▼「しんせつ」といえば、真っ先に浮かぶ漢字は「新雪」だ。一般には「親切」だと思うが、北国に住んでいる私は「新雪」のすがすがしさの方が印象深いからだ。早朝、足跡一つない銀世界が眼前に広がる様は「清く正しい行いをしなさい」との、神の啓示ではないかと思われるからだ。だが、「新雪」が一番先に浮かぶのは、この頃の世の中、あまり「親切」ではない状況だと思うからかもしれない。
▼ 先日、久しぶりに札幌に出かけた。最近事故が多いJRに乗ってだ。車輪の音が気になる。ガタン・ゴトンは、事故前兆の調べのような気分にもなる。車内誌に、北海道出身の作家で、小桧山博さんの絶妙なエッセイ「人生賛歌」が連載されている。このエッセイは、高速交通時代にあって、蒸気機関車時代の旅情を味わいさせてくれる。
▼ 開拓者時代の貧困生活の中にきらりと光るものは、周囲の人々の「親切」だ。このエッセイで、過ぎゆく車窓の風景を眺め、涙する多くの乗客がいるに違いない。私も毎回目頭が熱くなる。持ち帰りできるので、友人や、地元の小学校校長にも届けたことがある。
▼ 札幌に着いたのは午後8時を過ぎていた。札幌市内は札幌在住者同様に熟知しているはずなのだが、私は稀代の方向音痴だ。駅周辺は夜間工事がいたるところで行われていたので、ちょっぴり迂回しただけで、私の脳裏の地図は、新雪の原野状態だ。地図を持ちながらうろうろしていると、30代の男性が声をかけてきて「あの信号を曲がり次の信号を」と、方向音痴の私にはもっとも苦手な教え方をしてくれる。「どうもご親切に」と、笑顔で応えた。
▼ さらに、漂流を続ける私。そこにまた、30代のサラリーマンが。ところがその男性、300メートルほども誘導してくれ、無事ホテルへ。駅から出てさまようこと30分、救助してくれた男性2人。「恋のまち札幌」が「親切なまち札幌」のイメージが変わった一瞬だ。
※紅葉晩期の私の庭だ。私の生涯で最高の紅葉になった。自然は親切だ。
▼ 「親切ごかし」=裏で自分の利益をはかりなどしながら、いかにも親切そうに振り舞うこと(広辞苑)とある。ポン引きの類か、何かを売りつけられたりするのではないかと一瞬疑ってみたけど、実は私が旅行中の老人だと認識され、声をかけてくれたのだと理解した。
▼「親切」を「親切ごかし」と思った私、今夜にも「新雪」が降り積もりそうな寒い朝だ。ふと、中原中也の詩「汚れちまった悲しみ」が浮かんできた。