Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

小沢氏初公判

2011-10-08 08:32:10 | 未分類
以前にも何度か書きましたが、小沢氏は角栄、金丸の顛末を十二分に認識しており、「カネ」については法的には抜かりはないと考えています。
また、政治(派閥)に掛かる金は旧態依然で、その点では小沢氏は真っ黒だと考えています。

自分が「真っ黒」と考えることと、法律と証拠に基づく「真っ黒」は全くの別物です。

マスコミが「市民感覚」とか「市民感情」が納得しない旨を書きなぐりますが、マスコミが懸命になって「小沢は真っ黒」と刷り込んだ結果の「市民感覚」であり「市民感情」です。

このような「市民感覚」とか「市民感情」を拠り所に、物的証拠もないのに有罪と断じ報道することにジャーナリズムの欠片もありません。

供述調書がことごとく証拠不採用となった陸山会元秘書の判決で、「推認」の乱用は奇異と考えます、なぜ「認定」としなかったのでしょう。
証拠が無い案件で法廷のやり取りだけをもとに、判事が考えるところの「合理的だ」、「自然だ」の「推認」で有罪にされたら、冤罪だらけになります。

誤認逮捕でもされたら、当然証拠はありませんから、口下手の被告と検察とのやり取りだけで、判事が考えるところの「合理的だ」、「自然だ」の「推認」で有罪にされてしまいます。
市井人の生活の中で、他人の良い事は矮小化して、悪い事は増幅して伝わる傾向がありますから、そのような「市民感覚」とか「市民感情」を慰撫する為だけの有罪判決が。

この島国の政治がポピュリズム(Populism)に落ち込む象徴的な裁判に見えてきます。



ソクラテスの「悪法もまた法なり」との言葉が、悪法であっても、法である以上は従わなければいけないと理解(洗脳)されていますが、出典を探してもありません。
唯一引っ掛かったのが、プラトンのPHAEDO 「obey and do not do otherwise」で、「従い、そうでなければ従いません。(拙訳)」です。(http://www.san.beck.org/Phaedo3.html#66より抜粋)

自分の考え(思想、哲学)に合えば従うが、合わなければ従わない、つまり自分の考え(思想、哲学)に殉ずること、と理解しました。

欧米では、法実証主義の一般的見解として「悪法もまた法である。しかし、法だからといって従う義務はない」と。

どうも、明治の新米政府と法曹の輩が、新米国家に都合のよい「遵法精神」にすり替えて吹聴した形跡が伺えます。
謀反、一揆などの反体制の動きを一方的に封じ込める悪法の執行に正当性を与えるために。

もう少し、調べてみます。


東電の責任

2011-10-07 06:53:00 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
福島県の子どもの甲状腺機能に変化があったことが報道されました。
ここ暫く、新聞、TVに縁遠くなっており、商い仲間から教えて頂きました。

『甲状腺機能:福島の子供10人に変化 NPO検診』(2011.10.04毎日 抜粋)
長野県松本市のNPO法人「日本チェルノブイリ連帯基金」(鎌田実理事長)と信州大医学部付属病院が、東京電力福島第1原発事故後に県内へ避難した福島県の子どもを検診し、130人中10人で、甲状腺ホルモンが基準値を下回るなど甲状腺機能に変化があったことが4日分かった。健康状態に問題はなく原発事故との関連は不明・・・・

この報道のポイントはいくつかありますが、子どもの検診をしたのは福島県立医科大ではなく松本市にある信州大医学部付属病院であることです。

福島県立医科大学副学長の山下俊一(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)は、県内の巡回講演等で「福島における放射線による健康被害はない」、「今のレベルならば、ヨウ素剤の投与は不要だ」「1時間当たりの空間線量が10マイクロシーベルト以下であれば、外で遊ばせて大丈夫です」と安全を強調(主張)し批判を浴びています。(何故か、朝日新聞は今年の朝日がん大賞としました。)
また、広瀬隆、明石昇二郎は、「100ミリシーベルトまでは安全であると繰り返し、福島の人々に被ばくを強要させてきた」として「業務上過失致傷罪」で刑事告発しました。(Wikipedia)

松本市長の菅谷昭(信州大学医学部卒、NPO法人チェルノブイリ医療基金理事長)は、チェルノブイリ原子力発電所事故の際に、放射能汚染により甲状腺癌患者が急増していたベラルーシで医療活動をした経験があり、ベラルーシの隣国であるポーランドが小児の甲状腺癌の増加を防いだのは初期の素早い対策にあったと指摘しています。(Wikipedia)

安全神話を吹聴した山下俊一が副学長である福島県立医科大学は、率先して子ども達の検診をすべきであり責務があります。

山下俊一の発言(暴言)に対して、何故、直ぐにバレる嘘を言うのか、御用学者にしてはお粗末すぎますので不思議でした。
が、山下俊一の研究テーマは、「 放射線と甲状腺、遺伝子診断と治療、国際医療協力(Wikipedia)」なので、研究材料の増加を願っているだけ(おぞましい人間)ではと考えました。

