Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak160. 風土的了解の姿

2018年03月14日 | Tsukuba

 筑波の田舎を自転車で走り回っていると、大きく成長した防風林に囲まれた集落が多い。それもそのはずであり、ここは筑波下ろしと呼ばれる風の強いところだ。その筑波下ろしが吹いてくる方向に防風林が設えられている。ときには集落全体が大きく成長した防風林に囲まれており、集落の中に入ると風も無く日差しが心地よい。それが大変美しい風景を形成している。

 それは、この土地に長く棲み続けてきた人たちの経験と知恵の結実したものであり、そうした風土的了解の姿が、私達の眼前に現れる。それは土地と建物の関わり型のデザインといってもよい。つまり集落全体の配置が、強い風に耐え快適環境をつくりだしている。

 そうした風土的了解の姿に反して建てられるのが現代住宅である。ここは風が強いだろうと思っていても、そんなのとは無関係に家々が立ち並んでいる。当然土地と建築との関わり型などは無視されて、機械的に正系の敷地である。筑波下ろしは壁やアルミサッシといった密封された居室を構成する素材群で建築性能が満たされるためである。それが満たされれば風が吹いてこようが豪雨が降ろうが関係ないというわけだ。実際居住者達は風がとても強くて、ときには家が揺れるぐらいという話は聞いた記憶がある。

 だから時折防風林で囲われ屋根しか見えない集落の中に、突然2階のアルミサッシの窓が見えたりする。それは、もちろん現代建築なのである。思うに建築性能に依存していて、私達の暮らしは本当に楽しく快適なのだろうかという疑問も沸いてくる。

 風の強い時は、揺れる家の中にこもるほかない。シャッターを降ろした洞窟のような空間で、コミュニティもなくテレビをみたり、趣味に没頭せざるを得ない生活が本当に面白いのだろうか。もっといえば土地と建物との関わりを無視した住宅の作り方が正解なのだろうかということである。

 古来から建物が建てられる土地は、洪水や土砂崩れの少なく且つ生業とのバランスがとれる土地に建てられている。そうして集落全体で防風林などを用いて自然現象をかわそうとしているのである。そんな古人の歴史的知見や建築集合体としての工夫、そうした風土的了解の知見もなく、さらに土地と建物との関係性を無視した現代住宅は私にいわせれば間違った建て方なのである。だから土地が陥没したり土砂崩れに遭遇したりといった自然災害に出会う機会が新興住宅地は多い。やはり土地と建物との関係性、つまりサイトプランが大変重要になってくる。

 最近古来からの集落も人口減少で空き家が目立ってきた。いまが住み込むよい機会だと思われる。本能的にめざといアーティストなどが、そんな集落に住んでいたりする。屋外のスペースがあり、防風林に囲まれているので、風の強いときでも仕事ができるというわけだ。

 そんなことを実感したければ、台風銀座の沖縄県備瀬をみればよい。何百年にも渡って成長してきた福木の防風林が、海沿いにいることを忘れさせてくれるように、良好な得がたい居住環境を形成している。

 

茨城県新治郡筑波町

NikonF,Auto Nikkor-P105mm/F2.5,コダカラー

 

 

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