函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

武器買うなら医療に回して

2020年07月23日 18時03分13秒 | えいこう語る

▼今朝も雨がしとしと降っている。パソコンの机の前の、窓の外に張り巡らしていた蜘蛛の巣が完成したようだ。

▼生まれたての雨の赤ちゃんが、無数に糸にまとわりついているので、その重みで楕円形をしている。まるで「蜘蛛の糸」の芸術作品を、鑑賞している気分にもなる。

▼私の地域の前浜の定置網は巨大だ。昭和30年代、私が小学校の頃この網には、鰤・鮭・烏賊・鰯など、網が破れるのではないかと心配するぐらい獲れた。

▼子供ながら「一網打尽」という言葉を理解した。それから僅か半世紀、神隠しにあったかのように、魚はどこかに行ってしまった。

▼昨年は丸々に太った鯖が大漁したが、今年はやって来ないのではないかという不安が、常に付きまとう。太平洋沿岸を北上する魚が、福島県で沖に出てしまうか、Uターンしてしまうかとも考えたりもする。

▼すでに私の「一網打尽」という意味の理解は、海から陸に変わった。巨大な蜘蛛の巣が、その意味を実感させてくれるからだ。

▼雨降りの蜘蛛の糸に魅了され、ついテーマからそれてしまった。北海道新聞の朝刊を開き、私の心の網に一番先に引っかかったのは【武器買うお金を医療に回して】という記事だ。

▼私は福祉に関する会議に出席するたびに、心から離れないのはそのことだからだ。「戦闘機など1機買うのを止めたら、この問題は解決する」などということは、何度も発言したことがある。

▼ただ、この発言は単発に終わる。その会議の場でそれ以上突っ込むことは、委員として失格の烙印を押されそうだからだ。

▼大事な視点だと思うが、会議が停滞?するので、つい冗談めかしく小さな発言になってしまう。「本質論を避けて行なう会議などをしているから、前進がないのだ」などと、心の中でぶつぶつつぶやいている。

▼福祉関係者が出している便りに、コメントを掲載してほしいと頼まれ「福祉費と軍事費」について触れたら、読者からこんな内容は記載すべきではない、というような苦情が出たという
。「そんたく」は、日本の隅々まで浸透しているようだ。

▼また脱線したが、この問題を取り上げたのは、ノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」の『ICAN』だ。

▼20年度の防衛省の武器購入等に係る費用は「1,1兆円」だという。護衛艦の空母化への改修費・F35B戦闘機6機購入・地上配備型迎撃システム(これは購入中止)だ。

▼【武器を買い、米国の核兵器の抑止力で国を守るという怪しい話。本当に人を守るため、何にお金を使うべきかを考えなければならない】と主張する。

▼書いていて腹が立ってきた。今すぐスパイーダーマンを首相官邸に派遣し、シンゾウを蜘蛛の糸でぐるぐる巻にし、福島沖に投下してほしい。

▼原発の汚染水が、コントロールされているかを確かめさせるためにだ。という単純な怒りで、今日のブログを終了したい。

▼パソコンから顔を上げたら、目の前の蜘蛛の糸の水滴が、さらに美しさを増していた。

最近の熊出没情報

2020年07月23日 18時03分13秒 | えいこう語る

▼私の家のすぐそばにそびえる、活火山・恵山(618M)。私も子供の頃から何度も登っている。大人になってからは、山頂まで約1時間なので、散歩気分で一人で登っていた。

▼以前は、頂上付近に温泉が流れていた。小さなのスコップで穴を掘り湯をため、青空を眺めながらの入浴は、大自然が身も心も洗ってくれた。

▼山頂付近はすり鉢型をしている。その海側にさらに小山が重なっている。それが頂上なのだが、急斜面なので今まで3回ほどしか登っていない。

▼その頂上に、私の背丈より小さな神社がある。そこで登頂記念写真に写った高校1年の男子が、2ヶ月ほど前に下山途中に行方不明になった。

▼連日ヘリも飛んでの大捜索が行われたが、今だ不明のままだ。この山では10数年前にも中年の男性が、仲間からはずれたまま見つかっていない。

▼考えられるのは熊との遭遇だ。だが、熊が引きずった形跡もないので、熊説は除外されている。憶測は果てしない。この山からは、津軽海峡を挟み下北半島の恐山が見える。

▼噴火での形状が似ていることから、共に霊山として名が通っている。恐山には「イタコ=霊媒師」がいて霊を下ろしてくれる。恵山と恐山は「姉妹山」の契りを結んでいる。

▼山は、男体山が多いと思うのだが「兄弟山」というのは聞いたことはない。ただ推測できるのは「山の神」と言えば、奥様のことを言う。それは、噴火したら?大変なことになるという意味から、名付けられたものだろう。

