明日を信じられる時代になって欲しい。日常の活動日記

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【原発図解】(1)   原子炉建屋と格納容器のフタ

2012年10月03日 19時38分54秒 | Weblog

原発図解】(1)   原子炉建屋と格納容器のフタ"

(田中龍作)より

=原子炉建屋。東電福島第2原発、福島県楢葉町。 写真:田中撮影=

=原子炉建屋。東電福島第2原発、福島県楢葉町。 写真:田中撮影=


 原子炉建屋。手前から2、3、4号機。

福島第2原発は、施設の3分の1が地下に埋まっている。

柏崎刈羽原発は3分の2だ。どこまで埋まるかは地下の岩盤の深さによる。

原子炉で沸かした蒸気は、巨大なパイプを通ってタービン建屋に送られる。

=格納容器のフタ。原子炉建屋6階。 写真:田中撮影=

=格納容器のフタ。原子炉建屋6階。 写真:田中撮影=


 格納容器のフタ。格納容器は放射能を外に漏らさないようにする、最後の砦。


燃料棒交換のため9月11日に開いた。

125tクレーンで吊り上げる。福島第一原発は格納容器のいずれかの部分に

亀裂が生じ、高濃度の放射能汚染水が原子炉建屋に漏出している。

 

(つづく)


恥ずかしくないのか、民主離党の意向撤回、玉置氏・・・ああ。。。恥ずかし

2012年10月03日 19時28分08秒 | Weblog
恥ずかしくないのか、民主離党の意向撤回、玉置氏・・・ああ。。。恥ずかし

(まるこ姫の独り言)より

民主を見限って、維新の会へ行こうとして相手に断られたとはね。


>民主離党の意向撤回=玉置氏・・・時事通信

>民主党離党の意向を固め、新党「日本維新の会」への合流に

意欲を示していた玉置公良衆院議員(比例近畿)は2日、「離党は

致しません」とのコメントを文書で発表した。

玉置氏は文書で「お問い合わせはご遠慮下さい」とし、

取材は拒否する姿勢を示した。

 玉置氏は9月下旬、維新の会側に電話で「合流したい」との考え

を伝えたが、維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は応じない

考えを示していた。

悪いけど、維新の会へ行った自民や民主、みんなの党の議員た

ちは、ほとんど名前すら知らないし、顔も見たことが無い議員ばっ

かりだ。

維新の会の公開面接試験では、橋下氏と、オブザーバーらしい

人物とでの討論らしい討論はあったものの、出席していた現職国

会議員達は存在感すらなかった。

ただただ、何がなんでも維新の会に入りたいだけの、信念も理念

も一致しているとは思えない議員ばかりだとの認識だった。

今になって、維新の会と現職国会議員との間で火花が散っている

のに橋下氏に、一喝されたら、それでしゅんとする議員ばかり。

情けないし、どうも独裁の匂いがする。

自民や民主の政策が違うからとか、信念や理念が違ってしまった

と言うよりも、“維新の会”の、人気度に便乗しようとしているだけ

だと思うが、今はとにかく橋下のご機嫌を損じないようにしている

図が垣間見えて、ものすごく嫌なものを感じる。


ぞの維新の会に入りたかったのか、民主党からの離党の意向を

固めたと言われるが、相手に断られたと。

行くところが無くなった末、離党の撤回という、前代未聞の有権者

に恥をさらしてしまったこの議員は議員でいることだけがステータ

スになっているのだろうが、こんな輩にも莫大な歳費が支払われる。

本当にアホらしいったらありゃしない。

本当に信念や理念が一致して、維新の会にどうしても入りたいの

なら、一度断られたからといってそこで簡単に離党を思いとどまる

だろうか。

何度でもアタックして、自分の意思や信念を分かってもらう。

それくらいしろよ!

名古屋市会議員も、トンでも議員がいたが、国会議員も、私利私

欲で動いている人間が多すぎる。

自民党や民主党を見ていても、とにかく威勢が良いし、勇ましい

発言をするが、ただ言いっ放しで、何かあるとすぐにブレル。

野党の今、自民党も 与党である民主党を勇ましい言葉で攻め

てはいるが、与党になればすぐにトーンダウンするのは必至だ。

もう、既成政党は信用できない、さりとて維新の会もなあ。

本澤二郎の「正常化40周年の旅」(2)

2012年10月03日 17時48分38秒 | Weblog
本澤二郎の「正常化40周年の旅」(2)


