あらすじの続き
その年(八年目)、娘の雛子が高熱を出して倒れる。木村家には車も電話もなく、健康保険も払っていない。秋則はやむなく、雛子をおぶって病院まで駆けつける。
妻の美栄子が病室で雛子に付き添うが、ふと気がつくと、秋則は姿を消していた。美栄子が雛子の着替えを取りに、家に戻ってもおらず、畑にもいない。
…実は、秋則は自殺を決意して、岩木山の山中をさまよっていた。
しかし、首をくくろうとした森の中の一本の木に、なぜか虫が付いていない。思わず近寄ってその根元を掘る秋則の脳裏に、ふとよぎるものがあった。…義父が戦争でラバウルに行っていた頃、食べるものもなくなり、必死で畑作をしたとき、肥料もなく雑草だらけの荒れ地なのに、芋が大きく生ったという。秋則は土をほおばり、「これだ!」と叫ぶ。
山の土は、雑草や枯れ葉が長年かけて溜まり、肥えた状態になっている。自分のリンゴ畑は今まで、雑草を刈っていたからダメだったのだ。リンゴの木は、それだけで生きているわけではない。他の自然の中で生きている生き物なのだ。
秋則は、翌年に向けてリンゴ畑を山の環境に近づけようと、森から土を運び、雑草を刈らず、大豆をまく。一方、現金収入を得るため、秋則は恥も外聞も捨ててスナックで働き始める。
九年目。リンゴ畑はいつしか、大豆は腰の高さまで育ち、雑草が生い茂り、ヘビ、ネズミ、ウサギなどが住みつき、畑というよりジャングルのようになっていく。そして、リンゴの葉には害虫だけでなく、テントウムシのような益虫も付くようになる。
木村家でとれる見事な野菜が村の者たちの間で評判になり、周囲の見る目も変わってくる。
そして十年目の春、秋則のリンゴ畑に一斉に花が。友人のもっちゃんに畑を見に行くように言われ、スクーターを借りて秋則と美栄子が向かった先で目にしたのは、山いっぱいに咲いた白いリンゴの花。二人は狂喜する。
その年の秋に生ったのは、情けないほど小さなリンゴ。しかし、とてもきれいで甘いリンゴだった。
義父の征治は、前年の冬に肺炎で入院してから、痴呆症まで患い、病院生活が続いていたが、このころ帰らぬ人となる。亡くなったときには、その年初めて実ったリンゴを固く握りしめていた…。
感想
映画は、無農薬栽培がようやく軌道に乗り始めた十一年目の秋、木村家で収穫したリンゴの仕分け作業をしている場面で終わる。ここで秋則が、
「オラ分かったことがある。一つのことに狂えば、いつか答えは見つかる。そういうもんだ。」
という言葉もよかったが、私がこの映画で一番印象に残ったのは、雛子の書いた「私のお父さん」という作文だ。
これは、秋則が自殺しようとした八年目、どん底の極貧生活の中で書かれたもので、
「私のお父さんは、リンゴを作っています。でも、私はリンゴを食べたことがありません。お父さんのリンゴの木には、虫がたくさんついているからです。でも私はいつか、お父さんのリンゴを食べたいです。…」
といった内容だったと思う。
つらく苦しい生活の中で、支え続ける家族の存在があったからこそ、奇跡のリンゴは実ったのだ。
この映画で義父・征治を演じた山崎努さんは、
と言っている。素晴らしい映画なので、ぜひ多くの方に見ていただきたいと思う。
その年(八年目)、娘の雛子が高熱を出して倒れる。木村家には車も電話もなく、健康保険も払っていない。秋則はやむなく、雛子をおぶって病院まで駆けつける。
妻の美栄子が病室で雛子に付き添うが、ふと気がつくと、秋則は姿を消していた。美栄子が雛子の着替えを取りに、家に戻ってもおらず、畑にもいない。
…実は、秋則は自殺を決意して、岩木山の山中をさまよっていた。
しかし、首をくくろうとした森の中の一本の木に、なぜか虫が付いていない。思わず近寄ってその根元を掘る秋則の脳裏に、ふとよぎるものがあった。…義父が戦争でラバウルに行っていた頃、食べるものもなくなり、必死で畑作をしたとき、肥料もなく雑草だらけの荒れ地なのに、芋が大きく生ったという。秋則は土をほおばり、「これだ!」と叫ぶ。
山の土は、雑草や枯れ葉が長年かけて溜まり、肥えた状態になっている。自分のリンゴ畑は今まで、雑草を刈っていたからダメだったのだ。リンゴの木は、それだけで生きているわけではない。他の自然の中で生きている生き物なのだ。
秋則は、翌年に向けてリンゴ畑を山の環境に近づけようと、森から土を運び、雑草を刈らず、大豆をまく。一方、現金収入を得るため、秋則は恥も外聞も捨ててスナックで働き始める。