▼さて本題の熊情報だ。私の家から1キロ以内の恵山の麓で、家の前に熊が歩いているのを主婦が見た。その家は、私の家からも見える場所だ。

▼その近くの川で近所の主婦が、昨年熊に食われたと思われる鹿の死骸を発見し、逃げ帰ったという話も本人から聞いている。

▼私も今年の春に、その川の近くに山菜取りに出かけ、鹿の死骸を発見し、あわてて戻って来ている。

▼さらに最新情報は、林業を営む男性から聞いたものだ。やはりこの川のそばの、自分の所有する山の木の生育状況を確認するために出かけたところ、突然近くで熊が吠えたという。生きた心地がしなかったと話していた。

▼また、隣町の女性から聞いた話だ。熊が鹿を追いかけていたのを見た人がいたそうだ。この町は縄文遺跡群のユネスコ登録を申請中だ。まるで縄文にタイムスリップしたような情報だ。

▼さらに今日(25日)の新聞報道だ。私の地域から車で1時間ほどの、ここも縄文の環状列石で有名な町だ。

▼熊が線路上にいて特急列車と接触した。接触後も熊が線路上にいたので、ハンターが仕留めたという。多分骨折し動けなかったのだろう。これって、恐ろしいというより、悲しい熊情報だ。

▼私は、北海道に生まれ、今まで熊に遭遇していないのを、非常に残念に思っている。死ぬまでに出会いを期待しているが、どうやらそれも可能になってきたようだ。

▼車で山道を移動中に遭遇したいと思っていたが、どうやら自宅の庭に現れそうな、感じがしてきた。庭には熊の好物のドングリの大木もあるからだ。

▼その木の上に、子熊が登っているのを見たいものだ。子熊でいい。3年ほど前私の地域で、檻に捕獲された熊のユーチューブを観たことがある。

▼300キロ近くの大熊だったが、あんなのは来てもらいたくない。人が極端に減った過疎の地域は「熊との遭遇」も、そろそろではないかと、ちょっぴり緊張している。

▼でも、熊が人里に降りて来ているのは、近年の森林伐採の影響も少なくないと思う。今月末に、函館市長と町会連合会幹部の懇談会がある。

▼そこで、上空からドローン撮影をしてもらい、市民に環境を考えてもらうよう、提言してみたいと思う。大洪水は、九州だけの問題ではないからだ。

▼山が荒廃する過疎地域は、自然から仕返しを受けそうな気がする。自然との共生や争がないことが縄文文化の優位性だ。

▼だが、そんなことを注視しない地域に、世界遺産などは時期尚早と、私は考えているからだ

ASL嘱託殺人と戦争責任

2020年07月23日 18時03分13秒 | えいこう語る

▼京都市内の筋萎縮性側索硬化症(ASL)の女性の依頼を受け、その死に関与したとされる仙台市と東京都の二人の医師が、嘱託殺人の疑いで逮捕された。

▼私も大きな手術をしたことがあるが、術後の熱で、まさしく「死ぬ思い」を経験したこともある。だが、手術は成功したので、助かるという「希望」があるので我慢ができる。

▼推測でしかないが、ALS患者や医師の立場で「自分の死を選びたい」ということと「医学的処置は不可能だ」という判断を、否定することは難しい。

▼人を殺せば最大が死刑だ。だが人間の判断では「冤罪」という可能性もある。死刑廃止論はそこに重点を置くようだ。

▼この事件で真っ先に思い出したのは『相模原障害者施設殺傷事件』だ。元施設職員に45人が殺傷された。犯人は自ら控訴を取り下げ、死刑が確定した。

▼刑事訴訟法では、死刑判決後6ヶ月以内に執行となっているが、ほとんど執行されていないという。そこには、死刑と言っても『国家による殺人』という、罪悪感のようなものが、付きまとうからだろうか。

▼オウム真理教事件では、突然13人の死刑が執行され、事件の真相が解明されないまま幕を閉じた。というより、真相を闇に閉じ込めたというような、いやな感じがした。

▼相模原事件も死刑などせず、真相解明を図ってほしいものだ。これらの事件の線上に、今回の「嘱託殺人」を解明する要素が、含まれているような気がするからだ。

▼と考えながら、昭和天皇の「戦争責任」について、先日読み返した小田実著「私と天皇」の中での一文を思い出した。それは終戦後天皇が発した、一般的には「人間宣言」と呼ばれる内容についてだ。

▼【長きに亙れる戦争の敗北に終わりたる結果、我が国民は動もすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈潜せんとするの傾あり。・・・朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生 ずるものに非ず。天皇を以て現人神とし且日本国民を以て他の民族に優先せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有するとの架空なる観念に基づくものに非ず】。