日本の現在は、60余年前と同様に実質、アメリカ支配が続いているが、

中国がロシアやアメリカの属国になることはない。日本の右翼は、

今も過去の中国だと勘違いしているのであろう。


(「ジャーナリスト同盟」通信 本澤二郎 )より

<9・18デモを知らせる友人>
 
 夜遅かったが、社会科学院の友人の携帯電話にかけてみた。

ホテルからの北京市内電話は無料だ。

中国は交通費と通信費が格安である。

日本と正反対だ。経済活動にとっての優位性だ。

日本も真似るべきだろう。

日本は高すぎる。

鉄道から飛行機・通信費が、べら棒に高いことが、経済活動の抑制要因となっている。

大改革の余地があろう。

友人は、この日の9・18反日デモの様子を、テレビ報道で確認した範囲内で説明してくれた。

「大きなデモが北京、南京、上海、シンセン、長沙などであった。

数千人規模の所もあった。

新聞やテレビは理性あるデモを呼び掛けている。

政府の方針だ。

全体的によくなった。

むろん、社会問題もあり、個人的な要求も加わっている」というのだ。


 ということは、反日デモについて中国テレビはかなり詳しく市民に報道していたのである。

ごく一部に暴徒化もあったようだ。

その上で、「危ないから気をつけるように」と注意を促してきた。


 そういえば、いつもなら連絡をくれる報道関係者、日本研究者からのそれが今回はない。

何となく敬遠されているのがわかる。

電話の友人は「何かあったら大変なことになる。

接待、交流はできない。この時期に来るべきではなかった」とも言い張った。

きつい表現だが、それも筆者の安全を思ってのことだから文句はいえない。

「明日、時間があったら日本大使館を見学してみたい」というと、

即座に「危ないから止めなさい」とひどくしかられた。

相当、心配してくれているのだ。

これには困ってしまった。


 他方、天津の日本研究者に電話をすると、全く逆の反応である。

「天津はデモもなかった。

一体、誰がそんな情報を流すのか」と反発したものである。


<圧倒される大北京>

 北京国際空港からホテルに向かう午後8時前の車の流れは順調だった。

地下鉄が完成したことも幸いしている。

後部座席に身を委ねて、広い高速道路とその両側の超高層ビル群を眺めていると、

過去を知る日本人にとって不思議な感覚が五体を包む昨今だ。


 ニューヨーク?いや、もっと大きいぞ!国交正常化の40年前の姿と

比べられる人間が、この北京に今何人いるだろうか、と考えてみたりもする。

当時を知る田中も大平もいない。

思えば、筆者が大陸に足を踏み入れたのは、79年12月の大平首相の

中国訪問からである。

 72年の田中訪中は、各社とも政治部長レベルで、筆者は長男を抱いて

特別機が飛ぶ羽田に見送りに行ったものである。

72年12月の記憶は鮮明だ。当時の灰色にくすんだ街並みを、

現在の北京で探し出すのは不可能である。

清潔な人間と街並みは、他方で貧困の中国を象徴していた。


 そこから這い出したのが、78年の小平の改革開放政策である。

閉めきっていた扉を、左右に大きく開けたのだ。

そこへと大平がODA資金を流し込んだ。

侵略戦争の損害を放棄した中国への、日本のささやかな報恩であったが、

これが引き金になって中国の経済成長は実現したようなものである。


 中国では、田中と大平が別格扱いされるのも当然のことである。

それは世界的潮流だったが、これに反抗したのが、若いころの三文作家の石原だった。

安倍の祖父の岸信介だった。

 巨大な大北京に身をうずめると、いつもながらこうした思いに駆られてしまいそうだ。

「中国は商の民だよ。商売上手さ。うまくやるよ」と

宇都宮徳馬が言っていた通りになった。

今は逆に公平・公正な社会にする必要に駆られている。

 もはや昔の中国ではない。

経済大国となり、軍事強国ともなっている。

侵略戦争の教訓を学んでの軍事強化である。

日本の現在は、60余年前と同様に実質、アメリカ支配が続いているが、

中国がロシアやアメリカの属国になることはない。

日本の右翼は、今も過去の中国だと勘違いしているのであろう。


<中国の研究者の疑問>


「尖閣で損を被るのは、どうみても日本ではないのか。

それでいて、どうして国有化にこだわったのか。

野田とワシントンの思惑が一致したのだとしても。

日本はこれからも尖閣問題をエスカレートさせるのだろうか」


 天津の日本研究者が、しきりと首をひねっている様子が、

電話の向こう側で聞こえてくる。

 筆者は「日本政府はエスカレートは出来ない。今のワシントンにその力はない。

イラク・アフガンさえも決着をつけられない。イランとイスラエルの紛争も厳しい。

目下、イスラム社会から反撃を受けている。

とても東アジアに手は回らない」と答えた。


<300都市の反日デモ>

 今回の9・18反日デモは300を超える全国の都市で行われた、

と中国のテレビは伝えた。

これはただ事ではない。どれくらいすごいことか。

85年の中曽根の靖国参拝に対して、北京大学の学生が反発、気勢を上げたものである。

これだけでも中曽根は、首相官邸で震え上がった。


「もう二度と参拝しない」と約束して、関係悪化を回避した。

小泉の靖国参拝に対しても、これほどの反日デモは見られなかった。

大都市から中小の都市に拡大した9・18反日デモは、史上最大の規模である。

それは嫌われる日本商品を意味していた。

自業自得とは言え、既に日本商品ボイコット運動は進行しているだろう。

 この日本の損失は莫大である。

物だけではない。13億人民の心を傷つけてしまったのである。

石原と野田の責任は重い。

重罰に値しようか。


