TVカメラは、法政大学法学部の無期停学中の斉藤君(20歳)を追っています。
彼は、当局に対してノンセクトラジカル(こんな言葉もありました)のスタンスで中核派とともに活動しています。
両親は「法政大学弾圧に抗議し、即時釈放を求める全国声明」の呼びかけ人となっており、父親と息子との会話には余裕がありました。
後半に両親と息子の軋轢を映しています。
息子「大人たちがだらしなさすぎる―。」
父親「普通になってほしいだけだ。」
両親の学歴を高卒と紹介しています。ここからがこのメモの本意です。
高卒の両親は、息子に大卒の肩書きを与え、両親の属している階層から別の階層を志向しています。
息子は、そのような両親を含めて「大人たちがだらしなさすぎる―。」と言い放っています。
ここに前衛とかマルクス主義者とか称する人たちが自明の理としてしまう、古くからの問題が凝縮されています。(これが社会主義国家崩壊の主因だと言えます。)
学生は、両親、労働者の犠牲によるプチプル・インテリであるから、両親、労働者をプロレタリアとして階級認識のもと共産主義革命を担う主要な政治勢力とする責務があり、自らはプロレタリアとしての自己形成に変革し創造するために闘わなければならない。(この類のフレーズが溢れ、常識となっていました。)
一見もっともらしいですが、学生運動が革命運動に、人民、市民、大衆が階級認識にリンクするかどうか以前に,両親、労働者に学生の立場を再生産するだけの奇妙な論理が派生します。*
市井人にとって、自ら属する階層から離脱することに特別の意味を付するから誤謬するのであって、単なる自然の営みのプロセスにすぎません。
つまり、反スタに対する「反」が表出します。
* この場合の人民、市民、大衆(これらの言葉は手垢が付き過ぎています。)、また、僕が用いる市井人は、かなり難解であることに気付きます。
器物破損で逮捕され、動揺した家族、そして母親が留置所に行くシーンが続きます。
その母親の「まだ若いからやり直せるし、やり直してもらいたい。」と話すシーンで終わっています。
彼は、当局に対してノンセクトラジカル(こんな言葉もありました)のスタンスで中核派とともに活動しています。
両親は「法政大学弾圧に抗議し、即時釈放を求める全国声明」の呼びかけ人となっており、父親と息子との会話には余裕がありました。
後半に両親と息子の軋轢を映しています。
息子「大人たちがだらしなさすぎる―。」
父親「普通になってほしいだけだ。」
両親の学歴を高卒と紹介しています。ここからがこのメモの本意です。
高卒の両親は、息子に大卒の肩書きを与え、両親の属している階層から別の階層を志向しています。
息子は、そのような両親を含めて「大人たちがだらしなさすぎる―。」と言い放っています。
ここに前衛とかマルクス主義者とか称する人たちが自明の理としてしまう、古くからの問題が凝縮されています。(これが社会主義国家崩壊の主因だと言えます。)
学生は、両親、労働者の犠牲によるプチプル・インテリであるから、両親、労働者をプロレタリアとして階級認識のもと共産主義革命を担う主要な政治勢力とする責務があり、自らはプロレタリアとしての自己形成に変革し創造するために闘わなければならない。(この類のフレーズが溢れ、常識となっていました。)
一見もっともらしいですが、学生運動が革命運動に、人民、市民、大衆が階級認識にリンクするかどうか以前に,両親、労働者に学生の立場を再生産するだけの奇妙な論理が派生します。*
市井人にとって、自ら属する階層から離脱することに特別の意味を付するから誤謬するのであって、単なる自然の営みのプロセスにすぎません。
つまり、反スタに対する「反」が表出します。
* この場合の人民、市民、大衆(これらの言葉は手垢が付き過ぎています。)、また、僕が用いる市井人は、かなり難解であることに気付きます。
器物破損で逮捕され、動揺した家族、そして母親が留置所に行くシーンが続きます。
その母親の「まだ若いからやり直せるし、やり直してもらいたい。」と話すシーンで終わっています。