▼札幌で熊が民家に出没した。庭に入って家庭菜園を食い荒らし、道路を悠々と歩き、車のすぐ近くに寄って来る姿がテレビに映し出されている。もはや、熊と人間が同じ場所で暮らしているかのような光景だ。
▼その地区で生まれた女性から聞いた話だ。今は住宅地になっているが、子供の頃は、熊の生息地に住宅が建っていったという感じだったという。
▼熊が出没した映像が何度も放映されると、熊にも家族がいるだろうし、何とか自然に返してほしいものだという気持ちになる。結果は、人に被害を与えないうちにと射殺された。だがなんだかすっきりしない終わり方だ。
▼人間には鉄砲がある。完全に優位に立っているのは人間だ。相手は猛獣で、人間より凶暴なものを処分したということですまされる、その程度の問題でもないような気がする。
▼野生動物生態学の教授も「駆除したヒグマは市街地の農作物に執着しており、人命を守るためには仕方がなかった」とコメントした。これもいまいち、説得力に欠ける発言ではないか。
▼毎年収穫時になると、丹精込めた農作物を大量に盗んで行く者がいる。こんな卑劣な者は、人間の心を持っていない。こんな輩にこそ、銃を向けた方がよいのではないか。発砲したら二度とやってこないだろう。
▼今年4月、アイヌ新法が施行され、アイヌの人権が復権された。「自然との共生」がテーマのアイヌの人たちに、この問題を解説してもらえばよかったのではないか。
▼私たちと違った角度から「いのち」の大切さを考え、もっと別な解決方法が探れるかもしれない。そこに目が及ばぬところに、我々和人と呼ばれる者が、いまだに先住民族であるアイヌに対する、信頼が欠けているような気がする。
▼新法が出来て、アイヌ民族の人権が確保されたということではない。アイヌ民族こそ、原始の北海道を開拓した先祖だという尊敬の念を持ち、その考え方や生き方を学ぶのが、道民のこれからの生き方だろう。
▼旧土人法が廃止されアイヌ新法ができ、巨大なアイヌ民族資料館が出来た。そこにアイヌの知恵を閉じ込めるのではなく、広く活用することが肝心だ。
▼【自然との共生】とは、高度に発達し過ぎた物質文明が、持続可能な地球を目指すためには、最も必要なテーマだ。その先駆者としてのアイヌの人々の知恵を借りることが必要ではないかと感じた、今回の「熊殺し」事件だ。
▼と終えたところで、表題である「熊と人間の排除」というのを思い出した。先日同じ札幌市で、アベ総理の演説にヤジを飛ばした人間が、警察に排除された。
▼表現の自由も認めない我が国は、熊さんのちょっとした悪戯などに寛容であるはずがない、というのを書きたかっただけなのだが、つい忘れてしまっていた。