<日本大使館を目指す>

 翌日朝、観光ビジネスで生計を立てている陳さんに電話した。

運よく「鼻風邪をひいて家で休んでいる」という。

旅行業者は情報通でないと務まらない仕事である。

「9・18の日本大使館周辺は厳しい警備を敷いていた。

地下鉄も乗降客を締め出していた」というのだ。

中国政府の面子をかけた布陣で臨んでいるらしい。

彼は、日本大使館近くの地下鉄駅を教えてくれた。

老いた社会部記者出陣のきっかけを作ってくれた格好である。

 地下鉄建国門駅から1号線に乗車、二つ目の国貿駅で10号線に乗り換えた。

主要駅では、今も入り口で荷物をX線でチェックしている。

国貿駅ホームには警察官を配備していた。

10号線の亮馬橋駅が目的地である。

 三里屯地区に大使館があることは、大使館建設時から知っている。

東京タイムズに記事を書いたからである。

初代大使の小川平四郎の実兄・小川平二は、親しい政治家の一人だった関係で、

いち早く記事に出来た。

平二邸玄関には孫文の手になる「博愛」の額が飾ってあった。

実父の平吉は、孫文と交流を持っていた当時政友会の大立者で知られる。


<最寄りの地下鉄駅封鎖>

 ところが、予想外のことが発生した。

亮馬橋駅に降りようと待ち構えていると、電車はあっさりと通り過ぎてしまった。

何かの間違いなのか。

折り返して改めて目的駅に向かったが、やはり同じだった。

日本大使館近くの同駅は封鎖したままなのだ。

 やむなく一つ先の駅で下車して、そこから大使館に向かうことにした。

交通規制をしていることは、目の前の交通渋滞ですぐにわかった。

幸い、三輪自転車を見つけた。

この便利な乗り物であれば、警察の規制から免れるかもしれない。

そう思ってメモ用紙に「日本大使館」と書いて、運転手にかざした。

 手振りでNOと言っている。

一帯に「近づくな」との指示が出ているのである。

歩くしかない。方角を聞くと、手真似で「あっちだ」と教えてくれた。

親切なオジサンだ。

当たり前のことだが、日本人だからと言って睨めつける様子など無い。

 辺りにボランティアの警備員が一杯いる。腕に赤い腕章を巻いていた。

幼い子供のような者もいた。

一般市民を刈り出したものか。

彼らは素直に大使館方向を教えてくれたが、交通警察官には断られてしまった。


 道路沿いに腰をおろしてリンゴをかじっていた老夫婦は、

申し訳なさそうに「知らない」といって手を振った。

地方から息子か娘の家で過ごしているような感じだった。

歩いて、歩いていると、問題の亮馬橋駅改札口が見つかった。

入口は頑丈に閉じられていた。

事情を知らない市民が抗議する姿も見られた。


 そこから、さらに大使館方向へと歩いた。

迷彩服を着込んだ武装警官のような面々が現れた。

そこから人の少ない路地に入ると、外交官街であることがわかった。

そこで、また道を聞くと、昼飯に果物をかじっていたオジサンが、

実に大声を張り上げて方角を示してくれた。


 市民は皆親切だ。「お前は日本人か」と噛みつくような暴力的な中国人はいない。

さらに進むと、大使館寄りの歩道は関係者以外立ち入り禁止だ。

やむなく道路の反対側から歩くと、そこには夏服に身を固めた

軽装スタイルの警察官が行列を作っていた。

所在投げに周囲を行ったり来たりする者、昼飯の弁当に手を付ける者など、

実にのんびりしている。

2枚ほど彼らの様子をカメラに収めた。

 要するに、もうデモはない。

9・18で終わってしまったのである。


<タクシーに乗る>

 もはや大使館を眺めても仕方ない。足の方が疲れてきた。

ホテルに戻ることにした。

午後3時と夕刻に約束が入っていた。

これ以上、無意味に過ごす必要は無かった。

 結論は、デモはない。しかし、警備は厳重である。

という事実が判明した。

タクシーで建国門に戻ることにした。

いざタクシーを掴まえるとなると、これが北京や上海など大都市は大変である。

 タクシーは一杯走っている。

しかし、乗客も一杯いる。

日本人タクシー運転手なら、さぞかし恨めしそうに思うだろう。

乗車拒否も現れる。

近い場所や分からない場所だと、断られるだろう。

 筆者は三ツ星ホテルの名刺大の略図をかざしたが、二人の運転手に断られた。

大きなホテルではない。

土地勘の低い運転手は分からないのだ。

3人目が応じてくれた。

随分くたびれたタクシーである。

むろん、贅沢など言っていられない。

飛び乗った。タクシーの前に珍しい車が走っていた。

背後のガラスから見えるように「この車は日本製。

しかし、心は中国。

釣魚島は中国の島」と書いた紙を張ってあった。

神経質になっているのは、中国人の方だった。


 記念にと亮馬橋から建国門までのタクシーの領収書を手にして保存することにした。

かなりの距離だが24元である。


「タクシーに乗るな」

「日本語を話すな」という、友人がわざわざ教えてくれた禁止事項を、

あえて破ったのである。

何も起きなかった。

当然であろう。

一般市民にとって、日本人の一般人がそうであるように、

尖閣で人生や価値観が変わるわけではない。

それにしても石原は罪な男である。

そういえば、帰国後に石原をテレビで見ない。

評判の悪い息子の自民党総裁選候補の方だけである。

 何事も無くホテルに戻り、汗の体にシャワーを浴びせた。

生き返った。

2012年9月26日8時45分記

イーストウッドの「グラン・トリノ」:私の思いを代弁する映画ですナ。

2012年10月03日 17時22分26秒 | Weblog
イーストウッドの「グラン・トリノ」:私の思いを代弁する映画ですナ。

夕陽のガンマン ~ 荒野の用心棒テーマ / さすらいの口笛 サントラ

