goo blog サービス終了のお知らせ 

函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

テレビCMがつまらない

2025年04月13日 17時36分05秒 | えいこう語る

▼かつてCMが面白かった。今何が流行しているか、また流行してくるのか、視聴者の興味を引くCMが流れていたからだ。

▼今は情報過多になり、視聴者は選ぶ喜びを失っている。にもかかわらずCMは、相変わらず観たくもないCMを提供し続ける。

▼最近はCMが長すぎる。観たいドラマの流れを完全に絶ち切るようだ。だからCM 中はよそにチャンネルを移し替える。

▼もうドラマが始まっているかと思い、チャンネルを戻してもまだCMは続く。番組は終わっても中身もよくわかっていない。

▼だから当然NHKの視聴が増える。CMの劣化と言うべき状況だ。だがわずか数十秒のCMに、能力の全てをつぎ込んでいる制作者たちもいる。

▼CMの世界は短時間にどれほど伝えれるかと言う、知的表現にかかっている。なのでこの文化は消えてほしくない。

▼要するにテレビが情報を握っている状態では、なくなって来ているということを、業界側が意識しなければならないということだ。

▼放送100年目と言われるが、ラジオ放送からテレビに移行し、画面での情報伝達は、リアルタイムに届いた。人々は家に閉じこもり『テレビっ子』になった。

▼でもテレビっ子は、今や個人が情報の受け手や発信者になったので『家っ子』は少なくなってきたという状況を、把握しなければならない。

▼かつてテレビは家族が集まり、情報を共有する場所だった。だがそこが崩れ始めた。情報はそれぞれの個が、それぞれの情報を吸収する場と化したからだ。

▼「自民党憲法改正案」では、家族のあり方について記述がある。放送の在り方を変えても、もはや家族は居間には集まらなくなっている。

▼評論家の古谷経衡が「テレビを捨てる日本人」というテーマで、「素人が作って面白くない」という提言をしている。

▼『過激、面白いと思っている時点で、クリエーティブのセンスはゼロである。映像制作の基本を勉強していない素人はたいていこの様な考えに至る』という。

▼日本の大学には放送・映画学部が数校しかない。米国は総合大学には必ず映像学科が存在する。日本は根底で「演出」に関する教育が劣っているという。

▼『放送に与えする価値があるかないか』。視聴者が呆れる前に、製作者側が気付いてほしい。それがフジテレビ問題の最大の原因だからだ。

▼夕食の時間に「家族全員が集まってテレビを観る」。そんな観たい番組があり、そこで共通の問題で家族が盛り上がる。

▼「翌朝学校で、昨日の放送について話し合う」と言うような、国民的番組があってもいいんじゃないかと思ったりもする。

▼「今夜絶対この番組を観たい」と言うような政策側の情熱を、みせてもらいたいものだ。


戦後80年という言葉の重み

2025年04月12日 10時54分30秒 | えいこう語る

▼「戦後00年」という言葉を私は使う。なぜ自分は「戦後」という言葉に執着するのかと言えば、自分(昭和23年生)の中で、戦争の本質が、よくつかめていないということなのかもしれない。

▼つまり戦争がどうして始まったのか、戦争が大量虐殺を起こしそして原爆投下で、日本が敗戦になった。

▼だが「昭和20年8月15日」をもって、一気に日本人の体質まで変化してしまった。そして22年に新憲法が出来てから、新しい家に入ったが、人々はすぐに馴染んだ。古い家の住み心地をすべて忘れたように。

