函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ウポポイと靖国神社

2020年07月12日 18時29分26秒 | えいこう語る

▼1899年に成立された「北海道旧土人法」。この名称で、国家によるアイヌ差別が推進されたのは、想像に難くない。

▼2019年に「アイヌ新法」に改正され、先住民族と認められた。そして今日(12日)アイヌ文化の発信機関とされ整備されたのが、民族共生象徴空間【ウポポイ】だ。ウポポイとは「大勢で歌う」という意味だ。まさしく他民族との共生だ。

▼今日の北海道新聞一面トップは「アイヌ文化復興へ新時代」というタイトルだ。しかし、北海道北東北縄文文化遺産を「世界遺産」に登録する動きと同様、マスコミが騒ぐほど、道民の関心度は薄い感じがする。

▼本年度は100万人の来場者を見込むと豪語するのは、北海道の空港の民営化に尽力した菅官房長官だ。何かと北海道振興には力を入れているようだ。

▼鈴木道知事を当選させたのも菅だ。「新北海道改造計画?」なるものを胸に秘めているようだ。泊原発再稼働・核のゴミ処分所・少し頓挫しているIR誘致も、コロナ終了後に経済疲弊が続けば、必ず復活するに違いない。

▼「地方自治は民主主義の学校」と言われる。私の村は「平成の合併」で、函館市に吸収合併された。それまでは北海道一小さい自治体だった。

▼そこで展開された自治体運営は、そのまま国政に通じるものがあった。国政と違うのは、村政は極身近な存在なので、手に取るように理解できる。それが「民主主義の学校」と言われる所以だろうと、実感していた。

▼村時代に「灯台博物館」なるものを、行政が主導して岬の突端に建設した。私もその関連会議に出席したが、住民の多くは反対していた。

▼博物館は文科省の管轄だ。だが、村としては観光の目玉にしたいので「儲かる施設」と考え、所管は教育委員会か観光課かで、地方議会はゆれた。そんなレベルの「教育観光施設」だったので、予想通り閉館となっている。

▼そんなことを記憶しているので「ウポポイ」の今後が心配される。萩生田文科大臣の「アイヌへの差別は価値観の違い」という発言。そんなレベルの考えしかない大臣の頭の中は、いまだに「旧土人法」のままなのだろう。

▼道内の小中学校の修学旅行のコースには、文科省の一声で「ウポポイ」が組み込まれるようだ。道内の大手企業や銀行も、社員や家族に「無料券」など配布している。この背後には、菅官房長官の「ひょっこり顔」が見え隠れしているのだろう。

▼ふと「靖国神社」のことを思い出した。私も見学したことがあるが、その時感じたのは、この神社こそ、修学旅行にふさわしいのではないかと。

▼国家の命令で命を奪われた時代があることや、天皇制というものの意味を理解できる貴重な、歴史博物館だからだ。もちろん「政教分離」なども、十分理解できる施設だ。

▼この施設を見学し「憲法改正」等に賛成する生徒はいないだろう。もしかして、文科省が修学旅行のコースに靖国を入れないのは、子供たちに「戦争に反対する」意識を芽生えさせてはならないという、懸念からなのかもしれない。

▼同時に「9条改正反対」という意識を持たせてはならなという、配慮なのかもしれない。日教組が反対して行けないとは、実は根も葉もない嘘なのかもしれない。

▼靖国神社とウポポイの共通点はある。そのキーワードが【天皇と差別】だ。お言葉を発し、国民に語りかけた「平成天皇」。お言葉を失ったかのような「令和天皇」。そんなことも心配のなる、ウポポイの開業だ。

▼「アイヌ新法」や「ウポポイ」が、新たな同化政策にならないよう、施設が何を私たちに語るか、じっくり聞いてほしいものだ。

▼「カムイ=神」とは、すべてのものに存在するというのアニミズムの精神だ。「象徴」という概念もあいまいだが「空間」という概念もつかみどころがない。その頭に「民族共生」という、不確実な言葉を取り付けている。

▼アベ総理、菅官房長官、萩生田文科相などの顔ぶれは「戦争をする国」へと憲法を改正しようとしている面々だ。

▼「自民党憲法改正草案」には「民族共生象徴空間」という理念は、微塵にも含まれていないような気がするのは、単なる私の【価値観の違い】なのだろうか。

▼アイヌモシリとは「人間の静かな大地=北海道」のことだ。そこには原発や核のゴミや賭博場はいらないというのは、カムイからの明確なメッセージなのだ。