http://www.youtube.com/watch?v=rYKbBMhxpfw&feature=player_embedded
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みなさん、こんにちは。・・・(井口和基)より

私がアメリカのユタ大学の大学院生になったのは、1986年のことだった。行ってまもなく1985年を描いた「バック・トゥ・ザ・フューチャー

Back To The Future Part I Original Theatrical Trailer

http://www.youtube.com/watch?v=yosuvf7Unmg&feature=player_embedded
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/yosuvf7Unmg" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe>

がクランクアップし、映画館で見たことを覚えている。そして3年後の1989年に「バック・トゥ・ザ・フューチャー2
Back to the Future 2 Trailer (original)
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/rRrSp6Pqlz4" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe>
をユタで見て、そして帰国前に「バック・トゥ・ザ・フューチャー3

Back to the Future 3 [trailer] (1990)

http://www.youtube.com/watch?v=hQqyyJCWLjA&feature=player_embedded
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/hQqyyJCWLjA" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe>

を運良く見てから帰国。まさに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」世代である。

この最後のパート3の決闘シーンは、「夕陽のガンマン」のクリント・イーストウッドの有名なシーンからパクったパロディらしいが、スピルバーグ映画のスパイスの1つとなっている。アメリカ人は子供の頃から有名な映画をみてそのシーンを覚えているから、いざという時にそういうシーンが役に立つといいたいわけだ。

さて、このクリント・イーストウッドも俳優から俳優兼監督となり、これを最後に俳優としての一種の遺作とし、その後は監督業のみに精を出すといわしめた作品がどうやら「グラン・トリノ」というもののようである。たまたまテレビで観たのだが、実に興味深い映画であった。

グラントリノとは、かつて高級スポーツカー
グラントリノ
であるらしい。フォードの1974年製であるという。

クリント・イーストウッド扮する主人公のコワレフスキーという老人は、デトロイトのフォードの工場でずっと働き、子供も2人育て上げ、そこを定年退職してからずっと静かに余生を送っていた。ところが、アメリカの自動車産業が衰退。そこへ日本車など外国企業の自動車会社が入るようになった。すると、どんどんデトロイトにアジア人が住着くようになり、自分の家のお隣にはフン族一家が住むようになった。

ある時、同じアジア人の中でもよりマイナリティーのフン族出身の隣の姉弟の弟は、アジア青年ギャングにずっといじめを受け続けて来たのだが、ある時ギャックに隣の家のグラントリノを盗んでこいと指令を受け、コワレフスキーの家に泥棒に入る。それを夕陽のガンマン

Gran Torino - Get Off My Lawn _HD

http://www.youtube.com/watch?v=NelBNtNm8l0&feature=player_embedded
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のような感じで追い払う。

ここからコワレフスキー老人とフン族一家の交流が始まって行くのだが、この過程で、「男とはどうあるべきか」、「女の扱いはこうしろ」とか、「タフガイの会話を覚えろ」
 
http://www.youtube.com/watch?v=VXD8yOxIPB0&feature=player_embedded
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とか、「職を取るときは絶対にノーとつく言葉は吐くな」とか、白人男のしきたりというか、WASP根性を徹底的にその弟へ叩き込む。そうして無職の引きこもりのフン族青年に職を斡旋する
 
http://www.youtube.com/watch?v=nou8IMQpQAw&feature=player_embedded
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のだが、見事成功し、仕事を得るようになる。初めてガールフレンドを得たフン族青年には自慢のグラントリノを貸してやる。「ドライブに誘え」。

しかしそんな頃、老人はいつしか吐血する持病を持ち、病院で検査すると老い先長くないことを知る。

そんなころ、フン族青年が町のアジアギャングと遭遇し、日本の学校の「いじめ」と同じような手口で煙草でほおに「根性焼き」をされてしまう。これに怒り心頭になった老人は相手のいとこを叩きのめし報復し、二度と手を出さないように警告する。

