カメラといっしょ★

地元福岡~イタリア留学からワーキングビザ取得しての海外生活を写真で綴るつれづれ日記

個展を開催します

2011-10-31 23:53:54 | ★編集後記


明日から個展を開催する。
それは私がイタリアへ再渡航する際に持っていた目標のひとつ。
その準備、写真を額装しながら、涙があふれてきた。
ずっと忙しくてそれを思うヒマがなかった。
でも今、大きく伸ばした自分の写真を額に入れていて胸があつくなった。
今まであったたくさんの事、たくさんの苦境
今まで出会い写真に収めてきたたくさんの美しい景色
力になってくれたたくさんの人があった。

その目標は思いがけない切欠で叶うことになった。
留学中、滞在ビザを1年ごとに更新しなくてはいけないのだが、
目標を持ってきたはずのイタリア、
でも生活する事に追われ、貯金も使い果たし、
実際問題厳しい海外生活に気力も使い果たし、
どうしたもんかと途方にくれていた時、
私の近況を知ったお世話になっている編集者の方が、
無理をして仕事を1本まわしてくれた。
それに背中を押され、顔を上げた。
そうだ、仕事!
とにかくお金が無くては何事も二進も三進もいかん、働いて稼がねば。
そこで学校の秘書に何か仕事がないか相談しに行った。
あなたは何ができるの?と聞かれ、カメラマンですと答えたら
困った顔で、そうね写真の仕事はないわ、、といいつつ
一応、私が持ってきたブックに目を通してくれた。
ふと、思い立ったように顔を上げて、
そうだ、写真を売ったらいいんじゃない、カメラマンなんだから。
きれいな写真だし、いいわ、それがいいっ、と早速
個展ができるカフェのオーナーを紹介してくれた。
そのオーナーにドキドキしながら写真を見てもらうと、
いいね、いいよとgoサインをくれた。

すっごく嬉しかったけど、ひょいと叶ってしまった感もありちょっと拍子抜け。
もちろんそれを目標に作品となる写真はテーマを持って撮り続けてきたけど、
よーし、作品揃った、次は会場だと、万全を期して進んでの今ではない。
正直、今の自分に個展など開催する力があるか自信はない。
でも、明らかに、今が潮時、これはチャンス、
ここは尻込みする所ではない、やると反射神経が言っている。
やる。

でも、それには私の滞在期間を延長しなくてはいけない。
今、延長手続きに必要なお金はなく、仕事のギャラが入るのは間に合わない。
そこで、生まれて初めて母親に頭を下げた、お金を貸して下さいと。
私と母は小さな頃から折り合いが悪い。
とにかく性格が真反対なせいと、女性同士というのが逆効果になって、
折り合う事ができなかった。
でも、最愛の父の死をそれぞれに乗り越えようと努力した日々、
私が遠く離れた事で、逆にその距離を埋めようと思い合い始めた事が
私たちを少しずつ近づけてくれていた。

母に頼みごとをするなんて絶対にイヤだった私が初めて頭を下げた。
自分の進もうとする道が正しいと、今はこの道を行くのだと信じたから。
放っておかれる事を不満としている母だから、
私の滞在延長を喜ぶはずがない。
カメラマンなんて訳の分からない仕事より、
早く安定企業に就職してほしいと思っているのに、
まだ写真なんて言って面白いはずがない。
それでも、しばらくの沈黙の後、分かった、それがあなたの夢なのね、と
必要なお金を振り込んでくれた。
もう母には頭が上がらない。
母の助けなしにはこの個展は開けなかった。
ありがとう、お母さん。

たくさんの人の支えと幸運な切欠に恵まれて明日個展を開く事が出来る。
何度拭っても涙がじわりと浮かんで来る。
ひとつ目標が叶った時、私は何を感じるか分からない。
でも今はとにかくこの幸運に、今まで応援してくれた全ての人に
心から心から感謝の気持ちでいっぱいなのでした。


藤原亮子 写真展『sogni prima dell'alba ~あさにみるゆめ~』
■期間:2011年11月1日~30日
■場所:caffe Volume
■住所:Piazza S.Sprito, 5r, Firenze, Italy


