明日、公開授業を行うので(現代文・評論)、夕方にホームルーム教室でそのリハーサルを行った。
といっても、まだ教材研究や板書計画も済んでいない状態なので、全体の構成と流れを確認する意味でのリハーサルのリハーサルくらいのものである。
研究授業ほど厳格なものではないけれど、やはり授業の柱を立て、この学習目標を達成するためにこういう手立てでこのように指導する、ということがきちんと説明できるものでなければならない。
リハを行って初めて、頭の中にあるイメージそのままでは、授業の形にならないことがわかることも多い。
生徒にどのような活動や作業を行わせるか、指示は具体的であるべきだ。たとえば、
タイトルに着目させ、その意味を考えさせる
形式段落に分けさせる
意味段落に分けさせる
段落ごとに見出しをつけさせる
本文を音読させる(指名読み)
語句の意味を答えさせる
その段落の中で、何が話題になっているかを指摘させる
その話題を通して、筆者が何を主張したいのかを答えさせる
筆者の主張と対比させられている通念や通説はないか、探させる
その段落の内容が読み取れているか、質問に答えさせる
具体例と抽象論とがどう関係しているか、答えさせる
教師の説明を聞く
板書に内容をまとめたものを書き写させる
また、授業での時間は不可逆的なので、その作業・活動をどういう順番で行うかの選択・構成も重要である。
特に、質問・発問をなるべく易→難で配列し、順を追って解答していくことにより、最終的に主題の理解につながるように授業を展開するのが理想だろう。
一方で、主題の理解に到達するための手立てを生徒が理解し、次に評論の文章を読解する際にその方法を活用できるように、意識化・自覚化させるための指導も必要である。
…と書いてきて、「教師の一方的な指導や説明ばかりで、生徒の自発的な学びがない」とか、「もっと生徒同士が教え合ったり、意見を発表し合う場を設けたらどうか?」と言われそうな気がしてきた。まあ、言われるだろう。だが、上記のことを生徒が教師の指示なしでも、すべて自ら行えるようなら、指導も説明もする必要はない。残念ながら、模試や入試では、大人が読んでも難しい評論やエッセイが出題され、設問で上記のようなことを理解できているかが問われるのだ。入試に必要な学力をつけさせずに受験させるのは、軍隊にたとえるなら、兵士に武器の使い方も教えずに戦場に送り込むのと同じだと思うので(物騒な発言で申し訳ない)、ジレンマは感じつつ、自分の現時点での最善を尽くすしかない。その上で、実際の生徒の反応を見たり、なるべく多くの方からご意見をいただいて、授業を改善していく。
教師をしている限り、その最大の労力を要する授業では、理想と現実のギャップは必ずあり、悩みは尽きないことを実感する。
といっても、まだ教材研究や板書計画も済んでいない状態なので、全体の構成と流れを確認する意味でのリハーサルのリハーサルくらいのものである。
研究授業ほど厳格なものではないけれど、やはり授業の柱を立て、この学習目標を達成するためにこういう手立てでこのように指導する、ということがきちんと説明できるものでなければならない。
リハを行って初めて、頭の中にあるイメージそのままでは、授業の形にならないことがわかることも多い。
生徒にどのような活動や作業を行わせるか、指示は具体的であるべきだ。たとえば、
タイトルに着目させ、その意味を考えさせる
形式段落に分けさせる
意味段落に分けさせる
段落ごとに見出しをつけさせる
本文を音読させる(指名読み)
語句の意味を答えさせる
その段落の中で、何が話題になっているかを指摘させる
その話題を通して、筆者が何を主張したいのかを答えさせる
筆者の主張と対比させられている通念や通説はないか、探させる
その段落の内容が読み取れているか、質問に答えさせる
具体例と抽象論とがどう関係しているか、答えさせる
教師の説明を聞く
板書に内容をまとめたものを書き写させる
また、授業での時間は不可逆的なので、その作業・活動をどういう順番で行うかの選択・構成も重要である。
特に、質問・発問をなるべく易→難で配列し、順を追って解答していくことにより、最終的に主題の理解につながるように授業を展開するのが理想だろう。
一方で、主題の理解に到達するための手立てを生徒が理解し、次に評論の文章を読解する際にその方法を活用できるように、意識化・自覚化させるための指導も必要である。
…と書いてきて、「教師の一方的な指導や説明ばかりで、生徒の自発的な学びがない」とか、「もっと生徒同士が教え合ったり、意見を発表し合う場を設けたらどうか?」と言われそうな気がしてきた。まあ、言われるだろう。だが、上記のことを生徒が教師の指示なしでも、すべて自ら行えるようなら、指導も説明もする必要はない。残念ながら、模試や入試では、大人が読んでも難しい評論やエッセイが出題され、設問で上記のようなことを理解できているかが問われるのだ。入試に必要な学力をつけさせずに受験させるのは、軍隊にたとえるなら、兵士に武器の使い方も教えずに戦場に送り込むのと同じだと思うので(物騒な発言で申し訳ない)、ジレンマは感じつつ、自分の現時点での最善を尽くすしかない。その上で、実際の生徒の反応を見たり、なるべく多くの方からご意見をいただいて、授業を改善していく。
教師をしている限り、その最大の労力を要する授業では、理想と現実のギャップは必ずあり、悩みは尽きないことを実感する。