パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

狐の祈り

2006-08-11 01:24:03 | Weblog
 昨日、夜9時過ぎに新宿の後片付けから戻って来たところ、ビルが閉まっていて中に入れなくなってしまった。もちろん、カギはもらっているのだが、何故か、合わない。見ると、二部屋ほど明かりがついているので、いずれ中から出て来るだろうと思い、外で待つことにした。イライライラ……ん? ケータイがあるではないか。ということで、ケータイでTVを見た。こういう時は確かに便利だ。(もっとも、普通だったらゲームなんかをやるところだろうが、私はテレビゲームをやったことがない希有な人間なのだ。みのり書房の面接を受けにいった時、待たされた喫茶店で当時大ブームだったインベーダーゲームをやったことが一度あるきりだ)
 ビルの正面にある駐車場の車止めの上に座り、NHKの天気予報なんかをぼんやりと見ることしばし……やがて中から人が出てきたので、あわてて立ち上がり、自分はこのビルの新しい住人であることを説明して、入れてもらった。
 やれやれだ。

 その後、ヤフーのオークションでTVを探し、ぴったしかんかんな物件を見つけた。ブラウン管TVで、値段は1500円となっている。しかも室内アンテナつき。新しいところは(以前の新宿もそうだったが)、アンテナ線がないので、室内アンテナが必須なのだ。それで、これだ!と思い、2000円で入札すると、数字は1600円になった。ということは、400円の差がある。この時点で残り30分ほど。何度か更新して確かめたが、入札価格は1600円のままだ。この分なら、最後まで大丈夫だとちょっと安心しながら、他のことをあれこれ考えているうち、流れるように時間が経ち、ふと心配になった。2000円だって充分に安い。そこで、2500円と再度入力した。するとガビーン!、「2100円で入札終了」と表示が。泣いた、泣きましたよ。タッチの差だ。おそらく数十秒単位だろう。もしかしたら、もっと短いかも。
 昔、証券会社は大学のラガーマンを優先的に採用したが、それは、所定の時間に遅れないためには、「走力」が重要だったからだそうだ。今は、コンピュータだから「反応の速さ」が決めてだ。ガンダムのニュータイプというやつだ。
 と、話題をわざとそらしてみたが、悔しさは変わらない。結構、いい物件は見つけるのだが、最後の「反応」の速さで何度か負けているのだ。クヤチーヨー。なんで、安かったかというと、紹介されていたTVは、アンテナをつないでいない状態で映したので、「砂嵐」になっていた。それで、ちょっと不安でみんな敬遠したのだと思うが、この砂嵐が永遠に続くことを祈ろう。(まさにイソップ物語の「あの葡萄はすっぱい」と捨て台詞を残した狐だ)


お笑い記号論

2006-08-10 12:44:49 | Weblog
 ジキルとハイド氏ではないので、日記二つを書き分けるのはなかなか難しい。続けるうちになんとかなる……だろうか?

 とりあえず、今朝、みた光景から。

 朝マックを食べている時のこと。隣で、オタク二人がケータイ画面を見ながら大声で笑いこけている。あんまり声が大きいので店員から、「他のお客様に迷惑に……」とイエローカードを出されていたが、彼らが夢中に見ていたのは、どうも「クレヨンしんちゃん」か、そのパロディらしい。
 しかし、なんであんな小さな画面で楽しめるのだろう……あ、そうか、お約束というか、記号なんだ。「ここで笑う」、という約束ができている。だから、あんな小さい画面でも楽しめるのだと気がついた。……だと思うけどね。

……と、ミクシー日記には書いたのだが、最近のお笑いは、なべて「記号」なんだ。(今頃気づいたのかっ!てか)だから、お笑いの画面には、それを補完する「文字」が必要なんだ。そして、それに熟達すれば、「補完文字」のない場面、つまり、ライブでも、脳内で「補完文字」がパパパパと連写されるようになるんだろう。ご苦労様なことだ。植木等や由利徹なんか、舞台に現れただけで笑えちゃう。果ては、彼らの名前の活字を見ただけで、おかしさが込み上げてくる。これも記号的反応か? いや、そうじゃないと思うが、ここら辺になると「お笑い論」になっちゃうので、またいずれ。

