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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

日本学術会議と日米安保

2025年04月19日 17時45分19秒 | えいこう語る

▼戦前科学者たちが戦争に参加したことで、虐殺が行われた。それをふまえ二度と戦争は起こしてはならないと発足したのが、日本学術会議だ。

▼だが日米安保条約があり、日本の防衛は米国の傘下に置かれていた。トランプ大統領の再現で、日米安保は新たな展開を見せている。

▼米国と共に戦う共同戦線の要求だ。「関税ディール」とは言うが、日米安保を強化する米国の要求だ。

▼これ以上米国に追従すれば、我が国は再び戦争へとまきこまれる。そこを懸念する学術会議のメンバーがいる。

▼シンゾウの政権時に「憲法解釈」をめぐり、8割近くの憲法学者は、総理の憲法解釈が間違っていると指摘した。

▼菅政権となり、官邸主導型の人事権を発揮した総理は、6人の候補の任命を拒否した。この理由の説明は一切ない。

▼そして学術会議の法人化を閣議決定した。独立性を高めるという理由だが、法人化後の最初の会員を選ぶ「候補者選考委員会」の委員は『内閣総理大臣が指定する者』とした。

▼もじ通り内閣の意向にそぐわない者は、拒否されると言うことだ。これは廃案にするしかない。学術会議がまともな意見を言えないなら、国民の意見など反映されないからだ。

▼米国からの「関税ディール」は、どうやら日米安保が標的にされている。このまま米国の言いなりになれば、完全に米国との戦争に巻き込まれる。

▼この危機を救うのが学術会議だ。歯止め役としては最適な機関だ。それが嫌だから総理による任免拒否を続けるのだろう。

▼戦後80年を迎え、米国は日本と一緒に戦う姿勢を強制してくるはずだ。それが「双務的」な、安保条約の在り方だからだ。

▼戦争に加担するのは避けなければならない。【憲法第9条】があるからだ。だが米国は日本は憲法を改正すべきだとの、強硬な姿勢を示してくるだろう。

▼今の軍事力では日本単独ではおぼつかない。だがこのままでいけば、必ず米国と一緒に闘う羽目になる。

▼そこで日本ができることは、【憲法第9条】を盾にした専守防衛だ。敵が攻めてこなければ、絶対交戦しないと世界に示すべきだ。

▼そして平和外交に道を開く。外交こそが平和のすべてだと、日本の非戦の決意を世界に示すべきだ。

▼この行為を先導するのは「日本学術会議」の最大の使命だ。科学者の声に国民は賛同するからだ。

▼「二度と戦争はしてはならない」と言うことを、国民が世界に宣言するのが、戦後80年の、日本のあるべき姿だ。

▼イシバ総理が「80年談話」を発しないという。こんな総理は、学術会議が罷免しなければならない。

▼政権にとって都合の良いことを提案する、そんな組織にはなってほしくないからだ。日本学術会議の法人化には全体反対だ。

八代亜紀のヌード

2025年04月17日 20時36分05秒 | えいこう語る

▼九州の片田舎から、少女が歌手を目指し上京した。誰一人として頼ることのできない都会生活。共同炊事場の小さなアパートで、同棲生活を始める。よくある話だ。

▼やがて彼女は歌手の道へ。別れが待っている。捨てられたのは男の方だ。惨めな男の手には、仲が良かった時代に撮ったヌード写真が残った。思い出はそれでいい。

▼だが男はヌード写真を、捨てられた女の仕返しのために、残しておいた。それって、野暮じゃないか。

▼女は立派な歌手になった。それって男の勲章ではないか。自分が同棲していた女が、スターになったのだから。

▼やがてスターは、病魔に侵され死んでしまった。多くのフアンは悲しみに暮れた。そんな女性と同棲した過去を持つ男が残したヌード写真が、今発売されるという。

▼スターになる前の若い時分、同棲した過去を歌の肥しとして、生きて来たに違いない。哀愁を帯びた歌唱力は、どこか同棲時代を彷彿とする、魅力にあふれていたと言っても過言ではない。