世界のマック食べ歩き

2011-10-29 23:56:12 |  └・カフェ&BAR
何やらかにやらでバタバタなこの頃、
食事を取る時間もやっとこさ、
今日はバスを待つ間にマック。
イタリアに来てあんまりマックは使わないのだけど、
(日本より高いし、他に安くておいしい物があるから)
久々、私の裏テーマ「世界のマック食べ歩き」
ちょうどイタリアの人気シェフが考案したバーガー「Adagio」シリーズが出ていた。

私が食べたのは、焼きナスにペコリーノチーズをトッピングしたもの。
これが、今まで食べたマック特別メニューの中ではピカイチにおいしかった。
まず、パンがおいしい。
そして焼きナスとチーズの相性もばっちりで、
何より、うまいっ!と思ったのがパテ。
今までどんな味のバーガーでも
パテは、「うん、マックの味」であったのが、
これは、肉の旨味おいしさが際立って、
ファーストフードとはすぐには思いがたい味。
よく説明を読めば、イタリア産のこだわり牛肉だそうで。
う~ん、やるな!
おいしい食材にことかかないイタリアで、
ちょっとやる気をだせばこのレベルまでなるんだね。
ちょっぴり感心した急ぎ足のランチタイムなのでした。

暮らすということ、生きること、

2011-10-25 21:39:45 | ★イタリア留学日記
最近私は部屋を探している。
今住んでいる部屋は、ルームメートの帰国を機に
一人では家賃を払えないので出るつもりでいる。
もちろんインターネットなどで情報も集めているが、
手っ取り早く知人に聞くのも手だと、
イタリア人のお友達に連絡した。
そしたら彼の弟もちょうど家を探しているところらしく、
シェアしたらいいじゃないかと言って、
弟を紹介するのにランチへ招待してくれた。
友達には最近赤ちゃんが生まれたので、
出産お祝いをもって出かける事に。

お祝いに選んだかわいい皮のベビーシューズ


部屋の話は、結局現実的な話ではなかったけど、
友人のかわいい、バラ色の頬の天使みたいな赤ちゃんに会えて幸せ。
そして、赤ちゃんを囲んで幸せいっぱいの家族の姿にも
なんだかすごく心温まり、しんみりとした今日。
遅々として進まない部屋探しに
暮らすということの大変さと、
幸せ家族の姿に生きるということを
改めて問い直してみる午後なのでした。

そしてお昼ごはんはエノテカで

2011-10-16 23:58:13 |  └・カフェ&BAR
サントスピリット広場のビオの市場を見終わってお昼ごはん。
日曜にランチをやっているお店を探すのは難しいのだけど、
そんな時たよりになるのが「il Sant Bevitore」比較的よく開いている。
私のお気に入りは「Bevitore」の隣のとなりにある姉妹店のエノテカ「Bevitorino」
小さなカウンターとちょこっと椅子が置いてあるだけの小さなお店。
でもなんかその物置みたいな小さな空間に、
カウンターの向こうでプロシュートを削る様子、
注がれるワインの色、人々の笑う声、
照らすろうそくの明かりなどが、
ごちゃまぜになって煉瓦の壁に映し出されているのが
私にはなんだか楽しく、居心地よく感じるのだ。
 
もともと狭いお店は、ランチタイムで満席。
席を待つ間、カウンターで1杯。
忙しそうな手をさらに動かして、
グリッシーニにプロシュート(生ハム)をくるるっと巻いて
パッと出してくれたおつまみ。
カリッとグリッシーニにプロシュートの旨味がワインによく合う。
ん~、いいね~。
これとワインがあれば満足だねっ。
と、いいつつ、席が開いたのでお昼ごはん。
メルカートで色々買い食いしたのでヘルシーにかぼちゃのスープ。
あら、結構しっかり味でおいしいっ。

ワインの香りと人々の笑い声にまぎれて、
日曜の午後はゆっくりと過ぎてゆくのでした。

■il Sant Bevitore
via di S.Spirito 64/66r Firenze
tel 055.211.264
http://www.ilsantobevitore.com

サントスピリットのメルカート

2011-10-16 23:53:51 | └☆イタリアぶらり旅
このところ立て続けに仕事が入り、
私用も立て込んでそれとなく忙しく、久々の休みの日よう。
家のすぐ裏の教会の広場でビオのメルカートがあったので出かけた。
 
このサントスピリット広場では、日曜日にメルカート(市場)が立つ。
第2日曜が骨董市、そして今日、第3日曜がビオ市場。
骨董市も好きだけど、ビオの市が好き。
だって、食べ物がたくさん売ってるからっ!
 