すると、今度はギャングが機関銃を持ってフン家族の家を銃弾で夜襲する。姿の見えなくなった姉は集団リンチの上、集団レイプされて無惨な姿で帰宅する。

これに心底憤慨した老人は、かつて朝鮮戦争で戦った時のことを思いだし、その時に得た勲章をフン族青年につけてやる。「これはお前にやる」。死にいく決心をしたのである。

そして、老人は敵地であるギャングのたまり場の家に向う。そこで、いつものように胸に銃を潜ませているようなそぶりでギャング連中を挑発する。まさにこのシーンは「夕陽のガンマン」そのままの緊張感である。

1階に何人、2階に何人、3階に何人とタフガイの会話を続けながら計算する。そして煙草をくゆらせながら、指の鉄炮で「バーン」、「バーン」、また一人「バーン」と殺して行く。そうやって相手のギャングに緊張を高める。本当は殺したいのはやまやまだが、そうはしないんだぞという内の声とともに。

いつしか周りに近所の人たちの目が集まる。そして、最後に口に食わえた煙草に火をつけようとしながら、胸に手を入れると、。。。。あとはこれ。
 
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=YQN-3p2HqPA
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遺言状には、グラントリノはフン族青年タオにやるとあり、遺族も唖然。

とまあ、こんな感じの映画であった。

これをみて、今や朝鮮人いじめの「根性焼き」や集団リンチや集団レイプも世界的になってしまったナということである。すでにクリント・イーストウッド映画にも取り上げられるほどである。この地球上のWASPを代表するのがコワレフスキー老人。かつて我々が治めてきたこの町も無知無学無教養で無法地帯へと化したということへの皮肉である。法と秩序を重んじるアメリカ白人にとって「黄禍」意外の何ものでもないということである。

この意味では、これは単なる映画ではない。今現在尖閣諸島で起きていることも、根底にはこういう感情、こういう問題が潜んでいるのである。

実は米軍のメンタリティーはまさにこのコワレフスキー老人と同じだろうと私は見ている。アーミテージの「ショウ・ザ・フラッグ」(根性を見せろ)発言。まさに「お前には玉がついているのか」というコワレフスキーと同じである。自宅や近所に押し入る暴漢に対しては銃で応戦して追い出す。そしてそれを「当然のことをしたまでさ」という。尖閣諸島に共産主義国の船が侵入する。すると米航空母艦を派遣し、追い出そうとする。おそらく米人たちは「当然のことをしただけさ」というにちがいない。

まあ、そういうものなんですナ。

いずれにせよ、西洋白人、特にヤンキー魂、カーボーイ魂というものを正確に理解しておかないと、逆に彼らが大和魂を理解しておかないと分からないというように、我々日本人も米人のメンタリティーはいつになっても理解不能となるわけである。

実は国際政治でいまズレが生じているのは、この老人とフン族青年のずれを同じようなものだと私は感じているというわけですナ。その意味でも意外に良作品、深い作品であるといえる。必見の余地有り。

記“世論誘導”が開始された! 安倍自民、野田民主と云う「2大政党風」を吹かせたい

2012年10月03日 17時06分07秒 | Weblog
“世論誘導”が開始された! 安倍自民、野田民主と云う「2大政党風」を吹かせたい

(世相を斬る あいば達也)より 


 先ずは、朝日新聞の10月1,2日実施のインチキ世論調査結果の記事を読んでいただこう。

読売新聞も同じようなインチキ世論調査を行っている。

あいも変わらず、問題の多いインチキ調査方法だ。

しかし、仮に“テレビ中心生活”で、且つ“固定電話”がリビングに鎮座している家庭の住人が、このような回答をしたとするマスメディアの言い分は正しいだろう。

特に違和感はない。

≪「首相に適任」安倍氏39%、野田氏34% インチキ世論調査

野田第3次改造内閣の発足を受けて朝日新聞社は1~2日、インチキ全国緊急世論調査(電話)を実施した。

野田佳彦首相と自民党の安倍晋三総裁のどちらが首相にふさわしいかを聞いたところ、安倍氏が39%で、野田氏の34%を上回った。衆院比例区の投票先でも、自民が30%(9月の緊急調査は23%)に伸び、 民主の17%(同15%)を引き離した。