買ったか、買わされたか

2006-08-09 22:35:01 | Weblog
 今日、ボーダフォンのワンセグ機能とやら付きケータイを買った。3000円。クーラーの室内機を19800円で買った同じサトームセンだ。秋葉原では、最高値が15000円、次が8000円、そして5000円といった感じで、3000円はダントツに安い。5000円のお店で、「安いでしょう。もっと安いお店ありますか」と店員に言われて、「3000円があったよ」と言ったらちょっとびっくりしていた。ちなみに、価格ドットコムで調べたら、最安が9500円だった。価格ドットコムもあまり当てにならない。

 金を払う前に、ボーダフォンのサーバーとの接続設定に30分ほど時間がかかるということで、時間潰しにふらふら歩いているうち、秋葉原名物の、TVで有名になった……あれはなんて言うのだろう、立て板に水の弁説で商品を売っているおじさんの前でふと足が止まった。私が使っているドイツ製の靴の下敷きを売っているのだ。これは、本当に抜群に、掛け値なしに良い。私は5、6年使っているが、その間、延べにしたらものすごい圧力がかかっているはずだが、まったく形が崩れていないのだ。
 そんなことで、ちょっと嬉しくなって、「これいいよね。オレも使っているよ」と軽口を叩いたら、あちゃー、捕まってしまった。
 「あんた、いい靴はいているのに、汚れてるね。私がきれいにしてあげよう。もちろん、タダだよ」と言い出した。捕まってはかなわぬと、「いや、いいですよ」と断ったが、「何言ってるの、タダだよ。タダ」と言葉巧みに誘われて、つい靴を脱いでしまった。売り物の下敷きは現に使っているわけだし、買わなければならない理由は無い。きれいにだけしてもらって、礼を言ってさよならしようと。すると、おじさんは、まず、同じくドイツ製だという防水剤をシュッシュッと吹き掛け、それに、これもドイツ製の靴油を塗った。そして、その後、水をバシャッと私の靴にかけた。水はきれいに弾けている。うん、これは凄い。靴、靴関連商品については、ドイツにかなう国は無い。かの道化者、ティル・オイレン・シュピーゲルも遍歴の手始めは靴屋奉公だったし。
 おっと、思わず雑学知識が……というわけで、露天商売というと際物イメージがあるが、確かに商品は良さそうだと、なんとなく気持ちがあっちゃって、「ぼくの靴、どこのだかわかる?」と聞いた。すると、おやじは、「わからないね。実は靴をひっくり返しながら、どこのだろうと思っていたんだ。どこの?」と言う。「ロシア製なんだ。珍しいでしょ」「ほー、ロシア製。オレも大概の靴はわかるはずだが、ロシアとは思わなかったな」「とてもいいんだ」「そうでしょ。靴だけは、日本のものを買っちゃだめだね。本場のヨーロッパじゃ無いと」などと、会話が弾んでしまった。ああああ~、ここに及んで何も買わずに「じゃあね」する勇気は私には無かった。防水スプレー、2000円也、お買い上げ。
 本当にうまいなあ。脱帽だ。

 で、ボーダフォンだが、今回、早々と電話を解約してしまったため、引越し中に不都合が頻発して、「ケータイがあればなー」と感じること頻りだったことと、新宿にTVを捨ててきてしまったので、なんか寂しく、特に今夜はオシムジャパンの試合があるしと思って、まあ、この際、3000円だしと思って買ったのだったが、はっきり言いましょう! TVは駄目! 映りが悪いわけでは無いが画面が小さいし、液晶なので、運動選手の動きについて行けない。日本が2点目を上げた時点で切ってしまった。韓国で数年前に大ブレークしたそうだが、その理由が「TVを見れる」だったら、センス悪いぞ、朝鮮人! そもそも、今現在、家電売り場で花々しくデモンストレーションしている性能アップした薄型TVでも駄目と思ってしまうほどだから、最初から気づくべきだった。でも、いいか。「電話」が、こなすべき主な機能なんだし、3000円だし(笑)。

訃報!

