10ヶ月の留学を終え、明日、日本に帰る。
私は一体、ここで何をしたのか?
最初の1ヶ月は楽しかった
でも、それ以降は苦しみの連続だった。
それはイタリアだからではない。
自分と繋がっていた全てのものから切り離され
たった一人になった時、
私はあまりにもちっぽけで弱っちかったというだけだ。
全く新しい環境に身を置いたとき体験する疎外感
周囲の不理解、不必要な非難や偏見
それらを含む小さな出来事に出会うたび
私のちっぽけな心は痛みきった。
それらに立ち向かう強さ等なく、
自分は何も出来ない、何の価値もない
いやしくて最低な人間だと自分を責め続け
すっかり心を閉ざしてしまった。
そして、閉じこもった心の中で
今までいた自分の環境がどれほど恵まれていたのか、
こんなにちっぽけで、へんてこりんな私を
あたたかく受け入れてくれた仲間たちが
どれだけありがたい存在だったのか思い続けた。
本当に心から感謝されてやまなかった。
何があったって、いつも明るく元気いっぱいで
楽しく飲んで、食べて、笑っていた私は
実は本当の私ではなく、
周囲がそう思ってくれていたから
私はそうしていられたのだ。
周囲の支えを失った私は
多分、毎日泣いていたと思う。
パッと見、のんきに楽しく飲んだくれてるように見えても
閉ざした心の中で泣いていたと思う。
私は一体、ここに何しにきたんだろう。
どうしてここまできて
こんな思いをしなくてはいけなかったのか。
色んな苦しみや悩みをひとり抱え、
巣から落ちひからびた小鳥みたいになって、
それでもたったひとつ手の中に残ったものがあった。
それが、写真だった。
ファインダーの中のイタリアの美しい風景は
ちいさな私のことなんておかまいなく圧倒的だ。
この世はこんなにも美しい。
そう思い知る度に、心に何か
キラキラと輝いた息吹が吹き込まれるようだった。
そして、この美しい景色を素直に美しいと思える自分が、
それを撮る技術を持ってその場にいる自分が
とても誇らしく感じられるようになった。
全てをなくしてようやく気がついた
自分の中の輝けるもの。
写真を撮りたい。
今思う事はただそれだけだ。
そのために、私はまたイタリアに戻ってきたい。
ここにはまだ撮りたい美しい風景がたくさんある。
でもそれには、最初の渡航よりも
勇気も決心も倍必要で
私ひとり分のでは到底足りない。
そんな時に、決心する切欠を与えてくれたもの
それはこのブログを見て
エルバ島の旅行記の依頼をくださった編集者の方だ。
こんなどこの馬の骨か分からないカメラマンを信じて仕事を下さった事、
何よりも私の発信してきた写真と文章を見込んでもらえたのが嬉しかった。
それからは、海外でのやりとりで行き違いや不安のないように
丁寧な内容で、こまめに連絡をいただき、
気持ちよい仕事をさせていただいた。
これが私の決心に大きな勇気を与えてくれた。
それはどれほど幸運な事か。
私の力だけでは得られない何かなような
とてつもなくラッキーな事だと思う。
そんなあり得ない幸運に恵まれたのは、
私を守ってくれる大きな力があるような気がしてならない。
ふと、父を思い出して、心が熱くなった。
私の目の前に開いた運命の扉
それでも、私にはそこを進む勇気が足りない。
涙目になりながら色んな思いや迷いを話す私に、
泣き虫だけど、泣きながらでもがんばるから好きなんだと
友達に励まされたことがあった。
ま、おれは、がんばるけどね!と激をくれた友達もいた。
なんかイタリアにいるのが似合ってる気がするって
遠く日本から遊びに来てくれた友達がのんびりと励ましてくれ、
日本から手紙や私の好きなお菓子を送ってくれた友達も、
本当に行き詰まった時SOSの電話出来る友達もいてくれる。
私の最大の弱点、日本に一人残した母に
再渡航の意思を伝える事も、
イタリアへ遊びに来てくれた叔父の強力な援護射撃でなんとかなった。
みんなに少しずつ勇気と力をもらった。
本当にほんとうにありがとう。
自分の道を信じて行くにはとても勇気がいる。
私は本当にそこをいけるのだろうか今でも不安はつきないけど
でも、私はきっとここに戻ってくる
キラキラとした輝きに満ちたこの景色を撮りに。
だってそれが私にできることだから。
「ここへ何をしにきたのか?」
その答えはきっとその先にある。
さよならフィレンツェ、
そして、きっとまたくるから。