辛うじて文章化したものを補遺としてアップしますが、分かりづらいことは否めませんので、初めにお断りしておきます。
因果律
問うことに意味がないは、その問いが初めから問われなかったことになります。
この非論理を論理的と考えることを強います。
また、
対象は、認識、見る、観察、意識等により対象自ら性質を規定する、その性質の現れ方は確率にしか過ぎません。
と、同じことが言えます。
過程の真ん中が欠落していますが、何が欠落しているのか問うことが出来ません。
ですから、敗戦後から、維新後から、戦国後から、大化の改新後から、縄文、石器、人類誕生、恐竜等から現在の社会を貫く歴史的イデオロギーに普遍性を定義づけることには、二重の誤謬が覗いています。
テーブルに林檎があります。
小一時間前にスーパーで買ったものです。
ここに、消費、貨幣、商品、流通、労働等を見るのでしょうか。
林檎そのものを考えると、生産、品種、改良、原生種、伝播、また色、形、味、歯触り、香り、また、スケッチ跡、食べられることなく腐敗、家庭菜園の肥料として大地に。
これらの一部分を、任意に、恣意的に、偶然に切り出し、法則を、また、この事を問うことの無意味を、問いがそもそも無かった、と。
このように、量子(力)学の難解で面白い混乱の質があります。
辛うじて論理は止揚だけが、保持されていると考えます。
つづく
因果律
問うことに意味がないは、その問いが初めから問われなかったことになります。
この非論理を論理的と考えることを強います。
また、
対象は、認識、見る、観察、意識等により対象自ら性質を規定する、その性質の現れ方は確率にしか過ぎません。
と、同じことが言えます。
過程の真ん中が欠落していますが、何が欠落しているのか問うことが出来ません。
ですから、敗戦後から、維新後から、戦国後から、大化の改新後から、縄文、石器、人類誕生、恐竜等から現在の社会を貫く歴史的イデオロギーに普遍性を定義づけることには、二重の誤謬が覗いています。
テーブルに林檎があります。
小一時間前にスーパーで買ったものです。
ここに、消費、貨幣、商品、流通、労働等を見るのでしょうか。
林檎そのものを考えると、生産、品種、改良、原生種、伝播、また色、形、味、歯触り、香り、また、スケッチ跡、食べられることなく腐敗、家庭菜園の肥料として大地に。
これらの一部分を、任意に、恣意的に、偶然に切り出し、法則を、また、この事を問うことの無意味を、問いがそもそも無かった、と。
このように、量子(力)学の難解で面白い混乱の質があります。
辛うじて論理は止揚だけが、保持されていると考えます。
つづく