今年は昭和87年だそうだ。
戦争が終ったのは昭和20年だから、それから67年も経つ。随分経ったと思うけど、去年の東日本大震災の、戦火の跡のような光景を見ているせいか、戦後が随分引き付けられてしまったように感じる。
そのせいかどうかは分らないが、我が国には「国旗」「国歌」問題が、時折勃発する。
大震災の後である。政治が混乱し続ける我が国では、強いリーダーシップを発揮する政治家の登場を期待する、国民の声が大きくなっているようだ。
その声に共鳴し、こだまの様に登場してきたのが橋下大阪市長である。
弁護士出身だけあって、論戦は得意で歯切れもいいし、打たれてもよく響く。
でも、学校現場で「君が代」を歌わなない教師を処分するというは、ちょいと行き過ぎではないかと思う。
東日本大震災の1周年追悼式典では、天皇皇后両陛下のご臨席の中「君が代」の斉唱が行われた。
天皇陛下の病気快復式典ではない。被災者への追悼式に「君が代」は、場違いではないかと直感する。この式典の最高責任者は、総理のはずである。国歌斉唱で復興への思いを一つにするのはいいが「君が代」は天皇を称える歌なのだ。私が陛下の気持ちになってみれば「何も私の歌をこの場で歌わなくても」と、思ったに違いない。そこで気恥ずかしくなり、早々に席を辞したように私は感じた。もし最後までいたら「天皇陛下万歳三唱」が待っていたのかもしれない、などと天皇家フアンである私などは、そんなふうに真面目に心配してしまうのである。
※昭和14年椴法華尋常高等小学校卒業式写真から、奉安殿前の集合写真。野球の試合の時だが『他校来襲』とある。
フアンである私などは、そんな風に真面目に考えてしまうのである。
日本近代史を少しは勉強すれば、「君が代」は教育現場で強制する代物ではないというのはわかるはずだ。
ところが1999年8月9日に、政府提案からわずか16日という実質審議で「国旗・国歌法」が制定されてしまった。
時の総理は、人柄のよい平成おじさんの小渕恵三だ。その官房長官は、最も法制化に熱心だったといわれる野中広務だ。そして「強制はしない」と、政治家特有の言葉で官房長官談話を発表したのだ。
先日の橋下市長の選挙応援に、野中氏の顔が見えたのがなんだか気になる。
「国旗・国歌問題」は、時々ゴングがなるが、なぜかすぐ停戦状態になる。しかし、ボディーブローを打ち続けたほうが、最終ラウンドには判定勝ちというような感じがする。
「日の丸」は、白い布に赤い丸なので、国際的な行事には居場所の目印と思っているので、別に不快感もない。それに、別に布(旗)に頭を下げるつもりはないからだ。
ところがこの旗という存在も、ある状況下に置かれると、気軽なものではないようだ。
昭和11年、昭和天皇が旭川での大演習のために、来道された時の話である。青函連絡船の一等寝台室の一部屋を「軍旗」が陣取り、外には不寝番が立っていたという。旗が人間より大事にされていた時代があったのである。
まさか今の時代に「日の丸」が国民より偉い、なんてことにはならないだろう。
市の職員には口を尖らせる橋下さんだが、子煩悩らしい。
彼の登場で、久々に「国旗」「国歌」を、そろそろ日常生活の中で話し合う機会になればいいと思う。
私は「君が代」は、天皇家の皇歌であればいいと思う。
私たち国民の象徴である。皇歌であれば、陛下がご臨席される場所では、大きな声で歌いたい。
そうであれば、憲法第19条に規定されてある「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」には、該当しないはずであると思うけど。
戦争が終ったのは昭和20年だから、それから67年も経つ。随分経ったと思うけど、去年の東日本大震災の、戦火の跡のような光景を見ているせいか、戦後が随分引き付けられてしまったように感じる。
そのせいかどうかは分らないが、我が国には「国旗」「国歌」問題が、時折勃発する。
大震災の後である。政治が混乱し続ける我が国では、強いリーダーシップを発揮する政治家の登場を期待する、国民の声が大きくなっているようだ。
その声に共鳴し、こだまの様に登場してきたのが橋下大阪市長である。
弁護士出身だけあって、論戦は得意で歯切れもいいし、打たれてもよく響く。
でも、学校現場で「君が代」を歌わなない教師を処分するというは、ちょいと行き過ぎではないかと思う。
東日本大震災の1周年追悼式典では、天皇皇后両陛下のご臨席の中「君が代」の斉唱が行われた。
天皇陛下の病気快復式典ではない。被災者への追悼式に「君が代」は、場違いではないかと直感する。この式典の最高責任者は、総理のはずである。国歌斉唱で復興への思いを一つにするのはいいが「君が代」は天皇を称える歌なのだ。私が陛下の気持ちになってみれば「何も私の歌をこの場で歌わなくても」と、思ったに違いない。そこで気恥ずかしくなり、早々に席を辞したように私は感じた。もし最後までいたら「天皇陛下万歳三唱」が待っていたのかもしれない、などと天皇家フアンである私などは、そんなふうに真面目に心配してしまうのである。
※昭和14年椴法華尋常高等小学校卒業式写真から、奉安殿前の集合写真。野球の試合の時だが『他校来襲』とある。
フアンである私などは、そんな風に真面目に考えてしまうのである。
日本近代史を少しは勉強すれば、「君が代」は教育現場で強制する代物ではないというのはわかるはずだ。
ところが1999年8月9日に、政府提案からわずか16日という実質審議で「国旗・国歌法」が制定されてしまった。
時の総理は、人柄のよい平成おじさんの小渕恵三だ。その官房長官は、最も法制化に熱心だったといわれる野中広務だ。そして「強制はしない」と、政治家特有の言葉で官房長官談話を発表したのだ。
先日の橋下市長の選挙応援に、野中氏の顔が見えたのがなんだか気になる。
「国旗・国歌問題」は、時々ゴングがなるが、なぜかすぐ停戦状態になる。しかし、ボディーブローを打ち続けたほうが、最終ラウンドには判定勝ちというような感じがする。
「日の丸」は、白い布に赤い丸なので、国際的な行事には居場所の目印と思っているので、別に不快感もない。それに、別に布(旗)に頭を下げるつもりはないからだ。
ところがこの旗という存在も、ある状況下に置かれると、気軽なものではないようだ。
昭和11年、昭和天皇が旭川での大演習のために、来道された時の話である。青函連絡船の一等寝台室の一部屋を「軍旗」が陣取り、外には不寝番が立っていたという。旗が人間より大事にされていた時代があったのである。
まさか今の時代に「日の丸」が国民より偉い、なんてことにはならないだろう。
市の職員には口を尖らせる橋下さんだが、子煩悩らしい。
彼の登場で、久々に「国旗」「国歌」を、そろそろ日常生活の中で話し合う機会になればいいと思う。
私は「君が代」は、天皇家の皇歌であればいいと思う。
私たち国民の象徴である。皇歌であれば、陛下がご臨席される場所では、大きな声で歌いたい。
そうであれば、憲法第19条に規定されてある「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」には、該当しないはずであると思うけど。