2006-08-08 12:06:59 | Weblog
 フールズメイトの北村昌士氏が亡くなったそうです。本年6月17日、心臓疾患で。享年49歳とのこと。若いなあ。

 本人、この日のあることを以前から覚悟していたような雰囲気ではあったけれど、でも、やっぱり、できるだけ長く生きたいというのが本音だったと思う。

 つつしんで御冥福をお祈りします。

不思議な体験

2006-08-08 03:56:14 | Weblog
 いわゆる、デザートパンツというのだろうか、イギリスあたりの兵隊が砂漠地帯などで使用しているような半ズボンが600円で安売りされていたので、買ってみた。アカデミックスというブランドで、サイズは34インチ。はいたら、ぶかぶかである。きついパンツはいやなので、大きめにしたのだが、34インチはさすがに大きすぎたか。裾が、ふくらはぎの半ばあたりまで来てしまう。ウェストを無理矢理あげると、なんとか膝小僧の下あたりまで来るが、バカボン状態になってしまう。でも、最近のバスケットボール選手なんか、ずるずるのユニフォームだし、これはこれでいいのかもと思ったが、パンツについていたアカデミックスのタグというか、シンボルイラスとのようなものがついていて、それでは、ちゃんと膝小僧のちょっと上まで来ている。やっぱり、大きすぎたか。それとも、彼我の肉体的条件の相違のしからしむるところなので、仕方ないのかと思いつつ、でも、結構気に入ったので、もう少し小さめのものを買ってみようと、お店にいった。
 この半ズボンはなかなか人気があったらしく、残りは3枚ほどで、34インチより小さいのは32インチしかない。実は、1年前までは、32インチサイズは基本的にちょっときついというイメージがあったので、ワンサイズ下の33インチを買おうと思っていたのだ。それで、32インチと34インチを重ねてみたが、確かにウェストが大分小さい。裾丈を比べてみたら、こちらは心持ち短いといった程度だ。
 う~ん、なんかよくわからなくなったが、ともかく買い求めて、いざはこうと思って、パンツを手にとって、それに足を通そうと思った瞬間! 何故だか、「あ、これはぴったりだ!」と確信した。店先で手にとって眺めすがめつしていた時は、そんなことはまったく思わなかった。たぶん、32インチでもまだ大きすぎるということはないにしても、どの程度、自分の身体にフィットするかは、まったくわからなかった。それが、足を入れようという瞬間に、何も考えることなく、自然に「これは大丈夫」と直感したのだ。
 実に不思議な身体感覚だが、実は、これこそが「アフォーダンス」の典型例なのだ。

 ところでアフォーダンスと言えば、以前、当ブログで、海岸を歩く時は、足跡を消す為に波打ち際を歩く習慣がついてしまった、という小野田寛郎さんの言葉をアフォーダンスの一例としてあげたが、これは、私の理解が浅かったがゆえの、まったくの間違いです。じゃあ、今回の譬え話も間違いの可能性があるではないか、って? いえ、それはないです。ビビッときましたもん。茂木健一郎言うところのアハ体験? うーん、「意識の覚醒(アウェアネス)でもないので、たぶん、ちがう。思わず、難しい問題に入ってしまったので、また後で。

 あ、もちろん、デザートパンツは実際に「ぴったり」でした。裾も、手にとって眺めた時は違いは殆どないように見えたのに、膝小僧の上は無理だったけど、下あたりまでちゃんと来るようになった。「裁断」てのも、不思議なものだ。

ぼくはウナギだ

2006-08-07 13:15:53 | Weblog
 ……というタイトルの本が昔あったそうだ。でも、意味は、「我が輩は猫である」とは違う。「ぼくは、ウナギを注文する」の「注文する」を省いたのだ。「ぼくはウナギだ」の著者は奥津敬一郎という、日本語学者だそうだが、専門家というのは、時としておもしろいことをいうものだ。

 ところで、看護婦を看護士と言いかえることは、新聞、雑誌等の活字メディアでは定着しているみたいだが、読む方では、「看護士……てことは、看護婦だな」と置き換えているのではないか。そもそも、日本語の名詞には男性名詞、女性名詞の区別がないから、「看護婦」と言っているのであって、どうしても「看護士」と表記したいのなら、「女性看護士」、「男性看護士」としなければならない。実際、「看護士」と表記されている人の中には、もしかしたら「男性」もいるかもしれないわけだし……それとも、男性/女性の別がわかる必要はない、というのだろうか? そんなことはないだろう。