▼そして戦後80年を迎える。原爆投下も日本軍による大量虐殺まで、薄れてしまう今日だ。そんなことを忘れてはならないはずだ。

▼そんな意識が私の中にはあるから、「戦後」という言葉は、死ぬまで忘れてはならないものだと思っている。

▼最近内田樹の著書にはまっている。ブック・オフで目についた本は購入している。枕元には数冊もの本が積んである。いつでも内田ワールドに飛び込む用意がある。

▼1950年生まれで東大仏文科卒業とある。私より2歳年上だ。内田の文章は「総合力」に長けている。『思想の整体師』と呼んでいる方もいる。

▼その著書で2001年に発行された「ためらいの倫理学」という本を読み始めている。さすが「思想の整体師」と呼ばれるだけあるのを実感する。

▼その中に「戦争論の構造」という項目があり、同じく東大仏文科卒の2歳年上の加藤典洋の著書『敗戦後論』を紹介している。この本は1997年の発行だ。

▼加藤は「敗戦後論」の中で【1945年8月15日から始まった「敗戦後」という時代区分は、いまにいたってまで継続している。どのような経済的繁栄も、政治的プレゼンスの強化も、日本の「敗戦後」を終わらせてくれない。それは「敗戦後」と言う出発点が二つの「ねじれ」を抱え込んでいるからだ。もう一度戦後の出発点まで立ち戻って、その「ねじれ」を解きほごすことによってしか、私たちには「敗戦後」という時代から次の時代に抜け出すことができない】と言う。

▼「ねじれ」とは、言うまでもなく日本が、他国に対して行ったさまざまな侵略行為の責任をとらず、そのことをめぐり謝罪を行っていないからであると。だが侵略戦争とすれば、国民のために死んだ兵士の死が無意味となる。なので残された国民に「ねじれ」が今も私たちに残るのである。

▼この加藤の文章を読んで、図書館に出かけ加藤典洋の『敗戦後論』講談社を借りてきた。冒頭から【日本の敗戦という時間が、今なお継続してるのは、日本が他国に行った侵略行為の責任をとらず、そのことをめぐり謝罪を行っていないからだ】と指摘する。

▼その通りだと思う。安倍晋三が、戦後70年談話で「戦争を知らない子供たちまで、謝罪の意識を与えるのは、いい加減によそうではないか」というコメントをした。

▼こんな総理を総理にするので、日本国民は「戦後80年」と言う言葉を、日本国民の戒めとして使用するではないか。

▼戦後という言葉を忘れてはならないという国民がいて『二度と再び戦争はさせない』と言う、国民の意識が靖国の英霊たちと同じ気持ちだということが一致されれた時、初めて「ねじれ」が解消されるのではないだろうか。

