パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

亀田問題から視知覚を論ず

2006-08-04 13:53:21 | Weblog
 秋葉原と上野の境ということで、昔は駄菓子屋でもやっていたのではないかと思われるようながたがたの店に未開封の段ボール箱を山ほど積み上げた、「卸売風」の家電屋が多い。マックで朝マックを食べた帰り、そのうちの一つの店先で立ち止まって見ていると、弁当屋の初音のじじいとほぼ同年代と思われるじじいが、後ろから「何?」と声をかけてきた。
 「いや、ちょっとクーラーを探しているんだけど。ただ、室外機のないやつ。」
 「室外機のないクーラー? そんなのあるのか」
 「昔使ってたけど。今の事務所、狭いし、室外機を置く場所もないんだ」
と、一つの部屋を大小二つに分割して使っていて、大きい方はクーラーがきくけど、小さい方は、手作りの壁で拒まれて冷気が入って来ないという実態についてはめんどくさいので話さなかったのだが、ともかく、そのじじいは、昔、あったよ、という私の話は無視。「そういうのだったら、ないよ」と言い捨てて奥に消えた。かくして、「今は、そういうクーラーは作ってないのかな」という私の声はむなしく「独り言」状態と化してしまったのであった。くそっ。

 その後、中央通り沿いの店に足を運んで聞いてみたら、「ああ、窓枠用だね。うちは扱ってないけど、置いてる店もあるよ」と言われた。なるほど、「窓枠用」というのかと、「マドワクヨウ、マドワクヨウ」とお念仏のごとく唱えながら隣の大型店に行って、「マドワクヨウのクーラーありますか」と訊ねたら、ちゃんとありました。何種類も。
 あのじじいは、やっぱり「初音」のじじいと同類だったか! 死ね!

 日本を揺るがす、亀田問題(笑)。
 私は、トカちゃん、こと渡嘉敷勝男の、1回のダウンと11回の苦戦の印象が強くて、素人はそれで見てしまうが、実際は、1回、11回以外は接戦であり、勝負はどちらにころんでもおかしくない試合だったので、亀田の勝ちもあり得なくはない、という話が興味深かった。横にいた北野兄が、「でも、みんなの印象とジャッジができるだけ乖離しない方がいいのでは」と言うと、「それが、印象で話しているということなの」と一蹴。北野兄は首を傾げて曖昧に笑っていたが、この問題、たしかに非常に難しい問題を含んでいる。
 というのは、今回、『月光倶楽部』(倶楽部ってつけてみました。へへへ)の「映画の研究」という論文(?)で、視知覚の問題を相当深くやったつもりなのだけれど、これが、まさに「印象=主観」と「事実」の不可思議きわまりない相関関係から成り立っているのだ。
 要するに、「世界」は「見えているように見えている」(これが「印象」だ)のだが、だとしたら、「存在自体」(これが、いわば「ジャッジ」)には視知覚は決して到達しないということになる。
 正直言って、ここまでは誰でもわかるはずだ。ニーチェだってわかっていた。なんちゃって、えらそうに。
 要するに我々は視知覚によって世界を認識し、その視知覚によって世界から遮断されている……というのが、近代以降の常識なのだけれど、その先まで行こうというのが、今回の試みで、そこには、知覚主体と「世界」の関係が百八十度ひっくり返った、アフォーダンス理論が待っていたのであった。ということで乞御期待!