 しかし、何故か、日本の言語学者はこの問題に異を唱えていない。たぶん、脇で、くすくす笑っているのだろうが、日本の学者って、こういった具体的社会的問題について発言することを控えてしまう悪い癖があるようだ。癖というか、学者たるもの、俗世間のあれこれには超然としているべき、という思い込みがあって、お互いに牽制しあっているような気がする。

 たとえば、年金問題にしたって、年をとったら子供達の面倒になるという、発展途上国においては未だに存在する社会システムが、もはや存在し得なくなってしまった近代国家の、悲しむべき弥縫策(しかも、いつまで続けられるかはっきりしない)であるという、社会学的本質を社会学者、人類学者が指摘すべきなのだが、それをしないから、年金生活=老人極楽生活みたいなバラ色の未来図をかかげて、先週もNHKでやっていたが、老人の孤独死を防ぐ為のあれやこれやを紹介していたが、年金制度が必要な社会では、老人は孤独死するのが普通なのだということを隠蔽してしまっている。

 なんか、こんな話を書くつもりはなかったのだが……これから、また新宿に出かけて、後片付けだ。いつまで続くやら……多分、明後日には完了すると思うけどね。

クーラー設置奮闘記

2006-08-05 16:16:54 | Weblog
 暑い! 昨日、エアコンを買っておいてよかった。秋葉原、サトー無線で19800円也。カッツェとかいう聞きなれぬメーカーの製品だが、現在ではメジャーのメーカーはマドワク用の室内機はまったく生産していないのだそうだ。なんでだろう……まあ、結局、色々な事情で採算が合わないということなのだろうが。しかし、他の店では、同じものが三万円台半ばになっているので、なんでこんなに安いのかと聞いたら、「多めに注文して、あまっちゃったんですよ」とのこと。
 なるほどね。本だったらこうはいかない。買い切りではなく、返品可だから、本屋は、売れなかったら、売ろうと工夫するのではなく、さっさと返品してしまうのだ。しかし、この制度もアマゾン等の参入で事実上崩れつつある。乞う御期待だ。
 ともかく、即日お持ち帰り、即設置にとりかかったが、設置には苦労した。
 まず、窓のサイズが大きすぎた為、継ぎ足し用の部品を5000円で購入、説明マニュアルを眺めながら作業を始めたが、マニュアルの記述がどうも実際とあわない部分がある。それで中途から、実際作業で工夫しながらやることにしたが、場所が四階で、窓の外はいきなりすとんと外壁になって、下の道路まで落ちている。ベランダ風のものはないのだ。それに、鉄格子のような防護冊もない。高所恐怖症の人だったら、そこから下を覗くまでもなく、近づいただけで怖いような窓なのだ。実際、これが高層ビルの最上階とかだったら、私もこの窓には近づきたくはない。
 そんな窓に重いクーラーを一人で取り付けようというのだから、途中で、重いクーラーが外の道路に落下し、通行人を直撃、新聞に、「無謀な素人工事で死者!」とかいう見出しが頭をよぎったりで、挫折しかかった。「買ったけど、取り付けに失敗しました。新品同様ですが、ノークレーム、ノーリターンで御願いします」とヤフオクで売り捌こうかと、文面まで考えたが、そのうち、ちょっとしたきっかけで作業がスムースになり、窓枠の取り付けに成功した。あとは、本体を取り付ければいいだけだが、普通だったら、本体を持ち上げたまま、腰よりちょっと下のあたりまで持ち上げて、よいしょと窓枠に乗せ、上をちょっと押せば「カチッ」と音がしてセッティングされるのだが、継ぎ足しの部品をつけた為、とりつけ位置が通常より50センチ以上、上になっているため、胸ぐらいまで持ち上げねばならない。
 本体の重量はカタログによると26キロ。数字的には、高校の山岳部にたとえれば、二年生が持たされるぐらいの重さだ。二年生の終わり頃になると30キロくらい担がされる。三年生になると、逆に軽くなって、拾った木の枝か何かで二年生を「おらおら、がんばらんかい!」と、ぴしぴし叩くことができる。といったわけで、40キロ以上担いだとか言う人がいるけど、40キロ以上となるとプロの世界だと思う。
 ともかく、カタログで、女性が「ひょい」といった感じで本体を持ち上げて窓枠にはめ込んでいるイラストが印刷されていたが、26キロというと、なかなかああはいかない。それに、形がサンドバックみたいで持ちにくい。しかし、ここまでやったんだ、最後の一ふんばりだ、と、脚立を使って無理矢理引き上げ、えい!と下の窓枠部分に落としこむと、上から「カチッ」と音がして、セッティングに成功した。やれやれだ。