▼内田樹から加藤典洋が紹介され、内田と加藤の同時読書が昨夜から始まった。しばらく寝不足が続くのを覚悟しなければならない。 

▼私が代表の『とどっ子塾』という高齢サロンが、4月30日に地区の老人施設で【戦後80年歌でふり返る】と言うタイトルの企画をした。

▼戦後80年、そして90年、さらに100年まで、戦争のない国にしようというメッセ―ジを込めて合唱する。

▼新聞社も取材をOKしてくれた。人口700名程の小さな地域から『戦後80年の「ねじれ」の解放』を、微力ながら目指す。

第三次世界大戦前夜

2025年04月10日 17時21分44秒 | えいこう語る

▼昨夜の夢は、私の拙い世界史と日本史の能力を総結集した『第三次世界大戦前夜』と言う題名の映画を、夢の中で制作してしまった。

▼映画製作の発端になったのは、我が国の主食である米が高騰し「食糧危機」が起きる。それに軍事同盟国である米国が、突然豹変し「高額関税」を突きつける。

▼トランプは何を考えているのか知らないが、世界中に高関税を課した。関税をかけられた国は経済がひっ迫するのは目に見えている。

▼米国の関税に反対する国は、貿易同盟を結び米国と相対する。米国の最大貿易相手国である、中国にも100%以上の関税をかけた。

▼こうなれば歴史的な背景から見れば、明らかに戦争状態に突入せざるを得なくなる。だが太平洋を挟む戦争は起きにくい。

▼米中貿易戦争の始まりは、中国経済が疲弊したために「台湾侵攻」の口実が作られる。そこで「自国第一主義」を掲げるが米国が、台湾を守るかという話だ。

▼米軍基地は沖縄にある。その歴史的背景には、対中国・対ロシア政策がある。まずは軍事同盟国である、自衛隊が出動準備せよとの米国国防相の発言があったばかりだ。

▼しかし今の日本憲法の下では、自衛隊の台湾出撃は不可能だ。米軍の戦闘機が沖縄基地から出撃すると、狙われるのは沖縄だ。

▼そこで総理は「緊急事態条項」が成立していないのにもかかわらず「国家緊急事態」を宣言し、自衛隊の出撃を発令する。

▼先の戦争で負けた日本なので【憲法改正】は、理詰めで国民に理解させるのは不可能だ。外圧により納得せざるを得なくなるというシナリオだ。ペリー提督に鎖国を解放された様にだ。

▼南方前線(台湾方面)に軍事力が移動すると、手薄になるのが北海道だ。日露戦争以来ロシアは北海道を狙っている。

▼私はロシアの極東政策には『北方五島』戦略があると考えているからだ。現に敗戦後「北海道分割計画」があったからだ。

▼プーチンはウクライナは間もなく敗戦宣言すると、踏んでいるに違いない。そうすると西部戦線から軍隊を引き揚げ、極東に移動させる。

▼中国の台湾侵攻で自衛隊が出動ともなればロシアは中国と軍事同盟を結び、北海道に侵略しようとする戦略を練っているに違いない。そうなれば北朝鮮も『新三国同盟』に加わるる。

▼中国・北朝鮮・ロシアの三国は、歴史的に見て日本には敵対関係にあるからだ。「新三国同盟」の成立は十分理解できる。

▼第三次世界大戦は、米国の「関税攻撃」から台湾侵攻につながる可能性は大だ。そこで地政学上日本は、米国の極東最大基地として存在してきた。

▼今年になり日本政府の北海道防衛が表面化してきた。ロシアの北海道侵攻があるとすれば、防衛の最大前線は「津軽海峡」だ。

▼津軽海峡がロシアに封鎖されれば、北海道はロシアの支配下になる。そこで政府は今年に入り函館市に、自衛隊や海上保安庁が平時でも訓練できるよう、空港と港湾の利用を求めてきた。

▼市議会が反対したとは聞いていない。港湾使用の許可は確か市長にあるはずなので、市長は許可したようだ。

▼『函館市の軍港化』は、数年前から予想していたが現実味を帯びてきた。函館港は「大型クルーズ船の入港整備」で、もはや米空母艦隊が入港できる港に整備されている。

▼あっという間に「日米共同軍事訓練」の場になるだろう。『日米軍事同盟』VS『三国軍事同盟』の第三次世界大戦は、意外に早く決着がつく様に思える。

▼『核爆弾』の使用による結末だ。第二次世界大戦が「核の使用」で終了したように、島国日本への投下は、周辺国には影響がなかったからだ。

▼前回は「米国が使用した」。今回は「中国かロシアだ」。世界で初めて核爆弾を使用した米国だから、今更何も言えないだろうという判断だ。

▼核爆弾三発目の投下も、島国日本に違いない。そして投下場所は北海道南端の函館市だ??!!。

▼「第三次世界大戦前夜」という、そこまでのシナリオは夢の中で、私は胸が苦しくなり大きな声で叫んで、映画監督になった夢から覚めた。

▼枕元には内田樹著「ためらいの倫理学」角川文庫があった。付箋が一つあり、そこにはこう書いてある。

▼【反ユダヤ主義の文献を少しでも読んだことがあるものなら、そこに横溢している非ユダヤ人のユダヤに対する恐怖と被害者意識の底なしの深さに驚くはずだ。ジェノサイドと言うのは「目障りだから異物を排除する」と言うような「積極的・主体的な選択」ではない。その「異物」によって自分たちの社会がいま占領され、自分たちの文化が破壊されようとしているという切迫した恐怖と、焦燥に駆られた時、ぎりぎりの「自己防衛」としてジェノサイドは発現するのである。すべての民族虐殺者たちは涙ながらに「自分たちこそ被害者なんです」と訴えるに違いない】。

