パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

困ったこと

2006-08-12 12:11:59 | Weblog
 昨日、新宿に後片付けに戻ったら(まだ続いているんです)、入り口に、私が15センチ×100センチくらいに刻んで、部屋の外に置いておいたプラスチックボードの束が、ゴミ処理券を貼って出してある。
「あ~あ、またか」と溜息。
 実はプラスチックボードが大量にあり、最初は15センチ×50センチくらいに小さく刻んで一般ゴミとして出していたのだが、そのうち、面倒臭くなって、最後の一坪分は、長さ100センチくらいにしたのだ。もし、この大きさでは一般ゴミとしては扱えないというのなら、その旨、貼り紙でもしてくれるか、あるいはほっておいてくれれば、それなりに処理するのに。

 実は、半年ほど前にも同じような、困った経験をした。朝、フロア共同の台所に顔を出すと、私だけが使っているスポンジタワシが、新しくなっているのだ。瞬間、「困った」と思った。
 私が使っていたスポンジが汚れていたので、誰かが親切心からか、あるいは逆に嫌味なのか、わからないが、百円ショップで三個百円くらいのものを買ったかしたのだろう。ともかく、大した金額ではないことは確かだが、それでも、金銭的負担をかけたことは確かなので、その限りではお礼を言わないといけない。しかも、今「誰かが」と書いたが、実は、同じフロアには、当時、二部屋しか埋まっていなかったから、誰が新しいものに代えたのかはわかっている。要するに、202号室の事務おばちゃんだ。そして、それは向こうもそれはわかっている。つまり、新しいスポンジの提供者が自分(=202号室のおばちゃん)であることを、相手(私=205号室の住人)はわかっているということを、わかっている。ということは、誰が新品に代えたかわからない状態なら、それを口実にシカトも可能だが、202のおばちゃんがそれをしたと、私がわかっていることは、202のおばちゃんもわかっているのだ。
  ややこしい説明になったが、要するに、私は202のおばちゃんにお礼を言わなければならなくなったのだが、しかし、もし、「ありがとうございました」と言ったら、それは、「スポンジをここまで使ってすみません」と謝ることと同じになってしまう。それだけではない。「すみませんでした。これからはスポンジをすぐに取り替えます」と徹底的反省を込めた謝罪ということになるのだ。
 しかし、それを使っているのは私だけだ。私のスポンジなのだ。それをどこまで使おうが、私の勝手だろう。ゴミ屋敷の住人のように、他人に迷惑をかけているわけではない。もし、迷惑をかけているとしたら、「汚いものが目に入って、やだ」ということになるが、それは、オーバーでなく、私に対して「あんた、汚くてやだわ」と言っているに等しい。
 もちろん、そんな風におばちゃんが私のことを思っていることはわかっている。「もじゃもじゃの胡麻塩頭の何をやって食っているのかわからない得体の知れないおっさん」と考えているのだろう。そんな風に思われたって全然構わない。そんなことは奥に秘めて、しらっとしていれば済むことだからだ。しかし、今回の件は、そういうおばちゃんの内心を具体的に示すことになってしまった。つまり、今後は「しらっと」対応できなくなる可能性がある。実際、それまでもある程度そうだったのだが、このことがあって以後は、さらに確信をもっておばちゃんを避けるべく、工夫を凝らすようになってしまった。

 「困ったこと」というのは以上だが、考え過ぎだろうか? そんな風にも思ったが、しかし、家庭の主婦同士でこんなことをしたら、どうなるだろう、おばちゃんは、女(特に主婦)同士では「タブー」に近いことをしたのではないか? 男だから構わない、と思ったのだろうか? それとも、女同士では、当たり前のことなのだろうか。「まあ、お気を使っていただいて、ありがとうございました」と、かえって親密さが増したりして。……そんなことはないだろうなあ……。わからん。女はわからん。

 というわけで、プラスチックボードについては、新たな「燃えないゴミ」にゴミ処理券をこれみよがしに、おばちゃんに目立つようにべたべた貼付けて、その脇に積み上げることで意思表示して、バランスをとった。

 なんかもう、こんな変な神経戦までやらかしているので、お引越しに時間がかかってしまったのだ。