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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

ドローイング597. 小説:小樽の翆522. 大家族

2022年05月04日 | drawing

 

 「リュウ君の家って子供がいたよね」

リュウ君「うん一人いるよ。5歳だったかな」

「のぞきに来ないの?」

リュウ君「もうのぞかれているよ。ああっ、大人になるとあんなことをするんだって自然にわかるんじゃない。性教育かな!」

「日本のように子供の前では、密にしてわからない配慮をするのとは違うのかな?」

リュウ君「それがVIGIは普段は色気の片鱗もダサないのだよ。それで子供が寝てしまうと、じゃこないな、やるか・・といって燃え出すわけ」

「でもわかっちゃう」

リュウ君「なんとなく分かればいいんじゃない。つまりパパとママが愛し合っている限り子供の生活も安心なんだとする、子供の生存本能があるんじゃないかな。だから今晩も愛し合っていると思って子供も安心して寝るんだよ」

「オープンにしているわけではないけど空間はオープンなんだ」

リュウ君「だよね。だってVIGIの実家にいくと大家族でしょう。それで居間のソファーに親戚が寝ているわけ。寝ていると言うよりは住んでいるいった方がよいかもしれない。だから寝室とは壁1枚だよね。でも通気しないと湿気が貯まるから天井は吹き抜けているんだ。VIGIのうめき声なんか漏れていると思うよ。まあ僕なんか気にしないという根性だよね。それが人間の暮らしだもん」

「そうだよね。モンゴルの遊牧民なんかパオ1つだもん」

リュウ君「パオ1つでどうやってセックスするんだろうね」

「寝ながら抱き合ってしずしずとだろうか・・・」

リュウ君「そんな風に考えてゆくて日本のマンションなんか閉鎖的で隠微だよね」

「まあ、そのための核家族の空間だから・・・」

リュウ君「なんか感染病棟みたいだよね」

「実際マンションなんて感染病棟そのものだよ」

リュウ君「親戚のつきあいがなくて核家族だけで暮らすなんて、つまんないと思うけどなぁー。だから僕は時々VIGIの大家族の家へ里帰りするんだ」

「日本は選択を間違ったんだろう。なんとなく親戚の気配があるなかで暮らしてゆくほうが、みんなでいろんな事を分担できるから楽なんだけどね」

リュウ君「僕の同僚の新婚家庭なんか、なにもかも自分達でしなければならないから、なんかねぇー肩肘張って目が三角につり上がっているんだよ。」

「そうだよ、新婚家庭なんか一寸つっつくとブワーと鬱積が吹き出すみたいだよね」

リュウ君「なんでそんな暮らし方をしているんだろう」

「個のアイデンティティが確立していないんだよ。アイデンティティというのは大勢の人間達にもまれながら私という人格ができあがるでしょう。そんな機会が子供の時から存在していないから、学校にいってもよそよそしくなって、家に籠もるんだろうなぁー」

そんな話をしていたら、つかモッチャン家の子供7人の世界を思いだしていた。そうかあ、人間は多くの人間にもまれながらでしか成長できないんだ、ということを・・・。マンションは実験室のように純粋培養なんだ。やばい社会だな・・・。それはつかモッチャン家ともリュウ君とも話が合うところだ。

・・・・

石狩湾に夕暮れの気配が迫ってきた。

リュウ君「さて苫小牧へゆくかな?。最寄り駅は蘭島だった?

「ウン小樽で乗換だけど、列車の本数が少ないからバスで小樽へいったほうが便利だよ。新幹線ができると函館本線も廃止なんだ」

リュウ君と路線バスで小樽へ向かいながら、石狩湾の柔らかい夕陽がバスの車体を照らし出していた。

コメント
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