Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ733. おかしな考え方

2024年06月24日 | field work

 郵便局の会話
「EMSで荷物を送りたい。A4の入るダンボール箱をください。」
郵便局の若い女性「EMSなら袋はありますが、EMS用の箱はありません。」
はあ!、入り口に積んであるじゃん。何いってんだろ、この姉ちゃんは。
「ほなら、他の郵便局で探しますわ!。」
アホに付き合っていては時間の無駄だ。
 こうした事務的会話の勘違いは私たちの日常でよくある。私はダンボールが欲しかったのに、お姉ちゃんはEMS専用のボックスがあるかという質問と解釈したようだ。わたしはそんな質問はしてない。お姉ちゃんの融通の効かない解釈が間違っていたわけだ。
 これがおばちゃん職員だったら、EMS用ではないが普通のダンボール箱ならあるよ、となるだろう。つまり機転が効く頭の働かし方が必要である。郵便局のお姉ちゃんは、知識あっても機転がきく頭ではなかったわけだ。
 もう一つ思い出した。東京銀座伊東屋の事。
 私の昔の名刺英文にプロデュースという文字のスペルが1文字多かった。そして誤植のまま印刷され、私はそんなこととは知らずに長くこの名刺を使用していた。
 後日京都の印刷屋に同じ名刺を注文してしたら、間違いを指摘してしてくれた。その時私は間違った名刺を何年も使い、そして周りから笑われていた事を初めて知った。銀座伊東屋が校正をちゃんとしなかったために。そのことを店で言えば紋切り型の返事が返ってくる。
「校正は、お客様がしていただくのが原則でして・・・。」
たしか伊東屋の印刷屋からスペルが違うのでは?、という指摘はなかった。ただ校正印刷された用紙をみただけだ。市中より高い値段で印刷を引き受けているにも関わらず、人間の常識と照合することなく、つまりなにもしてくれないわけだ。そんな商人意識以前に日本人としてのコモンセンスが働いてしかるべきでしょうというのがこちらの言い分だ。商人意識の勘違いも甚だしく、文化文具を扱う店として恥ずかしい限りではないですか。ちなみに伊東屋は建築学会会員だと全商品1割引きである。明治以来のつきあいがあるからだ。
 これまでに多くの本や論文を著してきた立場からすれば、出版社の校正力は絶賛に値する。例えば誤字があれば、「これは造語ですか?」と必ず質問される。さらには半角のスペースのアキの有無まで指摘してくれる。人間は完璧な存在でないから間違いは起きる。そうしたときに指摘してくれる第三者の存在には、これまで随分と助けられてきた。
・・・
 そうした問題に遭遇すると、現代人に共通する二つの課題が指摘できる。
1)コモンセンスの欠如
 なんでも謙りつつ、日本語の基本まで無視する責任逃れの商人根性。それっておかしいとしかいいようがない。日本人の一般的な文化常識より商魂が優先するってどういうことですか?。
2)指摘の仕方。
 間違ったことを指摘するときの物事の言い方ができていない。特にインターネットではよくあるが突然正解を投げつける。例えばYouTuneで突然「16日ですよ!」と指摘されても、いつの映像だったかこちらはわからない。そんな高飛車な指摘は、研究者間からは嫌われる態度である。
 つまり現代人は指摘の方法を知らない。自分達の子供の教育と勘違いしている。そんなことを知りたければ、全国津々浦々で行われている学術団体の学会にゆけばよい。

画像:Googlemap
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