インチキ世論 調査―質問と回答〈10月1、2日実施〉

 どちらが首相にふさわしいか、という質問について、有権者の56%を占める無党派層の答えをみると、安倍氏は29%で、野田氏の32%がやや多かった。

ただし、自民支持層の82%が安倍氏を、民主支持層の86%が野田氏を選んでおり、自民の支持率が21%と、民主の14%を上回った分、安倍氏が優位に立った形だ。

 改造した野田内閣の支持率は23%(同25%)でほぼ横ばい。不支持率は56%(同53%)だった。

内閣の今後に「期待する」は30%で、「期待しな い」62%が倍以上だった。

一方、安倍氏の率いる自民党についても「期待する」は39%で、「期待しない」54%の方が多かった。

 衆院比例区の投票先は、昨年9月の野田内閣発足後しばらくは民主と自民が競り合っていた。

しかし、今年の夏以降、自民が水をあけるようになり、今回、さらに差を広げた。  

大阪市の橋下徹市長が代表を務める日本維新の会は比例区投票先では4%だった。

同会が次の衆院選で国会で影響力のある議席を「取ってほしい」は47% で、「そうは思わない」43%と接近している。

9月のイントキ調査で「大阪維新の会」について同様の質問をした時は、50%対36%だった。

 衆院選後の望ましい政権の形を聞いたところ、「民主と自民の連立」が32%で最多。

「自民中心」27%、「民主でも自民でもない政党中心」24%が続き、「民主中心」は9%だった。≫

(朝日新聞デジタル)

 つまり、マスメディアの行う“インチキ世論調査”は“テレビ中心生活者”であり、“固定電話を常用”する人々の政治意識度調査のようなものと考えれば、こんなものだろう。

マスメディアにとって重要なことは、この調査の内容ではなく、世論調査で得られた実際のデータ、これを如何に自分達が望む、「世論の風向き」に利用できるかどうかに掛かっている。

彼らの望む「世論の風向き」は9分9厘、記事やニュースの“見出し”が正体を明かしている。

 日本の国会には、“民主党と自民党”が存在し、その他少数の政党がある。

その程度に、日本の政治情勢を“まとめる”と云うプロパガンダ報道の強い意思によって報道されていると云うことだ。

この流れは、その調査方法が悪いと非難しても収まらないし、選挙が近づくにつれ、ヒートアップして行くわけである。

問題は、この怪しげな調査によって得られた“データ”が独り歩きして、次なる「世論の風向き」の世論誘導に次々と利用されていく事である。

この世論誘導は、何度か行う事で“アナウンス効果”を高め、国民の世論のメインストリームになる。

 その頃には、“テレビ中心生活者”、“固定電話を常用”の二つの設定条件は緩和され、道行く人々の概ねの常識へと成長してゆく。

これが日本のマスメディアの役割であり、彼らの企業利益に合致している。

間違っても、彼らにジャーナリズム魂等と云う幻想を抱くとか、要求してはならない。

ないもの強請りである(笑)。

小沢一郎が最近よく口にする「ネットメディアの活用」がこの問題を“一点突破”するマスメディアの弱点と云う事だろう。

 しかし、マスメディアの弱点は、その程度しか無いので、中々の強敵だ。

広告代理店(電通)を核とする、企業、政治、行政とメディア側との連携システムは堅固だ。

いま、このシステムを破壊しようと考えても意味はない。

それに対抗しうるメディア(ネットメディア)をどこまで効果的に実践活用できるかにかかっている。

筆者のようなブロガーとして、それなりに頑張る手もある。

一定の集団を形成、言論空間を共有するのも手段だろう。

ニコニコ動画やIWJとの提携も意味深い。

ツイッターやフェースブックの活用も有効だ。

 ただ、最近気になっているのが、「国民の生活が第一」の集会等でコメンテーターとして活躍する人々の顔ぶれが固定化されてしまっている部分が気にかかる。

並んでいる識者の名前を見た時点で、内容を聞かずに済む、と云う現象が続いているのは気がかりだ。

なんとか、このコメンテーターのウィングを拡げる事は重要だろう。

現時点で、「国民連合・オリーブの木構想」の実態は明確ではないが、生活、社民、きづな、新党大地までは連携の動きが明確。

彼等を支持する識者も視野に入れた講演等を加味する事で、「国民連合・オリーブの木構想」のイメージを国民に具現的に見せてゆく必要があると認識する。

≪ 生活・社民などが共通政策

 国民の生活が第一や、社民党などの幹部が、2日、国会内で、会合を開き、次の衆議院選挙に向けて、消費税率 引き上げ法の撤廃と、脱原発を実現する法案の成立を目指すことを盛り込んだ、共通政策をまとめました。

 会合には、国民の生活が第一の山岡代表代行、社民党の又市副党首、新党きづなの渡辺幹事長、新党大地・真民主の松木幹事長、それに、消費税率引き上げ法に反対した民主党の辻惠衆議院議員ら、10人余りが出席し、次の衆議院選挙に向けて共通政策をまとめ ました。

 それによりますと、「民主党のマニフェストは、今や『守らない約束』の代名詞になっている」と批判したうえで、「『国民との契約を守り、 言ったことは実行し、言わなかったことはやらない』という政治の原点を確認する」としています。

 そのうえで、消費税率引き上げ法を直ちに撤廃する ほか、2022年3月11日までに脱原発を実現する法案の成立を目指すとしています。

また共通政策に、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交 渉参加には、慎重に対応する方針を盛り込むことも確認しました。

