Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

釧路の雨 その2

2010-07-08 06:23:46 | 未分類
Jazz This is

ほろ酔いで小雨の中、「Jazz This is」に向かいました。
北大通りを一本東側の通りを駅方面に向かったのですが、すれ違う人がいません。
たどり着いた店内では、マスターがポツネンと音の洪水の中にいました。

マスターと短いやり取りをしました。
「先月の25日に41周年を迎えました。」と語っていたことが印象に残りました。
珈琲と煙草とジャズピアノに委ねていた一時間余り、お客は来ませんでした。
どこのJazz喫茶も、厳しいのでしょう。


「Jazz This is」のHPより


駅前のビル街

駅前に通じる通りを行き来しての感想です。
ビジネスホテルと駐車場が、やたら目に付きます.
支店、営業所、出張所などの出先が撤退した結果なのではと思います。


駅前のビル街

北大通り

北大通りは、駅前の繁華街だと思うのですが、シャッター通りとなっています。
彼女が何葉かの街並みの写真を見て、「雨天なのに街並みが明るいね。」と言っていました。
北欧の街並みは、明るいです。スウェーデンのマルメを訪れたことがありますが、街並みが色鮮やかでした。何か通ずるものがあるのかもしれません。


北大通り

スーパーおおぞら

行きも帰りもお世話になりました。
車内放送で「鹿などの野生動物のため急ブレーキ」の旨があり、北海道(道東)を感じさせました。


釧路駅1番ホーム


幣舞橋(ぬさまいばし)の橋上彫刻「四季の像」(春 舟越保武、夏 佐藤忠良、秋 柳原義達、冬 本郷新)を撮るつもりでしたが、雨天のため断念しました。


釧路の雨 その1

2010-07-06 06:27:39 | 未分類
商いの関係で、釧路に(一泊二日)行ってきました。
釧路は通り過ぎてしまう街で、泊まった記憶は十数年前になり、ただ呑んだくれた記憶しかありません。

雨が強く弱く降り続けており、性分から街中を歩き回ることが億劫になりました。

釧路駅


雨の中の釧路駅

豊文堂書店

古書の豊文堂書店に立ち寄りました。
絶版の哲学書2冊と敗戦直後のソ連関係1冊を購入。
硬派の品揃えであり、小さな店舗ですから冊数は押さえ気味で、駅の北にある本店に顔を出したくなりました。

専門分野の書籍があり、この街の知性を物語っているのか、店主の嗜好なのか、または大学教員の蔵書が並んでいるのか?


豊文堂書店

同店の2階の喫茶ラルゴで、ツナとトマトのパスタを頂きました。
前夜、友人の命日に仲間と墓参りのあと食事で、ワタリ蟹のパスタ、大変濃厚な味を堪能しましたが、このパスタはアッサリしておりガーリックがほのかに効いており美味しく頂きました。


くしろ炉ばた

商いも無事終り、晩飯は「くしろ炉ばた」に行きました。
店に着いて全景を撮ろうとしたのですが、デジカメも携帯もホテルに。
開放感から高揚していたようで、お粗末な話です。

アツアツのホッケとビールを頂きました。
勘定の際、小銭入れもホテルに忘れていることに気付いた次第です。


「くしろ炉ばた」のHPより


哲学者とオオカミ その2

2010-07-05 06:15:52 | 読書ノート
著者のスタンスが48Pに、書かれています。

人間にとってのみ実存が本質に先立ち、オオカミの本質はオオカミの実存に先立つ、ことに疑問を呈しています。(48Pの主旨)

これは、実存主義を齧ったことのある方なら本書のテーマが何かお分かりだと思います。

このような一般的観念の根底には、人間の驕りそのものがあると。

サル(=人間)の邪悪性とオオカミとの日常を論じ、人間が犬を愛するのは、人間がサルになる前の、私達が持っていたもの(失ってしまったもの)を思い起こさせるためと考えています。

人間にオオカミのもつ存在の尊厳とサルの邪悪性(計算高い)を見ており、自らの内面的葛藤を赤裸々に書いており(哲学者ゆえ?)、構造主義の考え方が基底に読み取れ、自分と向き合うことがどのようなことなのか、具体的に分かりやすく書かれています。

「時間」の捉え方は、著者とは異なりますが、第8章「時間の矢」は、秀逸な論考となっており、この章だけでも本書を読む価値があったと考えます。


著者とブレニン(「哲学者とオオカミ」 マーク ローランズ 白水社)