 
産地直送とれたて野菜に果物、はちみつ、
それらを使った、ジャム、ワイン、パン、ハーブに石けんなどなどなど。
見て、食べて、食べてみて、そりゃあ楽しいったら。
  
あっ!栗!くり!くり~!
日本の栗もおいしいけど、イタリアの栗おいしんだ~。
去年マレンマのアグリに行った時、山で拾った栗はべらぼうにおいしかった!!
このビオの市の栗も山で拾ってきた、あ、収穫してきたやつだからきっとおいしいぞー。
張り切って、いっぱい買った。いっぱい食べるぞ~。

そして今日のおやつ!
市をぐるぐる3周くらいしてようやく選んだこれ、
ぶどうのスキャッチャータ。
ぶどうの収穫期のこの時期しか食べられないおやつ。
ワインになるぶどうを使ったこのお菓子、
種がそのまんまだから最初はちょっと食べにくかったけど、
この独特のぎゅっとした果実味がなんだかたまらなくって、
この季節が来るとついつい買わなければと思ってしまう。
ぶどうの紫色を手にいっぱいつけながらかぶりつく。
ん~、おいしい!秋の味。

ずいぶん秋めいてきた光に包まれながら広場で休憩。
イタリアに残るときめてから、パタパタと入る仕事、個展の話、
ぼんやりしている私をのせて季節は勝手に巡っていく。
目の前を流れていく景色を不思議な気持ちで眺めているのでした。

カッシーネ公園の朝市

2011-10-04 14:55:30 | ★イタリア留学日記
友達の誘いでカッシーネ公園の朝市へ。
毎週火曜日の午前中、公園内に市が立つ。

一体いつまで夏なんだろうと思う日差しの中、公園に向かって歩く。
溢れんばかりの日差しを受けて、町は楽しそうだ。
 
朝市には野菜、果物、ハム、チーズ、古着に、雑貨なんでもこい。
町で買うよりちょっと安く買えるし、
ごちゃごちゃしたワゴンの中から宝物を探すのは楽しい。
広い公園内をぐるぐる歩いて、3足1.5ユーロの靴下など買い、休戦。

フリットとオリーブとチーズを屋台で買って公園のベンチでランチ。
キラキラ光る日の光、葉の揺れる音、
ああ、これにワインがあればとうなる私に
あははと乾いた笑いの友達。

そうやって光を浴びてお腹を満たし喉を潤せるなら、
それだけで最高って思えるのが本当は人生かもって思う昼下がりなのでした。

過去からの手紙

2011-10-04 00:19:24 | ★イタリア留学日記

インターネットはどこへでもつながっている。
その全てを内包したブラックホールのようなハコの中で
人はどこへでもつながることができる。
その不思議なハコを通して、一通の手紙が舞い込んだ。
それは過去からの手紙。

写真を始めたばかりの頃の私をよく知る人からだった。
そのメッセージはこうあった。
"奇をてらわず、素直な眼で見ている写真に磨きがかかりましたね"と。
それは私が、たくさんの壁にぶち当たり、行き詰まり、転んで、
こんな遠くまで来てようやく知った事。
それは全てを失ってたったひとつ残った私の欠片。
この人はずっと昔にその事を知っていたんだ、それが私の真だって。
半分笑えて、半分泣けてきた。
とっくの昔に分かっていた事をずっと探していた自分が情けなくって笑え、
自分すら知らなかった頃に知っていてくれた人がいた事がうれしくて泣けた。

今までのたくさんの、たくさんの事が思い出された。
その頃、疲労で心と体が連動しない程にマヒし、
たくさんの涙が心の中で湖みたいに広がっていた。
それはとても静かな景色。
とても悲しかったけど、でも私はその景色が嫌いじゃなかった。

返事を書こうかと思ったけど、
過去へ届く切手はあるのだろうか。
それはない気がして返事を書くのをやめた。
メッセージが届いたと知らせる手段はただ一つ、
私がわたしの写真を撮る事。

bentornata in italia!

