夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

風立ちぬ(2)

2013-08-28 23:26:44 | 映画
感想
この映画の「風立ちぬ」というタイトルは、堀辰雄の同名の小説から取ったものである。ただし、宮崎駿監督が言っているように、この作品は、実在した堀越二郎と、同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てた「完全なフィクション」である。小説「風立ちぬ」からは想を借りつつ、まるで別の話になっているので、これからご覧になる方は、いちおうご注意を。


ヒロインも、小説「風立ちぬ」の節子ではなく、堀辰雄のもう一つの代表作「菜穂子」からその名を取っているように、まったく虚構の存在であるが、映画では、当時大学生だった二郎と、関東大震災の折に運命的な出会いをし、十年後に軽井沢で再会して結ばれ、作品の中で大きな役割を果たしている。

堀辰雄の婚約者・矢野綾子が結核を病み、信州・富士見の高原の療養所で亡くなった経験が、「風立ちぬ」や「菜穂子」といった作品を生み出したことはよく知られている。この映画では、そうした背景的事実や、小説の要素も溶け込ませながら、冒頭に、
Le vent se leve, il faut tenter de vivre.
(風が立った、生きんと試みねばならぬ)
というポール・ヴァレリーの詩句を引用する「風立ちぬ」の主題――婚約者の死の経験から悲しみを乗り越えて生への復帰を試みる――を受け継いでいるように思う。
映画の二郎も、結核で愛する者が死に、また敗戦で「美しい飛行機」の開発に懸けた夢が破れた、という二重の喪失を越えて生きようとする姿が、最後に示されていた。


この映画に対して、戦闘機の開発に半生を捧げた設計家を肯定し、過去の戦争を賛美していると批判する向きもあると聞く。(喫煙シーンが多く、児童や生徒の鑑賞にふさわしくないという意見もあるそうだ。)
しかし、私が見たところでは、この映画から、堀越二郎や菜穂子をはじめ、自分に与えられた時代的環境や人生の諸条件の制約のもとでひたむきに生きた、日本の大正・昭和前期の人々の姿が伝わってきた。国は貧しく、庶民に困窮を強いながら、軍事大国への道を進み、世界を相手取っての戦争という破滅に陥っていく日本の矛盾も描かれていたし、決して過去の大戦を正当化しようとしてはいなかったと思う。
戦後の開発で失われた自然の美しさ、関東大震災の被害とその後の復興、与えられた運命を受け入れて生きる人々の覚悟と強さなど、アニメーションだから再現できる当時の「日本」に、現代の私たちが気づかされたり、自省を迫られることも多いだろう。見終わった後で、今を生きる私たちが、過去の日本の歩みと、その中で生きた人々の思いを受けとめつつ、喪失を越えて生きねばならない、という気持ちにさせられる映画だった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。