶井の描くドッペルゲンガーはどこか幻想的で、それは彼の「桜の樹の下には」のような耽美的な世界と通じるものがある。「闇の絵巻」のようなものでも、ドッペルゲンガーの世界のような、そうね、僕たちに過去というものがあることへの呪いとでもいうべき、そんなものは無い。泉鏡花などから流れてくるような感じかな。「Kの昇天」の構造は漱石の「こころ」を下敷きにしているのだろうが。

例によって脱線しそうだ。梶井の作品は少ない。薄い文庫本1冊ですべてだ。関心を持った人は読んでみて欲しい。

で、僕が作品と直接関係なく興味を持ったのは、次のようなことだ。

海辺で偶然出会った2人の男が、ドッペルゲンガーという、今では音大生ですら(というか、音楽を専門にしようとするがゆえに、と言った方が正確なのかもしれない)声楽科以外は知らない曲を共通して認識していたということだ。

この共通認識無くしては「Kの昇天」は成り立たない。もちろん、この小説自体が、当時の文学愛好者たちへ向かって書かれたものだ。ドッペルゲンガーが一般に知れ渡っていたはずもない。それでも、文学を志す人たちの間では、知っていて当然、というに近かったことをうかがわせる。

彫刻家の高田博厚さんが音楽について書いたものによれば、音楽は文学志望の青年達のあいだで盛んに聴かれるようになった。片山敏彦という仏文学者(ロマン・ロランの作品など、翻訳家として名を残した)の安アパートで、若い芸術志望者たちが、蓄音機!から流れるベートーヴェンの作品に心躍らされている様子が記されている。

ここではすでに「喇叭」の時代は過去のものとなり、鳴っているものはベートーヴェンである。夜更け、若い青年達がひとつの蓄音機から流れ出る音楽に耳を傾ける様を想像してみて欲しい。

日本には音楽の歴史こそないかもしれないが、こうした「共同体験」とでもいうものがあった。それを、はるか時代を経た僕は羨ましい気持ちで眺める。

「Kの昇天」はそんな情景を背後に持つことを知らないと、あまり理解しにくい世界なのだ。

梶井も、親しかった三好達治らと、そのようにして音楽に接し始めたのに違いない。小林秀雄、河上徹太郎、青山二郎らのグループも同様だ。

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科学者

2008年05月17日 | その他


分子生物学者でノーベル賞受賞者の利根川進さんは野蛮なひとだ。詳しく知らないけれどきっとそうだ。顔からしてそうだ。大急ぎで付け加えると、僕は野蛮なひとが好きである。ついでに付け加えれば、上品な人も同じように好きだ。お上品なひとは苦手である。

僕の好みに話がそれないうちに戻すけれど、僕は科学に嫌悪感なぞ持っていない。それどころか、知識は乏しいが、大いに関心を持っている。わけの分からぬ量子論の本を読むとよく眠れる。時にはなにも頭に入らぬうちにもう寝入ってしまう。そのくらい好きだ。わけも分からぬから、夢でうなされる心配もない。

利根川さんと評論家の立花隆さんが対談していて、これが面白い。これも正確に言わないといけないな、立花さんは怖ろしいほどの勉強家だ。きちんと質問する事柄についての知識と理解を持っている。僕はちんぷんかんぷんで、そのちんぷんかんぷんを楽しんでいる、と言った方がよい。

どうです、こうやればあなただって、楽しめますよ。

利根川さんの野蛮さとは、彼が何でもかんでも物質の解明により理解し尽くす時代がやって来る、と断言するような時に顕れる。

例えば僕たちが幸福感に浸ると、セロトニンという物質が脳内に出る。そのメカニズムも分かっている。それならば(うん、書いた途端に思い出した。近頃こういうとき「ならば」と書くでしょう、新聞などで。いただけないね。ならば問いかけよう、とか。僕はそれを見るたびにイライラしてしまう。では、とかそれでは、とかいくらでも言えるでしょう。口だけとんがらせて、議論は任せろ、という顔が丸出しじゃないか)

カッコが長くなりすぎたので、書き直す。メカニズムが分かっているのなら、理論上は人間の気持ちでさえコントロールできうる。

生物が自己を認識する際の物質も正確に分かっているのだから、みんなが芸術だとか、何だとかわめいていることも、ある物質の化学作用に過ぎない。現在はまだ解明できなくとも、将来は必ず解明できる。

簡単にいえば利根川さんはこういう信念を持っている。立花さんは、それは極端だ、と常識人としての反応をする。

僕は常識人だから、立花さんと同じような反応をする。ただ、こんな「常識はずれ」の断言をする利根川進という人を面白いとは思うのだ。

立花さんが「精神現象というのは一種の幻のようなものではないか」と言うと利根川さんは「その幻って何ですか。そういう訳のわからないものを持ち出されると、僕は理解できなくなっちゃう」と応じている。

