お祭り
2010-09-19 | ほー
17,18,19日と近所の赤城神社のお祭り。今年は、建て替えの儀式もあって華やかだったようだ。という言い方をするのも、ちょっと諸手を挙げて祝うという気になれなかったからで、遠巻きに眺めているうちに当日になってしまった。
じつは、敷地に高級マンションが建ちその一角に神社が鎮座している。戦後65年、白木で建て直して、その後朱塗りのコンクリートに建て直されての再々建だ。子供の頃からの、遊び場だったわけで、その思い出の欠片の一切が見当たらないとなると、あまり有り難くも無くなる。
古い鳥居、焦げた銀杏の大木、御影石の敷石、乗っては怒られた狛犬、小石川まで見渡せた忠魂碑等々。戦後すぐに神社で始めた幼稚園を早くに卒園したこともあり愛着を覚えていた。当世人気の神楽坂に密接した高台の土地が放っておかれる市場原理は無いのかもしれないが、複雑ではある。
真新しい朱色の鳥居には赤城神社との額が掲げられ、正面に広い階段があり二階部分が神社スペースで右手マンションに社務所と地域コミュニケーションとかの施設、その上がマンションになっているようだ。
何故か、広い階段には手すりもなく車椅子のためのスロープもない。お祭りで混雑しており、急ぎ書かれた掲示にエレベータの利用を申し受ける旨があったが、平時のちょっとしたお参りには、頼みにくいもの。
我が牛込界隈はお年寄りも多く氏神様に頼み事も多かろうと思うと少し寂しくなる。デザイン優先で、普段のお参りの人々が優先されていないな、と感じられた。そうなると700年の由緒ある神社と改めて書かれてある掲示板にも、何かわざとらしい所為も感ぜられる。
ともあれ、夕刻、町内を練り歩いていた神輿が我が家にも近づいてくる、慌てて玄関に飛び出した。この雰囲気には今でも興奮するのだが。
じつは、敷地に高級マンションが建ちその一角に神社が鎮座している。戦後65年、白木で建て直して、その後朱塗りのコンクリートに建て直されての再々建だ。子供の頃からの、遊び場だったわけで、その思い出の欠片の一切が見当たらないとなると、あまり有り難くも無くなる。
古い鳥居、焦げた銀杏の大木、御影石の敷石、乗っては怒られた狛犬、小石川まで見渡せた忠魂碑等々。戦後すぐに神社で始めた幼稚園を早くに卒園したこともあり愛着を覚えていた。当世人気の神楽坂に密接した高台の土地が放っておかれる市場原理は無いのかもしれないが、複雑ではある。
真新しい朱色の鳥居には赤城神社との額が掲げられ、正面に広い階段があり二階部分が神社スペースで右手マンションに社務所と地域コミュニケーションとかの施設、その上がマンションになっているようだ。
何故か、広い階段には手すりもなく車椅子のためのスロープもない。お祭りで混雑しており、急ぎ書かれた掲示にエレベータの利用を申し受ける旨があったが、平時のちょっとしたお参りには、頼みにくいもの。
我が牛込界隈はお年寄りも多く氏神様に頼み事も多かろうと思うと少し寂しくなる。デザイン優先で、普段のお参りの人々が優先されていないな、と感じられた。そうなると700年の由緒ある神社と改めて書かれてある掲示板にも、何かわざとらしい所為も感ぜられる。
ともあれ、夕刻、町内を練り歩いていた神輿が我が家にも近づいてくる、慌てて玄関に飛び出した。この雰囲気には今でも興奮するのだが。