九年目。リンゴ畑はいつしか、大豆は腰の高さまで育ち、雑草が生い茂り、ヘビ、ネズミ、ウサギなどが住みつき、畑というよりジャングルのようになっていく。そして、リンゴの葉には害虫だけでなく、テントウムシのような益虫も付くようになる。
木村家でとれる見事な野菜が村の者たちの間で評判になり、周囲の見る目も変わってくる。
そして十年目の春、秋則のリンゴ畑に一斉に花が。友人のもっちゃんに畑を見に行くように言われ、スクーターを借りて秋則と美栄子が向かった先で目にしたのは、山いっぱいに咲いた白いリンゴの花。二人は狂喜する。
その年の秋に生ったのは、情けないほど小さなリンゴ。しかし、とてもきれいで甘いリンゴだった。
義父の征治は、前年の冬に肺炎で入院してから、痴呆症まで患い、病院生活が続いていたが、このころ帰らぬ人となる。亡くなったときには、その年初めて実ったリンゴを固く握りしめていた…。
感想
映画は、無農薬栽培がようやく軌道に乗り始めた十一年目の秋、木村家で収穫したリンゴの仕分け作業をしている場面で終わる。ここで秋則が、
「オラ分かったことがある。一つのことに狂えば、いつか答えは見つかる。そういうもんだ。」
という言葉もよかったが、私がこの映画で一番印象に残ったのは、雛子の書いた「私のお父さん」という作文だ。
これは、秋則が自殺しようとした八年目、どん底の極貧生活の中で書かれたもので、
「私のお父さんは、リンゴを作っています。でも、私はリンゴを食べたことがありません。お父さんのリンゴの木には、虫がたくさんついているからです。でも私はいつか、お父さんのリンゴを食べたいです。…」
といった内容だったと思う。
つらく苦しい生活の中で、支え続ける家族の存在があったからこそ、奇跡のリンゴは実ったのだ。
この映画で義父・征治を演じた山崎努さんは、
元気の出る映画です。勇気も出ますよ。だから、今ちょっと落ち込んでいる人、辛い思いをしている人たちに見て欲しいなと思いますね。そういう方たちが、この映画を観てちょっとでも元気になってくれたらと願っております。
と言っている。素晴らしい映画なので、ぜひ多くの方に見ていただきたいと思う。
見終わって、なんとなく幸せな気持ちになっていしまう様なそんな素敵な映画だったようですね。(笑)
阿部サダヲさんも上手い役者さんですが、何と言いましても山崎努さんは素晴らしい役者さんですよね。
今存命している役者さんの中で真さに「名優」と呼ぶに相応しい俳優さんだと思います。
演技が迫真に迫ると申しましょうか・・・
私が思う「名優」はもう御一方は・・・
今は亡き三國連太郎さんです。
その演技は「血と肉」を感じさせる、凄い役者さんだったと思います。
3・11の大震災で多くの方が大変辛い思いをされました、そして本当の意味で命の大切さも知りました。
人間にとって幸福とは・・・
農業や水産で生計を立てていらっしゃる方々も多大な被害を被り、その影響で、今もまだ大変なご苦労をされていらっしゃることを思うといたたまれません・・・
それまにも、温暖化や病害虫、様々な問題から一生懸命手塩にかけて育てた農作物が駄目になってしまったり、農家の方々のお気持ちは、泣いても泣ききれないものがあると思います
今年に入ってからも、強い寒波の影響や雨不足なことからも農作物を心配する声も・・・
ここ近年は世界的に地球温暖化が急速に進み、様々な現象が起きております。
「文明」の名に於いて土地を開拓し、森林や自然破壊し、有害なモノを生みだし、大量にエネルギーを消費する私たちの経済は・・・
現在「生物種」の絶滅が急速に進行しているようです。
(地球上で数えあげられている種類は2000万種らしい・・・)
自分達は一体何処に向かっているのだろう・・・
私達人間だって、地球上に存在している生物の一つに過ぎません・・・
「滅びに・・・」向かっているとしたら?・・・
ここで今、自分たちが立ち止まって考えなければならないのかな~といった思いもあります。
ちかさださんの今回の「奇跡のリンゴ」から様々な思いが交錯してしまいました(笑)
追記
ちかさだ様
いつも勝手なことばかり書いてすみません・・・
ちかさださんや、ちかさださんのブログにお越しの皆様から顰蹙をかっているのでは無いか、と正直心配しております。(苦笑)・・・控えます・・・
反省する事頻り・・・(汗)
(反省する位なら書くな!と言ったお叱りの声も受けそうです・・・)