 さて、使ってみて、サーモスタットの働きでモーターが切れたり、入ったりする時に、器械全体がぶるぶるっと身を震わせる。最初、何が起きたかと吃驚し、後で「ああ、そういえば、以前のクーラーもそうだったな」と思い出し、みんなこれを嫌って、室外機を求めているのだなと納得した。

 しかし、頑張り過ぎたせいか、足の甲のねんざはほぼ治ったのだが、今度は、腰が痛くなってしまった。イテテテテ……。

亀田問題から視知覚を論ず

2006-08-04 13:53:21 | Weblog
 秋葉原と上野の境ということで、昔は駄菓子屋でもやっていたのではないかと思われるようながたがたの店に未開封の段ボール箱を山ほど積み上げた、「卸売風」の家電屋が多い。マックで朝マックを食べた帰り、そのうちの一つの店先で立ち止まって見ていると、弁当屋の初音のじじいとほぼ同年代と思われるじじいが、後ろから「何?」と声をかけてきた。
 「いや、ちょっとクーラーを探しているんだけど。ただ、室外機のないやつ。」
 「室外機のないクーラー? そんなのあるのか」
 「昔使ってたけど。今の事務所、狭いし、室外機を置く場所もないんだ」
と、一つの部屋を大小二つに分割して使っていて、大きい方はクーラーがきくけど、小さい方は、手作りの壁で拒まれて冷気が入って来ないという実態についてはめんどくさいので話さなかったのだが、ともかく、そのじじいは、昔、あったよ、という私の話は無視。「そういうのだったら、ないよ」と言い捨てて奥に消えた。かくして、「今は、そういうクーラーは作ってないのかな」という私の声はむなしく「独り言」状態と化してしまったのであった。くそっ。

 その後、中央通り沿いの店に足を運んで聞いてみたら、「ああ、窓枠用だね。うちは扱ってないけど、置いてる店もあるよ」と言われた。なるほど、「窓枠用」というのかと、「マドワクヨウ、マドワクヨウ」とお念仏のごとく唱えながら隣の大型店に行って、「マドワクヨウのクーラーありますか」と訊ねたら、ちゃんとありました。何種類も。
 あのじじいは、やっぱり「初音」のじじいと同類だったか! 死ね!

 日本を揺るがす、亀田問題(笑)。
 私は、トカちゃん、こと渡嘉敷勝男の、1回のダウンと11回の苦戦の印象が強くて、素人はそれで見てしまうが、実際は、1回、11回以外は接戦であり、勝負はどちらにころんでもおかしくない試合だったので、亀田の勝ちもあり得なくはない、という話が興味深かった。横にいた北野兄が、「でも、みんなの印象とジャッジができるだけ乖離しない方がいいのでは」と言うと、「それが、印象で話しているということなの」と一蹴。北野兄は首を傾げて曖昧に笑っていたが、この問題、たしかに非常に難しい問題を含んでいる。
 というのは、今回、『月光倶楽部』(倶楽部ってつけてみました。へへへ)の「映画の研究」という論文(?)で、視知覚の問題を相当深くやったつもりなのだけれど、これが、まさに「印象=主観」と「事実」の不可思議きわまりない相関関係から成り立っているのだ。
 要するに、「世界」は「見えているように見えている」(これが「印象」だ)のだが、だとしたら、「存在自体」(これが、いわば「ジャッジ」)には視知覚は決して到達しないということになる。
 正直言って、ここまでは誰でもわかるはずだ。ニーチェだってわかっていた。なんちゃって、えらそうに。
 要するに我々は視知覚によって世界を認識し、その視知覚によって世界から遮断されている……というのが、近代以降の常識なのだけれど、その先まで行こうというのが、今回の試みで、そこには、知覚主体と「世界」の関係が百八十度ひっくり返った、アフォーダンス理論が待っていたのであった。ということで乞御期待!