本当に訳が分からず途方に暮れるといった感じがよく出ていて、僕はそこに一番感心する。彼が正しいとか正しくないとかいうより、その信念の強さに感心する。

そのことはそのこととして。

自己とは、他から自己を識別する物質が出ることにすぎない、というのは果たしてそうか。ミミズが他から身を守る際の自己認識と、「僕」の自己認識が同じことだとは、どうやっても思えない。

朝起きてみたら虫になっていたという小説はあるがね。僕がミミズと同じだという小説はまだない。僕をミミズと同じだ、というやつはたくさんいるだろうが。

「僕」が僕を唯一無二の存在として感じる、その感じること自体は、物質レベルを越えるのではないか。さもなければ、自己を認識する物質は人間の数だけ多様であることになり、その時点で科学の範疇を越えるであろうから。つまり汎用性を否定してしまうから。

それについて利根川さんは何というか、僕は分からないが、話は平行線を辿るように思う。科学者のあり方も当然一様ではないけれど、彼らの話に耳を傾けるのは面白い。それは請け合っておく。

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聴音での常識

2008年05月15日 | 音楽


ソルフェージュの代表的なものは聴音であろう。演奏の才能を伸ばそうという気持ちを持つ人は、聴音も習っている。殊にピアノやヴァイオリンのように子供のうちから習い始める楽器の人たちの間では、聴音も習うことが常識といった空気である。

僕はそこでもKYだ。ちょっと意味合いが違う気がするけれど、まあ良い。

先達てソルフェージュについて書いたことを補足する形になるが。

いったいあの「演奏法」はどこから来たのだ?誰がはじめたのだ?これもパリ音楽院かい。やッパリ、きッパリ、みえッパリ。ピアノの世界では(イヤな言い方だな)バリバリ弾くという表現があってね、これ何とかなりませんかね、あまりに非音楽的でしょう。

脱線しそうになるとEnterキィを押す。助かるなぁ。これが原稿用紙だったら、クシャクシャに丸めて棄てるところだ。改行では何だか気が治まらない。パソコンを棄てるわけにはいかないから、改行とともに気持ちを整理する。

弾き手の立場になってご覧なさい。付点四分音符とか十六分休符とかがあったらどんなに神経を使うか。

僕の入試のとき、聴音の演奏担当はさる有名教授だった。それが、メロディー試奏のとき、はたと止まってしまった。僕は心の中でヒヒヒと笑った。今では申し訳なく思っている。あれは一種いやな緊張を強いられるものです。因みにそのころは「実演」であった。今は公平を持するために録音によるのではないか。

あのころは良かった。すべてが本物志向だった。手作りの味があった。止まったのがなにさ。人間だもの、ミスもあるわい。

おっと、冗談を真に受けられるといけないし、書いていて不安になった。録音になっていた時期もある。でも、もしかしたら悔い改めているのかもしれない。後で生徒に訊ねて確認しよう。

確認を後回しにして続けよう。聴音の時の演奏(演奏とは言えないが)と同じ調子でモーツァルトなりショパンなりを弾いてみたまえ。教師の唇から血の気が失せて、髪の毛はメドゥーサのように逆立ち、人によっては絶叫マシンと化するであろう。「音楽でしょう!」

どうしてこんなことになるのだろう。所謂上級者のための問題集をCDできいたことがある。僕の耳は大したことないと思った。昔は自信があったのだ。僕のレベルが落ちたのか、周りのレベルが上がったのか。おそらく両方だろう。

同時に、上級者になるには阿呆になりきらないといかん、と思い、これ以上阿呆になるのも周りに迷惑をかけるような気がして、その道を断念した。

僕がこれらの曲を弾いたならば、上級者用の曲も、あら不思議と思えるほど取りやすくなることは確実だ。僕は聴音用の弾き方の常識を無視して、できる限り美しく弾こうとするから。

間違えないで欲しい。美しく弾くというのは、思い入れたっぷりに、情緒豊かに弾くことではない。ただ自然に弾くという意味だ。

そもそも聴音用の曲は、なぜすべて!の曲があそこまで無意味なのだ?だれか、一曲でもよい、思い出の曲というのを挙げてみればよい。誰もいまい。

作った人が(作曲家と呼ばれるのは当の本人が不本意だろうからこんな風に言っておく。僕は実は人情味にあふれているのだ)何とかして間違えさせよう、と作ったものだから、動機からして美しくなるはずがない。難易度が高いこと即ちひっかけが多いことで、要らぬ複雑さばかりが増えるはめになる。オネゲルにこの点を問いただしたいところだ。(この意味が分からない人は「複雑」と題した記事をみて下さい)