2011-10-03 23:31:38 |  └・ピザ&パニーノ
イタリアに来たばかりの頃、同じ学校に通っていた友達が
お母様と旅行でフィレンツェに行くからと連絡をくれた。
久しぶりの便りがうれしくって、お母様もいっしょにランチ。
 
夏の繁盛期も終わり、月曜ランチは休みのお店が多く、
結局、ピザチェーン店のRossoPomodoroへ。
チェーン店なのでイタリア中どこでもあるけど、
日本のチェーン店がそうであるように、
それはあなどれないおいしさだったりする。
この親にしてこの子ありと納得する素敵な親娘に囲まれて
ランチタイムは穏やかに過ぎていく。
離れた窓の向こうに反射した夏色の光が見える。

彼女はいつも真ん中の教室に座っていた。
いつも笑顔の彼女に会えるとなんだかほっとしたものだ。
変わらない笑顔に会えてなんだかまたほっとした。
あの頃の私と今の私はずいぶん遠く離れてしまったけど、
なんだかつられて弱々しいけどでも笑顔になっている自分がいる。
女の子のかわいい笑顔は世界を平和にできるんじゃないかと思う。
笑顔をありがと、いつも笑っていられるようにがんばるね。

つかの間の再会に昔を振り返り、その反動でまた前を向く、
人はこんなふうに進んでいくんだと知る昼下がりなのでした。


■Rosso Pomodoro
http://www.rossopomodoro.com/

夏みたいな秋の日に

2011-10-01 15:35:20 | ★イタリア留学日記
晴れた日の今日、カメラを持ってでかけた。

もう10月だって言うのに、
その日差しは夏の余韻たっぷりに輝いている。

立ち止まっている私をのんびりと待っているように
夏の光はずっとあたたかく私を照らしてくれている。
分かってるよ、私はどこかに進まなくてはいけないんだよね。
君が照らす美しいこの世を見つめていたい、
それをそっとカメラに収めて、それを誰かに伝えていけたら。
思いはある。
でも、それだけでは人は生きていけない。
貯金もなければ、収入もない。
今シェアしている部屋もルームメイトの帰国のために出なくてはならず、
まもなく住む家もなくなってしまう。
寄り添える人もおらず、心の友は遠い空の下。
言葉も良く分からない異国の地で、
何も持たずひとりぽつりとたたずんで、
途方にくれてしまうのはむしろ正常だろう。

世界の果てまできて見えてきたのは人生の深淵、奈落の淵。
その淵ぎりぎりに立たされて、今思う事は、
私が今までいかに正しく過不足なく愛されて育ったかということ。
不器用だったけどでも正しく愛をそそいでくれた父、
なれない母親業にとまどいながら一生懸命に育ててくれた母、
たくさんの良い友達にも恵まれ、私は本当に幸せだったと思う。
たくさんたくさん愛されていたと思う。
疲れ果てて空っぽになった心に、今なぜか
そばにいてくれたみんなへの感謝の気持ちがサラサラと湧き出ている。
窮地に立ち、恨みつらみではなくそんな事を思うなんて、
それはまるで死に際した人が最後に家族に感謝する気持ちみたいなものだろうか。
そうかもしれないけど、多分それとはきっと少し意味が違う。
窮地の淵に立ち、その深淵を覗いても、私はその奈落へ落ちていかない。
そりゃあ途方に暮れはしている、
でもブラックホールみたいに不思議な引力のある、ほの暗く暖かいその闇へ
私は少しも傾いていかない。
恐れすら抱かない。
まっすぐ立っている。
私がまっすぐに立っていられるのは、
私の中身が真っ当なものでつまっているから。
家族の愛、友達、出会ってきた人々の優しさ、友情。
たくさんに恵まれて私は本当に幸運だ。
本当にほんとうにありがたいと、今思うのはただそれだけ。
ただ、それだけ。
夏みたいな秋の日に、ただ物思い佇んでいるのでした。