お引越し最終章

2006-08-02 20:02:06 | Weblog
 ようやく新宿旧事務所の後片付けも先が見えてきた状態になったが、いつもはうるさいくらいやってくるパソコン、TV等の無料回収のアナウンスがさっぱり聞こえて来ない。実のところは、1週間くらい前から待っていたのだが、マーフィーの法則だっけか、が働いたようだ。
 それで、もうこれ以上待っているとさすがに大家から怒られると思って、ポストチラシにあった回収業者を電話で呼んだら、ざっと見て、八万円くらいかかると言う。「え!」と思った。二、三万円はかかると思ったが、八万円は予想外だ。
 「最近は捨てる方が買うより余計にかかったりするんですよ」
 確かによく聞く台詞ではあるし、昨日も書いたように、一応工学部に籍をおいていたせいもあって、ゴミ問題には敏感なのでできるだけ協力したいと思うが、八万円は高いと思い、パソコンモニター2台は、無料で引き取る業者が回ってきたら、そこに出すとか、なんやかや言っているうち、モニターも引き取るから、5万円でいいと言い出した。5万でも充分高いと思うが、今どき、しょうがないのかなあと思い、素朴そうなお兄ちゃんだったこともあって、了承した。しかし、よくよく考えると、いったん有料だと言ったモニターが無料になったり、業務用のスチール棚なんか、結構汚れたものが、そこそこの値段でリサイクル屋に出てるし、一応、「全部捨てることになります」とか言っても、一部は、店頭に出すのではないかと疑念をもった。いや、今パソコンでざっと調べたが、全部ゴミとして処分したとしても、高い。
 でも、もう約束して、内金を払ってしまったので、明日、トラックで回収に来た際、こちらで分解して捨てるつもりだった幾つかのものも「これ以上は勘弁してつかあさい」と言うまで(性格上、なかなかそこまで強気にはなれないのだが)引き取らせることにしよう。
 そんなことを考えていると、下から「無料でパソコンお引き取り致します」というアナウンスが。でも、ここは秋葉原なんだよな~(泣)。

 ところで、なんで作業を明日にしたのかと言うと、恥ずかしいので言わなかったが、ゴミとして出すTVで亀田興毅の世界戦を見たかったのだ。本当に強いのか、この眼で見てみたいのだ。しかし、「本当に強いのか」がテーマの世界タイトルマッチなんて前代未聞だな。それで、なおさら見てみたいのだが、結局秋葉原でラジオのTV音声で聞くことになりそうだ。(実は、今の時点(夜七時)で実際の試合は終わっているはず。)

 というわけで、今、ラジオで聞いているのだが、延々とCM音声が流れるばかり。前回もそうだった。お、やっとはじまったかと思ったら、昔の試合のビデオで、しかも、そのことを知らなかったので、何がなんだかわからない放送だったが、さて、今回はどうなるのか。あ、興毅、「いよいよきたな~」と言っております(笑)。

 一昨日、深夜TVで『シベリア超特急3』を見る。英語の字幕つきだったが、アメリカにでも売れたのだろうか? それとも「売るつもり」だけだったのか? あるいは、見栄?(笑)
 しかし、「珍品」の名にふさわしい作品であることは確かだ。説明しづらいが、ただ、「下手」なだけでは、「珍品」の名前はもらえない。まず、大日本帝国陸軍の将軍が「探偵役」という設定が「珍」であり、かつ、世界的規模を持つ。(ということで、外国に売れたことは事実なんじゃないかと想像するが)
 ところで、主役格で小川知子が出ていた。珍しいなーと思っていたら、最後のエンディングロールで三田佳子であることがわかった。あれ? 私は三田佳子は大島渚の奥さんの小山明子と混同しているはずだったのだが、本当は小川知子だったのか……と不思議にこんがらかってしまった。

