パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

赤くなったり青くなったり

2006-08-26 21:48:08 | Weblog
 皆さん、知ってましたか? カトゥーンがジャニ……じゃなくて、デビッドカードなるカードは存在しないことを。デビッドカードって、元B21のデビッド……じゃなくて、買い物をした時、その場で預金口座から引き落とすことのできるカードのことだけれど、別に、特別にそのためのカードがあるわけではなく、銀行のキャッシュカードをそのまま、その場でスキャンして情報をコンピュータに送るシステムの名前がデビッドカードなんだそうだ。全然知らなかった。銀行の窓口で「デビッドカードを作るにはどうしらたよいのですか」と聞いたら、奇麗なお姉さんにそう説明され、赤恥をかいた。

 それはともかく、そのデビッドカードで何を買ったかというと、カラーのインクジェットプリンター。これまではあまり必要を感じなくて、モノクロのレーザープリンターを使っていたのだが、ここにきて、カラープリントが必要な場面がちょこちょこ出てきたのだ。
 どんな場面かと言うと、たとえば、プリントセンターなどにデータを持ち込んで、それを自分の望む「色合い」に出力してもらいたい時なんかだ。
 というのは、そのデータがコンピュータのモニター上でどんな発色を示しているのかは、もちろん、私は、それを見てわかっている。ところが、それを、違うコンピュータで開くと、プリント以前に、モニター上の「色合い」が、すでにかなりちがってしまうというのだ。じゃあ、どうしたらよいかというと、正直なところ、「決め手」はなく、結局、依頼者が「こんな感じで」と、見本のプリントを持参するしかないという。

 そんなわけで、最近はプリンターがパソコンのおまけについてくる御時世だし、ということで、ちょうど、ファックスの調子が悪いこともあって、ファックス機能つきのhp製品を買ったのだ。

 しかし、機能盛り沢山なのはいいけれど、設定がそれだけ難しく、ファックスに関してはまだ成功していないのだが、プリントはできる。
 それで、早速プリントしてみたのだが、もう、この時点でモニター上の発色とは全然ちがってしまっている。「決め手は実物と比べるしかない」と言ったのは出力センターの担当者だが、これは、モニターで見た色合いと、現物のプリントが、「完全」はムリでも、「そこそこ近い」ことが前提の筈だ。であればこそ、「現物と比べる」ことが意味をもってくる。それがちがうのでは、モニターで見たような色合いにするためには、今度は、モニター上の「見た目」に手を加え、「手を加えない前」の発色に近付けるしかない。ところが、それをしたら、私が「これでよい」と思った「見た目」の色合いとは違う風にデータをいじることになる。そんな風に弄くったデータを出力センターのコンピュータに持ち込んだら、いったい結果はどうなっちゃうのか。もちろん、そこに、私が目的とする色合いに近い「現物」が添えられていれば、担当技術者がそれに近付けるようにしてくれるわけだが、実は、それも担当技術者の「主観」で行うことになるわけで、かなり不安がある。
 

 ……等々、考えているうちに頭がこんがらかってしまったが、実は、決定的「決め手」がないわけじゃない。それは、「人間の肌」だ。人間の肌が自然に見えるように調整すれば良い。実際のところ、すべての映像システムは、この「人間原理」(宇宙の「人間原理」とは、たぶん、違う……いや、もしかしたら、違わないかも……)をもとにしているのだが、残念ながら、私が持ち込もうとしているデータには、「人間」はいないのだ。じゃあ、人間がいないのだったら、基準がないのと同じようなものだから、たとえば、赤が青になったとしたって構わないじゃないかというと、そうではないのが不思議なところで、苦労しているところでもあるのだ。(人間のいない場面でも、人間の認識が反映されているというのは、アイルランドのバークリーの主張そのものなのだが、これはもしかしたら、宇宙の「人間原理」とどこかでつながっているのかもしれない)

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