メモが果てしなく増殖しだしたので、端折ります。


哲学者とオオカミ その1

2010-07-04 07:06:29 | 読書ノート
僕は「猫、犬そして・・・(Cat、Dog and I)」のテーマで、簡単なメモを取り続けています。
惜しむらくは、愛犬がこの家に来た時からメモを取っていればと思いました。

昨年の正月から初夏にかけて、愛犬が獣医師に見放されたことがきっかけです。
ひとつ屋根の下で、一緒に生活している「猫、犬」について、考えたこと、考えさせられたこと、考えなかったことを、個人的な断片として。

「猫、犬」が、一般的に持っていると言われる性質と固有の気質(先天的、後天的)との違いはよく分かりません。
意思疎通(コミュニケーション)が図られていますが、感情(感覚的?)の膨らみ方、曲がり方、尖り方、萎れ方等が言葉を無意味なものにしています。

ひとつ屋根の下で暮らしていますと、愛しく思う対象ではなく、かけがえのない「存在の尊厳」そのものと考えるようになりました。

愛猫、愛犬が言語で思考していないことから、このような表現が的確かどうかは別にして、「命」として凛と起立し続けています

愛犬の顔(頭)を両手で掴み、目を覗きこみますと目を逸らしますが、たまに目を逸らさず僕の目を覗きこむ時があります。
また、雑読をしていて、書かれている事柄を理解、解釈、分析、確認等のあと、自分自身の解釈、価値観、思考方法等と格闘しますが、完全に自分自身の中に入ってしまうことが多々ありますが、ふと気付くと、足元に蹲ってイビキをかいていた愛犬が、僕の目を覗きこんで、我に返させてくれます。

言葉を削ぎ落としたところの、「存在の尊厳」を愛犬に見ます。
愛猫は、お構いなく開かれた本の上に座り込むか、本の上を疾走します。

突き詰めていきますと、共同体、関係性、存在、言語、生命、類的等について私的言葉で構築することとなります。

飼い主として十全でなく、愛犬として十全でなく、それでいて共通の瞬間、感覚の膨らみを通して、言語の無い「存在の尊厳」の場を認識します。


愛犬のお尻です。

「哲学者とオオカミ」(マーク ローランズ 白水社)を書評で知り、今日届きました。

この類は、読まなければならない本ではなく、読みたい本の典型です。
さて、これから読むとします。


大相撲賭博

2010-07-03 07:36:13 | 未分類
相撲が国技と多くの人に浸透していますが(国技館の名称のおかげ?)、一瞬にして崩壊しました。
国技としては、「剣道」「空手」「なぎ刀」「柔道」等も自称しても良いと思います。

参議院選挙公示日に、大相撲賭博で「逮捕者」が出たと、大々的に報道されました。
僕は本来へそ曲がりですから、「何故、公示日に?」と。
選挙報道の過熱に水を注すためだと考えます。

選挙報道がヒートアップすると、もっとも負の影響を受ける政党または国の機関の意思を忖度したのでは?
選挙報道のヒートアップをもっとも恐れているのは、誰かな。

昨日(6/28)調査委員会の報告があり、相撲協会、理事会、調査委員会の名古屋場所開催への予定調和が見られました。

調査会座長の伊藤滋は都市計画の専門家ですが、何者か調べてみました。

財団法人社会安全研究財団の理事長(H8.03.26就任)をしており、理事はパチンコ台メーカーの社長連中と伊藤一実(元警察庁警察大学校長)、林則清(元警察庁刑事局長)、松原洋(元警察庁中部管区警察局長)、専務理事田 正文(警察庁中部管区警察局長)とそうそうたる警察官僚の天下り先です。(同財団HPより)

また、父は『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳で、最高裁まで猥褻と芸術で争った伊藤整です。

歴史の皮肉を見てしまいます。


仲良く(?)晩御飯

今後の展開で見物は、NHKが放送を中止か継続するかです。
国技としての相撲の観点からではなく、経営上の判断をすると思います。
どっちにしろ、受信料収入にはね返りますからね。

リンクしています晴走雨読氏は、NHKの報道スタンスを批判しています。

『相撲や芸能と興行、暴力団との関係は、深い歴史があることくらい百も承知で国技として中継してきたはずである。初めて知ったような顔をした報道姿勢には疑問がある。』(サブプライムから世界恐慌へ 新自由主義の終焉とこれからの世界 その2 10.06.20)

座長伊藤滋が、相撲協会を断罪し、元検察官僚村山弘義を理事長代行に就任させるのは、警察・検察の出来レースであり、この出来レースにNHKも加担、と勘繰ってしまいます。