 国民の生活が第一や社民党などは、近く有識者にも呼びかけ、脱原発を目指す集会を 開くなどして、共通政策の実現に向け連携を強化していくことにしています。≫(NHK)

 まぁ「国民の生活が第一」としては、10月25日の結党パーティーの準備に邁進している時期かもしれないので、厳しい事を言うのは控えておく事にする。

25日の席で、次期衆議院選候補第二陣の発表もあるので、それからが「国民の生活が第一」のメディア対策の本格化でも良いのだろう。

社民、共産、みんなの党等々のシンパ論者に語らせるのも有意義だ。

すべてが小沢一郎の言う通り発言では、小沢の神格化を思わせ気分は壮快になるが、政治的には必ずしもプラスには働かないだろう。

これはヒドイ! ≪福島健康調査:「秘密会」で見解すり合わせ≫

2012年10月03日 16時28分57秒 | Weblog
これはヒドイ! ≪福島健康調査:「秘密会」で見解すり合わせ≫

福島健康調査:「秘密会」で見解すり合わせ・・・(毎日新聞 )
http://mainichi.jp/select/news/20121003k0000m040149000c.html

 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備会」を開いていたことが分かった。

準備会では調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。

出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。


 県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。


 検討委は昨年5月に設置。山下俊一・福島県立医大副学長を座長に、広島大などの放射線医学の専門家や県立医大の教授、国の担当者らオブザーバーも含め、現在は計19人で構成されている。

県からの委託で県立医大が実施している健康管理調査について、専門的見地から助言する。

これまで計8回あり、当初を除いて公開し、議事録も開示されている。

しかし、関係者によると、事務局を務める県保健福祉部の担当者の呼びかけで、検討委の約1週間前か当日の直前に委員が集まり非公開の準備会を開催。

会場は検討委とは別で配布した資料を回収し議事録も残さず、存在自体を隠していた。

 9月11日に福島市内の公共施設で開いた第8回検討委の直前にも県庁内で準備会を開いていた。

同日は健康管理調査の一環である子供の甲状腺検査で甲状腺がん患者が初めて確認されたことを受け、委員らは「原発事故とがん発生の因果関係があるとは思われない」などの見解を確認。

その上で、検討委で委員が事故との関係をあえて質問し、調査を担当した県立医大がそれに答えるという「シナリオ」も話し合った。

 実際、検討委では委員の一人が因果関係を質問。県立医大教授が旧ソ連チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんの患者が増加したのは事故から4年後以降だったことを踏まえ因果関係を否定、委員からも異論は出なかった。

 また、昨年7月の第3回検討委に伴って開かれた準備会では、県側が委員らに「他言なさらないように」と口止めもしていた。

毎日新聞の取材に、県保健福祉部の担当者は準備会の存在を認めた上で「あらかじめ意見を聞き本会合をスムーズに進めたかった。

秘密会合と言われても否定できず、反省している。

(今後は)開催しない」と述べた。

 福島県の県民健康管理調査は全県民を対象に原発事故後の健康状態を調べる。

30年にわたり継続する方針で、費用は国と東電が出資した基金で賄う。

【日野行介、武本光政】

これまで駐留米軍は日本の防衛のために何をしてきたのか。

2012年10月03日 16時24分03秒 | Weblog
これまで駐留米軍は日本の防衛のために何をしてきたのか。・・・(日々坦々) より


 戦後日本の外交はすべて米軍が日本各地の基地に駐留している体制下で行われてきた。

だから韓国の国際海洋法無視の李ライン設置宣言とその宣言に基づく日本漁船拿捕と日本漁船員拘束は不法行為であったが、米軍は日本国民の安全に関して無力だった。

同じように北朝鮮の不法入国した工作員による日本国民の拉致に関しても米軍は無力だった。


 同様に、北方領土を日本がポツダム宣言受諾後にソ連が侵略してきたのに対しても米軍は無力だった。

今度の竹島や尖閣諸島に対する韓国の不法な武力侵略や中国の領土蚕食意図に基づいた威嚇に対しても米軍は的確な展開を見せなかった。

これほど役立たずの用心棒に日本は年間6000億円もの用心棒代を支払ってきたのだ。

いい加減に目を覚まして、日本の国家と国民を守るのは日本だという自覚を持って防衛に当たらなければならない。


 そうした日本国民世論の盛り上がりに対して、さすがに傍観を決め込むことが米国の国益に反すると判断したのだろう、二隻の空母を旗艦とする打撃群を西太平洋に配備したという。

