Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

左翼批判?

2007-03-05 19:27:12 | 酔生夢死
晴走雨読様へ

晴走雨読氏のブログ「左翼への批判(2007.03.04)」のコメント用に作成したのですが、文字数が多く登録できないため、私のブログにアップします。

日本国憲法には「○○の自由」が十数個明記されています。

「自由とは必然性を認識することです。」は、哲学的にはひとつの答えです。
私的には「あるがままの己を律する自由」が究極の自由と考えています。

ただ、現代社会は先鋭的で、これらの概念の先を行っています。

左翼は社会が解放されると人間も解放され、自由と平等の社会で自由で平等な人間(真の人間)となれる旨を吹聴しています。

人間にとっての「自由」の中身を提示していません。

また、左翼系の学者や評論家は現代社会を的確に分析していますが、分析で完結しています、なぜあるべき人間の姿を提示しないのでしょうか。

この人たちは、己の個人的な生き様の吐露、あまりにも貧しい生き様(私は貧しい生き様を慈しんでいます。)には、普遍性が無いとでも考えているのでしょうか。
それとも左翼全体主義との批判を恐れているのでしょうか。
左翼系の学者や評論家の限界を示しています。

自己喪失を自覚することは、人間として良質な部分と考えます。この方々に「カルト」が入り込み、「左翼」が入り込めないことは、左翼の限界(現状)を物語っていると考えます。

今、左翼に必要なのは「自由とは必然性を認識すること」を知っていることではなく、「内なる必然性」の質を問い質し1人ひとりが「内なる必然性」を構築しなければならないことだと考えます。

「自由」=「自(おのずから)に由る」は、「無我」に連なりますが、好奇心をそそる世界でもあります。



現代マルクス・レーニン主義事典 上巻 (社会思想社)1169P「疎外 ヘーゲル左派」より

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