いづれにしても、福島県の子どもの甲状腺機能の変化が甲状腺異常や甲状腺機能低下症にならないことを願うばかりですが、この責任はすべて東電にあります。

マスコミは東電のコメントを取り報道すべきです。



福島県南相馬市小学校で10/2に、保護者や教職員ら約70人が除染作業をしました、保護者達の「子供が安心して通えるように、できる限りのことをしたい」の思いから(2011.10.02読売)ニュース映像でも報じられていましたが、なぜ東電は一緒になって除染作業を行わないのでしょうか。
保護者や教職員の不安、休日の作業を強いる原因は、全て東電にあります。

マスコミは東電のコメントを取り報道すべきです。

マスコミは、東電が市民、自治体、企業等に被害、負担、不安を与えていることを報道する際には、東電のコメントを取るべきです。

「風評被害」もしかり、消費者に東電の責任を転嫁するものであり「東電被害」そのものです。
東電は、国、自治体の後ろにスルッと逃げようとしています。

これらの原因は、東電に有ることを常に報道し続けるべきです。


懐メロ

2011-10-05 06:25:19 | 未分類
テレビから懐メロが、昭和40年代、50年代の歌が流れます。
ちょっと前までは、昭和20年代、30年代の歌だったのですが。

団塊世代そのものを狙撃しています。

虫唾が走る杉田二郎の映像がワンカットありました。
ジローズの「戦争を知らない子供たち」(北山修作詞・杉田二郎作曲)は、自分の反戦気分(モドキです)を満たす(他人事です)から、受けがいいのでしょう。

発売中止となった「頭脳警察1」(1972年3月)に収録されている歌です。

「戦争しか知らない子供達」

戦争の時代に 僕らは産まれた
第一羽田 第二羽田 
ジュッテンニイチ 三里塚 そして今でも戦い続ける
僕らの名前を聞かせてあげよう
戦争しか知らない子供達さ

平和に憧れ僕らは育った
ゲバ棒竹槍ヘルメット パイプ爆弾ダイナマイト
今日も明日も戦い続ける
僕らの名前を覚えて欲しい
戦争しか知らない子供達さ

頭脳警察PANTA(中村治雄)の「戦争を知らない子供たち」を痛烈に批判したパロディで、時代を傍観した他人事としてしか認識しておらず、反戦の表層に乗り遅れまいとした質であることを射抜いています。

「戦争を知らない子供たち」は、「僕たちは世界を変えることができない」典型ですが、「戦争しか知らない子供達さ」は、「僕たちにしか世界を変えることができない」と時代を切り裂く幻想(夢想?)を見ることができます。

このような歌が懐メロで放送されるなら視聴するのですが、放送するはずがありませんね。



近年やたらと当時の人々の著作が出版されていますが、手にする気がしません。
彼らに次の歌を、胸元に突き刺したくなる気分になります。(自分自身に対してもありますが・・・)

「頭脳警察1」からもうひとつ抜粋します。

世界革命戦争宣言(抜粋)

我々は、自衛隊、機動隊、米軍諸君に、公然と銃をむける。
君たちは殺されるのがいやなら、その銃を後ろに向けたまえ!
君たちをそそのかし、後ろであやつっているブルジョアジーに向けて。
我々、世界プロレタリアートの解放の事業を邪魔する奴は、
誰でも容赦なく革命戦争の真ただ中で抹殺するだろう。
世界革命戦争宣言をここに発する。

テレビからの懐メロに触発されて、一瞬感傷を演じてみました。


共・有時試論 補遺その1

2011-10-03 23:16:52 | 異形の滓
辛うじて文章化したものを補遺としてアップしますが、分かりづらいことは否めませんので、初めにお断りしておきます。

因果律

問うことに意味がないは、その問いが初めから問われなかったことになります。
この非論理を論理的と考えることを強います。

また、

対象は、認識、見る、観察、意識等により対象自ら性質を規定する、その性質の現れ方は確率にしか過ぎません。

と、同じことが言えます。

過程の真ん中が欠落していますが、何が欠落しているのか問うことが出来ません。

ですから、敗戦後から、維新後から、戦国後から、大化の改新後から、縄文、石器、人類誕生、恐竜等から現在の社会を貫く歴史的イデオロギーに普遍性を定義づけることには、二重の誤謬が覗いています。



テーブルに林檎があります。
小一時間前にスーパーで買ったものです。

ここに、消費、貨幣、商品、流通、労働等を見るのでしょうか。
林檎そのものを考えると、生産、品種、改良、原生種、伝播、また色、形、味、歯触り、香り、また、スケッチ跡、食べられることなく腐敗、家庭菜園の肥料として大地に。

これらの一部分を、任意に、恣意的に、偶然に切り出し、法則を、また、この事を問うことの無意味を、問いがそもそも無かった、と。

このように、量子(力)学の難解で面白い混乱の質があります。


辛うじて論理は止揚だけが、保持されていると考えます。

つづく