またまたワイドショーから

2006-08-01 23:21:14 | Weblog
 小二女子、流れるプールで事故死。異変が起きた時点ですぐにポンプを止めていれば、とか、その前に、監視員が危険な場所に近づけないようにその場で見張っていれば死なずにすんだとか、テレビのコメンテーターが言っていたが、そもそもそんな風に対処ができるくらいなら、最初からちゃんと安全点検を行っていただろう。問題はそこなのだ。言い換えれば、小二女子のなんとかちゃんなり、誰なりかが犠牲になるまでは、改善はなされなかっただろう、ということなのだ。残念ながら、我が身を振り返ってみても、人間にはどうしてもそういうところがあることを否定できない。
 これは本当に本当のことなのだが、私は大学の理工学部の機械科中退だが、なんで中退したかと言うと、要するに成績が芳しくなかったからだが、そんな劣等工学部の人間が、趣味で機械をいじるなら別だが、仕事として機械を整備したリ、作ったり、設計したりするとしたら、社会にとんでもない迷惑がかかると思って、止めちゃったのだ。本当に。もちろん、機械科を出て全然別の分野に行くという方法もあるし、実際、そうしたわけだが、それがわかっているのなら、今現在、工学部に在籍している意味がない。とまあ、そんな風に判断したのだ。とはいえ、結局自分は理系の人間ではあると、最近、とみに思う。
 それはともかく、そんなわけでよけいに腹が立つのだが、死者の数で言えば、パロマはもっと酷い。パロマの二代目社長は、「これからいろいろ金がかかるので、従業員をリストラせざるを得ない」と記者会見で抜かしたらしいが、これは更に酷い。こんなケチだから、重大事故がおきたのだろう。パロマは早晩潰れるのではないか。ちなみにパロマの社長は早稲田の理工学部出身だそうだ。俺の中退したところだ。年も似たようなものだから、ひょっとして机を並べていた可能性もある。

 プール事故についても同じで、自治体はリストラの一環でプールの管理を民間に外注していたらしいが、民間依託それ自体は構わないと思う。というか、プール監視のために雇われたわけではない役人がやるより、専門業者がやったほうがいいに決っている。問題は、どんな条件で外注したのかだ。具体的に言うなら、幾らで契約しているのか。「リストラの一環」ということは、安く契約した可能性がある。報酬が安かったら、やるほうも「それなりに」ということになるかも知れない。雇っている方も、「怠慢が目立つが、給料が安いからしょうがない」みたいなことになってしまうのではないか。
 まあ、そこまで極端なことはないと思うけれど、「二度と悲劇を繰り返すな」というんだったら、もっと、ちゃんと理詰めで考えて記者会見にのぞむなりなんなりしないと駄目でしょ。

 ところで、同じワイドショーで、年金の積立金を納めたにもかかわらず、未納とされてしまったおばあさんのことを取りあげていたが、それによると、このおばあさんは、大体三十代半ばくらいの時に六年分を一括して納めたらしい。その時の領収書も保管しているが、役所のハンコがないので、正式な領収書とは認められず、結局このおばあさんの申し立ては「却下」なんだそうだが、「役所のハンコ」がないてことは、役所のミスだろうに。「却下」ということは、それを見つけられなかった方に責任があるという判断で、変な話だが、それはそれとして、六年分のとして納めた金額は、58050円だそうだ。え?とびっくりしてメモしたもので、間違いない。一ヶ月、800円くらいだ。それで、それをちゃんと納めたと認められたとして、もらえる年金は一ヶ月12万円だと。
 う~ん。というわけで、今、社会保険庁のhpで調べてみたが、年金制度が発足した昭和36年当時で、掛け金は月百円、これを40年間おさめて、もらう金額が月4500円ということで始まったらしい。ん? てことは……昭和36年はたしか、安保の年、1960年だからその40年後、つまり2000年から支給開始てことか? そうじゃないだろう。昭和36年当時で、幾つだかしらないが、たとえば60歳以上の老人(ククク……)は、月額4500円をもらえたということだろう。もちろん、掛け金を払ったわけではない。
 年金制度とは、積立金の意味ではなく、肉体がピンピンしてて、金の稼げる現役世代が、年をとって収入の道のなくなった老人を助けるという制度だから、別に掛け金を払わずにお金を貰ってもいけないわけじゃない。そう保険庁も説明しているのだが、「40年間おさめて、もらう金額が月4500円でスタート」とも確かに書いてある。そもそも、件のおばあちゃんは、年金未納とされて減額されているわけだ。てことは、おばあちゃんは、現役世代として、当時の老人を助ける義務を「六年間分」怠ったので、その分のペナルティとして、支給額が減らされているのだろうか?
 なんか、わからんねえ。ということで、時間がなくなったので、また明日。