▼この内容は「相模原事件」や「オーム事件」、さらに今回の「嘱託殺人」の真相解明の、何らかの糸口になりはしないだろうか。

▼現時点の私の脳の容量では、それを咀嚼し説明はできない。今朝の北海道新聞一面トップの【難病女性嘱託殺人の疑い】というタイトルに、頭の中が混乱したからだ。

▼さらに小田のこの言葉が、強く印象に残る。【この勅語が発せられたのは、憲法発布の前だ。天皇の地位が「象徴」といういちおうの完成を得る以前のことだ。現人神でなくなった天皇がそれではいったい何なのかは、少しも明瞭にされていないのである。しかも彼が「自分は人間である」と述べた箇所は一箇所もない。それはたんに「神格否定宣言」と呼ばれてしかるものだ】。

▼そこで思い出したのは『忖度』という言葉だ。日本人の特徴とされるこの言葉は、天皇の存在から発したものかもしれない。

▼一連の事件から見えてくるものは、論理的には一部納得がいくものもあるが『倫理的』な責任は、消えることないということだ。

▼やはり、ここはシンゾウに登場してもらおう。彼の考えは「論理的」にも「倫理的」にも、まったく理解のできないものではないか。

▼なぜかといえば、シンゾウの最近の病名は【説明責任失調症】だからだ。

▼蛇足だが「統合失調症」なるものがある。これはコロナウイルス同様「陽性症状」と「陰性症状」の2タイプがある。

▼私の診断では、シンゾウは「陽性」と「陰性」の両タイプのようだ。検索してみてほしい。

ちょっぴり芥川に対抗して

2020年07月23日 18時03分13秒 | えいこう語る
▼私のパソコンは、庭に面した窓際にある。毎朝、庭を眺めながらブログを書いている。ツツジやヒャクナゲなどの花物は終わり、初夏を迎えて緑が少し鬱蒼としている。

▼あの枝を切ろうか、オンコの丸い木は少し小さめにしようかと、庭師!の顔も見せる私だ。今日は雨上がりの静かな庭のたたずまいだ。まもなく紫陽花が咲けば、庭もやたらに華やかさを増す。

▼雨上がりの紫陽花は、湯上りに浴衣姿の、ちょっぴり年増のお姉さんの風情を見せてくれる。もみじの葉も、昨夜の食卓の素麺に鮮やかだった。

▼数日前から、私と窓ガラス越しの1メートル程のところに、少し大きめの蜘蛛が動いているのが見えていた。

▼獲物の獲得場所に適したと判断したのか、巣を張り巡らした。蜘蛛の糸に水滴がつき、まるで星座のようにきれいだ。テーブルに掛けるレースの編み物のようでもある。

▼まだ未完成なので、中心が大きく開いている。東京を中心とした、交通網のようにも見える。このアートの製作者は、雨上がりなので獲物が飛んでこないと考え、まだ寝床の中らしい。

▼たぶん直径1メートルほどの、定置網のような立派な蜘蛛の巣を張り巡らすのだろう。今後の作業工程が楽しみだ。 

▼そこに、シンゾウ、スガ、ニカイ、ハギュウダ、などの害虫が引っかかり、それを見事に絹糸で囲い込むアートを、眼前で鑑賞できることを期待している。

▼一月ほど前、コロナが一旦終息後に久しぶりで近くの温泉に出かけた。風呂上がりにべコニヤとマリーゴールドの苗をプレゼントされた。

▼「温泉と花」に、身も心もさらにあったまった。その花が今庭にきれいに咲いている。この美しい花に、虫たちが飛んでくるのだろう。

▼それを見越しての蜘蛛の巣づくりとは、多彩な才能の芸術家なのだろう。それにしても、雨の小さなしずくが、ビーズのように無数に組み込まれた蜘蛛の巣は、星座のように美しい。

▼花と蜘蛛の巣の美しさに魅せられたのか、小さな虫が飛び始めている。間もなく午前7時になるが、夜遅くまで作成に取り組んだ芸術家と、私の妻もまだ寝床の中だ。

▼昨日店が終了後、店の近くにある、国境の長いトンネルを抜け(車で5分程)隣町の港に出かけ、エゾメバルを釣ってきた。

▼夕食後にそれを捌いていたので、釣りは楽しかったが、その後の処理で疲れたと妻は話していた。下ごしらえもしっかりしたようなので、明日は当店お薦めの「縄文ランチ」の一品として、登場することになる。

▼小説「蜘蛛の糸」は、なんとなく説教気味なので、芥川大先生にちょっぴり対抗し「蜘蛛の巣」という、田舎の生活の様子を書いてみた次第です。