▼トランプ如き『ディール=取引』で、解決しようとする男に『真の停戦』など期待するのは間違いなのかもしれない。

象徴天皇の正しい憲法解釈

2025年04月09日 09時54分48秒 | えいこう語る

▼日本国憲法第1条=天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

▼象徴であるということの意味がぼんやりしたまま、戦後80年を迎えてきたというのが、日本国民大半の認識ではないか。

▼私の父は出兵していた。私が大人になり一緒に酒を飲んでも、天皇の話はしたことがない。戦後「国民主権」となってからは、天皇を自分の中で分析できなかったに違いない。

▼なので戦後生まれの私たちが天皇との距離を身近し、象徴とはどのような存在かを、正確に認識しなければならない。

▼戦後生まれの私たちの世代は、昭和天皇と共に長い間昭和を過ごした。天皇と言えば真っ先に『昭和天皇』を思い出す。それはやはり戦争と直結した存在だからだ。

▼だが昭和天皇は、戦後は平和を訴えていたことは国民は知っている。次の平成天皇は昭和天皇が出来なかった慰霊の旅を実行し、昭和天皇の戦争責任を身を持って謝罪していた。

▼現天皇は平成天皇の『平和を祈る』ということを自らの職務として、はっきり自覚しているように私は理解している。

▼戦後80年の今年、日本軍玉砕の硫黄島の日米合同慰霊祭に、日米の防衛相が出席し『共同防衛の強化』を約束し、一朝有事には日本が前線に立つよう要望した。要望と言うより米国の‟命令”に思える。

▼トランプ大統領が再選され、日米同盟にも新たな要求が突き付けられている。日本が主権国家として、どんな対応をするのか国民は期待したいけど、今の政府にははっきり期待してない。