▼八代亜紀はスターだ。スターにも人に言えない過去がある。それがまたスターの才能を豊かにする。

▼男はどんな気持ちで、スター八代亜紀の過去を暴くのか 。黙ったままでよい。男は過去をむしかえしてはいけない。

▼昔、ちょっと粋な女と同棲していた。そんな思いだけで、生きていけばいい。それが八代亜紀と言うスターだっただけの話だ。

▼昔、いい女と同棲したことがある。たったそれだけのことだ。良くある話じゃないか。男って、そんな過去は語らないのが、男ってもんじゃないか。

熊に鹿が襲われた

2025年04月16日 20時03分47秒 | えいこう語る

▼熊の民家への出没が目立っている。熊の食べ物が人里にあると、学習してきたせいか。その前に鹿の群れが、人家に現れるようになってから久しい。

▼森林の伐採で鹿の住む領域が狭まる。そこで鹿が民家近くへと移動を始めた。私の家の庭にも大鹿が現れようになった。

▼草地もあり鹿が出没する環境には、最適のように見える。草刈りも頻繁にするので、新芽が出る。その新芽が鹿にとっては最適の食糧のようだ。

▼庭に出ると角が立派な大鹿がこっちを見ている。襲い掛かってはこないが、その角で跳ね投げられたらひとたまりもない。

▼そこで我が家の庭だが、鹿に遠慮し遠回りをしてしまうというのが現状だ。しか(鹿)たがないという状況だ。

▼鹿を食料とする熊も。鹿の住む地域の変更で、鹿を探して人家に近づいてきているのだろうと、私は考えている。

▼それに雪解けが早くなった来た。そこで人間が山奥に山菜取りに入る。眠気を妨げられた熊は、ストレスがたまりっぱなしだろう。

▼熊の住む山奥の環境も人間が荒らす。山の中腹は伐採が盛んだ。鹿も熊も人間に追い出され、人家近くに出没するのだろう。

▼と言うので、最近は山菜取りに出かけていない。以前はよく出かけた場所に、熊のオリが仕掛けられていた。ハンターに聞いたら熊の通り道だという。

▼とはいっても雪解けが早く、春の息吹を感じる季節になった。山菜の王者・ギョウジャニンニクの季節だ。軽い気持ちで裏山に出かけた。

▼歩いて50メートルも行くか行かないところの杉林の中に、何やら黒い物体が見える。間引きをしていない場所なので、陽があたらず真っ暗だ。

▼よく見るとそれは鹿の死体だ。あばら骨が見えている、大きな角も見えていた。熊に襲われたに違いない!!。

▼鹿はよく道路まで出てくる。数年前に、家の前で鹿が車にはねられて死亡していたのを、行政に通報し処理してもらったことがある。

▼すぐ裏山では、よく鹿の鳴き声が聞こえる。ついに熊の餌食になったのかと、背筋に冷たいものが走る。それも私の家のすぐ近くだからだ。
 
▼また熊が鹿を追って、家の周囲を歩く姿が目に浮かぶ。北海道に長く住んでいて、いつかは熊に出くわすのを心待ちにしていた。

▼だが熊が近づいていることを身近に感じると、動物園での愛嬌があるしぐさなど、もう期待すべきものではない。

▼つい最近も軽四輪トラックが、クマに襲われた画像を何度も観た。恐怖以外の何ものもない。

▼遠くで歩いている熊なら見てもいいが、近くに遭遇する熊など、絶対見たくはない。なぜアイヌ民族は、熊をカムイ(神)と名付けたのか。

▼熊との共生を図るという考え方も、恐ろしさのあまり失ってしまっている。もう一度自然との共生について、考えるべき時が来たような気がする。

▼極端な恐怖感は、相手を絶滅する意識の芽生えでもあるからだ。人間には自衛本能と言う『ジェノサイド』があるからだ。

やらせ質問蔓延議会

2025年04月15日 17時25分40秒 | えいこう語る

▼函館市議会をユーチューブで視聴すると、質問者と答弁者が、書類を見ながら発言している。何度か同じ質問を繰り返し、答弁者も同じ答えを繰り返す。そこで次の質問に移るということが状態化している。

▼ふつう質問者は回答を求めているが、回答にはなっていないものが多い。こんな程度の質問なら市民は納得しない。

▼たまにはなかなかしぶとい発言を繰り返す議員もいる。だが答弁者はそれに真摯に向き合わない。のらりくらりで時間切れを狙う。

▼しぶとい発言者に聞いたことがある。周囲の質問者側にも「いい加減にしたらいいのではないか」との気分が蔓延しているという。

▼結果しつこく質問する方が、議場では違和感を持たれてしまい、自分は一人ぼっちになってしまったと言う。そんな議員の方が、市民の真の代弁者だと思う。頑張ってほしい。

▼私も市職員から聞いているが、議員の質問について、これをカットしてほしいと頼まれると、議員に話をして質問内容を書き換えるのだと言う。

▼「答弁調整」というやつだ。こういうことがまかり通っているのが市議会だ。八百長議会と言うことになる。健全な市議会運営とは到底言えない。

▼函館市長のパーティー券販売問題で、元副市長が市役所内で、幹部職員に販売したということが明るみになった。

▼これは事実に近いと市民は思っている。この副市長の仕事ぶりは市民も知っている。多分販売にも威力を発揮したのだろう。

▼ここで市長は幹部職員に電話で聴いたが、そんな事実はないと言ったので、私としてはないというので打ち切りにしたいと話した。

▼それに対し、実態を把握しているはずの議員からも、市長に対する糾弾が見えない。ただ一人の議員が問題にするだけだ。

▼この問題には市民の声が届いていない。市民がどう見ているかの発言が無視されている。これが函館市議会と市役所のなれ合い構造の元凶だ。

▼それを市民が声を出す機会がないからだ。市民団体の最大機関である「函館市町会連合会」が、声を上げないからだ。

▼町内会は戦前同様の『行政の下請け機関』として今に存在しているからだ。15日の北海道新聞一面トップは『議会やらせ質問蔓延』だ。

▼苫小牧市長が変わり、以前市議会議長を務めた人物が新市長になった。そこでは自治体職員が率先し、答弁書を作成していることが判明した。

▼苫小牧市では前の市長が、IR(賭博法」を誘致しようとしていた。それに賛同したのは町会連合会だ。「我々の市長は、市民のことをしっかり思ってくれている人なので、町会は全面支持する」と、苫小牧町会連合会幹部から、私は聞いている。

