Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

鈴木様へ

2007-03-16 20:11:05 | 未分類
コメント有難うございます。

ベースアップ「何百円」が、労働組合にとって意味があっても、労働者にとっては無意味と考えています。
「労働組合は革命の学校である。」(永続革命論レフ・トロツキー現代思潮社)ことを、民主系、日共系の組合に求めませんが、真似事くらいは標榜すべきと考えています。

「資本」の姿が見えづらくなっていますが、それ以前に、労働者(派遣、請負)の敵は労働者(正職員)となっている状況があり、キャノン労組を揶揄しているところです。(「キャノン製品不買宣言 その後」 2007.2.23)

「自由は必然性の認識」のフレーズがありますが、この必然性は本来『内的』なものを意味していますが、何故か『外的』としています。
左翼全体主義と蔑称されることを怖れているように見えますが,『外的』とする限界に気付いていません。

「左翼」、「右翼」の「変革=革命」や「改新=維新」の主張は、市井人は『内的』な空腹を満たさないことに気付いていますが、両陣営は気付いていません。

檄文「ロシア市民へ!」(レーニン全集第26巻243P大月書店)の事象(ロマン)を否定するものではありません。



  これが噂の「じゃがポックル」です。



中原中也

2007-03-16 01:51:47 | 未分類
ちょっと一服

黒春(高校生)の真っ只中から定期購読(惰性)している現代詩手帖03月号(思潮社)を流し読みしていて、辻井喬「詩学ノート」が目に止まりました。
今更、辻井喬でも無いでしょうが、戦後の「四季」、「荒地」の詩人たちの、「詩」の「社会性」について書かれていました。

陳腐な表現ですが、世界が一瞬にして破壊される、凍りつく、愛に満ちる営為(詩篇)の出現を密かに期待しているのですが・ ・ ・

中原中也生誕100年なんですね。
4月29日には、中原中也記念館(生家跡)でイベントでしょうね。
彼の詩にも社会、世相を批判したものがありますが、時代が時代ですからストレートな表象ではありません。

中也と言えば、やっぱり

    「汚れつちまつた悲しみに」

     汚れつちまつた悲しみに
     今日も小雪の降りかかる
     汚れつちまつた悲しみに
     今日も風さへ吹きすぎる
         
         略

と思ってしまうのかな・ ・ ・



「昔、彼と彼女は山口市湯田に尋ねたことがあるそうです。ワン。」
「彼女は、好きでないようです。ミュゥー。」