夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

「いわさきちひろ~27歳の旅立ち~」その1

2012-08-19 17:37:32 | 映画
「私は一年中、頭のどこかでいつも、絵本のことを考えているにちがいありません。絵本の幸せを人々に届けるために」。冒頭のこんな言葉からすぐ、映画に引き込まれた。約90分の短いドキュメンタリー映画だったが、とても内容が濃かった。

いわさきちひろは、豊かな表現力で、子どもの心の内面を描いたといわれている。自由な色づかいと、大胆な構図。彼女の絵は、世代を越え、国境を越えて、人々に愛されている。その絵本は数多く、何カ国語にも翻訳されている。しかし、そんな彼女も、画家としてやっていこうと決意した27歳のときは、家や仕事もなく、失意の中にいたことは、意外に知られていない。……以下、この映画は、次の8章によって、ちひろの生涯とその作品を紹介していく。

  1.旅立ちの日
  2.決意の日まで
  3.運命の人
  4.飛躍のとき
  5.ちひろの世界
  6.画家の権利を求めて
  7.絵本の可能性にいどむ
  8.戦火のなかのこどもたち

ナレーション(加賀美幸子)に貴重な写真や、彼女と親しかった人々の証言を織り交ぜ、彼女の生涯を紡ぎ上げていく手法は堅実だと感じた(監督は海南友子)。夫・松本善明氏、息子・猛氏、ちひろ美術館長・黒柳徹子氏をはじめ、数多くの人々の口から、彼女の人となりが語られ、それだけでも興味深い。

この映画で特に印象に残った所々を紹介する。

2.決意の日まで
ちひろは、1918年(大正7年)に3姉妹の長女として生まれた。父は陸軍の建築技師、母は教師というお堅い職業。幼い頃から絵が好きだったちひろは、14歳のとき、洋画家・岡田三郎助の美術教室で学び始め、17歳で朱葉会で入選。将来を嘱望されるが、両親の反対で美術学校への進学を断念。母の強引な取り決めで、20歳のときに見合い結婚をさせられ、夫の転勤先の大連で新婚生活を送ることになる。

しかし、ちひろは夫に心も体も開くことなく、うわべだけの夫婦生活が2年続く。そんなある日、ちひろが帰宅すると、家の中で夫が首をつって死んでいた。盛大な挙式から2年、うちとけぬ妻に悩んだ挙げ句の自殺だった。ちひろは生前には触れ合わなかった夫の遺骨を抱いて帰国する。

1941年(昭和16年)、太平洋戦争が始まると、教師だった母・文江は戦争協力にのめりこみ、満州へ若い女性を次々に送り込んだ。ちひろも満州へ行くが、住む所にも食べる物にも事欠く開拓村の過酷な現実にあい、心身症になる。見かねた部隊長が帰国させてくれるが、そのとき満州にとどまった知り合いの女性達は、本土引き揚げが叶わず、残留日本人となったり、悲惨な末路をたどった。

1945年(昭和20年)5月、東京大空襲でちひろの実家が全焼、描いてきた絵も灰になる。信州松本に疎開し、そこで終戦を迎える。

終戦を境に生活が激変する。戦争協力していた両親は、公職追放となり、収入も職も失って開拓農民になる。一方、ちひろは反戦活動家・菊池邦作のもとで平和運動に参加、ポスターを描いたりするようになる。自分の絵が人を動かす実感を得たちひろは、画家を志し、家出同然にひとり東京へと旅立つ。


ちひろが27歳で画家を志すまでに、その画風からは全く想像できない、過酷で壮絶な前半生を送ってきたことに圧倒された。



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