たとえば、ふつうの楽曲では四分音符に書くところを、付点八分音符と十六分休符にして、演奏者は演奏者でそれを文字通りに弾き分けようと、痛ましい努力をする。

これは音楽の聴覚の訓練と、何らかの関係があるだろうか。皆無だ。悪影響はある。まず時間の無駄だ。また、聴くという行為について、安直な、画一化された観念を植え付ける。時間の無駄は、無駄話を減らすことによって、またはこんな駄文を読むことを止めることによって補えるが、聴くことを安直に考えるようになっては,ことは重大だ。

聴き取りやすく弾くと点数に差がつかない、というのが本音さ。とにかく点数に差をつける。こうした怨念とでもいうべき考えのために、多くの熱心な生徒は精を出しているわけだ。本当は「正解」は幾通りもある。

例えば。

インヴェンションのヘ長調の演奏を聴音したとする。8分音符で書こうが、16分音符で書こうが構わないだろう。16分音符と休符で書いたって良い。どれもが正解だろう。そうなったら、大抵の人は8分音符で書くようになるだろう。

繰り返すが、僕はソルフェージュ無用を主張しているわけではない。まずパリ音楽院に抗議し、それをただ有り難がって受け取ってくるお人好しに抗議し、一度たりとも耳がよいというのはどういうことだ、と考えたこともない善良な人にちょっぴり抗議したい。

その上で僕の想像でいうしかないが、パリでは日本のような「厳密な」演奏はなされていないのではなかろうか。知っている人がいたら教えて欲しい。やはり彼の地でも厳密に行われているのならば、僕も潔く、彼の地も救いがたいと認めよう。

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犬の不思議

2008年05月13日 | 


犬連れでどこかへ出かけたことのある人は、かならず経験していることだと思う。たとえばどこか気に入った場所に再び行くとしよう。すると、目的地に近づくとそれまで寝入っていた犬が急にそわそわし始める。なぜだろう。

外出先から帰宅する場合もそうだ。うちの子の場合は、約1,5キロ離れた交差点を曲がると、むっくり起きあがって、ヒュンヒュン鳴きはじめる。

きっとどこの犬もそうなのだろう。いったいどこでそれが分かるのだろう。近所に到着すると匂いで分かるに違いない、とか路面からの音で判断しているのだろうとか、いろいろもっともらしい仮説はある。どうだっていいじゃん、というのが心の底に流れているから、それ以上「研究」する人はいない。

動物の行動でなぞのまま残されていることは実に多い。

伝書鳩がどうやって自分の巣に帰ることができるのか。これに対してはありとあらゆる仮説が立てられた。嗅覚によるというもの、独自の方位を計測する器官を持っているというもの、磁場を感知するというもの、こういった仮説が次々あらわれ、周到な実験が行われた結果、どれも説得力を持つにいたらなかった。

そのうちに、世の中はそんな悠長なことにかまけていられぬ、とばかり、実益のある分野での研究ばかりになった次第らしい。

まぁ判らなくもない。仮に僕が理学博士であるとしよう。「先生、ご研究の分野は?」「うむ、伝書鳩はなぜ帰巣するかをメインに、犬がどうやって我が家を察知するかをサブテーマとしております!」と、難しい顔して答えられないね。といって、ニタニタして同じことを答えたら変人扱いされることは必定。科学者も世に連れなのだな。

しかし、もしそういう研究をする人がいたら、それは本当の科学者だといって良いだろう。この国では理系、文系などと間抜けな分類ばかりしているせいで、身の回りのことに驚いたり、感動したりする人がすっかり減ってしまった。研究してみようと思う人に至っては推して知るべしだ。

でも、いったん目を量子論にまで向けてごらんなさい、ここでは大変なことが起こっているのだ。簡単に言うと、当の科学者が真理について「解釈」という曖昧なことばを使わざるを得ないのだ。コペンハーゲン解釈というのだが。ある現象を、純粋に理論的に扱うと、常識を疑わねばならぬことになるので、一定の約束事を持たせよう、というものだ。でも科学に約束事なんておかしいではないか、という科学者も当然たくさんいる。

僕がそんなものを解説できるはずもないから、これ以上言及しないが、世界は不思議なことに満ちていて、よく考えるとなお分からん、という落語の落ちみたいでしょう。

で、犬の話に戻ると、このよく知られた(飼っている人だけにね。入試には出ないよ)現象をもう一度研究するのが本当の科学的態度ではないか、という科学者たちが出始めている。そして、その中のひとりは量子論との絡みの可能性まで示唆している。面白いではないか。
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