▼苫小牧町会連合会はすでにその時、事務局が庁舎内に移り、事務局も市役所職員が行っていた。町会幹部に尋ねると「その方が仕事がやりやすい」と話していた。

▼町会は自主的機関だ。市長の応援団的存在ではない。独立性を持った団体だ。そんな気概がないのが今の町会だ。

▼函館市は北洋漁業の衰退から、目に見えた活性化の動きがなかった。それは『まちづくりは市民が主役』ということを、理解しない市民がいるということだ。

▼函館は行政主体のまちとして歩んできた。行政から市長が出て、市長を支える市職員がいて、その体質を維持しようとする議員が、長く議員を務める傾向にある。

▼それが市民軽視の体質となり、市民もそれに甘んじる体制になってしまった。よそから移住している人に聞いてみた。『まち並みは素晴らしいが、役所の対応は最低だ』と言われる。

▼「議会のやらせ質問」に見る、役所内部の体質は『民主主義の劣化』がはなはだしい。官主導型の行政になっているからだ。

▼地方自治体は『民主主義の学校』と言われる。地方議会が民主主義の劣化をきたしているようでは、国家も独裁主義が蔓延しかねないということではないか。

▼何よりも市民が主役のまちづくりに戻さない限り、苫小牧市も函館市も民主主義から、程遠いまちになってしまう。

戦後80年北海道にミサイル発射場戦

2025年04月14日 20時11分14秒 | えいこう語る

▼戦争が終わってやっと80年経ったばかりだ。80年前日本は他国に侵略し、2000万人もの犠牲者を出したといわれている。

▼さらに我が国でも310万人もの死者を出している。我が国は異常な国であり、異常な国民が住んでいる島国だ。「鬼が島」とは日本のことではないかとさえ思える。

▼敗戦により憲法が変えられた。天皇主権から『国民主権』になった。しかし現憲法も「天皇」を第1条に持ってきた。それに対し国民は何の拒否反応も見せなかった。

▼天皇も国民と同様、戦争の犠牲者としての扱いをされたのだろうか。このような国民の思考形態を「ねじれ」と称する学者もいる。

▼日本人は戦後80年まで「ねじれ」たままで来たのではないか。それが自衛隊を容認する姿勢につながってきたのだろう。

▼今や国民は自衛のための戦争を、容認しているのではないだろうか。戦争放棄の国の総理が「敵基地攻撃能力」を可能にしようと国民に呼びかけ、防衛費増強に備えるという言う。

▼それに対し国民は怒りもしない。もはや憲法改正止む無しという、態度さえ見せているように見える。

▼台湾有事になれば、ロシアと中国が同盟を組み、北海道を侵略しかねないとの情報が飛び交う。それに呼応するかのように、北海道各地の港湾や空港を、自衛隊が使えるようにするという。

▼さらには日高管内の静内対空射撃場で、国内初の地対艦ミサイルの実射訓練を行うという。中谷防衛相は安全性確保と地元への‟丁寧”な説明に務めると述べる。

▼戦争準備への丁寧な説明など「憲法違反」も甚だしい行為だ。こんな戦争開始寸前まで、日本はやってきている。

▼北海道知事もこのような戦争準備行動に対し、敢然と反対意思を示さない。それでも支持率は、62%と相当高い。

▼ラビダスの侵攻で、電力需要が足りなくなるので、知事は泊原発の再稼働の許可は、出さざるを得なくなる。

▼現鈴木知事は二期目だが、次は国会を目指すだろう。鈴木の後任は鈴木が推薦する。今の野党にそれを崩せる人物はいない。

▼新顔の知事は自民党から出る。そうなれば、泊原発再稼働や、核のゴミの地層処分場も自衛隊の基地化も、すべて受け入れる。

▼次期知事選が北海道の未来を託す、最も重要な選挙となる。だが立憲民主もそんな勢いを止める手段も、全く考えていない。危機感の全くない野党だ。

▼私は北海道が「沖縄化」する可能性は今の時点では極めて高いように思う。国は沖縄県と北海道は、未開の地だという認識を持っているからだ。

▼アイヌ民族を侮蔑し続ける、杉田水脈を自民党は比例代表に選んだ。北海道をアイヌ・モシリという。「人間が住む静かな大地」と言う意味だ。

▼北方警備の最前線基地にしてはならないと思う。