あまりに遅きに失した感は拭えないが、米軍不必要論が日本国内で高まりつつある現状に、日本をコバカにしている米国首脳部もさすがに「マズイ」と思ったのだろう。


 しかし、日本国民は愚かではない。

米軍がまさしく米国のために存在している事実、日本防衛のためには少しも働こうとしない現実をまざまざと見せつれられてきた。

それも昨日や今日のことではない。戦後一貫してそうだったことは日本の領土問題に関して何一つとして解決されていない事実から明白だ。


 それでもいたずら小僧を叱るように日韓の外務大臣を呼びつけて「仲良くしろよ、北朝鮮と戦争中ではないか」と宥めるとは、余りに日本を馬鹿にしていないだろうか。

日本の竹島を不法に軍事的に占拠しているのは韓国だ。

これ以上日本国民は黙って見逃すことは出来ない。

この時代に起こった不始末は我らの時代に決着をつけるのが筋だ。

日本も空母を旗艦とする打撃群を最低でも2個所有しなければならない。

そのためにも米軍に対する思いやり予算をすべて日本の自衛隊・防衛省に回さなければならない。

役立たずの用心棒には帰ってもらおうではないか。

ドルもみ合い、78円台前半=クロス円の売りは一服〔東京外為〕(3日午後3時)

2012年10月03日 16時19分00秒 | Weblog
ドルもみ合い、78円台前半=クロス円の売りは一服〔東京外為〕(3日午後3時) 時事通信


 3日午後の東京外国為替市場のドルの対円相場(気配値)は、貿易収支悪化を受けた豪ドル円を中心とするクロス円の売りが一服する中、1ドル=78円台前半でもみ合う展開となっている。

午後3時現在、78円19~28銭と前日(午後5時、78円04~09銭)比15銭のドル高・円安。

 午前中は、仲値にかけては「やや実需の買いが強かった感がある」(大手邦銀)とされ、78円30銭付近まで強含むんだ。

その後は、中国の9月非製造業PMIが弱く、さらに豪貿易収支が悪化し、「豪ドル円などクロス円の売りが強まった」(FX業者)ことからドル円もやや上値が重くなった。

午後には、クロス円の売りも一巡し、ドル円はやや持ち直す動きとなっている。

 市場の関心は、今夜のADP全米雇用報告に向かっており、「全般は様子見ムードが強い」(先の大手邦銀)という。

同報告については「最近は雇用統計との食い違いもあり、先行指標としての有効性は乏しいものの、予想外の結果にはそれなりに反応があるだろう」(邦銀為替アナリスト)との声が聞かれる。

 ユーロも対円、対ドルで総じてもみ合い。

対円は、午前は豪ドル円の下落になびいたが、午後は下げ渋っている。

午後3時現在、1ユーロ=100円89~91銭(前日午後5時、100円67~72銭)、

対ドルで1.2897~2898ドル(同1.2895~2898ドル)。

東証大引け、4日続落 業績懸念が継続、新安値銘柄は159に

2012年10月03日 16時12分38秒 | Weblog
東証大引け、4日続落 業績懸念が継続、新安値銘柄は159に

 3日の東京株式市場で日経平均株価/は4日続落。終値は前日比39円18銭(0.45%)安の8746円87銭で9月6日(8680円)以来、約1カ月ぶりの安い水準を付けた。

後場中ごろから上値の重さを嫌気した株価指数先物への売りが優勢になると、世界景気や企業業績の減速を警戒した輸出関連や景気敏感株への売りも再開し、日経平均は次第に弱含んだ。

化学や鉄鋼、電子部品、自動車部品、小売りの一角など幅広い業種に売りが膨らみ、年初来安値を更新した銘柄は159に達した。

中国関連と位置付けられる日産自も安値更新。

 今週は欧州中央銀行/(ECB)理事会(4日)、日銀金融政策決定会合/や9月の米雇用統計(5日)と注目度の高いイベントを控え、投資家の多くは模様眺めだったという。

市場では「来週から米主要企業の決算発表も本格化する。景気懸念が強まっている現状では積極的に買いにくい」(証券ジャパンの大谷正之調査情報部長)との声が聞かれた。

 前場は小幅ながら上げる場面があった。

円相場の上昇一服を手掛かりに値ごろ感からの買いが入ったほか、今後の収益改善期待や投機筋の思惑的な買いを集めたファストリ/の急伸も追い風になった。

ファストリは650円(3.7%)高で終え、日経平均を26円押し上げる要因として働き、相場を下支えした。

 東証株価指数/(TOPIX)も4日続落。

 東証1部の売買代金は概算で9222億円と3日連続で1兆円に届かなかった。

売買高は13億9811万株。東証1部の値下がり銘柄数は1104、値上がり銘柄数は410、変わらずは157だった。

 NTT/、ディーエヌエ/、ホンダ、三菱商/が下落し、前日に下方修正を発表したユニー/が急落して年初来安値を更新。

第一三共/、資生堂/、東エレク/、ヤマダ電/も安値を更新した。

半面、トヨタ/が小幅に続伸して3000円台を回復。

グリー、リコー/、スズキ/が買われた。

シェールオイルの試験採取の成功が伝わった石油資源/が大幅高。

イーアクセス/はきょうも制限値幅の上限(ストップ高)で買い気配のまま推移し、大引けで売買が成立した。