Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

他者理解

2007-12-11 20:30:12 | 酔生夢死
晴走雨読氏が『犬と猫と』に寄せてくれたコメント<人と人も種の違い位隔たりのある人もいますから。>に、妙に同感しました。

この「同感」を解してみますと、僕自身がそのような人々に拘っていることが透けて見えますので、自身のなかにも同質の「気分」があることを物語っています。

コミュニケーションのひとつである会話は、感情、意思、思弁、知識、無意識などを他者とのあいだで、言葉、動作、表情、フェロモンを媒体として相互作用としてあります。

自分の「考え、主張」をまったく省みない人(更に自分は常に間違っていないと考える人は、悪質な人と考えています。)
批判されると自分の保身の言い訳をとうとうと話す人(度を越すと悪質な人)
何を話しているのか意味不明で自己主張のない人
自分の「考え、主張」を押し付ける人
自分の「考え、主張」が否定(批判)されると、人格が否定されたと考える人
ひたすら喋り続ける人  など
との会話に遭遇する場面があります。

つまり会話が成り立たない人々が、結構います。当人は会話が成り立っていると思っているところが最悪です。

隣近所とか知人、友人とか親戚の方々であれば、単なる世間話の類と割り切ればいいだけの話ですが、商いに関する人の場合は最悪です。

思うに、言葉などを通しての他者理解ができない人々だと。
一歩突っ込むと、それ以前に自己理解ができていないと言えます。

極端に表現しますと、他者の主張、体験、感性などを受容することができない、脳の構造を持っているとしか思えません。

日々の会話は、思考の泥沼から脱け出す言語空間の再構築となり、そして破壊し自省するコミュニケーションでありたいと考えています。

*あえて、言語、認知、障害、人権、差別、心理などに展開はしません。


最終号です、記念に購入しました。
この質でよく26年間も続いたものです。