▼さらなるトランプの再来で『対米従属』が強くなるような気がするからだ。そして関税と言う貿易戦争にも突入する。小国・島国日本の運命やいかにだ。

▼そこに現天皇が「硫黄島の慰霊」に出かけた。天皇の‟お言葉”は日米の英霊に対し『二度と戦争をさせない」』と宣言したのではないか。

▼桜満開の日本国民は硫黄島から吹く風の中に、現天皇のお言葉をしっかり胸に受け止めたに違いない。靖国の桜たちもだ。

▼「国民統合の象徴とは何か」。私は我が国『戦争しない国』であることの「平和の象徴」が、天皇ではないかと戦後80年の今確信する。

▼戦争は絶対してはならないという、国民の統合の意思を世界に示す象徴が「天皇」ではないかと。

▼天皇は「政治的中立」の立場にある。政治的に影響を及ぼす言葉は発することができない存在だ。

▼だが「象徴」とは、国民の平和への心を統合する存在だ。「天皇=平和の象徴」としての存在を確立することが『主権の存する国民の総意に基づく』と言うことではないか。

▼先日母校の小学校の卒業式に久しぶりに参列した。児童数も全校で16名となった。「君が代」の合唱が始まった。

▼私たちの時代は「君が代」はもちろん天皇のことだと思っていた。戦前の気持ちを引きずる「君が代」は、学校現場にふさわしくないと大人になって歌うこともなかった。

▼だが現天皇や上皇の時代は「平和の象徴」としての存在を国民に示している。だがトランプにより、戦後の秩序は大幅に変わろうとしている。

▼「停戦から紛争」への流れが加速しているようだ。現天皇は今年、沖縄・広島・長崎への慰霊の旅に出るという。これが戦後80年目の「平和の象徴天皇」のあるべき姿だ。

▼主権者である国民は、これを機に天皇を平和の象徴として、国家の横暴を防ぐための、国民統合の象徴として、末永く存在させるべきではないかと考える。

▼♪君が代は(国家の平和の象徴としての天皇)千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで。

▼そう解釈したら「君が代」も、心に馴染んできたようだ。天皇を政治の使い勝手にしてはならない。

▼主権の存する国民統合の象徴であるとの憲法解釈は、正しい方向に進めさせるべきだ。それが戦後80年の国民の覚悟だ。

東京五輪とフジテレビetc

2025年04月06日 11時33分57秒 | えいこう語る

▼「院政」という言葉がある。権力のトップから退いたものが、裏で実効支配することだ。実力がある者は次第に強権を発する。

▼やがて表面的に立ち行かなくなり身を引くが、実はその組織に一番重要な人物だ。だから「顧問」などという椅子を用意する。これが院政が存在する実体だ。

▼フジテレビ問題で、40年ほど権力の座についていた日枝代表が辞任に追い込まれた。フジサンケイ・グループを率いる総大将だ。

▼直接批判されるのはまだいいが、見えない場所で権力を執行するというのが一番組織が壊死する原因だ。フジ問題についての内容は、すでにマスコミで解説されているのでここでは控える。

▼この問題で思い出すのが、東京五輪組織委員長の元総理モリキロウだ。自民党最後ともいえる集金力を持った人物だ。そして当時の総理シンゾウと手を組み、電通を中心に五輪を取引った。

▼この三角関係は、開催前から問題視されていた。結果は電通担当者の裁判で終了したようなかたちになった。

▼シンゾウは別な事件で殺害されたが、モリキロウは何のお咎めもなく、表に出ないままで終了した感じがある。これが日本の「院政体質」の最後と思いたい。

▼自民党に政治資金やパーティー権問題も、モリキロウの存在が疑われている。それでも証人喚問もなされないのが「院政体質」だ。

▼そして間もなく開催される大阪万博。国民の関心は相当薄い。時代を動かすイベントではないと、国民が判断しているからだろう。

▼建築工事が間に合わないとか、チケット販売でも苦慮しているようだ。そこに報じられたのは「万博一社応札66%」「会場工事の落札率99%以上」という、わけのわからない報告だ。

▼何が何でも中止せずにやり遂げるという、強い意志?が見える。言い換えれば「ウクライナ侵攻」や「ガザ侵攻」と同様、途中でやめれば人道的責任を問われるので、最後まで成し遂げるという、ただのクソ意地のようだ。

▼企業ならこんな類の企画は絶対行わないだろう。だが国や地方自治体が発注すれば、途中で中止などというのはまず考えられない。

▼「官製談合」などというのがまかり通るというのが我が国の実体だ。万博の会場をIR(賭博場)にするといった構想があるから、無理やり実施するのだろう。

▼「万博転じて賭博場」と言うのであれば、天下の名城大阪城も、木の葉をお金に換える『タヌキ城』と呼ばれかねない。

▼人口減と財政減。日本はどこの自治体も経営に悩んでいる。だが倫理観も道徳観もない政治とは「トランプ流政治」ではないか。

▼東京五輪・フジテレビ問題・大阪万博。共通しているのは独裁者的発想で、国民主権をないがしろにしていることに尽きる。

▼その元を断ち切るには「自民党的体質」を破壊することにあるのではないだろうか。以前「自民党をぶっ壊す」と言った総理が登場した。

▼結果は野党がぶっ壊れ(分散)され、自民党がかろうじて体制維持をしたという結果ではないか。

▼これら一連の問題の奥深くには、自民党の政治を長く維持させた、主権が存する国民に責任があるという自覚を持つことが、最大の解決法に思える。

▼今の社会を取り巻く問題は、複雑化しているように見える。見えるということをなんとなく納得していてはだめだ。

▼ここは「トランプ流」に単純に「イエスかノーか」で、答えを出してもいいような気がする。だが日本人は『情』を大切にする文化がある。

▼この「曖昧な感情」が、現在の日本の最も大きな欠陥ではないだろうか。そう思う戦後80年だ。